あなたと、共に
「――雷光網!」
一本の細いナイフが飛来し、水妖エイテンのぷよぷよした体躯に突き立つ。ナイフを中心とした雷の網は水妖を捕らえ、ユーナを守るように雷が散開した。エイテンは雷撃を受け、身をよじらせた。エイテン自体はその名や体躯を含めてどう見ても水属性だが、雷が効いているようだ。迸る稲光に怯え、ユーナまでも身を震わす。すると、横合いから森狼が彼女の襟元を咥え、力づくでエイテンから引き離した。思いっきり大理石の床へと放り出される。何とか腰から落ちることができたら、衝撃は大きい。
「……ったぁ……」
痛みを堪えていると、ブーツで覆われた二本の足と、ぴらぴらのフリルが視界に入ってきた。次いで、呆れ返った彼女の声が、ユーナの耳朶を打つ。
「ねえ、実は頭悪かったりするの? あんなに近寄ってたら、師匠が撃てないってわからない?」
とんがり帽子の魔女は、その豊かな黒髪を揺らして嘆息した。その左手には三本、先ほどと同じ細いナイフが広げられている。柄までも金属でできているナイフには、術式が彫り込まれていた。反対側の手には……
「はい、忘れ物」
ユーナの初心者用短剣が、あった。
差し出された短剣を反射的に受け取る。
「疾風駆矢! つーかさ、何で、オマエがここに……っ」
ユーナをエイテンの攻撃対象から外すため、フィニア・フィニスが風属性のスキルを撃つ。そして、ソルシエールの姿を認め、眉をひそめた。雷の呪縛はその一矢までしかもたず、軽い麻痺から回復したエイテンが、今度は攻撃を仕掛けたフィニア・フィニス側へと転がり始める。
まさに、どこへでも転がっていくボールのようだ。
フィニア・フィニスはその場から離れようとするが、ソルシエールに気を取られたせいか、また一回り小ぶりになったせいか転がるスピードが速くなり、追いつかれそうになる。
闇の広間の壁に、フィニア・フィニスが追い込まれるより早く、セルウスがフィニア・フィニスと水妖の間に立ち塞がり、盾を構えた。
「風の防壁!」
「轟火柱!――轟火壁」
風の盾が発動した直後、紅蓮の魔術師は続いて術句を紡いだ。
セルウスの目の前で火柱が立ち、エイテンを灼く。動きをとめた水妖は攻撃を加えた仮面の魔術師のほうへと動き始める。が、その動きを予知していたかのように、次いで柱を何本か集めたような炎の壁が、水妖と彼の間に築かれた。挟み込む形に撃ち出された火柱と炎の壁。その威力は、視界が熱で揺らぎ、セルウスには、風の防御が発動していても盾を通じて熱さを感じるほどだった。もし、風の盾がなければ、セルウスだけでなく……フィニア・フィニスをも巻き込んでいただろう。何からフィニア・フィニスを守っているのかわからなくなる状況に、セルウスは歯を食いしばった。
ユーナは既に立ち上がり、道具袋に短剣を放り込み、水妖に対してマルドギールを構え直していた。高火力の炎の魔術を前にして、まったく攻撃のタイミングが読めずに唇を噛む。同じように、森狼は跳躍するタイミングを計っていた。同時に、とんがり帽子の魔女の登場に、不思議と驚いていない自分に気付く。ああ、確かに……彼女なら来るかも……。理屈ではなく、ここに彼がいるから、彼女は来たのではないかと思った。
「ここはレイドボスなんだから、別PTでも勝手に参戦できるのよ! 知らなかったの!?」
「……いや、そういうことじゃないと思うけど」
炎の揺らぎの向こうで、声も高らかにソルシエールが言い放つ。鼻白むような口調に、思わずセルウスが呟いた。
「何で、来たんだ?」
PTM全員を代表して、呼吸の荒い仮面の魔術師が再度問う。ここまでの道のりと、先ほどの戦闘、そして今と、MPをガンガン消費し続けていた彼のMPバーは、もう殆ど濃いオレンジに変わりつつあった。
そのことを知ってか知らずか、左手のナイフをひらひらさせながら、彼女は視線を泳がせる。
「何でって……レイドボスに行くのに、レイドPTの募集も出さないで突撃だなんて、無謀すぎますよ。神官どころか、回復職も連れてきてないし、ありえないっていうか」
ソルシエールがアンテステリオンの掲示板を確認したのは、二人と別れた後と、朝の二回だった。既にレイドPTの募集は幾つかかかっている状態だったが、どれも構成や人数に違和感があった。改めて追加の魔術師を探していたり、職問わずであったり……師匠がいるのであれば、魔術師の募集など不要なのである。ただ一人でも、全力で戦う環境さえ整えることができるのであれば、アンテステリオン程度のレイドボスなら焼却処分してしまうだろう。だから、すぐにわかった。単独PTで狩るつもりでいる、と。
気付いた時、ゾッとした。
昨夜、彼の隣に、青の神官はいなかったのだ。
呪われた炎の仮面を手に入れた時、彼は迷わず己の運命を選び、最前線を突き進んできた。それは孤独でありながら、絶対に誰かとでなければ前に進めない……茨の道であると知りながら。紅蓮の魔術師がひとりでないのなら、何も言う必要はなかった。
何故、攻略組は、彼の傍にいないのか――。
ぶつぶつと文句を言うソルシエールに、魔術師は溜息をついた。
朝から転送門開放クエストをスタートさせたとしても、予めクエストアイテムを全て揃えておくという暴挙に出なければ、そして、転送門開放クエストを既にクリアしている者が協力しているという前提条件がなければ、これほど早くクエストボスにはたどりつけない。そして、レイドボスを倒すためにレイドPTを募集するのであれば、幻界時間にして前夜から行わなければ集まらないのが現実だった。アンテステリオンのクエストボスがレイドボスであることは百も承知だったが、レイドPTの募集をかけていちいち職業調整をしたり、作戦会議を行なう手間を、ペルソナは全て省いた。巧遅は拙速に如かず。攻略組において最高火力を誇る自分がいれば、何とかなるだろうという安易な考えである。いつもはアシュアが勝手に段取りを組んでいるので、そもそもやり方も知らない上……要するに面倒だったのだ。
そして、ソルシエールの指摘は的中していた。ボス部屋までの道のりは、彼が先頭を歩くことで片っ端から焼き尽くし、最速で到達できたのだが……問題は、先を急ぎ過ぎたために、PTMに一切、魔術師の間合いに慣れさせる余裕がなかったことにある。そのため、いつも通りに術式を撃ちまくると、あっさりと味方を焼き尽くす恐れがあった。普段なら意図を汲んで聖域を張ったり、攻撃のタイミングを合わせてくる連中は完全に不在である。そのために、いつもよりも間合いの読みに手間取り、なかなか手数を撃てずにいた。
今のところ、セルウスの盾や魔術の加護が効いているため、負傷はない。しかし、どちらも長くもつものではなかった。もともと、短期決戦しか想定していない。
よって、ちょうどいい、と思うことにした。
「急ぐぞ、手伝え」
「――はいっ!」
その声に確かな信頼を感じ、ソルシエールは満面の笑みで頷く。
一方で、壮絶に拒否反応を示したのは、リーダーであるフィニア・フィニスだった。PTチャットでの叫びが耳を打った。
「ちょっ、マジでそいつの手ぇ借りる気かよ!?」
「もともとレイドボスだからな。出ていけとも言えん」
「そりゃそーだけどさぁ……」
不満タラタラに言い募る様子は、音に聞こえずとも表情でわかる。ソルシエールは左手のナイフを構えなおし、右手は左手に巻いた木製の腕輪を撫でながら、フィニア・フィニスに告げる。
「ご心配なく。あなたたちの邪魔にはならないから――雷の加護!」
彼女の全身が、雷魔術の加護に覆われる。魔術の加護にはそれぞれの属性と特性が付与される。特性で言うなら、風は素早さや回避力の上昇、炎は攻撃力の上昇だが、雷は低確率で麻痺を与えるといったものだ。その上、加護を魔術師自身に付与した場合、とある限定の効果が発動する。本来、放たれた魔術は、たとえ自身が放ったものであっても、跳ね返されればダメージを受ける。昨夜、ユーナがソルシエールに雷撃を跳ね返したのがそれだ。だが、この加護を自身に付与することで、己の魔術に関しては完全な耐性を得ることができる。
即ち。
「――雷の矢!」
ナイフの表面に彫られた術式を撫ぜ、ナイフごと水妖へと撃ち込む。三本とも命中させた上で、更にソルシエールは跳躍し、ナイフを撃ち込んだ箇所目掛けて蹴り入れた。三本の雷の矢が結合し、巨大な大穴が開く。すぐさま彼女は身を翻し、誰もいない壁際まで下がって態勢を整えた。
ぽかーん、と呆気に取られ、仮面の魔術師と森狼以外のメンバーは大口を開ける。
そう。
とんがり帽子の魔女は……思いっきり前衛に見えた。
「あいつ……体術と投刃のスキルマスタリーもあるからな……」
PTチャットでの仮面の魔術師の呟きは、「だから、絶対俺、あいつの師匠じゃないんだって……」と続いている。初めてソルシエールに捕まっているペルソナを見た時、彼は魔術を駆使して彼女を引き剥がしていたが、嫌というよりもむしろ、そうまでしなければ彼女から逃れられないだけだったのかとようやく悟る。
なるほど、よくわかった。
紅蓮の魔術師が、ユーナとソルシエールの模擬戦で彼女に魔術限定という条件をつけたのも、すべてはコレが理由である。
焼かれ、貫かれ、徐々にエイテンのぷよぷよはいびつな形で小さくなっていく。その分、回避や攻撃のスピードは上がっていくようだった。しかも、途中から攻撃パターンが変化した。突進だけではなく、身体の一部を飛ばしてくる。付着すれば腐蝕する、酸のようなものだった。
体躯は既に、アルタクスほどのサイズになっている。重ねてセルウスは森狼に、仮面の魔術師はユーナに、魔術の加護を付与した。フィニア・フィニスと調整しながら、できるだけ距離を取り、攻撃を加えながら、水妖の狙う対象を変更させていく。
既にアルタクスの攻撃で貫くことはできないが、その爪は鋭く体躯を抉る。直後にユーナもマルドギールを振るい、ぷよぷよを減らした。森狼ではなく、ユーナ目掛けてエイテンが迫る。咄嗟に森狼はユーナを放り投げ、自身の背で受け、一気に距離を取る。
主の扱いに慣れたものだな、と仮面の魔術師は苦く笑った。
「師匠!」
呼びかけと同時に、ナイフの術式刻印の上を、ソルシエールの指先が滑っていく。
紅蓮の魔術師もまた術式刻印を撫ぜた。
「雷迅光!」
「――紅炎乱舞!」
二つの魔術が、紡がれた。
ソルシエールのナイフは矢じりのように煌き、それを核にして一本の閃光が疾っていく。違えることなくその電撃は水妖の体躯を貫き、その深い傷へと、紅蓮の魔術師の生み出した火炎球が放たれた。手のひらほどの火球は、着弾点で火炎を撒き散らしながら炸裂する。
魔術の生んだ轟音と熱風に、森狼はユーナを壁側へと押しつけた。その黒々とした毛並みが、赤く見えたほどの火炎である。一瞬ではあったが、ユーナは頬を炙られるような感覚を味わった。
その熱が消えた時、光が砕け……室内へと広がっていく。
仮面の魔術師の魔術光を上塗りするように、部屋が光に包まれた。
――Congratulations, you defeated the boss.
The MVP is given honor.
Bless to all.
いつか見た、幻界文字。
そして、光の柱が立つ。
MVPの祝福を受けながら、彼はもう遠く感じるあの日を思い出していた。
あの時、MVPに輝かなければ。
今詠われている二つ名もなく、彼女たちと進む道も、なかったかもしれない。
仮面の魔術師は、天井から落ちてくる一際大きな光に手を伸ばした。
触れると、硬い感触があった。眩しさは、すぐに和らいでいき……。
ユーナの上にも、小さな光の破片が降りてきた。ヴェールで落ちてきた光と同じもので、今度こそ、掌に受け止める。各々が、レイドボスの戦利品を手中におさめていった。
光が、薄れていく。
「え……」
その中で、ソルシエールは、己の師の手の中を凝視していた。
仮面の魔術師が手にした、希少な戦利品。
「素材としては、いいかもしれないな」
深い青の宝珠が、そこにあった。同じMVPでも、従魔の宝珠に比べれば二回りは小ぶりなものだったが、その濃紺の煌きは誰かのまなざしを思い出させ……紅蓮の魔術師の表情を和らげた。
彼の脳裏に浮かぶ人影を穏やかな声音から悟り、ソルシエールは嘆息する。
どれだけ離れていても、心の向かう先が同じなら。
きっと、道はまた交わるのだろう。
「おめでとうございます、師匠」
だから、彼女は心から祝福を口にした。
あのひとがまた、自分の師匠を守ってくれますようにと、祈りながら。




