誰が為に
「待たれよ!」
アルタクスに従騎したユーナに、槍を持った門番が声を掛ける。交差された槍の前に足を止め、森狼は唸りを上げた。
ユーナは口元を押さえながら、何とか痛みを堪えて尋ねる。
「……何ですか?」
「これより先は危険だ。我々はスラムから逃亡する者を止めるよう、命じられている」
「誰に?」
思わずぽつりと疑問が口から飛び出た。そして、気づく。
まさにそれだ。この門番たちは、「誰に」命を受けているのだろう。
常識的に考えれば、門番は町の管轄のはずだ。となれば、町長の命にほかならない。だが、ユーナは即その考えを否定する。脳裏に浮かんだのは、町長のベルナルドの姿だ。確かに偏屈そうには見えたが、セルヴァとのやり取りを見ていたら……炎に包まれた貧民窟から逃げ出すことを禁じるなど、命じるはずがないように思えたのだ。死ねと言っているようなものではないか。
そして、ユーナの問いかけに、明らかに門番の顔色が変わった。
まさか訊き返されるとは想定していなかった様子が見て取れる。しかも、返答がない。……要するに、答えられないわけだ。
ユーナの視線が門番の後ろへ向く。そこには、老若男女問わず、数名の亡骸があった。スラムの、と冠された名前からも、中にいた者たちだとわかる。また、その名は全て「黒」で表示されていた。まさに、死亡を意味している。そして、亡骸があるということは……旅行者の手によって、葬り去られたものではない。槍によって穿たれた穴や流れた血潮を見て、逃れようとした者の末路がどうなるのかを示されているのだとしても、クエストとして、そこに彼らの死が位置付けられているのだとしても、ユーナは「わかりました」と頷くことはできなかった。
路地は狭い。門番が二人でも、十分に封鎖できるほどに。
貧民窟と街並みの境は、おそらく意図的に何もない土が剥き出しの空間が広がっている。石畳が敷かれた街並みとのギャップには気づいていたが、イベント用とは思わなかった。
旧集落を基礎にというよりも、そのまま使われているだろう貧民窟である。建物と建物の間に空間などない。全て古びた木材で作られている。さぞかし……景気よく燃えるだろう。
遠くで、何かが崩れ落ちる音がした。
「門、ほったらかしでいいのかなー? 職場放棄じゃないの?」
背後から、メーアたちが追いついてきた。
眼光鋭く、門番は大音声で言い返す。
「我らは重大な命を受けている!」
その口調に、セルヴァが顔をしかめる。そして、弓を肩から外した。
「――あなたたち、どこのひとですか? マイウスではなさそうですが」
セルヴァのことばに、ユーナは目を瞠った。マイウスでなければ、この近くにはもう一つしかないではないか。そして、門番もまた、その名を変えた。色は同じく緑のままだが……ファーラス男爵兵、と表示が切り替わる。ふたりの兵士は交錯していた槍を引いた。その肯定に、セルヴァは続ける。
「逃げ出すならともかく、火事場に寄っていく門番なんて聞いたこともありません。
ファーラス男爵が、今更マイウスのスラムに何の御用ですか?」
「命の神の祝福を受けし者に、語るべきことはない」
主そっくりの物言いに、メーアは鼻白む。手の中でククリナイフが踊っている様子を見ると、相当苛立っているのがわかった。
「放っておけば、勝手に火は消える。立ち去れ」
「っかしいなあ。あなたたちの命は一つしかないからうんたらかんたら言ってたのに、そのへんのひとは同胞じゃないわけ?」
「この一角には誰も住んでいない」
奥から徐々に、炎が近づいているのが見える。
またひとつ、建物が崩れた。
悲鳴が、聞こえる。
「誰もいないはずなのに、逃げてくるなら、それは敵ってことですか」
ユーナは溜息をついた。
解りたくもない、理屈だった。
だから、やめた。
「あなたたちが命じられてるのは、『逃亡する者を止める』だけなんでしょう? 立入禁止じゃないなら、どいて下さい」
ファーラス男爵兵は口ごもった。
アルタクスが駆け出そうと足を出した。が、その前に、セルヴァが立ち塞がる。弓を真横に差し出され、ユーナの内心に衝撃が走った。まさか、止められるとは思わなかったのだ。
彼はユーナを見なかった。そして、先に歩き出す。兵の槍の前を通り過ぎても、彼らは動かない。その頭上の名前の色も変わらないままである。二人の兵の間を抜け、亡骸を一瞥したあと、セルヴァは振り返った。
「大丈夫みたいですね。どうします?」
愚問である。
答える代わりに駆け出したアルタクスはその頭上を軽く飛び越え、貧民窟へと降り立つ。メーアもまた、駆け出していた。
路地に近い場所はまだ火が回っていない。だが、セルヴァの索敵でも、近辺に光点は見つからなかった。逃げたのか、殺されたのかはわからない。何軒か離れた場所から向こうには、複数の光点が……しかも赤も緑も入り混じって、点灯していた。ちょうど、目的地周辺が最も多い。次々と緑が消えていくが、ティトとサーディクの名前がついている緑の光点は未だに存在していた。
赤が示す敵とは、あの悪漢の仲間だろうか。
何故、貧民窟を狙うのか。
脳裏に浮かぶ疑問は、とりあえず後回しにするしかなかった。
どこから火が回ってきているのか、貧民窟の全貌を把握しているわけでもないので、ユーナは安全策を取る。左手を掲げ、そして、希った。
「濡らせ純粋な水!」
ぶっつけ本番もいいところだが、ユーナは水霊への願いの形を少し変えてみた。PTMの全身が、ほどほどに濡れる程度の水を求めて発動させる。彼女の左手が青に輝き、四つの水の霊術陣が浮かび上がった。
いつかのような大滝が生まれることはなく、しっとりと全身が濡れるような感覚に包まれた。水の加護までは扱えずとも、多少の防火対策にはなる。MPはごっそりと減ったが、それでもまだ緑から薄い黄色になっただけである。許容範囲だ。
「へぇ……いいね」
「助かります」
メーアがうれしそうに声を上げ――一方、セルヴァは弓を構え、即、撃ち放った。ユーナとアルタクスの向こう側に、悪漢という赤い名前を掲げた男が姿を見せていたのだ。一矢で砕け散り、風に消える。
森狼が身体を伏せる。降りろという指示に、ユーナは素直に従った。
ユーナが降りるや否や、彼は先頭を駆け出した。どうやら赤かどうかを判別することができるようで、次々と悪漢を屠っていく。そんな中で、急にユーナの隣を駆け抜け、メーアがくるりと舞った。驚くユーナの目の前に、悪漢が落ちてくる。その胸には、メーアが弄んでいたククリナイフが生えていた。
その向こうで、シンクエディアを両手に抜き放った舞姫が綺麗に微笑む。
「数多いねー。雑魚が……っ」
しっとりと濡れた全身が、それでもなお廃墟で煌く。一太刀ごとに、死を生み出す。
アルタクスは戦闘が継続できないようにと攻撃時に意識しているようで、飛び出してきた悪漢にはすべて、ほぼ一撃ずつ与えてから、次に狙いを定めていた。喉元を食い破れなかったものの、利き腕だけは奪い取っていたり、腹を抉っていたりと、身動きができない程度のダメージを与えている。苦悶の声を上げる悪漢に対して、次々とメーアは止めを刺していく。ユーナは森狼の死角を守るようにマルドギールを振るった。後方で、弓弦の音が聞こえる。
ユーナに見える範囲でも、次々と赤い光点が減っていく。しかし、少し進むだけで別の光点が出没するのに、苛立ちを感じ始めるのはすぐだった。
「アルタクス、行こ!」
相手をしていては、建物が全て焼け落ちてしまう。徐々に近づく熱気に、決断した。
ユーナは森狼の背に手を置き、飛び乗った。呼応するように吠え、彼は駆け出す。ひとつ角を曲がった場所……そこが光点の示す、目的地だった。既に、煙と火が数軒隣の建物にまで迫っている。隣接しているので、時間は本当になかった。
その建物の前に、一人、倒れていた。
レネと呼ばれた少年だと、気づいた時にはもう、その名前は黒に変わっていた……。
 




