名を上げよ
回復薬類の補充として、ユーナもシャンレンから幾つか購入しておいた。以前はまったく必要性を感じなかったMP系も、である。非常用ということで、薬術師謹製丸薬まで分けてもらったのはいいのだが、あまりの高価さに、大切過ぎて使えない某完全回復万能薬扱いになりそうだった。ユーナは財政の都合上、それぞれ一つずつしか購入できないほどである。割と日常使いしているらしい仮面の魔術師が怖い。攻略最前線はそんなに儲かるのだろうか。
念のために、発熱や腹痛などの病気から回復する薬も購入するようにと勧められた。こちらは個別に薬効があるものらしく、粉薬が紙に包まれていて、一包ごとにメモが走り書きされている。手書きの日本語なので、これも薬術師の謹製だろう。薬術師のスキルの熟練度上げに使われるそうで、丸薬や回復薬より遥かに安く済んだ。
シャンレンは既に仮面の魔術師から預かった戦利品を代理売却済みで、ユーナにも取り分を渡してくれた。ユーナの道具袋にも精算が必要な戦利品があるのなら、換金してきてくれるという。
「まあ、マールトは物価が異様に高いですからね。しかも、事あるごとに半端なく税金やら賄賂やらを要求されるので……私は先にマイウスでお待ちしていますよ」
なんと、先ほどの調達もマールトではなく、マイウスまで転送門を使ってひとっ走りしてきたらしい。アシュアといい、シャンレンといい、そのフットワークの軽さに驚く。
転送門は、誰も開放クエストをクリアしていない場合、全ての旅行者が完全に使用不可能となっている。そして、誰かが開放クエストクリア済みで自分は未クリアの場合と、自分も開放クエストクリア済みである場合とで、利用料にはかなり差がある。場所や距離によっても利用料は異なり、最低価格がアンファング~エネロ間の小銀貨一枚である。他は、推して知るべし。
話に聞くと、マールトはファーラス男爵という貴族が治めており、間接税がやけに多いそうだ。転送門開放クエストを済ませたら、旅行者は逃げるように町を出ていくという。マールトでの標準的な宿泊費が小銀貨一枚に大銅貨一枚もかかると聞き、確かにユーナも逃げ出したくなった。長居すれば破産しそうである。
「マールトでは、今までのようなクエストアイテム収集系やお使い系のクエストはない。『名を上げる』――たったそれだけのことで男爵から転送門開放クエの受注ができる。楽なものだな」
「それがたいへんなんですよ、フツー」
簡単そうに言い放つ仮面の魔術師に、とんがり帽子の魔女は溜息をついた。
「ファーラス男爵って、前……」
「ああ、そういえばお話しましたね。ええ、厄介な御仁です。転送門開放クエストのクリアだけを意識するほうが無難でしょう。ユーナさんは貴族の承認を意識する必要もありませんし」
聞き覚えのある名前を確認しようとすると、シャンレンは頷いて答えてくれた。そういえば、アシュアは貴族の承認を得ないで、カードルの印章を代わりに使ったと言っていたような気がする。恐らく、この後のマイウスのクエストで必要になるはずだ。それは、大事に道具袋へ仕舞い込んでいた。
その会話を聞いて、仮面の魔術師は「ああ、そうだったな」ととんがり帽子の魔女を見る。
「ソル、先に貴族の承認クエ、進めておくか?」
「えっ……あれって、先にできるんですか?」
「ある程度勝っておけば、後が楽だからな。アーシュがいない状態で不死伯爵を倒すよりも早いだろう」
「神殿帰りはちょっと……」
「俺もカードルの印章で済ませたからな。せっかくだから、クリアしておいても悪くない」
マールトはクリア済みでも、マイウスはこれから、というソルシエールにとって、次の転送門開放クエストのクリアを早める申し出はありがたいことだろう。さすがの赤黒師弟でも、不死伯爵討伐は難しいのだな、とユーナは意外に思った。青の神官がそれだけ別格ということなのかもしれない。
そして、別荘でのやりとりが思い出されて、少し胸が痛くなった。今も、彼は――。
「俺やソルが傍にいたら、おそらくユーナのクエストが進まない。
転送門開放クエストが終わっている以上、男爵のお墨付きが付いて回る。それだけでこっちが目立つからな」
「ユーナさんは門でも目立っていましたから、すぐにクエストのきっかけは掴めるでしょう。ひとりで町中を歩いてみるのもいいかもしれませんね」
「うーん、それなら確かに、あたしと師匠は承認クエスト進めておくほうが、ちょうどいいかも、ですけど……」
「クエストボス手前で合流すればいい。どうせ場所は同じだしな」
既に転送門開放クエストクリア済みの面々が、今後のプランを立て始めた。
ユーナにしてみると、そう簡単に「名を上げる」ことなんてできるか、甚だ疑問である。仮面の魔術師は今日中に、という無茶を言っていたが、名前を書いた旗を上げるわけではないのだ。買いかぶりすぎているのではなかろうか。
素朴なところで、町中のゴミ拾いとか、馬車にはねられかかったお年寄りを助けるとかだろうか。魔物に襲われているひとを助けるというのもよさげだが、町中に魔物が徘徊するわけもなく……むしろ、変に森狼が人を襲っていると疑われるような行動も避けたほうがよさそうだ。逆の意味で名が挙がってしまっては困る。
ユーナは王道な人助けプランを脳裏に巡らせた。
提案を受けたとんがり帽子の魔女は、首を傾げたまま悩んでいる姿勢でしばし沈黙し……不意に視線を上げて仮面の魔術師に尋ねた。
「そう言えば、師匠は青の神官様のこと、『アーシュ』って呼んでますよね?
何だかトクベツっぽい?」
そのソルシエールの問いかけには、ことば通りの意味以上のものは含まれていないような軽い響きしかなかった。それでも、女の何かをそこに感じ取ったような気がして、ユーナはこわごわと仮面の魔術師を見る。
仮面に覆われた彼の表情は、見えない。
それでも、ことばが途切れたのは、わかった。
「あー、確かに、昨夜もそう呼んでいましたね……」
場をもたせるというか、逆に仮面の魔術師を問い詰めるような形で追い打ちをかけているのはシャンレンである。
勇者だ。勇者がいた。
初めて会った時もそう呼んでたっけーとユーナが思い出した時、仮面の下の口元に笑みが佩かれた。
「まあ、あいつも変な呼び方してくるからな」
フフフと続く低い含み笑いが怖い。
質問には全然答えていなかったが、もう訊く気が起こらないほど怖かった。
答えたくないのだろうと、大人的な配慮で会話を終えようと誰もが考えた時……ひどくなつかしそうに、紅蓮の魔術師は呟く。
「――昔の、名前だ。もう、そんなふうに呼ぶのは、俺だけかもしれないな」
とてもとてもたいせつな宝物を、ほんの少しだけ見せてあげる。
誰にも、ないしょだよ?
そんな響きを持った声音に。
実は訊いてほしかったんですね!?とユーナが思ったのは言うまでもなかった。
「へー……そうなんだー……」
そして、とんがり帽子の魔女の周りに、稲妻が走ったような気がした……。




