8 美鈴の変化
中盤以降のお話がつまらないので、お話を練り直そうと思います。
翌日。いつものように、パンとバナナと紅茶の朝食。…に、焦げた卵料理がついていた。世間一般でいうところ、目玉焼きと呼ばれる物体だ。
「あ、あはは…。ごめんね〜。初めて作ったら、こんなんなっちゃった。」
ペロリと舌を出して、可愛らしさをアピールするが、そんなものに零が誤魔化されるはずもない。
「…おま、油も引かないで焼いたろ。しかも、鍋を使ってどーする!!」
寝癖のついたボサボサ髪で吠える中年男。実にむさ苦しい。
「この鍋、一個しかないんだぞ!!ああ、俺の大事なラーメン鍋ちゃん、かわいそうに…」
ぷちっ。
「え〜い、うるさい!!可愛い女の子が早起きして、健気に朝食を作ってあげたのよ。ちょっとは感謝しなさいよ!!」
途端に零はピタリと黙り込む。
「…………」
「な、なによ…」
前髪からのぞく涼やかな瞳に、またドキッとさせられる美鈴。
「ふっふ〜ん…」
直後、零はニタニタと笑い始めた。 いわゆる、カンにさわる笑い方だ。
「そうか。俺も罪な男よのう〜」
「はい?」
美鈴は首をかしげる。
「いや、また女を虜にしてしまったと思ってな。フッ…、俺の魅力は罪だ……。っと、待て待て!!」
無言で鍋を振りかぶった美鈴を見て、慌ててザブトンを盾にする零。
「た、ただのアメリカンジョークじゃないか。何をカリカリしてるんだ。そういや、この目玉焼きも、カリカリしてうまいぞう」
零は焦げた目玉焼きにマヨネーズをかけて、せんべいのようにバリバリとかじっている。
「いや、無理に食べなくていいよ…」
正直、自分で味見するのもためらうレベルだ。
「なんで?お前さんが生まれて初めて、一生懸命に作ってくれた料理だ。食べないわけにはいかないだろ。」
「え?」
「それから、ありがとうな。」
零は美鈴に優しい微笑を向けた。
「あ…」
美鈴は顔が真っ赤になるのを自覚した。同時に胸もキュッと苦しくなる。
『もう…ずるい。いつも、いきなり不意打ちをしてくるんだから…』
美鈴が胸に両手を当てて、甘美な切なさの余韻に浸っていると。
「しかし、こりゃひでえな…。岩おこし食ってるみたいだわ。俺的に最凶の朝飯だな」
またも一瞬で雰囲気をぶち壊す零。美鈴の形の良い眉がピクピクと動く。
「あ・ん・た・ね…。私を喜ばせたいのか、怒らせたいのか、どっちよ!!」
堪忍袋の尾がキレたとばかりに、美鈴は猫のように飛びかかる。
がらがっしゃん!!
「どわあっ!!こら、マウントポジション(馬乗り攻撃)は禁止禁止!!おま、スカートだろ!!」
「うるさい!!あんたが泣くまでやめてやらない!!」
「その、どっかで聞いたネタもやめろおぉ!!」
しばし、組んず解れつ。要は、部屋の中を2人して転げ回った。美鈴のスカートから白い下着がまる見えである。
「まったく…。はしたないと思わんのか」
ようやく美鈴の馬乗りから解放された零は、ぶつぶつと文句を言う。
「零は二次元にしか興味ないんでしょ。恥ずかしがる必要ないもんね〜」
美鈴は平然としたものだ。その顔は楽しそうに笑っている。
「あのな。さっきのドタバタは、はたから見れば、完全にいちゃついているカップルだぞ」
「カップル?父娘じゃないの」
「…………」
途端にすねて、部屋の隅に体育座りをしてしまう零。美鈴はくすくす笑った。
「冗談冗談。零は見た目、十歳は若いわ。いい子だから、すねちゃダメよ〜」
美鈴は子どもにするように、寝癖でボサボサの髪を撫でる。
「たい焼き食いたい」
ジト目のまま、美鈴を見上げる。
「はいはい。お昼に買いに行こうね〜」
「ふっ…。小娘をだまくらかすなぞ、相変わらずチョロいもんよ」
「…なんか言ったかしら?」
「あだだだだ!!チョーク禁止禁止!!おっぱいが顔に当たってんぞお!!」
と、こんな感じでじゃれあう2人だったが。
ピピピピッ!!
不意に零の携帯電話が鳴った。
その半瞬後には、美鈴の腕から鮮やかに抜け出し、電話をとっている。けっこう力を入れていたのに、その瞬間だけは、まるで空気のような手応えだった。
「…俺だ、どうした?」
着信画面で相手の番号を確認した零は、あのカッコいい真剣な表情をしている。
「…ほ〜お、やっぱりな。こうも予想が当たると逆に笑えてくるわな。じゃ、仕方がない。…ああ。前に話した段取りで頼む。俺も一時間ほどしたら、そっちに着くから」
一瞬だけだが、零の瞳がギラリと不穏な光を放ったような気がした。
そして零は手早くいつもの白い長袖シャツに青いジーンズに着替えて、身だしなみを整えた。
「じゃ、ちょっと出かけてくるから、留守番頼む」
「お仕事?」
「ふっふっふ。限定発売だったゲームが、値下げしてもう一回発売することになったんだ。やると思ってたから、前回は見逃したんだが、大正解だったな」
「ふぅん…」
それがウソなのは、今の美鈴は知っている。何か危険な仕事に行こうとしているのも。
だから。
「気をつけてね。」
少し心配そうな表情で、それだけを伝えた。
「………」
零は何かを言おうとして、それをやめた。かわりに美鈴の頭をポンポンと軽く叩く。
「たい焼きはまた今度な。俺、白あんこのやつが好きなんだ」
「うん。分かった」
あのね…、と続けようとして、美鈴はためらった。
それを聞いてしまったら、本当に零と別れなくてはならない気がしたからだ。
その事が、今の美鈴には何よりも怖い。一分一秒でも長く、この生活を続けたかった。
「じゃあな。出かける時は鍵をかけるんだぞ。それから、俺の部屋の押し入れには触らないように」
「ぷっ…」
思わず美鈴は笑った。そこに、零が初日に回収したエッチな漫画が隠してあるのを知っているからだ。
「そうそう。笑ってろ。お前さん、素直な笑顔だけは可愛いんだからな」
「うっさい。さっさと行きなさいよ」
「へ〜へ〜」
零はいつものように、飄々とした笑顔を残して出かけていった。
その日、美鈴は何をする気にもならず、ぼんやりと漫画など見て過ごした。
もし、この時に美鈴がテレビをつけていたら、
『…先月、H市で贋札を使い、ブランド品を数点買ったとして、T市内に住む三十代無職の夫婦が逮捕されました。いずれも容疑を否認しているとのことです。』
とか、
『先月のA市で起こった暴力団事務所における連続殺人事件の犯人の行方は、今だわかっておらず、警察は今後も捜査を続ける方針です』
などのニュースが見られたのだが。
…まあ、仮に美鈴がテレビをつけても、見るのはトレンディドラマか、アイドルの歌番組くらいなので、結局は知ることはなかっだろう。
「早く帰ってこないかな…」
今や何の違和感もなく零の部屋に馴染んでしまった美鈴。寝転びながら、なんだか無性にせつない想いを消しきれずにいた。