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シアワセなユメの色  作者: 幸せの黄色い鳥
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七月十日。加賀見美鈴(かがみ・みすず)鏡零(かがみ・れい)。はた迷惑な性悪小娘と、悲劇の美形男性の奇妙な共同生活は続いていた。


「…って、誰が性悪小娘よ!!それに、あんたのどこらが美形なのよ」


白いティーシャツに短パン姿の美鈴が、安い折りたたみテーブルを叩く。この男に色気を振りまいても全く無効と分かったので、実にラフな格好だ。


「騒ぐな、暑苦しい」


破れた座布団を枕にして、零はオンボロのテレビを見ている。破れたとか、ボロいとか、古いとか、持ち物に必ず貧乏に関する形容詞がつくのが、この男の特徴である。


「あんた、人のこと言えるカッコ?ずうっと長袖に長ズボンじゃない」


すると、やおら起き上がった零は真剣な表情で語り始めた。


「実はな…。俺の一族には古くからのしきたりがあってな。結婚する相手以外には、決して肌を見せてはいけないのじゃ」


「ごめん。可愛い女の子ならともかく、あんたが言うと、すんごく気色悪いんだけど。」


それを言った途端に、零は部屋の隅に移動して体育座りをしてしまう。目がジト目になり、口はへの字に曲がっている。要はすねているのだ。

美鈴は笑いながら近づいていった。


「はいはい。冗談だからいじけちゃダメよ〜」


よちよちと美鈴が頭を撫でてやると。


「あんパン食いたい」


と憮然たる顔で一言。


「うんうん。じゃあ、お昼に買いに行こっか」


子供に言い聞かせるように美鈴は話しかけた。ニヤリと笑う零。


「ふっ…。小娘なぞ、ちょろいもんだ。」


「なんか言った?」


「いえ。美鈴様。お供させて頂きます」


などという掛け合いができるくらいには、二人の中は近づいていた。


ただ、それでも美鈴にとって鏡零の生態は謎だらけだった。

予想通り、働いている様子はない。いつもあの長袖に長ズボン姿でゴロゴロしている。ゲームか漫画、あるいは食べ物を買いに行く以外は、全く家から出ないのだ。


…いや、例外はあった。携帯が鳴った時である。

一度目の新作ゲームの件で朝帰りしてきた後。四日ほどして、再度連絡が入ったのだ。

ちょうど、お昼を食べている時で、おかずは零が好きな唐揚げだったのだが。


「ま、まよちんの限定ポスターがもらえるらしいから行ってくる!!その食いかけの唐揚げ、お前にやるよ!!」


と言い残して、物凄い勢いで出ていったのだ。また午前様かなと思ったら、今度はぴったり二時間で帰ってきた。そして部屋の壁に、青い髪をしたセーラー服の美少女のポスターをニタニタ笑いながら貼り始めたのである。


「…ホント、その美少女キャラ好きなのね」


「当たり前だ。これこそ俺の理想だ。凛として、儚げで、慎ましやかで、しかも美しい…」


「はいはい」


耳タコが踊りまくるほど聞きあきた言葉なので、美鈴は軽く流したのだが、ふと違和感を覚えた。

零がいつも着ている白い長袖シャツが、違うものになっていたのだ。

形は同じだが、背中にあった小さなシミが無い。


「ねえ、前の服どうしたの?」


「前の服?何言ってんだ。俺はずっと同じ服だぞ。」


「だって、前の服にはシミがあったわ」


ぎく!!


明らかに零はたじろいだ。


「な、なななにを根拠にそんな言いがかりを…」


「なんで隠すの?ひょっとして」


「ひひひひょっとしないぞ…知らん。俺は何も知らん!!」


「エッチなお店に行ってたんでしょ。香水の匂いがついたから、着替えた」


ドテッ。今時、アナクロな効果音と共に、零はひっくり返った。


「別に気にすることないのに。男の生理現象でしょ。でも、よくそんなお金があったわね。ああ、そうか。その為に普段はケチケチ生活してるのか。なんだ、生身の女にも興味があるんじゃない。ちょっと安心したわ。」


「コイツがアホで助かったな…」


「なんか言った?」


「いいえ。美鈴様の慧眼には恐れ入りましてございまする」


零は、時代がかった、おちゃらけた土下座をして誤魔化した。…だが、もちろん美鈴は誤魔化されてはいなかった。普通の女に少しでも興味があるなら、これまでの美鈴の誘惑に乗らないはずがない。絶世とか、アイドル並みなどと自惚れてはいないが、これまで容姿で誉められたことはあれど、けなされたことは一度もないのだ。


『でも、なんでウソをつくのかしら。何かヤバい仕事でもしてるの?』


と思ったが、ピコピコとゲームをして喜んでいる呑気な姿を見る限り、それは無さそうだった。


「能ある鷹はツメ隠す〜。いい言葉だなぁ〜」


「うるさいわね。黙って遊びなさいよ」


「おま、人の部屋に入り込んどいて言うセリフか」


「おいしい三度の食事〜」


「なんぼでも、部屋にいて下さい。静かに遊ばさせて頂きます」


美鈴はくすくす笑いながら部屋に寝転がった。狭いけど、居心地のいい空間。そんなものがこの世にあるなんて、美鈴は思いもしなかった。

家も学校もホテルも高級車の車内も。男の劣情と欲望に満ちた澱んだ檻のようだったから。


『ずっとここにいたい……かも。』


そんなことをふと考えてしまった。だから、あえて追及はしなかった。追い出されるのが怖かったから。

瞳を閉じた美鈴に、零が静かな視線を向けていた。








ところで、世の中には勘違いという厄介なものが存在している。これが男女間の関係に絡むと、大抵の場合化学変化を起こして、ややこしい事態に発展する。

一度関係を持てば、その人間は自分の物だと錯覚するような事例も、その一つである。


十八歳になったばかりの加賀見美鈴には、この時点で五十人を超える多彩な男性遍歴があった。

金銭がらみの付き合いがほとんどだが、その中の一人が金にあかせて調査した結果、美鈴が零のアパートに居候していることを突き止めたのだ。

その男はかなり大きな中古車販売会社の社長で、名を西川という。暴走族上がりの暴力団崩れの粗暴な男だったので、報酬をふんだくった後で美鈴はすぐに姿をくらました。だが、西川は美鈴との関係が忘れられずに探し続けていたのだ(ある意味魔性の女)。


オンボロのアパートの玄関ドアが荒々しく叩かれたのは、七月十二日、早朝のことである。


「なんだよ、ありゃ…」


零が寝癖のついた髪をなでつけながら、廊下の窓の外から様子を眺めた。

二十代前半くらいの男が三人。中央の男は茶髪を長くして、背中で束ねたホスト風。その両側にいるのは、やたらに筋肉質のゴツい茶髪と金髪の男だった。


「やば…」


零の後ろから覗き込んだ美鈴は、すぐに頭を引っ込めた。


「お前の知り合いか?」


「というか、昔の客の一人よ。」


「コラア!!美鈴!!いんのは、分かってんだよ。出てこいや!!」


野卑な罵声が爽やかな朝の空気をぶち壊す。


「なんか、怒ってんぞ。あの男。お前、なにやらかしたんだ?」


「一回で十万もくれるって言うから、上客だって思って付き合ったの。そしたらさ。それで愛人契約したとか言い出して。あんまりしつこいから、逃げ出しちゃった」


「要するにお前さんの自業自得か。ふわ〜あ。」


零は大きな欠伸を一つすると、右手を差し出した。


「なに?この手は」


「十万円。あの男に返す金だ。金を返せば、向こうの愛人云々の言い分も通らないだろ」


「いやよ。未成年者の私としたんだから、あいつも犯罪者じゃない」


「アホか。拉致られて無理矢理されたならともかく、自分の意思でして、しかも金までもらったならお前も同罪だろうが。」


「う〜」


美鈴は渋々ながら、十万円を零に渡した。


「こんだけバイトで稼ごうと思ったらな。一日九時間は働いて、半月はかかるんだ。色んなクソッタレな理不尽を我慢してな。そのへん、よく考えとけ」


いつになく真剣な口調で言うと、零は階段を降りていった。


「テメーか、オレの美鈴に手え出した間男は」


西川という男は、低い声で凄む。取り巻きのゴツい男二人も、鋭い視線を突き刺すが、零は特に気にした様子もなく、十枚の高額紙幣を差し出した。


「これ、返すな。それで愛人云々はチャラにして、さっさと帰ってくれ。」


一瞬の沈黙の後に。


「舐めてんじゃねーぞ、テメエっ!!」


二階の廊下から見ていた美鈴が予想した通り、西川は激怒した。この男のキレ易さはよく知っている。


「やかましい男だな。あんたも未成年者と淫行してたんだから、文句は言えんだろ。」


「…おい。大ケガする前に謝っとけ。オレは、加減を知らんからな」


「………」


西川の恫喝に零は肩をすくめると、アパートの中に引っ込んだ。男たちは零がビビったなどと下品な笑い声を上げていたが、ほどなく零はまた姿を現した。

右手に大きなビール瓶を持って。


「あ?なんだよ。それで、オレらを殴ろうってか」


西川はアゴを上げてせせら笑った。


「いやいや。こないだスーパーで景品でもらったビールなんだけど、俺は飲まないからさ。これをおまけにつけるから、さっさと帰ってくれんかな?」


飄々とした言葉に、さすがにあっけにとられる三人。またも怒号が飛び出す寸前に、今度は零が動いた。


パシュッッ!!


左手に持ったビール瓶を、零の右手刀が水平に薙ぎ払う。上から見ていた美鈴にも、その動きははっきりと見えなかった。まばたき一つの後に、ビール瓶の首は飛んでおり、中から盛大に泡が吹き出していた。


「ま、こんな真似もできるわけだが、どうする?ここから救急車に乗って帰るのか、十万円取り返して元気に帰るか。俺は後者を薦めるがね」


「………」


西川とその取り巻きの男は明らかに引いていた。

中身の入ったビール瓶の首を、さして力も入れた様子もなく素手で切断したことへの驚きはある。だがそれ以上に、零のまるで物怖じしない態度に不気味さを覚えたからだ。


「テメー。これで終わりと思うなよ。こっちは、こえー人間との付き合いがあんだよ。オレの後輩連中も山ほどな。今度は、そいつらと…」


一緒に来てやるからな、という言葉は言えなかった。零が何の前触れもなく近づいてきて、西川の尻ポケットの長財布を引っ張りだしたからだ。

あまりに唐突な行動だったので、全員が身動き一つできなかった。


「ほうほう。二つ隣の県に住んでるのか。名前は西川竜一。強そうな名前だな。俺よりも遥かに年下なのに、会社の社長とは立派なもんだ。」


免許証やら名刺やらを勝手に調べて、一人で頷くと、零は財布を西川のポケットに戻した。


「はい、ごくろうさん。帰っていいぞ。けど、二度と来るなよ。」


そこでようやく我に返った西川は、怒気を爆発させた。


「ああ!?ここまで舐められて、引っ込みがつくと思ってんのか。二、三日中に絶対にテメーさらってやるからな!!」


それを上で聞いていた美鈴は、それが脅しではないと確信して青ざめた。実際に西川は暴力団とも繋がりがあり、地元の不良少年グループの兄貴分のような存在でもあるからだ。気に入らないやつに、集団リンチを何度も加えたことを自慢げに話していた。

そのへんの粗暴さと幼稚さに嫌気がさして、早々に逃げ出したのだ。


『私が行かないと、あいつホントにやられちゃう!!』


美鈴は慌てて階段を降りようとした。


「ストーップ!!」


いきなりな零の大声に、美鈴の足は止まる。明らかに自分に向けた言葉なのは分かった。

ついでに、関係ない西川たちまで一歩下がっていた。


「なあ。西川とかいったか?あんた社長だろ。若いし顔はいいし金はあるし、人生楽しいだろ。」


「…あ?」


腰が完全に引けていた西川は、やっとその一言だけを答えた。零は構わずに言葉を続ける。


「俺はな〜んにも無いわけよ。だから、この場でお前らをギッタギタの皆殺しにして死刑になっても、お前の会社や家にガソリンぶちまけて自爆しても、ぜんっぜん構わないんだわ。俺の言ってる意味、分かるか?」


「……………」


言葉だけなら、単純な脅し文句である。そんなもので怯む男たちではない。

だが、西川たちを見据える眼光の凄まじさは、異様なまでの狂気と殺気に満ちており、一切の反論を許さなかった。


「ああ、もう生きるのも面倒になってきたなぁ〜。もう、いいや。お前ら殺した後で、家族もろとも派手に燃やしてやろう」


危険な光を瞳にちらつかせながら、零が一歩前に足を踏み出した。それが西川たちの虚勢を打ち砕く実質のとどめとなった。


「わ、わかった。金はいらねぇ…。美鈴にも、ここにも近づかねぇよ。」


呻くように西川は声を絞り出した。心臓を鷲掴みにされているような、圧倒的な恐怖。それは連れの二人も同様である。それは一度だけ会ったことのある、広域暴力団の大幹部の雰囲気に似ていた。武闘派で有名で人斬りの異名を持っていた男だ。


「なら、帰れ。お前の家と会社の住所は覚えた。今度見かけたら、本気で吹き飛ばすぞ」


零は近づくと、怯えている西川の胸ポケットに紙幣を押し込んだ。


「金は返した。行け」


「は、はいっ。失礼しました」


思わず敬語にならざるを得ない威圧感。この男の正体を知りたいという思いが西川の頭をちらりとかすめたが、恐怖はそれよりも大きかった。そして三人は足早にその場を立ち去ったのである。


「………」


零は無言でそれを見送った後に、美鈴の待つ二階に戻ってきた。あの真剣な表情で。一部始終をしっかりと見ていた美鈴は、高鳴る胸を押さえながら自分を命がけで守ってくれた彼を迎える。


「あ、ありがとう…。庇ってくれて。」


「………」


だが、零は無言のまま立っている。その体が、何やら小刻みに震えているのが分かった。


「どうしたの?」


「ぷっ…くくくっ…」


「?」


訝しむ美鈴が軽く首をかしげると。


「あーっははははは!!ワハハアハハハ!!ひーっひっひっひ!!あ、アホだ、あいつら…」


いきなり笑いを爆発させる零。もちろん、美鈴は唖然となる。


「ビール瓶は仕込みがしてあって、軽く叩いたら折れるようになってんのに、真に受けやがってさ。おかげで後のハッタリが簡単にかかることかかること。チョロいもんだ。ひーっひっひっひ…」


零は廊下で転がりながら笑い続けている。だが、美鈴は笑わなかった。


『あんなヤクザまがいの奴らを相手に全然怖がらないで、そんなお遊びができるって。どう考えてもおかしいわ。それに…』


美鈴は窓から玄関口を見下ろした。零が手刀で切ったビール瓶は既に片づけられている。


『瓶に細工してたって言うけど、少なくとも私が見ている間はしていなかったわ…。仮に外から持ち込んだとしても、なんでそんなものを作っておく必要があるの?』


笑い転げる零を前に、謎は深まるばかりだった。


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