閑話 貴族の承認
風が、吹いた。
闘技場は土が露出している。土埃が目に見えて舞い上がり、仮面の魔術師は目を細めた。
対する闘士は三名。
見た目だけで判断するなら、前衛二人に、魔術師。長剣をぶらさげた戦士と、フレイルを握った戦士がこちらを抑えているあいだに、魔術師が詠唱を完了させる心づもりだろう。
「先、行きますね」
怖いとか。
どうしましょうとか。
どちらから倒しますかとか。
そういった躊躇いを遥か彼方に放り捨ててきたらしい自称弟子は、凛々しく言い放った。自分の周囲には何故、ボス戦になれば「ふふっ、楽しみましょうか」とのたまう某神官職を筆頭に、好戦的な輩が揃っているのか。
ふぅ、と溜息をつけば、了承の意と受け取ったようで、彼女は左手に得意の投刃を閃かせる。こちらも合わせるために、術杖に手を重ねた。
カーン、と澄んだ鐘の音が一つ、高らかに響いた。
戦闘開始の合図である。
開幕、指をナイフに刻んだ術式に滑らせ、とんがり帽子の魔女は術を発動させた。
「雷迅光!」
のっけから最大火力である。
投刃がまっすぐ前衛の間を抜け、背後の魔術師を雷光が貫く。まず一人、無言のうちに倒れた。電撃は直線で描かれたように見えて、ジグザグに走っている。身体を突き抜けた衝撃は戦士たちに麻痺を起こさせ、膝を地につかせた。
これ、降伏させたらいいんじゃ……。
仮面の魔術師の脳裏によぎった優しさを、戦士たちは己のまなざしで払いのけた。明らかに、戦意を喪失していない。震える手が、それでも、剣に、フレイルに力をこめる。
故に、彼は躊躇わなかった。
「火炎爆発」
静かな声音が、紅蓮を生む。
戦士たちの中間で炸裂した炎魔術は、炎と爆風で彼らを呑み込んだ。
熱風が過ぎ去ったあと、アリーナに立つものは、師匠非公認の師弟しか残されていなかった――。
「さすが師匠ですねー♪ ふたりまとめてなんて助かります!」
相手、麻痺ってたからな!
内心思いっきりツッコミを入れつつ、仮面の魔術師は登録証を記録水晶に翳し、勝ち星を刻む。これで四つ目だ。一部分だけ重なった勝ち星の数が五つになれば、クエストは終了する。
貴族の承認クエストと呼ばれる、マイウスの転送門開放クエストの最難関はここだと言われている。一般的に最も知られているのは、闘技場にて五連勝を飾り、その勝利をマールトの領主たるファーラス男爵に捧げることで、転送門の解放許可が得られるという流れだ。勝ち星を賞金に変えず、受付に伝えることで面談ができるという。攻略特化にしている者ならば、そこそこ難易度は高いもののクリアできる条件である。
問題は、生産特化であったり、兼業をしている場合だ。他にも貴族の承認を得られるものとして、次いで五日間ファーラスの兵として無償で働くというものが二番人気だ。兵は別段戦闘職でなくても良く、五日間、時間を拘束されるものの、調理師や裁縫師、鍛冶師などの生産職を主体にしている者向けで、己の職分にあった仕事を割り振られるらしい。
多額の寄付を闘技場付属の施療院に贈る、というやり方も攻略板では報告が上がっていたが、カードルの印章を手に入れるほどの金額を要したらしく、金稼ぎのできる商人向けだろう。
要するに、どれも面倒なものである。
マイウスの転送門開放クエストは、三つのクエストから成り立っている。町長に転送門開放を希望すると、まず、受注条件である尾羽クエスト、エツィオ山に棲むルスキニアの尾羽を手に入れてから、と言われ、追い払われる。
しかし、尾羽を渡しに行くと、次に代官のところへ向かうよう言われるのだ。マイウスはそもそもマールトの領主でもあるファーラス男爵の所領である。よって、転送門もまた代官には無断で開くことはできない。そこで、代官からは、どこの馬の骨とも知れないやつには転送門使用許可など出せない、と言われてしまう。何と言ってもマイウスは闇市場のメッカである。旅行者であっても、身分的には平民も同然だ。悪行を重ねていないかどうかをいちいち調べるのも面倒らしく、とにかく身分証明書を誰かからもらってこいと話の流れになり、そこで、貴族の承認クエストが必要となる。
貴族の承認が得られると、代官はあっさりと町長のところへ行って許可をもらえと言い出す。ひどい話だが、その集落の長が転送門使用許可を出すのもまた当然の話なので、ここでまた町長のところへ戻す羽目になる。
紅蓮の魔術師たち一行は、カードルの印章を用いることで、貴族の承認クエストを省くことができた。そのおかげで、町長のところへすぐに戻り、レイドボスの初回討伐PTとして間に合った……。
勝ち星の四つを連続して並べ、お互いに勝利を称え合う。周囲では床に伏せて泣いている者や、嬉々としながら賭け札を換金しているものなど様々だ。
「早く片付いてよかったな」
口から出たことばは、その意味以外には、何の感慨も沸かないものだった。
初撃さえ発動に間に合わせることができれば、こちら側の勝利は揺らがない。相手の人数が常にこちらより多くとも、それだけの火力を有しているのだ。同時に二PTの相手を、となると難しいが、野良で数名組まされた程度の相手に負けるわけにはいかなかった。
「ですねー。ユーナも少しは進展あったかな? 師匠はフレンドですよね。連絡してみます?」
ソルシエールは頷いて、森狼を連れた従魔使いの名を挙げた。こちらの用事は一旦これで終わりなので、様子見を促しているのだろう。仮面の魔術師もまた頷いた。
そこで、ハンドベルの音が闘技場のホールへと鳴り響く。可愛げのある音の割に、それが告げる事実は少しも可愛げのないものだ。――「力の試練」が行われることを、示しているのである。
仮面の魔術師ととんがり帽子の魔女は、ほぼ同時に掲示板へと視線を向けた。
「召喚術師ヴィーゾフ対、旅行者三名……プラス一? って何だかアレっぽくないですか?」
「出るぞ」
ほぼ同じ予測を立て、仮面の魔術師は足早に闘技場のホールを出る。闘技場の建物の中では、一切の連絡手段が使用不可だ。一歩外に出て、すぐにフレンドチャットを使い、ユーナを呼び出した。
が。
仮面の魔術師は舌打ちをした。相手がオンラインでいる以上、電源が切られているために連絡がつかない……ということはないはずのフレンドチャットである。もうひとつの、電波が届かない、要するに使用禁止区域にいるとしか考えられなかった。クエスト中の今、ユーナがマールトの外に出るはずもない。となれば、答えは一つだった。
それを見て、ソルシエールは悟る。
「ユーナの、力の試練なんですね……」
振り返り、闘技場を見上げる。そそり立つ外壁には、象徴的にアーチ形が無数に並んでいた。現実にもあるコロッセオに似せた外見だが、その規模は小さめだ。それでも、内実はそれほど変わらない。
命と金が交錯する場所、である。
となりで、とんがり帽子が揺れた。
悲鳴を呑み込んで、その両手が口元に当てられる。既に握られた賭け札はぐしゃぐしゃだ。銀一枚支払って手に入れた、同じものを彼も持っている。だが、彼は道具袋に片付けていた。……手に汗握ることはわかっていたので。
倍率は召喚術師ヴィーゾフが一・八、旅行者は頭数が四もあるにも関わらず、六・三と破格だった。それだけ、難易度が高いことを示している。出てきたのが細身やら小柄な女性三人と森狼で、闘技場の観客席には落胆の声も上がっていたほどだ。だが、それほど多くなかったところを考えると、あまり旅行者に賭けているものはいないのかもしれない。
召喚術師は本来、力の試練を受ける相手のPTにクリア済みの者がいる場合や、レベル差が大きい場合に登場することが多い相手だ。だが、召喚術師自体は常に同一人物が出てくるわけではないため、たまに誰かが殺してしまったせいで別の者が出てくるのだろうと言われている。ちなみに、力の試練でNPCを殺害すると、振り出しに戻るどころか闘技場で無償奉仕をしなければならなくなり、ほぼマイナススタートとなる。そのあたりについては待機中の控室で話そうと、ユーナには前もって何も話していなかったため、仮面の魔術師は内心滝の汗を流していた。
森狼が闘技場の壁に叩きつけられ、双剣士が攻撃を繰り出す。追撃は行わずに、彼女は身を退いた。合わせるようにユーナのマルドギールが突き入れられる。ミノタウロスの石斧に弾かれたものの、ミノタウロスの咆哮から察すると、確実に傷を負わせているようだ。スキルマスタリーは持っていないと言っていたが、大した扱いぶりだと紅蓮の魔術師は感心する。初めて会った時から、彼女の度胸は大したものだった。どれほどの強敵でも、彼女は違えることなく攻撃のタイミングを見定め、一手を放つ。それは、才と言ってもよいものだ。
森狼もまた、主のためにその身を下がらせ、時間を稼ぐ。
音楽が、流れた。
まるでBGMをつけるかのように、白髪の女性が弦楽器を奏で始める。スピード感あふれる曲調に、あきらかにアリーナにいるPTMの動きが速くなった。魔曲、と仮面の魔術師の中でことばが浮かび上がる。それは、攻略板にも挙がった吟遊詩人のスキルのひとつ、演奏によって力を持つものである。術式と同じく、内容によって演奏に満ちる力が変わる。
めずらしい組み合わせだと思っていると、白髪の女性の足元から、何かが飛び出した。
人形だとわかったのは、ミノタウロスの周囲をぐるぐる回り始めてからだった。
銀色の煌きに、息を呑む。
ミノタウロスが瞬時にバラバラになり、光へと還っていく。
召喚術師は即座に次の召喚を行なった。
魔鳥だと悟った紅蓮の魔術師は、唇を噛んだ。空に舞うものと、地を這うもの。どちらが有利かは考えるまでもない。だが、その召喚術を行使するタイミングで、双剣士もまたスキルを発動させた。最も良いタイミングである。身体能力はそれほど高くなかったようで、あっさりと召喚術師は地に倒れた。だが、意識がある。
大空に舞う魔鳥がそれを物語っていた。
「ああっ」
となりで、ソルシエールが思わず声を上げる。
魔鳥が滑空し、ピンクの髪をした双剣士をその鉤爪で捕獲して、再び大空に舞い上がったのだ。血が滴る。彼女の悲鳴は聞こえなかった。
音楽が途切れた。
仮面の魔術師は空からアリーナへと視線を落とした。ユーナが、召喚術師の前に立っていた。オープンチャットが闘技場の観客席にまで聞こえた。
「降参して!」
「……もう、間に合わんよ」
声だけを拾い上げているのか、死に瀕しているだろう召喚術師のか細い声まで、はっきりと届いた。
ぞわりと胸の中が黒く染まる。
嘲笑うような召喚術師の声は、明らかに双剣士の死を予見していた。
「それまでだ!」
試合開始を告げたファーラス男爵の側近が、制止する。
だが、ユーナの、マルドギールは止まらない。手首は返され、穂先ではなく、石突が召喚術師を打つ。
魔鳥が、消えた。
ユーナが召喚術師の意識を刈り取ったのだ。
「アルタクス!」
墜落するかと思われた双剣士の身体を、主の命ずるままに森狼が拾い上げる。
――生死はわからなかった。
仮面の奥で、朱殷の瞳が閉じられた。
関わりのない、旅行者だ。
なのに、何故、これほどまでにあの召喚術師の声が耳障りに聞こえたのだろうか。
「早く、神官の癒しを!」
ユーナの声に目を開ける。まだ生きているのだとわかった。
しかし、叫びに応えるものはいない。
闘技場のアリーナの扉は閉ざされたままである。
白髪の女性が、ユーナたちの傍に駆け寄る。何かやりとりをしているようだったが、PTチャットなのだろう。聞こえなかった。
「――何故、やめなかった?」
ファーラス男爵の詰問が、耳を打つ。
怒りすら含まれているように感じるそれに対し、ユーナもまた怒りを含めて問い返していた。
「何をですか?」
そのやりとりを聞きながら、彼女にあるのは戦闘への度胸だけではないのだなと、どこか遠く客観的に考えていた。命に対して、NPCの代表とも言うべき男爵のことばに、ユーナは苛立ちを込めて返している。そのはっきりとした意思表示を、呆れながら聞いていた。あの甘さは、明らかに神官譲りだろう。
「――何で、神官、来ないの……?」
となりからもまた、苛立ちを含んだ呟きが聞こえた。
口元にあった手は、いつの間にか両膝の上で強く握りしめられていた。最早、賭け札は原型をとどめていないのではないかと心配になるほどだ。
「そのうち、来る」
「そのうちって、間に合わないんじゃ……」
「たかが命の神の祝福を受けし者ひとり、死んでもよかろう。すぐに生き返る。むしろ、何故生かした? 死なせたほうが、貴重な薬を使わずに済んだものを……無駄なことを」
死を前提とした男爵のことばが、言い募ったソルシエールのまなざしを凍てつかせた。
その漆黒の色合いが、まっすぐと仮面の魔術師へと向けられている。瞳の奥に、彼の仮面が映るほどに。
ふたりのやりとりが、聞こえる。
ユーナの、叫びが、聞こえる。
「違わないっ!
死にそうなひとがいて、死なせたくなくて、助けたくて……できることなら、助けたい!
それが無駄なことだと、何で言えるんですか!?」
ソルシエールの瞳が揺れる。
「それでも!
死なせたくなんて……死にたくなんて、ないんです!!」
潤んだそれが、雫を生んだ。その手が、赤い術衣を掴む。顔を伏せる彼女の頭から、とんがり帽子が転げ落ちた。
仮面の魔術師は、ひとつ、溜息をつく。
闘技場のアリーナからは、空が見える。
今日も、とても青かった。
 




