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幻界のクロスオーバー  作者: KAYA
第五章 疾風のクロスオーバー
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命の価値


 マルドギールを放り出し、ユーナはふたりの傍に駆け寄った。

 メーアの胴体はほぼ握りつぶされるような形で鉤爪の痕が走り、森狼の背中をメーアの血が濡らしていた。動かせないと判断したアルタクスはその場に座り、首だけをメーアに向けている。

 ユーナは道具袋インベントリから丸薬ピルラを見つけ、メーアの口元に放り込んだ。直後、メーアの体が僅かに発光し、傷口から流れ出していた血は止まっているように見えた。しかし、HPバーは濃い赤から回復しない。今もなお、じわりとその数値は減っている。致命傷だと判断し、ユーナは貴賓席に向けて叫んだ。


「早く、神官の癒しを!」


 同じく駆け寄ったエスタトゥーアの手が、意識を失ったメーアの額に伸びる。薄桃色のまなざしは見えず、その髪も乱れ、汗で貼りついていた。彼女もまた道具袋から回復薬ポーションを出し、指先で瓶の栓を弾いた。傷口に直接その中身を振り掛けると、その部分だけが燐光を放つ。光は徐々に薄れ、同時に傷が痕となるほどに癒えていく様子に、ユーナは目を瞠った。すると、HPバーの動きが、数値の減りが、止まった。


「命の丸薬ピルラでは、致命傷は回復しません。原因である怪我をまず癒さなくては」

「致命傷を回復できるんですか!?」

「ボスクラスの戦利品ドロップや珍しい薬草をふんだんに使って、ようやく成功したものです。今まで試したことも、使う機会もありませんでしたが――もしもの時の保険にと、手元に残しておいてよかった……」


 その場に座り込んだエスタトゥーアの指先はメーアの額から頬へ滑っていく。今もなお、意識を失ったメーアの頬は血の気を失い、真っ白だった。


 回復しない。これ以上は、どうにもできない。

 ただ、死んでいないだけだ。

 それでも、それが何よりの救いだった。



「――何故、やめなかった?」


 問いかけは、この場にいる最も高貴なる存在からのものだった。

 詰問のように強い口調でもたらされたそれに、ユーナは顔を上げる。

 貴賓席から立ち上がり、こちらを見下ろすのは男爵そのひとだ。遠すぎて、その表情まではわからない。それでも、責めるような口調に、ユーナは逆に問い返した。


「何をですか?」

「それまでだと、レインは止めたはずだ。聞こえなかったか?」

「間に合わなさそうでしたので」


 現に、あの召喚術師はそう言ったのだ。

 降参させて、魔鳥ルフからメーアを下ろさせていては、間に合わない、と。


「何が間に合わないんだ?」

「メーアの命が」


 ひとつひとつ、繰り返される質問には苛立ちが込められていた。逆にユーナのほうが苛立ってくる。何故こんな当たり前のことを訊かれなければならないのか。

 だが、男爵は、そのユーナの考えとは真逆の意見を持っていた。


「たかが命の神の祝福を受けし者ひとり、死んでもよかろう。すぐに生き返る。むしろ、何故生かした? 死なせたほうが、貴重な薬を使わずに済んだものを……無駄なことを」


 あきれかえって続けられたことばに、ユーナは目を瞠った。

 鎖を巻き上げる音が聞こえる。二種類の扉が開き、慌てて衛兵と、神官らしき術衣の者が数名、召喚術師へと駆け寄った。しかし、メーアのほうには来ない。


 来ない。


 召喚術師のほうから意識を引き剥がし、ユーナは貴賓席へと再び視線を向ける。


「あなたは、生き返る命なら、死にそうになったら捨ておいてもいいと考えるんですか」

「当然だ。一度きりしかない、我らの命は取り返しがつかない。そなたたちとは違う」

「――違わない」


 躊躇いなく返された答えは、いつか聞いた誰かの答えと、重なった。

 ユーナは首を横に振る。


 心が、視界が、焼け爛れて、真っ赤になったような気がした。

 それでいて、頭の中の芯が……凍えそうなほど、冷たい。


 紫のまなざしで男爵を射抜き、ユーナは繰り返した。


「違わないっ!

 死にそうなひとがいて、死なせたくなくて、助けたくて……できることなら、助けたい!

 それが無駄なことだと、何で言えるんですか!?」


 青の神官(アシュア)の気持ちがわかった。

 愚かだと、誰もがソルシエールのように嗤ったとしても、彼女は同じことをするのだ。

 そこに、命が、あるから。


 死にたくないと命を繋ぎ留めている、ひとがいるから。

 死なせたくないと思う自分がいるから。


「ただの自己満足だ。

 ――感傷に過ぎんな。どうせすぐに生き返る」


 つまらなさげに、彼は言い捨てた。


「それでも!

 死なせたくなんて……死にたくなんて、ないんです!!」


 静まり返ったアリーナに、ユーナの叫びが響く。

 沈黙の帳が下り、それは、さほど長い時間ではなかった。

 男爵の溜息が、わざとらしいほど大きく聞こえた。


「舞姫も、癒せ」

「――御意」


 男爵自身の短い命令に、召喚術師を癒しを終えた神官が一礼して、メーアのほうへ駆け寄る。癒しの術で徐々にHPバーが赤から濃いオレンジへと変わっていく様子に、ユーナは泣きそうになった。

 メーアが、助かる。


 男爵は側近を見た。一つ頷いて、彼は宣言する。


「勝者、命の神の祝福を受けし者――」


――Congratulations on quest clear!! Open the gate of Maart!


 視界に、幻界文字ウェンズ・ラーイが打ち上がる。

 闘技場に歓声が響き渡り、勝者と敗者双方を称えた。


 騒然とする闘技場で、真っ先に男爵が身を翻す。貴賓席から離れ、専用の階段へと足を向けた。

 慌ててユーナはその後ろ姿に叫ぶ。


「ありがとう、ございます――っ!」


 舞い散る白い紙吹雪の向こうで、一瞬、その背が止まり……すぐに階下へと消えた。






 闘技場の市民門側の裏手には、闘士専用の施療院があった。

 未だに意識を回復しないメーアは衛兵に担架で担ぎ上げられ、そちらに運び込まれたのだ。個室まであり、清潔な寝台の上に寝かされた舞姫の頬には、赤みがさしていた。

 寝台の端に腰を下ろし、その寝顔を見ながら、エスタトゥーアが口を開く。


「……あなたのおかげです」


 寝台の足元からメーアの様子を見ていたユーナは、彼女の白い横顔へと視線を上げた。ゆっくりとエスタトゥーアがユーナへと向く。


「あの時、頭の中が真っ白になりました。まさか、メーアが……死ぬかもしれないなんて、考えたこともなくて。何も、本当に、何もできなかった」


 赤い双眸が伏せられ、静かに首を横に振る。握りしめられた白い繊手が、シーツに皺を作った。

 ユーナもまた、かぶりを振る。


「わたしもです。命がけだって、いつもわかっているつもりでいて、全然わかってなくって。あの時はただ、助けたかったんです。わたしも……助けてもらったこと、あるので」


 ふわりと、森狼の尻尾がユーナの足に触れた。傍にいるよ、とユーナに確認させるかのように、その足元へと伏せる。そのあたたかさに、彼女は口元を緩めた。


「アンファングの討伐クエスト、ですね。アシュアは相変わらず、どこまでも癒し手をしているようで」


 ユーナのことばに、エスタトゥーアが「ふふ」と笑い、なつかしげに彼女の名を口にした。ユーナは首を傾げる。「青の神官」はよく知られていても、彼女の名前を知る者はそれほど多いのだろうか? むしろ。


「お知り合いですか?」

「一応は、そうですね。正式オープン以降、連絡を取っていなくて……フレンド登録がまだなので、会えずじまいです。まあ、あの子は目立つので、そのうち会えるでしょう」


 ユーナの問いはあっさりと肯定された。とても気長な発言である。

 β時代の友人ということだろうか、とユーナは納得する。


「わたし、アシュアさんとはフレンド登録しているので、よろしければお伝えしましょうか?」

「あら、そうなんですか?」


 ユーナの提案に、意外そうにエスタトゥーアは目を瞠った。そして、頬に手を当て、少し考える素振りを見せた。彼女の指先が、宙を舞う。

 ユーナの目の前に、フレンド要請が現れた。


「確かに、今のアシュアには、わたくしの力が必要かもしれません。ですが、まだすべての札が揃っておりませんので……その時が来たら、お願いしますね」


 すぐに、ではなく。

 時が来たら。


 エスタトゥーアの言は謎めいていて、ユーナには「今はいいよ」ということくらいしかわからなかった。とりあえず、フレンドリストに登録する。

 長い白髪が、揺れた。


「今後とも、どうぞよろしくお願いいたします」

「こ、こちらこそ!」


 丁寧に頭を下げられて、ユーナもまた一礼を返した。

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