あなたがいるから
メーアが目覚めるまで傍にいる、というエスタトゥーアと別れ、施療院を出てすぐ。
景気よくフレンドチャットのコール音が響いた。そこに表示された名を見て、ユーナの顔がひきつる。恐る恐る指先をスライドさせ、通話に切り替えた。
『やっと出たか』
溜息交じりの低い呟きに、ユーナは身を竦める。
「す、すみません……連絡遅れました……」
『いや、無事クリアできてよかった。おめでとう』
「ありがとうございます――って、どうして知ってるんですか?」
紅蓮の魔術師が、既にユーナがクエストクリアしたことを知っていて、驚かされた。
ああ、と彼は問いに答えた。
『見ていたからな』
貴族の承認クエストを進めるべく、市民門から中に入り、闘技場にて、紅蓮の魔術師ととんがり帽子の魔女は闘士登録を済ませたという。
闘技場では、並行世界のように同時に試合が行われ、勝敗が決せられる。通常の闘士同士の試合から、魔獣対闘士や兵士対闘士の場合もあるらしい。それに対して、闘技場の所有者であるファーラス男爵が胴元となり、誰でも各試合の勝敗に対して予めつけられた倍率を元に、貨幣を賭けることができるそうだ。市民が賭けられる金額は最高銀一枚までである。さすがに運営も、賭け事にどっぷり浸かるような幻界生活はお勧めしていないようだ。賭事受付のほうでは、賭け金と引き換えに、賭けた試合や内容が魔術具によって書かれた紙……賭け札を手渡され、それが試合会場への入場券となる。闘士は勝てば倍率を基にした賞金が手に入り、負ければ手に入らない。
貴族の承認クエストでは、五連勝が条件となるらしい。そして、ふたりで組んで四連勝まで果たした……ところで、それまでなかった「力の試練」の賭け率が表示されたため、もしやと思い、闘技場の外に一旦出て連絡してみたものの、ユーナは使用禁止区域にいて連絡がつかない。これはあたりだと判断し、賭け札を購入して観客になっていたそうだ。その際、召喚師ヴィーゾフは対戦相手としてはっきりと表示され、ユーナたちは名前を伏せられた状態で、人数とレベルが表記されていたという。
アレとか、コレとか、ソレとか……全部、見られてた。
気恥ずかしい気持ちになり、ユーナの声が上ずる。
「そ、そうだったんですね……」
『こちらも一段落ついて、これから昼食なんだが』
来るか?と問われて、ユーナは口ごもった。時間的に、そろそろログアウトして休まなければならない。明日も学校だ。
「あー、そろそろ落ちなくちゃ、です」
『そうか。じゃあ、市民門で待っている』
返事をしたところで、即、通話が終了した。
「待っている」?
会話が微妙にかみ合っていない気がしつつ、ユーナは首を傾げながら、森狼と連れ立って市民門へと向かう。だいぶ土まみれになってしまった毛並みをそっと撫でると、少しすり寄るように彼は動いた。ログアウト前に、またきれいにしなければ。そろそろ理由もなくぎゅーっとしても怒られないだろうか……。
施療院はほぼ闘技場に隣接しているものの、その役割上、喧騒から少しでも離れるようにと入口以外の周囲には木立が並んでいた。闘技場前の広場は闘士を希望する者だけではなく、NPCを含む賭け事を楽しむ者たちも見られた。マールトの街中とは異なり、騒然としている。その人だかりを避けるように、ユーナたちは壁際を進んだ。賭け事に興じる者は、掲示板に表示される試合内容や倍率を見ながら口々に言い合っているので、遠目でもわかる。賭け札販売終了までの時間もカウントダウンされていて、まるで電光掲示板のようだった。表示されている文字は幻界文字でたいへん読みやすく、掲示板はパッと見、金属製の立札であるが……これも、れっきとした魔術具だろう。衛兵が常時見張っている。
ふと、紅蓮の魔術師ととんがり帽子の魔女がタッグを組むのであれば、自分も賭けておきたかったな、と思ったユーナだった。一儲けできそうである。
ようやく市民門が近づいてきた。こちらも相当な人だかりである。広場だけではなく、市民門に入ってすぐのところにも同じ掲示板があり、その前もごった返していた。
「ユーナぁっ!」
大声を上げ、ぶんぶん手を振りながら。
とんがり帽子の魔女が、ユーナを呼んでいた。
そのとなりには、仮面の魔術師の姿もある。
見つからなかったらどうしようという心配は杞憂に終わり、ユーナは人ごみをすり抜けるように小走りでふたりへ駆け寄った。
「すみません、お待たせしちゃって……」
手伝うと言ってくれていたのに、思いっきり音信不通で不義理をしていた。不可抗力ではあったが、申し訳なくて、ユーナは謝った。その手を、ソルシエールが両手で握る。
握られた手から、顔を上げると……表情をこわばらせたとんがり帽子の魔女が、ユーナを見つめていた。
「――ごめんなさい」
発されたことばもまた、謝罪だった。
ユーナが目を瞠る様子に、ソルシエールは口ごもりながら、それでも伝えようと、ことばを紡ぐ。
「さっきの試練……見てたから。あたし、何ていうか……わかってなかったなって、思って。
あなたに前言ったこと、理屈っていうか、効率的には、あたし、間違ってないって今も思うんだよ?
でもね。目の前に、知ってるひとが死にかけてて……もし、それが師匠だったりしたら、あたしも、絶対助けたいし。そのためなら、何でもすると思う。どうせ生き返るんだから、まぁいっか、なんて、思えない……。
何で、そんな単純なこと、わかんなかったのかなあ。
ゲームでも、絶対、ヤだよ……」
途中からはもう涙目で、涙声で、想像するだけでもつらいのだろうと察した。
感極まって、ユーナもソルシエールの手を握り返し、うん、と小さく頷いた。
――わかってもらえた。
対象は、鉄板の紅蓮の魔術師だが。
人の話を聞いてとか、インターネットの掲示板で見てとか、そこで知った内容について考えることは自由だし、どんな意見があってもいいと思う。
でも、その場にいなければ、わからないことがある。
たかがゲームと思うのか。
ゲームであってもと思うのか。
それは、人によって違うだろう。
ユーナにはもう、単なるゲームだなんて、思えなかった。
そこに、人がいることに、変わりはないのだから。
そこに、仲間がいることに、変わりはないのだから。
幻界の者であろうが、旅行者であろうが、関係ない。
失くしたくない。
それが、彼女の答えだった。
とんがり帽子の魔女が話す内容を、半ばから聞かずに遠くを見ていた紅蓮の魔術師は、そっと溜息をついた。
割り切れない感情が、己の中に渦巻いている。
あの叫びを聞いた時、青く重なる人影が見えた。彼女なら、あんなふうには言わない。それがわかっていても、確かにユーナの中に、鏡のような心が見えた。
甘い、と何度、言い捨てただろう。いい加減にしろ、とどれだけ、口にしただろう。
打てる手を全て打ち尽くし、絶望の底にいながら、それでも、最後の最後まで――あの蒼いまなざしは、今まで、一度たりともあきらめたりしなかった。
ああいう厄介なのは、増えないほうがいいんだがな。
視線を戻すと、とんがり帽子の自称弟子は目元を拭っていた。それを見て、彼は再度溜息をつく。とりあえず、おなかをすかせた女性は涙もろかったり機嫌が悪かったりして手が付けられないので、すぐに食事を摂らせたほうがよさそうだ。経験則で悟り、会話に割って入ることに決めたのだった。
ログアウトして時計を見ると、ちょうど十一時を回ったところだった。
携帯電話で翌朝の目覚ましをセットしようと、指先を伸ばした時。
従兄の名前が表示され、そのままスライドしてしまう。
『お? 珍しい。出たな』
「……寝るとこだったの! アラームセットしようとしてたとこっ」
心底驚いたような皓星に、何ていうタイミングだと結名は言い返す。こんな時間に電話をしていては怒られる。
『ああ、ペルソナから聞いた。だからこっちに戻ったんだって』
「何?」
幻界でのフレンドチャットではなく、わざわざ現実世界で、こんな時間に掛けてくるくらいである。よほどの用件だろうと、結名は尋ねた。
フフフと楽しげに、皓星が電話の向こうで笑う。
『結名、公式サイト見たか?』
「あ、まだ見てない……」
『五月一日十時にバージョン一・一にアップデート完了でサーバーオープンだとさ。だから、四月三十日の十時からそれまでは、メンテで幻界には繋げないって』
バージョンアップとは、新しい要素を組み込むなどの改良や仕様の変更が加わることを言う。それまでとは違う要素、と言えば、今回はまずレベル五十までの解放がトップに挙がるだろう。結名もその点は知っていた。そういった機能の追加が行われる際には、全体としての修正が必要となることもあり、ゲームサーバー自体を一旦閉鎖し、全プレイヤーを排除した状態でデータを更新することもある。これが多くのオンラインゲームで行われる、メンテナンスのパターンである。オンラインゲームでのメンテナンスは、前述した全プレイヤー排除の他、該当するゲームサーバーのみを閉鎖する場合もあるが、今回は全プレイヤー排除のメンテナンスを意味している。
皓星は浮ついた声で続けた。
『だからさ、学校も休みだろ? シャンレンと話したんだけど……その日、オフ会しないか?』
「――え?」
オフ会――オフラインミーティングと言われるそれは、オンラインとの対比によってオフラインを意味することばが使われている。要するに、オンラインのコミュニティで知り合った者同士が現実世界で集まって会おう、ということで……。
「幻界のオフ会!?」
夜中に、結名の驚愕の声が響き渡り……両親が彼女の部屋に突撃してきたのは、言うまでもなかった。




