蟻塚
北門を抜けると、低木がまばらに生えた草地が続く。南門まで赤い露出した岩盤を多く見ていたせいか、その差に驚いた。赤茶色の石畳は北西へと続いていたが、仮面の魔術師は街道を進まず、西の赤茶けた岩肌が丸出しの山裾へと方向を変えた。
ゆったり歩くのは久しぶりだと思いながら、ユーナは横に並んで歩くアルタクスを見る。ユヌヤでは混雑がひどかったので機嫌が悪そうだったが、今は通常運転しているようだ。あれだけの睡眠で足りているとは思えないが、周囲を警戒している様子に油断はない。
【乗る?】
「あ、ううん。歩く」
「え?」
前を歩いていたとんがり帽子の魔女が振り返る。会話はPTチャットだが、アルタクスの声はユーナ以外には聞こえない。やらかした、とユーナは顔を赤くした。
「ごめん、アルタクスが『乗る?』って訊いてきたから」
「話せるのか?」
仮面の魔術師が興味津々に問いかける。そういえば、食堂でのやりとりはPTを組む直前で、彼らには聞こえていなかった。ユーナは「共鳴」スキルの影響で、ことばによる意思疎通ができる旨を語った。
「従魔使いの、召喚スキルの上か……」
「ホント、従魔使い極めてるんだー」
感心したように口を開く師弟(師匠非公認)に、ユーナは照れたように笑う。
「ペルソナさんの魔法みたいに、火力が増えるわけじゃないので……あんまり、実戦向きではないんですよね。自己満足っていうか」
「ねえ、それなら探索、頼めない?」
ソルシエールは正面に広がる山地を指さした。
フォルミーカの巣は、ランダムで出現する。いつ出現するかは一切不明で、場所的にはヘルゥ高原のユヌヤより北側、最近の発生状況を見ると西に多く出現しやすいそうだ。
「遠目で見つけられたらいいんだけど、今はアルカロット狙いの旅行者がガンガン討伐しまくってるから、早い者勝ち状態なんだよね」
「アーシュが最初に討伐した時は、巨大な蟻塚だったらしい。ある程度時間を置けば、成長するダンジョンだろうな」
今は成長する間もなく討伐されてしまうので、大きいものは見つからないそうだ。蟻塚の大きさに比例するように、魔蟻女王も強大になる。最初の討伐時の報酬の割に、現在の報酬は二ランクほどダウンしているそうで、おそらく報酬が魔蟻女王のレベルと連動しているのだろうと仮面の魔術師は推測していた。とは言え、見つけた蟻塚を「成長するまで立入禁止」にするわけにもいかない。無理に他の旅行者を排除しようとすれば、黄色旅行者や赤色旅行者というレベルの話ではなく、規約違反という形で処罰を受けることになる。フィールド上の敵を独占する行為は、どのゲームでも禁止されているのだ。レベル上げのために効率のいい沸きポイントなどを独占する行為などが、よくある例である。
ソルシエールの話は、森狼には、単騎で周囲を探索し、巣、もしくはフォルミーカを発見次第、報告してもらいたいという内容だった。もちろん、こちらも探索は続けるが、方向的には少し違う場所を探す。もし森狼が敵と遭遇しても、彼の脚力ならば逃げおおせることができることも大きい。
【いいよ。行ってくる】
ユーナが返事をするよりも早く、森狼は先に走り出す。瞬く間に、低木の向こうへとその姿が消えた。
「気をつけてねー!」
PTチャットでのソルシエールの声が届いたのか、フンと鼻を鳴らしている。任せておけ、というニュアンスに、ユーナは口元を緩めた。
「がんばるって」
「アルタクスって、ホントかしこいよね。師匠みたいに面倒くさがらないし。いいなー。
あ、師匠、あたしたちはそのまま西でいいですか?」
「――お前たち、いつの間に、そんなに仲良くなったんだ?」
不思議そうに、この上もなく不思議そうに、紅蓮の魔術師はふと疑問を口にした。それは本人にしてみると問いかけですらなかったが、とんがり帽子の魔女は目を輝かせた。
「師匠! あたし、師匠とのほうが断然仲良しですからね! 大丈夫ですから!」
「何が大丈夫なのかさっぱりわからん」
目の前で繰り広げられる師弟(師匠非公認)のやり取りを聞きながら、これには負けるとユーナは思った。
ふと、ものは試しと頭の中で森狼に向けてことばを紡ぐ。
――アルタクス、ちょっと北側のほう探してね。
【わかった】
頭の中で、きちんとやりとりが成立した。
これは、ひょっとして考えていることが筒抜けなのだろうかと心配になる。「共鳴」の説明書きでは、従魔と感覚を共有できるというものだった。スキルレベルは一だが、ユーナの場合は森狼王の牙の首飾りの効果が森狼との間に発動しているので、スキルとしてはもっと上位のものを使用していると思う。頭の中でつらつら考えていても、特に森狼からの反応はない。
――ねえ、わたしの考えてることって、わかったりする?
【よくわからない】
問いかける意思に対しては、反応が早い。むしろ、その返事が呆れ返っているように聞こえて、ユーナは頬を膨らませた。何、よくわからないって。
「速いな」
紅蓮の魔術師は、森狼の移動速度を見ていた。ユーナもまた自分たちとアルタクスの位置を確認すべく、地図を表示させている。ペンで線を引くかのように、ものすごい速さで地図上を光点が進む。
「フォルミーカを見つけたら、泳がせて巣まで案内させてほしいんだが、できるか?」
「訊いてみます」
【わかった。追いかけたらいいんだね】
どうやら、アルタクスの声は他に聞こえずとも、森狼自身はPTチャットの会話を聞き取ることができているらしい。特に通訳も必要なく、了解を得る。
「この調子だと、あたしたち、あんまり動かないほうがいいかもしれませんね」
「そうだな」
むしろ、もっと森狼のそばにいるほうがいいだろうという結論になり、そちらへと移動を開始する。森狼は一気に遠方まで駆け、そこから徐々に蛇行しつつ戻ってきているようだ。一直線上には、さすがにいなかったらしい。
途中、フォルミーカは見かけなかった。しかし、魔蠍と再度遭遇し、とんがり帽子の魔女の雷で麻痺させているあいだに、紅蓮の魔術師が焼き蠍にした。一匹だけ、しかも小ぶりではあったが、戦闘に一分も要しないという状況に、ユーナは視線が遠くなる。ユーナのマルドギールが飾りになりそうだ。
その時、森狼の光点が、ぴたりと動きを止めた。
【いた】
「あ、見つけたそうです」
森狼は色よい返事をユーナに伝えてきた。もっとも、ユーナたちがその地点までたどりつくには、まだ、かなり時間がかかる。三人は森狼のもとへと足を速めた。
【追う】
時折聞こえる森狼の報告を口にしながら、さきほどまでとは打って変わってゆっくりとした光点の動きに注視する。やや息を切らせた仮面の魔術師を心配しながら歩き、森狼と合流するころ……ユーナの目にも、それははっきりと見えていた。
小高い丘にも見える、綺麗な円錐状の赤い砂山。
その頂上から山裾にかけて、ひっきりなしに往来するのは魔蟻である。互いに時折触角を触れ合わせる様子は、普通の蟻そっくりだった。もっとも、サイズが桁違いである。ユーナより一回り小さい程度で、遠目で見てもその顎の鋭さに震えがきた。
「よし、先に食べるか」
「はーい」
「――た、食べるんですか?」
蟻塚を望む、低木の木陰で。
当然のようにランチボックスを広げ始める師弟(師匠非公認)のそばで。
森狼は嬉々としてご相伴に預かり、ユーナは蟻塚に背を向け、できるだけフォルミーカを見ないように食事を摂り始める。不思議な触り心地の紙箱の中には、ハンバーガーとスライスされた揚げ芋が入っていた。まるでファストフードな組み合わせに、本来なら楽しくなるはずだが……少しも落ち着かない。
むしろ食欲が失せている。
自分のランチボックスを食べ終わった森狼が、ユーナのものへと顔を近づけた。
【ユーナ、早く食べないと……来るよ】
「来るって……え?」
水筒の水で濡らした布で汚れた指先を拭き、とんがり帽子の魔女が服の土埃を払いつつ、立ち上がる。その手には、既に銀色の投刃が握られていた。一手遅れて、術杖を支えに紅蓮の魔術師も立つ。ユーナの地図にも、自身の背後に少しずつ赤い光点が増えているのが見えた。あわてて森狼の前にランチボックスを置く。同じくらい急いで、森狼はユーナの残りを食べてくれた。
「腹ごなし、しましょうか」
「ほどほどにな」
美しく微笑むとんがり帽子の魔女に応える紅蓮の魔術師の口元にも、同じような笑みが佩かれていた。
腕輪を滑る指先、紡がれた術句が彼女に見えない鎧を纏わせていく。
ユーナもまた、気合いを入れて立ち上がり、振り向いた。その服の襟元を、森狼が咥えて背に引き上げる。驚いているあいだに森狼は大きく退いた。
「先手必勝、開幕はド派手にですよね! 天雷撃っ!」
一本の投刃から、更に樹枝状の雷が放たれていく。
青い空の下で、本来ならば夏の終わりを告げる雷鳴が、ユーナのフォルミーカ・クエストの開始を宣言するように響き渡った。




