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幻界のクロスオーバー  作者: KAYA
第七章 月華のクロスオーバー
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夜更かししても、いいですか?


 いつか、調理スキルを使う時の参考に。

 そう思いながら、夕食のお手伝いを申し出た。ただ、夕方には母と伯母が主菜も副菜、更に汁物まで作り上げていることが多いので、結名にできるお手伝いと言えば、お皿に盛りつけたり、食卓に運ぶ程度のことである。今日はサラダの上にトマトを飾る、という任務が残っていたので、包丁を握ることにした。


「まず、洗ってね?」


 にこやかに母から指摘され、結名は素直に包丁をまな板の上に置く。そっと母が包丁の向きを変えた。刃がこちらを向かないようにしている。勉強になります。

 結名は蛇口をひねった。

 あれ、あたたかい?

 水のつもりがお湯が出てきて、首を傾げる。


「さっきまで天ぷら鍋洗ってたから……お水にしてね」


 温度調整のコックを水に変える。

 さっとトマトを洗い流して、まな板の上に置き、包丁を握る。マルドギールとは異なり、違和感がある。よく手入れされた刃がダウンライトの灯りに煌いた。片刃である。当たり前だが。

 気合一閃!というわけにもいかず、そろりと刃をトマトに当てる。


「結名、左手!」


 ほら、ちゃんと指先は丸めて、そっと支えるくらいね。力入れちゃうと潰れるから。絶対包丁の下に入れないこと!

 血相を変えた母から事細かに注意を受けながら、それなら添えなくてもいいんじゃないの?とひねくれたことを考えつつ、結名は包丁に力を入れた。


「押しちゃダメ! 引くのよ!」


 もう少し早く教えて下さい、お母さま。

 既に力を入れてしまっていたが、あわてていったん抜く。少し……ほんの少し、へこんでしまったようだ。いつもなら押してから引くのだが、これは槍ではないし、鉤爪もない。追撃も必要なかった。

 結名は奇妙な切れ目のついたトマトに、今度は手前に引くように包丁を入れる。無事、両断できた。


「へたはVの字にみたいにカットしてね」


 やや食べられるところまでカットしてしまったような気がするが、とりあえず、へたも取れた。問題ない。くし形に切っていく。等分ではないが、父はトマトが大好きだ。大きければ喜ぶだろう。繰り返すが、問題ない。


「お母さん、トマト切るの、ひとつだけでいいの?」

「そ、そうね、今日はひとつにしておきましょうか。上手にできたわね、またお願いね」


 トマトを飾るという、サラダの仕上げを結名に任せ、手早く母は包丁とまな板を洗っていく。その手際の良さで、熟練度がわかる気がした。作成したら即お片付けね、と結名は心にメモる。


 一方で、母はもっと娘に料理を手伝ってもらうほうがいいかも?と背筋に冷たい汗を流していた。ついつい楽なので、姉と一緒に二家族分を作ってしまう習慣が、娘の家事参加意欲を阻害しているような気がする。

 母の日には毎年夫や甥と共にカレーを作ってくれるのだが、その時は姉と二人で出かけて、帰ってきたら出来上がっているというパターンだ。夫は一人暮らしをして自炊していた時期があるので、心配はいらなかった。帰ってきたら結名の手が絆創膏だらけになっていたりということも、今までない。姉の夫も一緒になって作ってくれた年もある。その作業分担がどうなっているのかは敢えて訊ねていない……。


「あ、この唐揚げの作り方も、今度教えてね!」


 食卓にサラダを並べつつ、結名は母にねだった。今は亡き祖母直伝という鶏の唐揚げは大皿に盛られている。皓星宅では、必ず、個別の皿に分けなければならない一品である。大皿で出すとほぼ皓星が一人で食べ切ってしまうので、要注意だ。結名の自宅で皓星が食べる場合にも、その注意事項は守られている。春キャベツの味噌汁があたたまったのを確認しながら、母は頷いてくれた。


「おしょうゆ、みりん、お酒、しょうが、りんご……」

「今度っ」


 そんなに立て板に水で調味料を並べられても、覚えていられない。

 結名が念押しすると、楽しそうに母が声を上げて笑った。

 食卓が整っても、父はまだ帰ってこない。ゴールデンウィークにあるという仕事のためだろう。連絡もないようで、先に「いただきます」をして、母とふたりで食べることにした。

 二度揚げされてサクサクな唐揚げを頬張りながら、結名は真剣に考えた。油って売ってたっけ……。商店に並んでいた瓶のどれかがそうかもしれないが、揚げ物は大量の油が必要になる。難易度が高そうだ。でも、美味しい。肉料理だから、アルタクス好みではなかろうか。幻界ヴェルト・ラーイでならば、火傷しても回復薬ポーションですぐ回復できる。痕が残りそうなら、シャンレンから分けてもらった薬を使おう……。

 既に火傷前提の思考回路は、お行儀よく「口の中に食べ物がある間は喋らない」を守っていたため、誰からもツッコミを受けなかった。


「結名は、明日どうするの?」

「――ゲーム」


 母からの問いかけに、結名はいつもと変わり映えのしない答えを返す。基本、予定のない休日はゲーム一色である。先週と違うのは、そのタイトルだ。そこで、最近POプロトポロス・オンラインに行っていないと気づく。ギルドリーダーに断りを入れていないが、フリースタイルなギルドなので、たぶん問題はない。寂しがっているとは思うが。


「あ、でも、月曜は出かけるの。皓くんと」

「オフ会はダメよ?」

「んー、皓くんと一緒に、小川くんに会うんじゃないかなあ」


 笑顔で念押しをしてくる母に、事実を告げる。

 実際、オフ会と言えばオフ会になってしまうのだが、一応、小川は現実(リアル)の友人でもあるので嘘ではない。彼の名は土屋が絡む一件で、母も父も知っていた。

 予想通り、結名の返事に、母は快く頷いてくれた。


「それならいいけど」


 嘘はついていない。嘘はついていない。

 母の笑顔に若干の罪悪感を抱きながら、結名は心の中で繰り返した。

 例えゲームの中でも知り合いだと話しても、小川の場合には許されそうな気がする。しかし、これ以上余計な心配をかけたくなかった。何と言っても、昨夜やらかした後である。

 甘い春キャベツの味噌汁をすすり、喉を潤す。

 そして、結名は長期休暇中お馴染みのおねだりをしてみた。


「ちょっと夜更かししちゃってもいい?」

「少しならね。身体壊さないでね」

「はぁい」


 いつもなら午後十一時には就寝を心がけている結名である。ただ、長期休暇は予習復習の時間を自由に設定できる上に、多少寝坊しても許容される。故に、夜型人間の多いオンラインゲームにハマり始めてからは、少し夜更かししていた。それでも今まで、午前0時過ぎには眠るように自重してきた。さすがに今の幻界ヴェルト・ラーイでは、どこまでその自重がもつかわからない。何といってもアップデート直前である。伯爵の件といい、マイウスの件といい、その先のユヌヤの件といい……時間がいくらあっても足りない気がした。

 そう考えていて、ふと、結名は母に尋ねた。


「ねぇ、お母さん……年上の不死伯爵ひとを手懐けるってどうしたらいいと思う?」


 母の伸ばした箸から、身体ごと、表情も何もかもが凍り付く。

 結名は質問の仕方が悪かったと反省した。


「ゲームの中のことなんだけど、テイムっていう、手懐けるスキルがあってね」

「結名、ひとさまを手懐けるだなんて、そんな……ペットじゃないんだから……」


 言い募る結名に、冷静さを取り戻した母が箸を置き、顔を顰め、窘めるように言う。結名は慌ててかぶりを振る。


「ペットじゃないよ、従魔シムレースだよ!?」

「しむれーす? 何にせよ、年上の人なんでしょう? そんなこと言われたら普通怒るわよ」

「……だよね……」


 ごもっともである。

 結名のように……ユーナのような小娘に手懐け(テイム)されると考えたら、やはり大の大人ならば嫌がるだろう。プライドが許さないに違いない。アルタクスもテイムの時は森狼の幼生で、まだ小さかった。あのころは見た目もころころしていて可愛かったし。


「手懐けるだなんて言っちゃダメよ。例え実際そうだとしても、気づかせちゃダメ。

 相手をちゃんと見て、たくさんお話して、一緒にいたらうれしいなとか一緒にいたいなって思ってもらえるように誘導するのよ。結名なら、甘えてみるっていう必殺技もあるけど……」


 母の注意が熱を帯び始める。結名はふむふむと聞き入った。だが、その途中で困ってしまい、恐る恐る口を開く。


「お母さん、わたし、攻撃系のアクティブスキルない……」

「攻撃ですって!? え、そんな、攻撃とかはしなくていいのよ。今はやりのツンデレ? だっけ。ああいうのは、結名には向かないと思うし」


 誘導するとか、必殺技というのは難易度が高そうだ。そういったスキルは持ち合わせていない。結名がそこを危惧していると、母は結名には向かないと指摘してくれた。確かに、アルタクスやフィニア・フィニスのようなツンデレは難しそうだ。


「でも、結名、わかってると思うけど」


 ひたり、と母は結名の目を見た。

 結名は真剣そのものの母を、しっかりと見返す。


「――自分を、大事にするのよ?」

「うん、大事にする」


 何と言っても、自分が死んでしまえば、アルタクスが路頭に迷う。グラースからも念押しされたように、自分を大切にしなければならない。あのヴェール討伐クエストの際にも、きっと生きた心地がしなかったのではないか。ことばを交わしたわけではないが、心配してくれているのはよくわかっていた。

 今なら、もっとお互いについても理解し合える気がする。

 母が言うように、カードル伯とも従魔シムレースという形ではない何かになれないだろうか。相手をちゃんと見て、たくさんお話する……ここまでなら、結名にも何とかなりそうだ。一緒にいたらうれしいと思ってもらえるようなこと、一緒にいたいと思ってもらえるようなことは、あとでシャンレンに相談してみよう。


 自宅のチャイムが鳴る。母は弾かれたように立ち上がり、キッチンにあるインターフォンの子機を取った。


「あら、おかえりなさい」


 ふわりと花開くように、母が微笑む。父が帰ってきたようだ。


「バッテリー切れちゃったの? たいへんね。今、晩御飯食べてたのよ。すぐ準備するわね」


 子機をその場において、母は味噌汁の鍋に火を入れてから、玄関の方へ歩き出す。が、すぐに彼女は立ち止まって結名に振り返った。


「今の話、お父さんにはナイショね」


 口元に人差し指をあて、母が念押しする。唐揚げを頬張ったまま、結名は大きく何度も頷いた。父に言えばとんでもなく誤解されそうである。

 結名の頷きを見て、満足げに母も頷きを返してくれた。その姿が玄関のほうへ消えていく。


「おなかすいたよー」

「ふふ、今日は唐揚げよ」

「うれしいなあ、大好きだよ!」


 おかえりなさいを言いに後を追おうとがんばって咀嚼していた結名だったが、玄関ホールから聞こえてくるやり取りに、やはり、ゆっくり唐揚げを味わうことにした。

 ふと、料理で手懐けるというプランを思いつき……即座に却下する。相手は不死者アンデッドだ。食材が自分では洒落にならない。相手が喜ぶものは何だろうか。闇の中で、ただひとり佇んでいた貴族の青年を思いながら、結名は真っ白いごはんを頬張っていた。

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