見つけた
多少なりとも見知っている者の死は……敵以外で、初めてだった。
じわりと赤土に広がる、赤いもの。
既に失われてしまった命であったものが、流れ出ていく。
ユーナが受けた衝撃を、従魔もまた受けてしまったかのように、その場に足を止めた。
すると、突如、建物から何かが飛び出してきた。反対側の建物の壁に激突し、軽く跳ねて地に伏せる。悪漢、という名を持ったその男もまた、名を黒に染めた。
「――レネっ!」
聞き覚えのある声だった。
最初に、ユーナからマルドギールを奪った子どもが、次いで建物から出てきた。横たわる仲間の傍に膝をつき、手を伸ばす。
だが、物音に気付いたのか、隣の建物から別の悪漢が顔を出した。そして、見つけたと言わんばかりに口元を歪め、子どもに向かって剣を振りかざす。
「アルタクス!」
ユーナの声に応え、彼もまた駆け出す。だが、子どもはむしろユーナの声に驚いて身を竦めた。アルタクスに従騎する彼女を見て、慌てて手を引く。その小さな体を、建物から出た男が背後から強く引き寄せた。
進路を塞ぐものがなくなり、アルタクスは躊躇いなく駆けた。悪漢の横をすり抜けざまに、ユーナのマルドギールが一閃する。砕け散る悪漢を、振り向きながらユーナは見届けた。
その視界には、無精ひげを生やしたままの、サーディクがいた。片手に曲刀を持ち、もう反対側に子どもを抱き寄せている。後ろからは、ティトが姿を見せた。
「何しに来た?」
熱気が立ち込める中、サーディクは冷たく問い質した。
まるで数軒先が焼け落ちているのが、見えていないようだ。
だが、ユーナもまた、その問いへの正しい答えなど、持ち合わせていなかった。熱い吐息を感じながら、口を開く。
「――ここ、燃えてるんだけど……あなたたちは何をしてるの? いっぱい悪漢いるけど、狙われてるのってあなたたちなの? 逃げなくっていいの?」
立て板に水のごとく、立て続けに質問を返す。
しかし、そのどれとしてサーディクに感銘を与えるものはなかったようだ。彼の灰色のまなざしは一層温度を下げたかのように見えた。彼もまた答えを返さず、視線を足元へと落とす。
「――レネ……」
力が抜けた腕から、あの子どもが抜け出る。ティトもまた、レネの傍へと駆け寄った。ぼたぼたと滴る涙の粒が、赤土を一瞬だけ潤したが、すぐに熱気で乾いていく。サーディクもまた膝をつき、無言で彼の髪を一房刈り取った。ナイフとは異なり、長さのある曲刀では加減ができない。まばらに地に落ちた髪を、それぞれが摘まんで拾い上げる。
それぞれが額に掲げて目を閉じ、次の瞬間、風に放った。熱気を含んだそれは、すぐに見えなくなる。
ユーナはそれと似たようなしぐさを、どこかで見たことがあった。すぐに、テレビの、仏式の葬儀のシーンだと思い至る。それは死者への、別れの祈りだった。
「行くぞ」
立ち上がりながら、サーディクが呟く。腕で目を拭い、ティトが頷いた。未だに肩を震わせる子どもの名を、ユーナに背を向けながら、サーディクが口にする。
「ロイ」
弾かれたように、ロイは顔を上げた。
そして、急いで立ち上がり、サーディクの後を追う。その方向は、今、セルヴァたちが悪漢を葬っている細い路地である。
アルタクスはユーナのほうへ頭を向けた。その鼻先を撫で、ユーナは降りる。
そして、失われた命の欠片を手にして、彼女もまた追悼の祈りを捧げた。
幻界では、死者に対してどう祈るのかをユーナは知らない。
だが、風に融けていく髪に、目の前の子どもに、できればと祈りたかった。
マルドギールを右手に握ったまま、彼女の手が命を象る。
それは、ほんの一瞬の出来事だった。
悪漢が跳ね返された、向かい側の建物。そこからもまた、別の悪漢が飛び出す。ユーナは地図のアイコンの出現に反応できなかった。森狼が真っ先に気付き、ユーナの前に身体で庇う。先ほどユーナが曲がった角に立ち、先の様子を警戒していたサーディクの影で、ロイが声を上げた。
「おい!」
ユーナの身体が、アルタクスによって体勢を崩す。
悪漢の刃を受けながら、森狼は吠えた。その咆哮に、ユーナはマルドギールを持つ手に力を込め、地を蹴った。突き出した穂先が、悪漢の腹部を貫く。サーディクが握っていた曲刀と同じ形のものが、地面に転がった。
「はあっ!」
引き抜きながら、柄をひねり、鉤爪で抉る。続いた穂先もまた腹部をそのまま裂き、悪漢は光の粒子へと姿を変えた。
「ユーナ!?」
「すぐ行くからっ!」
耳元で、PTチャットが響く。
ユーナは返事する間も惜しんで、道具袋からHP回復薬を取り出し、森狼の傷へと振り撒いた。血はすぐに止まったが、しかし、傷は塞がらない。HPの減りも変わらず、むしろ、黄色からどんどんオレンジへと近づいている。その見た目の傷の深さから考えても、致命傷というほどではない。しかも、森狼は構わずに先に歩き出そうとする。痛みにやや息切れしているだけに見えるが、ユーナはHPバーの上に表示された、彼の名前のとなりに状態異常を見つけて絶句した。
毒だ。
足元に転がった曲刀の刃を見下ろすと、何かが付着しているのがわかった。その曲刀の柄を、子どもが拾い上げた。
ロイである。彼は血相を変えて、振り返った。
「サーディク、これっ」
「触るんじゃない、バカ!」
慌てて引き返してきたサーディクが、ロイの手から曲刀を取り上げ、建物の中へと放り込む。そして、舌打ちした。
「絶対、口とか鼻とか目とか、その手で触るな」
「刃には触ってねえよ」
「どこについてるかわからんだろうが! 水で濯ぐまでの辛抱だ。我慢しろ」
言い放ち、ユーナと森狼へと目を向ける。
「あんたもだ。そいつは気の毒だが、あきらめるんだな」
「水で、溶けるの!?」
ユーナの詰問に、サーディクは目を細めた。そして、質問の意図を理解して頷いた。
「ああ。そいつはエリキエムの毒だ。水には溶けるが、身体に受ければ神官の癒しか薬術師の薬でもなけりゃ助からん」
「濯げ清らかな水!」
ユーナの願いに応え、水の霊術陣が広がる。四人を包み込み、その全身を清らかな水が包み込んだ。さらりとした心地よさを振り払い、ユーナは森狼を見る。ほんの少しの差ではあったが、HPの減少が緩やかになる。だが、毒は消えない。
「……あんた、精霊まで使えるのかよ……」
落胆しながら、ユーナはその声のほうを向く。そして、大きく目を見開いた。そこには、無精ひげはそのままなものの、濃紺の髪の小奇麗な男が、輝く白さを取り戻した雑巾服の子どもと立っていた。煤か埃か垢か、何で汚れていたのかはわからないが、もともと男が着ていた服は汚れていただけで質が悪いものではなかったようだ。仕立ての良い戦装束に見える。
「な、サーディク、あんた何それ!?」
「ロイ、おまえもだってば……うわ、白すぎ、きめぇ……」
外野でティトが心底気持ち悪そうに呟く。彼だけは精霊術の外にいたため、汚いままだ。その落差がまた目立つ。
「ユーナ!」
全身を真っ赤にしたメーアが、血塗れのシンクエディアと共に現れる。同じPTのユーナですら、思わず逃げ出したくなるほどの美しい怖さだった。HPは殆ど減っていない。疲労度もやや黄色みを帯びていたが、舞姫には軽く踊っているレベルのようだ。舞台衣装のような服装が、今は返り血で染まっているのだとユーナは理解した。
既に、ティトはサーディクの影へと走って逃げている。
その桃色の瞳が、森狼へと向けられた。
「ごめん、私は毒消し持ってないんだよ。セルヴァは!?」
「毒の進行止めならあります!」
「早く来てよ!」
「そのつもりです!」
どちらも怒鳴らずとも聞こえるのだが、全力で叫んでいる。
本当に悪漢たちを全滅させたようで、息切れしながら、セルヴァもまた合流した。森狼へとまず毒の進行止めを使い、呼吸も荒いままにサーディクを見る。
「おまえたちは、いったい何でそこまで……」
濃紺の髪が、サーディクが頭を左右に振る度にさらさらと揺れる。
道具袋へと手を突っ込み、幾つかの丸薬を取り出して、セルヴァは自身の口元へ投げ入れた。瞬時にHP・MP・疲労度がある程度回復を見せるが、彼自身は非常に苦い顔をしている。次いで水筒を少し傾けてから、ようやく口を開いた。
「とっとと、案内しないか? とっておきの逃げ道くらい、あるんだろう?」
残った水を水筒ごと、サーディクへと投げる。
彼はそれを一口飲み、子どもたちに渡した。それぞれが一口ずつ飲むのを見て、頷く。
「――来い!」
火勢が強くなっている。貧民窟に放たれた火は、どうやら二か所から中心部へと迫っているようだった。ユーナたちが来た道を少し戻った建物の中へと、サーディクは迷わず入っていく。その家屋もまた廃墟同然で、隙間から光が漏れている関係で辛うじて足元がわかる程度だった。歩いてすぐ、途中から外に出る。両側が建物の壁になっているため、空が通路の形に見えていた。細い細い、アルタクスが通ると完全にその毛並みが両サイドの壁に当たるほどの細い通路だ。それでも、出口が遠くには見えていた。
熱気というよりも、もう自分たちも焼けているのではと思わされるような熱さの中で、全員が駆け出す。殿はアルタクスに任せて、ユーナはその前を走っていた。毒の進行止めのおかげで、HPの減少は止んだ。回復はしないが、それでも動けることがありがたかった。
背後に気をつけながら走っていると、森狼が唸りを上げる。早く行けと急かされて、ユーナは足を速めた。
細い出口の先で、地図が、切り替わった。
マイウスではなく、マイウスの周辺の地図が表示されると同時に、ユーナは息を呑む。既に先に出ていたはずのセルヴァの首筋にはサーディクの曲刀が押し付けられ、紐で足を絡め取られ引き倒されたメーアの上には子どもたちがのしかかり、動きを封じていた。
そして、ユーナの前には、綺麗な布地を胸に巻いた、スラムの女が立っていた。
「おかしな真似するんじゃないよ、お嬢ちゃん。
アタシだって、恩を仇で返すシュミはないんだから、さ」
その手には、サーディクと同じ曲刀があり。
片頬を青黒くしながらも、女はにやりと笑ってみせたのである。
 




