誇りよりも
南へ、とアルタクスが踵を返す。そこへ、上から何かを強く蹴る音に続き、彼が降ってきた。真新しい弓を肩に掛けた、美貌の弓手である。そのまなざしは厳しい。
「行こう。何だか様子がおかしい」
オープンチャットで告げられ、ユーナは頷く。アシュアが宿前に残るのは、他PTの治癒も担当しているからだ。ユヌヤに集まっていた攻略組も巣へ突撃してしまっているのだろう。MVPは早いもの勝ちだが、アルカロットは確実である。
セルヴァの足に合わせるべく、ユーナは地狼の背から降りる。促され駆け出す中、弓手は彼の索敵スキルで判った敵表示を転送してくれた。地狼の警戒よりも遥かに範囲が広い。転送門広場から南へ、旅行者のPTが赤い光点を押しているように見える部分は、アルタクスのものとセルヴァのものに相違はなかった。しかし、そこから先が違う。
南門近くでは一気にまばらになった赤の光点の一つが、凄まじい速さで転送門広場へと向かっている。直線的で、道なき道を進むような。
ユーナたちが転送門広場の南側へとたどり着いた時。
地図の光点もまた近づき、やがてブゥゥゥンという羽音が聞こえた。
「――間に合わなかったか」
小さな舌打ちは、弓手らしくなかった。同時に矢を番え、放つ。その一矢は見事に複眼の片方に傷をつけた。貫くには至らず、前脚で刺さっていた矢は地に落とされる。
ユーナの視界に大きく羽ばたいている、それは……巨大な羽蟻……魔雄蟻の名を冠する魔蟲だった。
『アシュア、ボスクラスだ!』
『マージ―でー!?』
頭を抱えた彼女が脳裏に映し出されるほどの声音に、ユーナは思わず苦笑を洩らす。それを見た地狼がフンと鼻を鳴らした。
【余裕?】
「ナイナイ。どうやって落とせばいいと思う?」
【勝手に降りてくるよ。餌ほしさに】
唸り声と共に聞こえた地狼の指摘は、正しかった。転送門広場と南へと向かう道筋のあたりには、魔蟻がその総量で攻め、旅行者が力業でねじ伏せるという混戦が繰り広げられている。HPが削られた旅行者は癒し手からの回復を受けるか、もしくは下がってHP回復薬を使わなければならない。魔蟻の巣に参加しなかった者でも、ユヌヤにたどりついている以上、そこそこのレベル帯であり、その腕前は赤い光点の消失からもはっきりしていた。
その真上に、魔雄蟻が着地する。
青い光点が、たったそれだけで幾つも消えた。着地地点からの回避をしようにも、周囲を魔蟻と他の旅行者に囲まれていては身動きが取れない。未だに命がある者は、苦痛の悲鳴を上げていた。身体の一部が押しつぶされているところに、更に魔蟻の追撃が来る。魔蟻女王ほどの大きさではないが、羽の部分を含めるとかなりの大きさの魔雄蟻は複眼が傷つけられたせいで、右側後方には意識が向かないようで、左側にいる旅行者を無造作に咥え、咀嚼していく。またひとつ、青い光が散った。
「――光撃の矢!」
次のをと物色するかのように頭を巡らす魔雄蟻に、弓手の光の矢が突き刺さる。羽の付け根を見事に射抜き、一枚落とした。これで飛べない。
魔蟻を蹴散らしながら、旅行者が魔雄蟻から距離を取る。いくら巨体でも、飛ばなければそれほど脅威ではない。ユーナはマルドギールを握りしめて、転送門広場へと押し入る魔雄蟻の前脚の関節を狙い、駆け出した。ステータスが増幅されていることが、全身から感じられる。すると、地狼のほうがあっさりと彼女を追い越し、魔雄蟻へと体当たりを仕掛けた。まともに横倒しになる魔雄蟻の前脚を、ユーナはマルドギールの一閃で奪い取る。その首筋を咥えて、地狼は宙へ投げた。夜の闇が一瞬視界いっぱいに広がる。群がってきた魔蟻を蹴り飛ばしながら、地狼はユーナの身体を背に受け、大きく後退した。魔蟻が邪魔をするが、それでもコツコツと魔雄蟻にダメージを与えられている。
行ける、とユーナが確信した時。
『あー、悲しいお知らせです。雄蟻いるからひょっとして繁殖期、って思ってたけど、本当に出てきたっぽいよ。新女王蟻』
セルヴァが心底うんざりした声で、新しい地図を転送表示した。高速飛行してくる赤い光点。それは東西南北から一つずつこちらに向かっている。
そんな蟻の生態、知りたくなかった。
結名の生物の成績に影響するのだとしてもうれしくない説明は、残念ながら事実だった。魔蟻女王にしては小さめの身体に羽を生やした、新魔蟻女王が夜空に姿を見せる。同じタイミングで、計四体。繁殖するために、魔雄蟻と番い、新たな魔蟻の巣を作り出すための布石。彼女たちは目当ての魔雄蟻を見出して、一斉に転送門広場に降りる。
阿鼻叫喚、とは、このことだ。
魔雄蟻の体勢を崩したことを好機と見て、総力戦を仕掛けていたPTのひとつが、あっさりと新魔蟻女王の腹によって吹き飛ばされる。地面に倒れたところを、他の新魔蟻女王が餌とばかりに喰らう。南側からは魔蟻を踏みつけながら、魔雄蟻へ近づく新魔蟻女王もいた。後方でも悲鳴が上がっている。
ユーナが視線を巡らせ、どれから対処すべきか迷っていると、少し離れた場所に表示されているセルヴァがPTチャットで叫んだ。
『数が多すぎる!! ごめん、一旦抜ける!』
『ちょっと、セルヴァ――!?』
呼び止めるアシュアの声を振り切り、PT表示から弓手の名が消える。そして、PTLの権限がアシュアへと移譲される。
PTから、抜けた。
その衝撃で、ユーナは弓手を見た。青い光点は、その方向にはもうない。魔蟻と旅行者とボスクラスの二種がぐちゃぐちゃに入り乱れる中で、彼は手にあの大判焼きを握っていた。爆発する罠だ、とユーナは思い出した。炎地雷である。
力任せに高く放り投げる。地面に向かって落ちてくるそれが、新魔蟻女王の頭上へと向かう。すかさずセルヴァは、番えた矢でそれを射抜いた。空中で火柱が上がり、新魔蟻女王の触覚を吹き飛ばす。耳障りな悲鳴が上がった。
逃げ出しているわけではない。彼は戦い続けている。
なのに、どうしてPTが抜けるのか。
『あー、もう! 今そっちいくから、ユーナちゃん、セルヴァ守って!』
『え、はい』
困惑するユーナに、アシュアが要請してきた内容も不可思議だった。弓手はユーナよりもよほど強い。レベルも高いし、しかも、ユーナよりも敏捷度が高いはずだ。
『ユーナちゃんを巻き込むようなことはしないと思うけど、爆弾に気をつけて!
すぐ黄色になっちゃうのに、あのバカ……ッ!』
――NPCや旅行者にも効果があるらしくて……。
罠スキルの話を、以前シャンレンから聞いたことがある。
これほど人が密集している中で罠を使用することの危険性を、罠師もまたよく理解していた。だからこそ、PTから抜けたのだ。
ユーナやアシュアを、黄色旅行者にしないために。
また一つ、火柱が上がる。
黄色旅行者は青色クエストをしない限り、黄色のままだ。それは、犯罪者としてのレッテルであり、青色旅行者にしてみると討伐対象と見做される。
これだけ混戦している中で、黄色旅行者がいたら?
仲間を失った旅行者は逆上しかねない。
「ダメ、ダメです、セルヴァさん……!」
ユーナの叫びは、新たなる爆発音にかき消されていた。




