追うモノ追われるモノ
ほんの少しだけ。
閉門の鐘が鳴るより早く、戻らないと。
初心者用の短剣を手に、足を踏み入れた森。
夕暮れの残光が、生い茂った木立の隙間からそこかしこに射していた。
チュートリアルで見かけた魔物は全くいない。小さな虫とか兎がいるはずなのに、と周囲を散策しながら、ユーナは進んだ。そもそも、道らしき道も見えない。
本人はあまり意識していないが、彼女が立てている葉擦れの音は相当大きく、静寂に包まれていた森をいろいろと打ち破っていた。
お気軽にレベル上げと、戦利品稼ぎをと思っていたのに、予想は大きく裏切られていく。狩り場が悪いのだろうか。あとどのくらいでタイムリミット?と視界の中で意識すれば、すぐにデジタル時計が拡大された。あと、十分ほどで閉門の鐘が鳴る。
そろそろ戻って、宿を取ろう。
諦めて身を翻す……と、木の根につまづき、前のめりに姿勢を崩してしまった。慌てて手近な木に手を置き、難を逃れる。すると、つい一瞬前まで立っていた場所で、何かが空を切った。
鋭い風の音に、びくりと身を震わせ振り向く。
そこに、魔獣はいた。
ユーナを敵と認識して低い唸り声をあげている。ユーナの背丈よりわずかに低いだけの魔獣の頭上、彼女の目の前には、はっきりと赤い幻界文字で「森狼」と書かれていた。今まで見てきた中で、最も大きい体躯に驚きはするが、まだ始まりの町のすぐ傍である。ユーナは落ち着いて初心者用の初期装備……短剣を両手で構えた。
森狼の息遣いが、感じられる。
VRの生々しさに顔を顰めた。
――だいじょうぶ、当てればいい。
チュートリアルを思い出しながら、ユーナは短剣を勢いよく正面へ突き出す。
森狼は大きく退き、刃から逃れる。……短剣は、当たらない。
ユーナは首を傾げた。命中率が低いのか、攻撃速度が遅いのか、判断がつかない。だが、そんな思考回路を、魔獣は悠長に眺めて待ってはいなかった。
森狼は、ユーナ目掛けて跳躍した。
とっさに、木陰に身を隠す。その鋭い爪が、彼女の盾になった木の幹を抉った。深々と入った傷を見て、ユーナは息を呑む。
マズイ。
隔絶されたようなレベル差をそこに感じ、ユーナは森の奥へと駆け出した。