呼吸を合わせて
「火炎爆発」
続々とこちらに引き寄せられてくる魔蟻を雷が打ち伏せていく。
一瞬の麻痺で複数の魔蟻が動きをとめ、それに合わせて紅蓮の炎が舞う。砕け散った光が、宙に消えていく。雷と炎の乱舞により、綺麗さっぱり、蟻塚までの道が掃除されていた。
その様子を見て、仮面の魔術師は満足げに口元へ笑みを佩く。左手に握った真新しい術杖は赤茶色をしていて、今までのものよりやや長いように思えた。その分、以前の物よりも多く、複雑な術式が刻まれている。
「ユーナ、殿お願い」
「了解!」
とんがり帽子の魔女が駆け出すと、その後ろに仮面の魔術師が続く。ユーナもまた、森狼の背から降りて走り始めた。すると、森狼は一気に仮面の魔術師を追い抜き、とんがり帽子の魔女を追い抜いた。
【数、減らす】
「アルタクスが突っ込むそうです」
「すごく沸くから、たまってきたら下がって。撃つから」
【わかった】
「その時は戻ってね」
【うん】
受け答えしている間に蟻塚の入り口がはっきりと見えてくる。ぴょこっと魔蟻が顔を出した途端、その首が飛んでいき、身体もまた砕けていく。真っ先に森狼が飛び込み、ソルシエールたちが続く。
ユーナが入ろうとした時、戻ってきた魔蟻が少し離れたところに一匹見えた。マルドギールを構えつつ、慎重に進む。入口は真上に開いているのだが、魔蟻がすれ違えるほどの幅くらいしかない。内部はもっと幅も高さもあり、緩やかな傾斜の下り坂になっていた。入ってすぐにユーナは立ち止まり、影に入る。戻ってきた魔蟻を横合いから貫き、突き刺さった魔蟻をそのまま壁に叩きつけて打ち砕いた。タイミングさえ合えば、ユーナの腕でも倒せることに安堵する。
下り坂を見ると、壁には松明が突き刺さり、ユーナが追うべき道を示しているように見えた。
「魔蟻は火を避ける。そのまま置いておけ」
紅蓮の魔術師のことばと同時に、前方から熱風が上がってきた。森狼がユーナを探すように姿を見せる。激しい戦いを予想しながら、ユーナは足を速めた。
蟻塚は、下へ下へと作られていた。森狼が先に走り、数が少なければそのまま噛み砕いたり、ソルシエールの投刃が雷を浴びせつつ貫いたりすることで、奥へ進む。その数が通路を塞ぐほどになれば、一旦森狼はユーナの元まで下がり、魔蟻をソルシエールの雷が一気に打ち据え、呼吸を合わせて紅蓮の魔術師の炎が灼く。殆ど駆け下りる勢いで、彼らは進んでいた。
ところどころに巨大な部屋が作られており、そのどれもを紅蓮の魔術師が焼却していく。ユーナは中を見る余裕がなく、ただひたすら、紅蓮の魔術師の背を守った。
彼のことを、「火炎魔術を扱う魔術師では、現時点で最高火力である」と詠うのを、ユーナはいつも耳にしてきた。紅蓮の魔術師という二つ名に嘘偽りはない。彼の指先が術杖を撫ぜ、口が術句を紡げばそこに死を生む炎が舞い踊る。レベル三十、いつの間にかカンストしている表記を見ると、その存在はいつになく遠く感じた。
ほんの少し身を下げたら、触れてしまうほど。
これほど、近くにいるのに。
「何だか、申し訳ないです」
「何が?」
背後から忍び寄る、怒り狂った魔蟻を刺し貫き、ユーナ自身も死を作りながら呟くと、無駄口など一言も挟む余地がなさそうなほど魔術を連打していると思っていた紅蓮の魔術師が、跳ね返るような問いかけを返した。その右手には松明を持ち、今、また壁に打ち込んで火をつけていた。即席の灯りである。
「おめでとうございます、レベルアップ」
レベルがカンストしているのに、思いっきりクエストの手伝いをさせている。申し訳なさが口から出たわけだが、彼は至って平然と応えた。
「――ああ、熟練度上げだ。気にするな」
「あたしはまだレベル上げだけどっ」
熟練度上げならば、もっと金銭的にも熟練度上げ的にも効率の良い場所があるだろうに。その答えがこの上もなく本心でありながら、気遣いが隠れていることくらい、ユーナにもわかる。
呑気な会話の間に、とんがり帽子の魔女の蹴りが二人に近寄る魔蟻へと放たれる。黒い革のブーツはやや厚底ではあるが、細い脚から放たれたにも関わらず、あっさりと壁にその全身を吹き飛ばして砕き散らした。パチッと空気に雷の余韻が弾かれて消える。
美しく着地までこなして、ふわりとスカートが舞う。一瞬真っ白な太ももが見えた気がして、ユーナはどきりとした。
ユーナの動揺には気づかず、ソルシエールはとんがり帽子のつばを指先で押し上げ、新たな投刃を取り出して左手に広げた。その視線が、奥へと向く。森狼がまた一匹、屠った。
「打ち止めですね」
「ボス部屋だな」
かなりの数を倒してきた自覚はある。その大半が、魔術師師弟(師匠非公認)が生み出したものであっても。この広間の奥が、最終目的地であると仮面の魔術師は口にした。
巣の中にいる魔蟻の殆どを、このボス部屋までに倒すことになるようだ。出現が途切れた隙に、それぞれが回復薬を口にする。紅蓮の魔術師はそれだけでなく、丸薬も飲み下していた。
ユーナもまたHP回復薬を森狼に与え、自身も同じHP回復薬を飲む。服はあちこちが蟻酸でボロボロになっていた。もっとも、シリウスの外套だけが異様にボロボロで、中の短衣には殆ど影響がない。耐久度は一桁になっている。これ以上は破れるどころではなく消失しそうだと判断し、ユーナは脱いで道具袋に片付けた。一方でソルシエールの服はところどころにひっかけたような跡はあるが、それ以外はかなり綺麗なままだった。雷の加護の魔術のおかげなのかもしれない。雷をまとわせた全身には、魔蟻の牙は届かなかったようだ。
とんがり帽子の魔女とユーナが前後を挟み、紅蓮の魔術師へは指一本触れさせない勢いで戦っていたため、紅蓮の魔術師だけはHPに減少が見られない。彼が飲んでいるのはMP回復薬である。飲んでも黄色のままで、緑にはなかなか戻らないようだ。それだけ、容量が多いのだろう。
唐突に、森狼が、ユーナの傍に戻って後ろを向き、唸り出す。ユーナの視界の地図に、複数の青い光点が生まれた。青の光点でも、二重になっているものは他PTである。ざわめきと共に、それは近づく。
「来たようだな」
「タイミング、悪いですね」
「一応、見つけたら教え合う、という話だったからな」
集落の掲示板には、様々な内容を書きこむことができる。探し物からPT募集まで多岐に渡るが、今、ユヌヤで多いものは、探索レイドPT募集だった。クエストクリアのため、という本来の目的の者もいるのだろうが、アルカロット目当てに参戦したい者も多い。だが、単独PTではなかなか魔蟻の巣は発見しにくい。よって、MVPを自身のPTで独占したいというのでなければ、探索レイドという形でPTリーダー同士が連絡用のサブアドレスを登録しておき、発見次第通知することで、レイドPTを組むようになっていた。サブアドレスはフレンドチャットとは異なり、必要に応じて変更可能である。その機能はまさにメール連絡専用、掲示板用と言っても過言ではない。現実から連絡はできず、幻界内でのみ使用可能だ。
宿の食堂で、ユーナも仮面の魔術師にその旨の確認を受けていた。MVPよりも、確実に早く倒せるほうがありがたいという主張が受け入れられたわけだが、いざ自分たちが一番乗りしてしまうと、ソルシエールには惜しく思えるようだ。
「こんにちはー!」
声と同時にぶんぶんと勢いよく松明が振られ、光が左右に揺れた。いつかの円を描くという形ではなかったが、これほどの距離になってしまうと互いによく見える。
元気の良いあいさつがPT同士で交わされ、久々にMMOらしさをユーナは思い出した。相手PTは四人で、剣士・拳闘士・神官・精霊術師の組み合わせだそうだ。
「うわ、もうボスっぽくね?」
「すげ、本物のペルソナじゃん……」
「従魔使いまでいるぜ」
PTリーダー同士で打ち合わせているあいだに、堂々とした陰口が聞こえてきた。あいさつでオープンチャットにしたまま、PTチャットに切り替え忘れているようだ。気恥ずかしくなり、ユーナは何となく森狼を撫でた。すると、仮面の魔術師のとなりにくっついていたソルシエールが静かに離れ、ユーナのほうへ近寄ってくる。
「あっちはアルカロット狙いみたい」
「じゃあ、わたしだけ初討伐?」
「うん。あっちの剣士たちに前衛を任せることになりそう。ユーナたちは遊撃で」
「行くぞ」
ぽそぽそとしたやりとりを、こちらはPTチャットで行う。
仮面の魔術師に促され、ユーナは気持ちを切り替えた。
その空間は、どことなくアンテステリオンの地下を思い出させた。闇の中、うっすらと見える白が異様に浮かび上がっている。紅蓮の魔術師が魔力光を高く打ち上げると、その全貌がはっきりと見えた。天井が高い、広い空間のちょうど中央に、大きな白い腹を横たえ……魔蟻女王は、沈黙のままにこちらを見つめていた。
その、深紅のまなざしが煌き、大きく鋭い顎が開かれた。
「散れ!」
相手PTのリーダー役が叫ぶと、前衛に詰めていた二人が散開する。その、つい先ほどまで立っていた場所目掛けて、何かが飛び散っていた。魔蟻の場合には噛みつかれたら受けてしまう蟻酸を、魔蟻女王は吐き出すことができるようだ。シュゥシュゥと音を立てて、地面がぐっしょりと濡れている。剣士は剣を振り上げ、それに合わせてもう一つのPTは攻撃を開始した。早速、拳闘士が前脚を一本へし折っている。精霊術師が風に呼びかけ、ユーナたちにも、反応速度上昇の支援魔法が掛けられてくれた。
「切り取ります?」
「そのまま燃やすさ」
一方で短いやりとりが師弟同士(師匠非公認)で交わされ、続けて術式が個々の指先によってなぞられていく。
「雷光網!」
「紅炎乱舞!」
投刃を中心にした雷の網が、白い腹を捕らえる。雷撃が全身を貫き、魔蟻女王の動きが止まった。ついで、以前見た同じ術とは違うサイズの火炎球が白い腹に放たれ、火炎を撒き散らしながら爆発を起こす。耳がキンキンするほどの高音の悲鳴が響いた。
遊撃という立ち位置になったユーナは、無防備そうに見える腹を攻撃するべきか、魔蟻女王の意識をふたりに向けさせないようにその視界で動くべきかで一瞬悩み、森狼の背に飛び乗った。ここはヒットアンドアウェイがよさそうだ。
「おい、アンタ危ないぞ!」
その声かけが自分に対するものだと気づくのと、風を感じたのは同時だった。森狼が跳躍し、大きく退くと、白いものがそこを素通りしていく。
無防備と思っていた巨大な腹が、女王の脚を中心にぐるりと振るわれたのだ。
素早い動きは巨体であることを忘れさせるほどで、森狼の背にいなければ間違いなく、壁に激突していただろう。
「生まれてくる!」
背後から上がった声に、何が?と首を傾げ……ユーナは悟る。
魔蟻女王の腹から白いものが出てきていた。黒を内包した白い塊は次々と柔らかな白い殻を割り、小さな魔蟻となって歩き始める。小さな、とは言っても、先ほどまで戦っていた蟻のサイズの半分程度で、数は今もまだ増え続けている。その気持ち悪い光景に、ユーナは怯んだ。正直近寄りたくない。
「ユーナ、減らして!」
ソルシエールの声に、ユーナは森狼の背から降りた。先に森狼が飛び出し、片っ端から小さな魔蟻を噛み砕いていく。だが、うじゃうじゃと沸くために、噛みついたり足で踏みつけたりする数よりも絡みつく数が多くなってきた。ユーナはあわててマルドギールで、森狼の周囲を一挙に払いのける。
大してHPはないようで、小さな魔蟻はダメージを受けるとあっさりと消え失せていく。その間にも、腹部全体への攻撃はもちろん、頭部に対する攻撃も続いている。ユーナの役目は、とりあえずこの小さな魔蟻を後衛へと近づかせないことだ。
「轟火壁!」
紅蓮の魔術師の火炎壁が、ユーナと魔蟻女王の間に築かれた。その場に生まれていた小さな魔蟻は焼失したが、生き延びた魔蟻も魔蟻女王の傍まで下がる。一息つくことができ、ユーナは心から感謝した。その間に、今度は命の丸薬を飲ませる。大幅に削られていたHPが、瞬く間に回復した。
「おい、魔蟻王はどこだ!?」
「もう上で倒したってよ」
「マジか!?」
前方のほうから怒鳴り合いが聞こえる。「さっき上の部屋にいたからな」と仮面の魔術師が呟き、全部の部屋を焼却処分していた理由がここではっきりわかった。本来ならば、増援として登場するはずの敵まで予め叩いていたようだ。流石である。
「しぶとい……! 雷迅光!」
「おい!」
苛立ったソルシエールに、焦りを含んだ仮面の魔術師の声が続く。とんがり帽子の魔女の投刃は魔蟻女王の腹に吸い込まれ、続いて稲妻が貫き大穴を穿った。が、その、大穴から、もはや卵の状態ではなく、そのまま小さな魔蟻たちが生まれ始める。まさに沸いているその状況にソルシエールの表情が強張るのと同時に、紅蓮の魔術師は舌打ちをして彼女を腕の中に庇い、術式刻印を撫ぜて叫んだ。
「――炎舞昇華!」
紅蓮の炎が視界を埋め尽くす。
彼を中心として描かれた炎は、そのMPの二割を奪い取って発動した。多少は回復していたとは言え、連続で中級魔術を連打していたこともあり、MPバーは赤に色づいてしまった。
完全に腹部を失った魔蟻女王は、失われた我が子たちを思ってか、その殺戮者へと牙を剥く。痛みと苦しみの絶叫を響かせながら、恨みをこめて蟻酸をふたりへと放った。
突き飛ばされることはあっても、突き飛ばすのは初めてかも。
仮面の向こうに驚愕を見出して、ソルシエールは思わず笑ってしまった。
続く感触は灼熱にも似た痛み。とんがり帽子のおかげで頭は守られたが、身体中を、特に露出した肌を酸が焼く。悲鳴は、上げなかった。




