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幻界のクロスオーバー  作者: KAYA
第七章 月華のクロスオーバー
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傷痕

 既に形を成していないとんがり帽子が転げ落ちていく。

 突き飛ばした仮面の魔術師の前で、倒れ込むことだけは避けて、膝をついた。駆け寄ったユーナが、ソルシエールに左手を翳す。


「――すす清らかな水(レケンス・アーグァ)!」


 ユーナの召喚に応じて、水の霊術陣がソルシエールを包む。一瞬だけの水の帳が彼女を覆い、その肌の穢れを払い、冷やしていく。遅れて相手PTの神官が駆け寄り、法杖を掲げた。


「わが手に宿れ、癒しの奇跡(クラシオン・リート)!」


 オレンジに彩られていたソルシエールのHPバーが、黄色にまで回復する。だが、そこまでだった。大きく彼女は息を吐く。冷やされたはずなのに、未だに熱い首筋へと手を置いた。でこぼこした感触は、どこかかさぶたのようだった。露出していた腕が赤く爛れた傷痕を残している。恐らく、直接蟻酸を受けた場所はどこもこのありさまだろう。


「ありがと」


 彼女の礼に一つ頷き、神官は己のPTのほうへと戻っていく。痛みは残っているし、衝撃も受けたが、動けないほどではない。回復薬ポーションを取り出すより先に、少しソルシエールは下がることにした。強く突き飛ばしすぎたのか、紅蓮の魔術師は身動きひとつしない。視線を落としているので、その足先しか見えなかった。気がかりではあったが、今はちょっと、彼の朱殷の瞳を見る根性はなかった。


「使って」


 ユーナが先に、命の丸薬ピルラを取り出していた。気合いを入れて立ち上がるソルシエールへと差し出す。その目が涙で滲んでいて、「あ、そんなにひどいんだ」とソルシエールは己の見た目が想像以上にぼろぼろになっていると覚悟した。受け取ってすぐに口に放り込む。苦みは味だけではなく、胸にまで広がっていた。HPがはっきりと緑に変わったので、戦闘に復帰できる。道具袋から外套を出し、羽織る。以前使っていた黒いマントだ。そのまま肩口で留めた。


「師匠は下がってて下さい」


 道具袋インベントリから術杖を出す。三種類しか刻まれていない、師匠お手製の一品だ。道具袋にもまだ少しだけ投刃は残されていたが、完全に使い込むのも怖いし、直接攻撃は避けたかった。帰り道もあるのだから、と内心で言い訳する。


「ソルも下がってたら?」

「あたしはまだMPあるからへーき。攻撃の合間に仕掛けるから、行って」


 紅蓮の魔術師は、ボス戦前に魔力の丸薬ピルラを服用していた。他の回復薬と重複使用可能だが、クールタイムがある。数値的に、戦闘を継続するには少々心もとない。おそらく、動けないだろう。俗にいう弾切れだ。

 転がり落ちた、ただの布切れのような帽子を拾い、とりあえず道具袋インベントリに仕舞う。修理できるかどうかはわからない。今は確認する余裕もない。

 ユーナが森狼と共に駆け出す。もう一つのPTは絶え間ない攻撃を仕掛けている。腹がなくなって小回りが利きやすくなった魔蟻女王レジーナ・フォルミーカとうまく渡り合っているように見えた。怒りに燃えている真紅の複眼は、もう魔蟻女王レジーナ・フォルミーカのHPが残り少ないことを示している。振り回される前脚が、鋭い顎が、幾度も空を切っていた。今、森狼がその前脚の一本を食いちぎっている。残りはそれほど多くない。


 腕を取られる。


 術杖を握るほうの手。細かいレースが気に入っていた袖口だったが、今は見る影もない。そこは服に覆われていたおかげで傷がないはずなのに、何故か握られた腕はやけに重かった。

 不意打ちに反応して、つい、見てしまう。同じように立ち上がった己の師が、朱殷のまなざしで自分を見返す。怒っているとすぐにわかった。だが、紅蓮の魔術師は口を開くことはなく、ただ引き結んでいるだけだ。その双眸が、一瞬だけ固く閉ざされて、瞬きのように開かれると同時に腕を掴んでいた手がするりと外された。

 踵を返し、彼は壁際まで下がっていく。

 いつものように、術衣の端を引きたい衝動は抑えた。

 あとで、いくらでも、謝ればいい。


 指先で、滑らかな術杖の上を撫でる。そこにある術式刻印は、当時の自分にとっての最小から最大火力まで、一つの術式を用いながらも消費魔力で威力を選べる形で刻まれている。これを見本に投刃にも術式刻印を彫り込んだ。今の自分にとっては、ごく少ない消費量だ。初級魔術で放てる火力として、燃費もよく連発も可能で、とても使い勝手が良かったのを覚えている。薄くなってしまった術式マギア・ラティオは、今もなお、ソルシエールに応えてくれた。


雷の矢(グロム・ヴェロス)!」


 稲妻が疾る。直進した雷光は、剣士の一刀で魔蟻女王レジーナ・フォルミーカが身体を仰け反らせた瞬間に撃ち込まれ、僅かな間だが麻痺を残す。

 雷の閃光が消えるや否や、駆け寄った彼女のマルドギールが突き入れられた。魔蟻女王レジーナ・フォルミーカの背から穂先が生える。麻痺では絶鳴すら上げられず、次いで森狼の爪が首を刎ねた。


 クリティカルヒット。


 連続される味方内の攻撃の、最後を飾ったのは従魔使い(テイマー)従魔シムレースのコンビネーションだった。

 かつて、自身と戦ったPvPで、僅かながらもアンテステリオンのボス戦で、今日見せた戦いの中で、ソルシエールの術式の発動と効果終了を把握していなければ、決して捕らえられないタイミングだ。

 その驚きは、心地よいものだった。アンテステリオンのボス戦では、師である紅蓮の魔術師の魔術発動をとことん阻害するような動きしかできていなかったのだから、大したものである。


 光が、満ちる。


 ――Congratulations, you defeated the boss.

   The MVP is given honor.

   Bless to all.


 もう見慣れてしまった幻界文字ウェンズ・ラーイ

 光の柱は……やはり、紅蓮の魔術師の上に立った。


 きらきらと落ちてくる光の欠片を握りしめる。小さな銅の箱を開けると、真っ白な布が一反現れた。服の替えを作るのに、ちょうどいいかもしれない。道具袋インベントリに仕舞い込み、次の行動に、一瞬、迷う。

 心に思う先を見ると、相手PTのリーダーが既に紅蓮の魔術師の傍へ駆け寄り、互いの健闘を称え合っている。


「ソル、大丈夫?」


 まだ息を乱したまま、ユーナが声を掛けてきた。ひきつれるような痛みはあるものの、動けないほどではない。ソルシエールはひとつ頷き、視線を彼女の手元に落とした。左右の両手にあるものは、白銅のアルカロットと、魔蟻晶タブラウル・フォルミーカである。白っぽい球体の中には、小さな黒い魔蟻フォルミーカの触覚が刻まれていた。


「ラストアタック・ボーナスなのかな? アルカロットと一緒に落ちてきたんだけど……砕くんだよね?」

「落とせば割れるから、簡単よ」


 少し、喉がひりひりする。

 ソルシエールは喉の渇きに気付き、言葉を切った。

 でも、と続けるまでに、少し間が空いてしまう。

 止める間もなかった。

 その間で「なるほど」と納得して、ユーナは片方の手を下へ向けていた。

 無造作に落とされた魔蟻晶タブラウル・フォルミーカはガラスよりも簡単に割れて、大きな破片をいくつも残す。

 ボス部屋にどよめきが生まれる。ソルシエールは声を荒げた。


「すぐ割っちゃダメよ!」

「え?」

「まだ帰還準備できてないし!」


 PTチャット越しに、深々と仮面の魔術師の溜息が聞こえた。

 慌ただしくもう一つのPTが動き出す。


「もう割ったのか!?」

「マジかよ、急げ!」

「初討伐いたんだっけ? うわ、言っとけばよかった……」

「悪いが、俺達は先に行かせてもらうからな!」


 口々に言い置いて、ボス部屋を出ていく。

 怒っていないようでよかったが、ユーナには釘を刺さねばならない。もっとも、ここを出てからだ。

 魔蟻女王レジーナ・フォルミーカ魔蟻晶タブラウル・フォルミーカによって、このダンジョンは構築されている、ということになっている。つまり、魔蟻晶タブラウル・フォルミーカを砕けば、ダンジョンは崩れ始める。


「来る時に、全滅させたはずだからな。帰りは楽だろう」


 腰を上げた仮面の魔術師が、こちらを見る。タイムアタックが開始されているにもかかわらず、その目が少し楽しそうに見えた。


「次は地狼アルド・ヴォルフか。従魔シムレースの系譜をたどるのも、時間がかかりそうだ」


 そのことばに、ようやく気付く。

 ユーナの傍に付き従うアルタクスの、種族名が変わっていた。ただ、アルタクス自身を見ても、あまり色合いに変化があったようには見えない。魔力光セヘル・フォスしかない暗がりであるせいかもしれないが。


「レベルアップしたら、進化イクセリィクシン可能になってたんですよ。

 森狼頭フォレスト・ウルフヘッドか、地狼アルド・ヴォルフの二択だったんですけど、アルタクスの希望に……」

「今それ喋ってたら、みんな生き埋めかも」


 楽しげなユーナの従魔トークを遮り、一息で疲労回復と魔力の丸薬ピルラを水筒の水と共に流し込む。どちらもやや緑色にまで回復した。


 行ける。


「ユーナ、ちゃんと破片拾って。

 師匠、先行って下さい。いちばん足遅いから」


 彼の、先の発言は事実だ。ボス部屋までにすべての小部屋を回り、片っ端から焼却処分してきたのは、魔蟻王フォルミーカ・レクスの出現を阻むのと同時に、帰り道の安全を確保するためだった。もしも、三人だけで挑むことになった場合の保険である。

 今、先にもう一つのPTが出て行った。これで、もし戻ってきた魔蟻フォルミーカがいたとしても、叩き潰しながら出て行ってくれるだろう。前方に危険はない。

 問題は、駆け抜けるスピードだ。敵がいなければ、ユーナとアルタクスや、ソルシエールが先頭を走ると、紅蓮の魔術師よりも敏捷度(AGI)があるため、置いて行ってしまう可能性がある。そして、「待って」なんて可愛いことを言うようなひとではない。

 渋々ながら、事実の指摘を了承するように頷く仮面の魔術師に、ソルシエールは安堵した。つまらない意地を張られたら困るところだった。


「あたし、最後に行きます」


 その提案に、魔蟻晶タブラウル・フォルミーカの破片を拾っていたユーナが露骨に顔を顰めた。


「ソル、だって……」

「察してよ、お願い」


 以前は使わなかった外套のフードを上げ、目深にかぶる。これで首筋もすっぽり隠れただろう。言わずにいることを悟ってくれたようで、ユーナは「うん」と小さく答えてくれた。


「――行こう」


 師匠はただ、促すだけだった。


 地響きが聞こえる。

 崩壊の序曲が、始まった。

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