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幻界のクロスオーバー  作者: KAYA
第七章 月華のクロスオーバー
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待ち合わせには、遅れないで


 空腹度と疲労度を緑に戻して、ようやくユーナも人心地がついた。

 祭りのような賑わいの広場へと気合いを入れて踏み出し、目的の宿へ向かう。エネロとそう変わらない大きさの赤茶けた石造りだが、今は扉が開けっ放しになっており、しかもひっきりなしに誰かが出入りしている状態だった。まるで満員電車に乗るかのように、一瞬の間隙を突いて扉をくぐる。森狼もぴたりと傍にくっついてきた。流石である。

 扉の向こうはまず受付になっており、小太りの女将が今も旅行者プレイヤーの相手をしていた。二組ほど並んでいるようだったので、ユーナもその後ろに続く。次いで食堂を見ると、決して狭いホールではないのにどのテーブルも旅行者プレイヤーが座っており、空いている席がひとつもなかった。朝食と昼食のちょうど中間、という時間にも関わらずだ。現実時間リアルタイムで考えればゴールデンタイムなので当然だが、確かに、これを見ると村人が分け入るのは難しい気がする。外で露店が流行るわけだと納得した。中で食べられないのなら、外で食べればいい。

 テーブルについている旅行者プレイヤーたちの装備も、並みのものではない。かつてテイマーズギルドで見たアルカロット産装備は当たり前、眺めているだけで装備の見本市を見ている心境になるほど、どの装備も洗練されている。高原に入ったことで朝夕の肌寒さを感じることが多くなったのを思い出し、ユーナは夏めいた自分の装備を見下ろした。アシュアに譲ってもらった短衣チュニックは長袖なので、そろそろ衣替えもいいかもしれない。守備力もそちらのほうが高い。部屋を取ったら早速着替えよう。


「ユーナ!」


 待ちわびたと言わんばかりの声音と共に、椅子が大きな音を立てた。振り向くと、そこにはとんがり帽子の魔女(ソルシエール)がこちらに早足で近づいていて、奥に見えるテーブルには紅蓮の魔術師が座っていた。綺麗な日本人形は先ほどのうれしそうな声音と打って変わって目を細め、両腕を組んでユーナの前に立つ。怒っている?


「ちょっと! 着いたなら連絡しなさいよね!? 師匠、ずっと待ってたんだから!」

「え、そうだったんですか? すみません、お待たせして……」


 ユヌヤにいる、とは聞いていたが、まさか自分を待っているとまでは思っていなかった。

 ユーナの意外そうなことばに、ソルシエールのほうが首を傾げる。


「そんなの、あたりまえでしょ。

 部屋はあたしといっしょでいいよね。女将さん、あたしとこの子、同室で!」

「ええ!?」


 話しているあいだに順番が来ていた。唐突な提案にユーナは驚きの声をあげたが、女将はソルシエールの希望に愛想よく頷き、彼女に手を差し出す。ソルシエールは察して、札のついた鍵を返却した。


「ここ、高いの。マールトの普通の宿並み。長居することになるんだし、ちょっとだけでも安くしたほうがいいから」


 まだ、どれくらい滞在することになるか、わかんないし。

 少し低めの呟きが続き、ユーナは唇を引き結んだ。彼女の言う通りだ。まだ、ユヌヤから王都イウリオスへは向かえない。ユーナの場合、先にユヌヤの転送門開放クエストが待っているわけだが、それでも、少しでも節約をしたほうがいいという提案はありがたいものだった。ソルシエールはたぶん、れっきとした女性だろうし。仮面の魔術師(師匠)への熱い思慕を思い出せば、特にわだかまりもない。ゲーム内の性別が気になるのは、やはり着替えが脳裏にあるためだった。装備変更ならば一瞬とは言え、下着姿は恥ずかしい。


「今はお客さんが多いからねえ。相部屋にしてもらえると、こっちも助かるんだよ」

「二人部屋だったら二割引きでいいのよね?」

「ああ、そうだよ。お客さんからは三日分預かってるから、小銀貨一枚返しておくよ」

「ありがと」


 宿代は三泊で小銀貨四枚もかかるという話を聞き、ユーナは心底驚いた。しかも、割引を受けての金額である。串焼きが二本で大銅貨二枚だったのも、頷ける話だ。それだけこの近辺では稼げるのだろうか。ユーナの場合は、森狼の分として、追加で半額……全部で小銀貨六枚もかかった。森狼も同室になることも、特に彼女にとっては問題ではないようだ。

 代金を前払いして、宿泊の延長は前日までにという念押しと鍵を受け取り、紅蓮の魔術師のもとへ向かう。テーブルには茶器が置かれ、ユーナの分の器に、新しくペルソナがお茶を注いでいるところだった。


「さすが、従魔使い(テイマー)だと、移動が早いな」

「いえ、お待たせしちゃって……」

「ああ」


 ククッと珍しく声に出して彼は笑い、上品に茶器を両手で持ち、お茶を口元に傾けているソルシエールを見た。


「朝から、『連絡来ませんねー』『まだでしょうか』『一人と一頭ってやっぱり無理じゃないですか?』とか、さんざんうるさかったな」

「げふっ」


 上品さが一気に失われる瞬間を目撃した。

 仮面の魔術師から差し出された茶器を礼と共に受け取り、椅子に座り直す。森狼はユーナの椅子の後ろに伏せると、一度尻尾でその足を撫でてから、休憩に入った。


【……寝る】

「ええ!? ここでっ? 客室行く?」

【寝る】

「あ、うん、おやすみ」


 騒々しい食堂であろうとも、睡魔が勝るようだ。瞬く間にステータスへ「睡眠中」の文字が表示された。ほぼ同時に、PT要請ウィンドウが開く。「はい」のパネルを叩くのも、慣れたものだ。


「生産職も活発になってきたな。STRにボーナスがつく料理なら、今度シリウスに教えてやるといい。きっと目の色を変える」


 ステータスを見て、仮面の魔術師が呟く。その様子が想像できて、ユーナは口元を綻ばせた。

 どうやらふたりも食事を終えたばかりのようだ。ステータスはすべてオールグリーンになっている。自身の唇をお茶で湿らせるように一口だけ飲み、彼は淡々とことばを紡いだ。


「たぶん、この状況を運営側は希望していたんだろうな」

「この状況って……」

「生産職が活性化すること、ですよね」


 ソルシエールの出した答えに、仮面の魔術師は深く頷く。


 攻略最前線の停滞は、最前線に程近い集落へ旅行者プレイヤーを集めた。強敵を倒すために、旅行者プレイヤーたちは試行錯誤を繰り返す。各地のレイドボスはMVPアイテムやアルカロットを目当てに繰り返し討伐され、数多くの装備や素材が旅行者プレイヤーへ供給されていく。アルカロット産の装備では事足らず、更に強化を目指して鍛冶師や細工師、裁縫師などの職人が熟練度を上げ、いつか来る戦いを想定して、数々の回復薬ポーション丸薬ピルラが準備される。

 アルカロットから供給される素材は消費によって高騰し、逆に装備は供給過多によって値下がる。多くの者がアルカロット産の装備を得やすい状況が整い、一方で強化による伸びしろは博打のように存在し、強さを追い求める者たちを魅了してやまない。

 攻略組の全滅による衝撃が、次なる大規模レイド戦の時には必ず倒すという強い意思の下、旅行者プレイヤーにその爪を研がせているのだ。


 仮面の魔術師のことばに、ユーナは目を輝かせた。


「もう、決まってるんですか? 次のレイド」

「俺達に声がかかってるのは、現実時間リアルタイムで、明日午後十時」


 土曜の夜ならば、人の集まりも最大になるだろう。まして、午後十時はゴールデンタイム中のゴールデンタイムである。どれだけのひとが集まるのか、最大のレイド戦になることは間違いなさそうだ。


「いよいよ明日なんですねー。あたしも、もうちょっとレベル上げしておこうかな」

「ああ。日程がはっきりした以上、ここで待機する必要もない。

 まあ、その前にと抜け駆けするやつが少なからず出る気もするが、勝手に全滅すればいいさ」


 レイドボスを初討伐した時、MVPには特別な戦利品スーパー・レア・ドロップが与えられる。以前、フィニア・フィニスが獲得したような、他に類を見ないお宝になるはずだ。少数精鋭のPTで倒すことができるのなら、そのうちの誰かがMVPに輝く。参加者は、確率的にはMVPになりやすいと言える。一方で、大規模レイド戦となってしまうと、誰がどれだけ戦闘に貢献できるかは全く不明になる。そもそも攻撃を当てられるかどうかも怪しくなり、MVPは狙いにくい。

 今回のレイドボスは、物理攻撃も魔法攻撃もあまり効かない強固な防御力と驚異的な移動速度とHP吸収という、とんでもない三つの特性を持つ。それを何とかしない限り、近接職はただのHPタンクに成り果て、前衛が失われた間隙を縫い、後衛もまた餌に変わる未来しかない。大規模レイド戦と考えれば、集まった旅行者プレイヤーのアタッカーたちが、前衛たちが全滅する前に、どれだけのダメージを与えられるかが鍵となる。前衛をどれだけ長く、壁として生かし続けられるかは……回復支援職たる神官の役目だ。

 どれだけの数の神官が、最前線にまでたどりついているのか。そもそも、エネロの別荘クエストを終了させなければならないほどの影響が本当に出ているのであれば、その実数はかなり少ないのではとユーナは想像した。アシュアひとりの負担も、相当なものだろう。新しい法杖が、彼女の力になることを祈るしかない。


「で、シャンレンから話は聞いた。

 ――戻るのか? 不死伯爵ノーライフ・カウントは女好きだが、あのアーシュでも口説き落とせなかった相手だぞ」


 ホルドルディールのHP吸収への切り札。

 法杖作成のタイミングでは語れなかった提案を、あのあと、シャンレンは何らかの形でアシュアたちと共有してくれたようだ。仮面の魔術師はユーナに問いかけていた。それはそのまま……彼自身も、不死伯爵ノーライフ・カウントのテイム成功の可能性を、僅かであろうとも見出しているとユーナに教えている。

 ユーナはことばを選んだ。大の大人を「手懐け(テイム)」するということばは、使いたくなかった。自分が使われても嫌だからだ。


「餌になりたいわけではありませんけど……会って、できることをしてみたいと、思っています」


 彼女のことばに、仮面の魔術師の口元が笑みをかたどった。好ましい答えだったようだ。

 一方で、ソルシエールは頬杖をついて、綺麗な顔の美しい眉のあいだに皺を寄せている。


「青の神官さまですら、袖にしたようなアンデッド――うーん、想像つかないですね。あ、でも、ユーナが口説けるかどうか、あたしも見てみたいです!」

「口説……って、わたし、アシュアさんみたいな話し方できませんよ」


 貴族に対する礼儀を守って頭を下げたり、ことばを発することなどできそうにない。できることなど、せいぜい、皇海学園のオリエンテーションでの礼法の授業を実践することくらいである。


従魔使い(テイマー)として、できることをしてみるといいさ。

 まあ、その前に、ユヌヤの転送門開放クエを終わらせてから、だな」


 ユヌヤからエネロまで、往復の転送門費用は開放クエスト未クリアの場合、大銀貨一枚と、銀八枚かかる。その金額の多さを指摘され、ユーナは思わず時計を見た。現実時間リアルタイムで、明日のほぼ同時刻までに、ユヌヤを攻略し、エネロに向かい、カードル伯のもとへ行って戻る……。口の中が一瞬で乾いてしまった気がする。ユーナは茶器を傾けたが、いつのまにか飲み干していて、その中には一滴のしずくも残されてはいなかった。


 カウントダウンは、知らないあいだに始まっていた。

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