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幻界のクロスオーバー  作者: KAYA
第六章 存亡のクロスオーバー
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あなたの癒しが、未来に届く


 マルドギールを拾い上げ、ユーナは森狼の傍に膝をついた。

 サーディクの上に全体重を掛け、今もなお顎を開いたまま、ちらりと彼はユーナを見る。しかし、ユーナの視線はサーディクに注がれていた。


 呼吸が荒い。

 ユーナの背後にいた時には、外からの光は影になっていて顔色まではわからなかった。横たわっている今なら、汚れだけではない、土気色の頬がはっきり判る。ぐっしょりと肌に触れた前髪が濡れて貼りついている。苦痛をこらえて、その瞳は伏せられていた。


 背後で、セルヴァが溜息をついた。


「ユーナ、離れて」


 脳裏を、子どもたちの声が、目の前に倒れた男の声が、繰り返し響く。


 ――サーディクのこと、助けて……

 ――うちの子を返せ


 何が違うの。

 どこが違うの。


 これはただのゲームだって言うのなら、わたしが打てる手は、何を打ってもいいはずだよね?


 ユーナは道具袋インベントリに手を入れた。マールトでアシュアから渡された、シャンレンお墨付きの超絶苦い病気回復薬ポーション――。

 それを取り出すと指先で瓶の口を弾き、荒い呼吸を繰り返す男の口へ、突っ込んだ。


「ぐふぅっ!」

「飲んで!」


 カッと目を剥き、えずく男の口元を力任せに押さえつけ、ユーナは更に瓶を傾ける。あまりの出来事に、弓手と舞姫は絶句した。


「なっ!?」

「おまえっ! サーディクに何すんだよ!?」

「サ、サーディク……っ」


 口々に子どもたちは非難の声を上げるが、彼らの動きは矢と刃によって封じられている。なすすべもなく、森狼に組み伏せられ、今はその主に恐ろしい薬物を投与されているサーディクの姿を見守るよりほかなかった。

 サーディクは苦悶の呻きを時折上げ、胸元を掻きむしろうとしたが森狼に動きを阻まれてできない。瓶の中身がすべて彼の喉の奥に流れ落ちたころには、ビクビクと動くだけで、やがてその手は力尽き、床にぱたりと落ちた。完全に意識を喪失しているが、瞼すら下ろせていないところを見ると……


「サーディクー!!!」

「うぁあぁぁぁっ!」

「ひ、ひでえ……」


 薬を飲ませ切ることができて安堵の息をつき、手を放すユーナの周囲で、子どもたちの悲鳴が響く。

 その声に、改めて「ホントにとんでもなく苦い薬を飲ませる気だったんだ……」と、ユーナはシャンレンの恐ろしさを思い知った。自分のことは棚上げである。


 サーディクのステータスのぶれが、消える。

 土気色だった頬がすぐに赤みを帯びて、死んだように光を失っていた目に、輝きが戻った。


「――げほっごほごほごほっ!」


 いきなり咳き込み始めたサーディクだったが、森狼にのしかかられていてはまともに身体を折ることもできず、ただその胸が荒く上下するだけである。揺らいでいた視線が、森狼を、次いでユーナを見た。その手には、今もまだ空になった瓶がある。


 サーディクの名前が、緑へと変わる。


 それを見て、セルヴァは番えていた矢をゆっくりと下ろした。

 未だに子どもたちの名前は赤表示のままで、メーアは変わらずにシンクエディアを握ったままである。


「……大した、薬だな」


 ようやくまともに口を開いたサーディクだったが、その声音は最初よりも疲れている上にもっと擦れていて、いろいろと気の毒なほどだった。空の回復薬ポーション瓶が、消えていく。ユーナは、空いた手で、自分の水筒を取り出した。森狼を見ると、彼はしぶしぶとサーディクの上から離れる。


「すまんが、うちの子たちも……離してやってもらえないか? こんなこと頼める義理でもないが……もう、あんたたちには何もさせない……から……」


 ユーナが差し出した水筒を手で拒絶し、サーディクは途切れ途切れになりながらも、セルヴァに向けて頼んだ。

 子どもたちのほうは、死んだと思っていたサーディクが動いている様子に驚いて、驚き過ぎて、口を開いたまま身動き一つとれないでいた。だが、彼のことばに、その名が次々と緑へと色を変えていく。そちらも確認し、メーアは手首を翻した。レネを縛り上げていた革紐が、断たれる。


「サーディク、サーディク!」


 転がるように、彼は走った。殆ど体当たりでサーディクに飛びつき、起き上がりかけた彼の身体は再び床に転がる。倒れていた子どももまた、縛られたままでサーディクの傍に膝をついた。

 セルヴァは部屋へと立ち入り、二本の矢を取り戻す。同時にティトが自由になり、彼もまたサーディクへと駆け寄った。自身の矢を矢筒に戻した弓手は、ユーナの背を軽く叩いて、外へと先に出た。


「いいの?」

「もう害はありませんからね」


 あっさりと退散を決めるセルヴァの動きに、メーアのほうが拍子抜けする。ユーナは受け取ってもらえない水筒を道具袋インベントリに戻し、マルドギールを握りしめて森狼とともに立ち上がった。


 子どものすすり泣く声を聞きながら、建物から出る。

 空から降り注ぐ日差しはまだ夏のもので、ユーナの視界を一瞬灼いた。


 ――いいわね、こういう奇跡。


 彼女の声が、幻のようによみがえった。

 神の使い(彼女)こそ、いつも、こんな奇跡を起こす。


 わたしにできたのは、奇跡を起こすことではなかったけれど……あなたの癒しは、ここにも届きましたよ。


 結局、騙されただけで。

 騙した子どもの名前なんて、最後までわからなかった。

 それでも、不思議と誇らしげな気持ちになったユーナに、メーアが急ぐように声を掛ける。何となく周囲から向けられる視線の種類が変わったような気がしながら、ユーナはアルタクスと共に足を速めた。





 枯れたようにしか見えない木々がまばらに生え、乾いた土の上にはそこかしこにひびが入っていた。

 セルヴァの確かな案内を受けながら、ユーナたちは荒野を西へと進む。道なき道を迷わず進めるのは、彼は幾度もこの行路を行き来しているからだ。向かう先は、エツィオ山である。既にその威容は遠目に見えていた。この荒野と同様に、遠目で見ても茶褐色で木々の緑などない。

 やや早足で歩いているものの、誰もがそこそこにレベルが上がっているためか、思ったよりも疲労度の減りが少ない。久々に自力で歩いているユーナも、己のレベルアップを体感できる瞬間だった。小一時間も歩き続けると、エツィオ山のふもとにぽっかりと口を開いた洞くつの前にまで、たどりついた。

 洞くつの中に入る前に休憩を、と、少し早い昼食である。火は炊かず、剣士ギルドで仕入れてきていた大きめなロールサンドを齧る。生地はピザ生地を丸めたもので、中には野菜やらゆでた鳥肉やらが入っていた。少し価格は高かったが、これから長丁場と思えば先行投資と言えよう。実際、中にはなんとオレンジ色のマヨネーズっぽい味のものが使われていて、パンと燻製肉の食事を思えば、遥かにユーナたちの心まで満たしてくれた。

 いつかちゃんと調理できるようになりたいなと、自分のスキルマスタリーの存在を思い出しつつ、ユーナは森狼にも同じものを分け与える。ただ差し出すだけでも目を輝かせるのだから、きっと喜んでもらえると思うのに。


「ルスキニアって、洞くつの中にいるのー?」

「ここを通った先ですね。山の中腹にいます」


 そのあたりにごろごろしている岩のひとつ、小さ目なそれを椅子代わりにして、メーアは優雅に足を組んで座っている。その舞姫は視線を上げて、目を細めつつ尋ねた。セルヴァはやや大きめの岩に上がって、食事をしている。微妙に距離が遠いと思うが、彼なりに索敵しやすい位置を陣取っているのだろう。

 PTチャットなので怒鳴らなくても聞こえるのだが、メーアの声はかなりよく通った。ユーナもロールサンドの最後の一口を咀嚼してから、口を開く。その視線は、自身の胸元に落ちていた。

 牙の首飾りである。


「ルスキニアって、魔石も落とすんですか?」

「ええ。倒せば、落としますよ」


 以前、シャンレンに鑑定してもらった牙の首飾りの鑑定結果に、その名前があった。

 中ボスクラスの魔石であれば、かなりの価値があるのではないか。仮面の魔術師の貸し一、とソルシエールとの戦闘に臨んだが、かなり安い対価だったのではと、ユーナは今頃思い至った。


「倒さなくてもいいの?」


 セルヴァの物言いに引っかかり、メーアが尋ねる。僅かに間が空いて、彼は応えた。


「巣の傍にはたくさん落ちています。ただ、卵があれば……近寄るだけで攻撃されるんですよね」

「なるほど」

「ルスキニアは撃ち落としますから、落ちてきたあとはお任せします。それよりは、途中のゴーレムのほうが厄介ですね」


 なんてことはないように言うが、その発言でルスキニアが鳥であることがユーナにもようやく判った。そして、問題のゴーレムである。


「できるだけ、数を倒したいんです。核を集めたいので、見かけたら壊しましょう」

「硬いからなあ。シンクエディア(こっち)のほうが壊れそうだけど……何か手あるんだよね?」


 メーアの質問には、彼自身が岩の上から落ちてきた。食べ終わったらしい。

 そして、いつもどおりに弓を肩に掛けつつ、その手には平べったく丸い何かが握られていた。色合いといい、形といい……それはまさに、大判焼き。


「お任せ下さい。粉々にしてみせますよ」


 輝く美貌で、セルヴァはそれを片手に、自信満々に答えたのだった。

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