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幻界のクロスオーバー  作者: KAYA
第六章 存亡のクロスオーバー
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やっと、たどりついた


 今まで感じたことのない、不思議な声。

 耳から聞こえない、その音。


 ユーナが瞬きすると、森狼は焦るようにぐるぅと鳴いた。


【行かないの?】


 頭に響く、男の子っぽい声は、確かに彼からのものだった。


 何とか、意思疎通ができれば。

 それなら、あの手が使えると思った。

 間違いなく自分が彼の傍に行ける。

 誰も失わなくて済む。


 予想を大きく上回る結果に、返事もできない。


【セルヴァ、死ぬよ?】


 その内容に、驚愕が恐怖へと変わる。

 剣戟は絶え間なく続く。罵声が響く。怒号を返す。闇を払い、命を救う術を注ぐ光が満ちていく。

 その一方で、彼の命が、毒によって削られていく。


 ユーナは、右手にマルドギールを、左手に解毒薬を握りしめた。

 そして、その両腕をアルタクスに向かって広げ、互いに刻み込まれた術式を目覚めさせる誓句を叫ぶ。


融合召喚ウィンクルム!」






 目の前の女性、ライゼからエリキエムの毒が消えていく。


 神術陣がもたらす祝福が、NPCノンプレイヤーキャラクターPCプレイヤーキャラクター問わずに効果を発揮すると気付いたのはいつだったか。幻界ヴェルト・ラーイという、この世界に生きる者という意味合いで言えばどちらも比べようがないほど同じ存在だ。命を左右できる力があるのだから、命を選べと言われたことがある。それを言うなら戦う術を持つ者すべてがそうではないか。奪うのも、生かすのも、同じ力だ。いちいち命を評価する気はないが、助けたいものを助けるために、自分の手が届く範囲がどれほど狭いかは知っているから、とにかく神に祈っている。

 アシュアは自身が命を選別できる神になる気はなかったし、そうなりたいと思っていなかった。ただ、この世界に降り立ったあの日から、神官という職故に、誰よりも神を近くに感じているのかもしれない。同業者の意見は求めたことがないからわからないが。


 あの日、歪んだ法杖をひとつの命と引き換えた。

 今も、昔も、祈るこころは変わらない。しかし、アシュアの祈りにどう応えるべきか迷うかのように、神術の発動は格段に遅くなった。

 気づいても、目を逸らした。

 たかが道具で左右される祈りなんて、あってたまるか。


 嘲笑う声が聞こえた。

 祈りなど、ただの仕様(システム)を呼び出す信号コードでしかない。

 レベルと熟練度と高性能な武器が揃ってこそ、システムは、神官の祈り(コード)に応えるのだ。


 判っても、あきらめきれなかった。


 ただ守りたい。

 ただ救いたい。

 祈りが足りないのなら、もっと祈ればいい。

 一瞬というひどく長い時間に、すべてをこめて。



 乳白色の神術陣が消える向こうで、紫色の光が上がる。黒い外套を纏い、銀色の槍を持った少女が、己の従魔と共に包まれていった。

 二つの影が、一つに溶けていく。

 栗色だった髪が黒に染まり、その姿にあの従魔が重なる。揺れる耳と、尾。

 振り返りざま、黒のまなざしが細められ、右手の短槍がアシュアのほうへ放たれる。無造作にも見える動作で、技術よりも力任せのそれは、アシュアの横を素通りした。セルヴァの矢並みの一撃が、彼女の背後に忍び寄っていた「隠蔽」していた悪漢を貫き、砕く。表れた赤の光点は即座に消え去り、アシュアは呆気に取られた。

 ユーナは笑んだ。

 口元に鮮やかに佩かれたそれは、明らかにいつもの彼女のものではない。


 あんなふうに、誇らしげに笑うのか。


 右手を軽く振ると、その手に奇妙な長い黒が見えた。

 直後、階段のほうへ駆け出したユーナは、行きがけの駄賃とばかりに絶え間なく繰り出される剣戟の合間を縫い、シリウスと剣を合わせる悪漢の背中を一閃する。血塗られた右手とは対照的に、大事そうに左手は握られたままだ。苦悶の声を上げて体勢を崩す悪漢へと、シリウスは躊躇いなく剣を振るう。荒い呼吸を止めて撃ち出された剣撃は、死の軌跡を描く。ユーナの身体が跳躍する。頽れる悪漢を避け、階段の手すりへ片足を下ろしたと思えば、すぐまた、飛び上がった。階上へたどりついた少女の姿が、ぶれる。

 融けていたひとつが、ふたつへ分かれた。

 栗色の髪をなびかせ、駆けていく。その真後ろを、森狼が続いた。


 視線をステータスへと走らせる。セルヴァのHPバーは濃いオレンジへと変貌し、ほぼ赤へと変わりつつあった。

 だが。

 ステータス表示の「毒」が消えた。


 心が、震えた。


 間近で、鋭い金属音があがる。

 クォーレルという男が、下がりながらアシュアを狙ったようだ。シリウスに弾かれた曲刀が滑らかに返され、サーディクの前髪を一筋奪っていく。


 己の役目を思い出す。


 毒によって奪われた命の欠片を、零れ落ちた命の雫をそのまま戻すことはできない。

 それでも、命の器に新たなる命の水を流し込むように、癒しの奇跡を起こさなければ、彼女はもう目覚めなくなる。


 握りしめた法杖の、乳白色の宝珠を一瞥し。

 別れを告げるように、アシュアは神の名を呼んだ。






 色素の薄い、淡い金色。

 よく見たことがなかったが、まつげも眉も、ちゃんと髪と同じなんだなと、ユーナはぼんやり考えた。

 口元に流し込んだはずの解毒薬が、一筋、頬を伝って落ちていく。その薄紫へと手を伸ばす。気持ち悪くて思わず指先で拭った時、ぱちりと碧眼がこちらを見た。


 エリキエムの毒は消えている。

 ぎりぎり濃いオレンジと言える色合いのまま、HPバーは保たれていた。


「……っ」


 ことばはなく、吐息だけが口元から零れた。

 ただ、その碧が揺らいで細くなり、再び閉じられた。

 指先のない革手袋に包まれた大きな手が、引こうとした自分の手にそっと重なる。

 震えていたのは、自分か、彼か。その触れた熱さの前には、もうわからなかった。


 ふわりとした毛並みが、ユーナを包むように。

 森狼が、傍に腰を落とした。安堵の呟きが漏れる。


【よかった】


 声も出なくて、大きく頷く。

 ぱたぱたと落ちた雫が、セルヴァを濡らした。






「死ねばよかったのに……っ」


 お互いの身体には幾筋もの傷が走っている。

 日中から動きっ放しのはずで、満身創痍なのは相手のはずで。

 なのに、目の前の男は少しも揺らがない。


 あきらめてしまうのなら、そのまま死ねばよかったんだ。


 オーロの闇市の後継者でありながら、マールトの闘技場ドゥジオンやスラムに入り浸り、元締め(ブゥラ)代理としての務めを果たさない。病に倒れた父親を顧みることもなかった男だ。


「おまえがいるなら、かまわないだろう」


 その事実に差し出口だとわかりながらも注意した時、肩を竦めて彼はそう口にした。自分の中で何かが壊れたのは、まぎれもなくあの時だった。信頼という名の丸投げなど、いらなかった。


 いらないのなら、もらう。

 ただ、それだけのことだった。

 幼いころ、腹を空かせて娼館の裏手でゴミ箱を漁った時と同じだ。

 求めなければ、生きていけないのだから。


 自分のモノだと思えば、動きやすくなった。


 誰が泣こうが喚こうが、オーロの闇市を大きくしていく。その闇のままで、いつかマイウスを呑み込んでしまおう。

 すべてに値がつき、貨幣で売り買いできる世界は美しい。

 金さえあれば、何でも買える。

 自分が求める命を除く、というあたりが、世の中ままならないものだと思い知らされることではあったが。ほんの些細なことだ。


 壊れたと思ったものを、更に打ち砕いたのは、自分を拾い上げてくれた恩人ブゥラだった。


「サーディクが、ファーラス男爵に謁見できたそうだ。これで、オーロを表に出せる」


 オーロの闇市を領主に捧げ、表立って税を支払う。

 その代わりに、マイウスに施療院や孤児院を建ててもらう。


「おまえのような子どもが、一人でも減ったらいいな」


 何を言っているのかわからなかった。

 自分のような子ども? 自分は生き延びた。生きている分、マシだと思っている。

 死んだやつは、もういない。


 寝言だ。

 世迷言だ。

 本当は、オーロの闇市をマールトに捧げてでも、施療院で自分が生き延びたいだけではないか。


 病床で、まさに死を漂わせる男の表情には、確かに信頼の笑みがあって。

 今度こそ、もう終わりだった。


 闇市すべての元締め(ブゥラ)に働きかけ、マールトと対立する。命の神の()祝福を受けし者()はそのままでいい。あれはマイウスの餌だ。いくらでもやってくるのなら、いくらでも貪ればいい。金で動く者は、金で動かそう。


 救いなど、どこにもない。

 あるのは、自分の力だけだ。


 小さな衝突を大きな騒ぎに変えることなど、造作もなかった。

 サーディクが動くより早く、こちらが動かなければならない。そのどさくさで、マイウス内のマールトの影響力を削ぐ。

 すべてを掌握したのに、棺桶に身体を半分以上横たえていたはずの男の一声で、闇市が日射しを夢見てしまった。サーディク側に立っていると称する闇市は、単にマールトの保護を受けても商売を続けたい連中だ。このまま闇に沈んでいたい闇市との、本当の内部闘争が開始した。

 そのさなか、元締め(ブゥラ)との最後の別れに立ち寄った時、蛇女ライゼから聞かされたのだ。


 サーディクも、元締め(ブゥラ)と同じ病にかかっている、と。


 似た者親子は、最後の最後まで、やりたいことがよくわからなかった。

 カモだと思っていた連中が、オーロの闇市を襲う。強大な暴力の前に、小さな暴力など児戯に等しく、ただ奪われていくだけだった。ならば、闇に逃げればいい。オーロの名は潰させない。金の力はここでも効果を発し、見事に逃げおおせることができた。


 サーディクは死んだと聞かされても、信じられなかった。死体がないのは、旅の者がその命を奪ったからか。いや、闘技場ドゥジオンで名を馳せた男が、ファーラス男爵自ら声をかけるほどの男が、病を得たとはいえ、すぐ死ぬようなことはありえないだろう。

 どこにいるかと探させたのに、見当たらない。

 隠蔽スキルを磨いているあの男のことだ、絶対に隠れていると……その思い込みは事実に変わった。

 やっと見つけたと思えば、また死体が見つからない。

 苛立ちのままに、新しい報告を受けた。オーロの隠れ家に強襲しているのが、そのサーディクだと言う。今度こそと、残った手勢をすべて引き連れて、ようやく会えた。


 この悦びが、わかるだろうか。


 交錯した刃が、力任せに弾かれた。幾度めか、もうわからない。美しい曲線は既にボロボロで、いくつもの刃こぼれが見られた。

 離れた隙に、左手で腰から新たなる短刀を取り出す。両手でなければ、サーディクの曲刀シャムシールは受け止めきれない。だが、もういい。


 連れてきた手勢は全て倒れた。

 病に侵されているはずのサーディクは、病などどこ吹く風で、全力で戦っていた。その隣に、蛇女ライゼがいるだけならば、こんなことにはならなかっただろう。

 黒い戦装束の剣士が、死にかけた弓手が、次々と現れる命の神の悪戯が、自分から何もかもを奪っていく。


 サーディクの曲刀シャムシールが、遂に自分の肩口を捕らえた。鈍い刃でも、力任せで押し込まれば体内へと入り込む。クォーレルは熱さしか感じなかった。左腕が落ちる前にと、短刀を翻す。サーディクの右腕へと、ほんの微かにその刃が触れた。

 自分の命と引き換えに、クォーレルはサーディクの命を求めた。




「ユーナちゃん! もう一本、解毒薬ッ!」


 階下のアシュアの叫びに、ユーナは泣き顔のまま飛び上がる。その襟首を森狼が咥え、己の背へと放り上げた。駆け出すアルタクスは数段跳びに階段を下りていく。

 既に命を失ったオレンジ色の髪の男が、腕と身体を切り離されて床に転がっていた。血塗れのそこを避けて、ユーナは放り出される。

 道具袋インベントリから取り出した、ライゼが渡したエリキエムの解毒薬が、サーディクを癒す。

 更に、アシュアが祈った。

 その手にはもう法杖はなく、ただ、己のMPを費やして。

 ライゼと異なり、毒を受けて間もないサーディクなら。

 可能性でしかない奇跡を、それでも彼女は祈った。




 見下ろすと、ライゼがサーディクの頭を撫ぜていた。その名前はどちらも緑表示で、サーディクもまた生きていることがわかる。

 シリウスは既に剣を収め、気を失ったアシュアを抱き上げていた。

 少し離れたところに、ユーナと森狼の背も見える。


 セルヴァは安堵の溜息をついた。


『――間に合いましたね』


 するりと耳に届いたのは、やわらかなエスタトゥーアの声だった。

 セルヴァは乾いた口内を感じながら、擦れた声を発した。


『ええ、おかげさまで。……ありがとう』


 万感の思いを込めて礼を口にする。

 マルドギールを拾っていたユーナが、その声に振り返り、階上へと視線を向ける。

 紫色のまなざしがセルヴァに合い、それがふんわりと笑みを浮かべた。




 長い、長い一日の果て。

 何一つ失わなかった者と、何かを失い何かを得た者と、全てを失った者とに分けて。

 マイウスの闇が、ようやく終わりを告げた。

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