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木造二階建て。築年数は不明の超低級アパート。一階二階共に六部屋ずつ。うち一部屋はシャワールーム。洗濯機は外置きで共同。トイレも一、二階にそれぞれあり、これも共同である。
加賀見美鈴は年代物の黒っぽい木造の壁をしみじみと見上げて、謎の中年男、鏡零に話しかけた。
「あのさ〜おじさん」
「なんだ?」
「これで2500円取る気なの?」
それを聞いた零はフンと鼻を鳴らした。
「腐れ警察に職質されず、クソ親にも見つからずに潜伏できるんだ。安いもんだろう。トイレは共同だが、なんと各階にシャワー室があるんだぞ」
「…へ〜」
もはや突っ込みを入れる気にもならない。
カプセルホテルのほうがマシな気もするが、今さら宿を探すのも面倒だ。それに確かに警察に補導されるのもウザったい。第一、今日は疲れた。一晩くらいなら我慢できるだろう。
そう思って中に入ったのだが…。
「へえ。中はわりと普通なのね。」
古い建物だが、それなりに綺麗に掃除はされていた。ただ、人の気配がまるでない。
「住んでる人いないの?」
「ああ。俺だけ」
「ふうん」
美鈴はちょっと考えた。
やっぱりやめようかな〜。いや、こいつが変質者だったら、すぐに逃げたらいいだけのことか。バカそうだから、いくらでも騙しはききそうだし。
「…おい。」
「へ?」
「誰が変質者だって?」
「なんで考えたことが分かるの!?」
「やっぱりそうか、このクソガキめ。お前の目がそう言ってるんだよ」
「…………」
またカマかけに引っ掛かった美鈴は、憮然たる顔である。それを見て零はまたけらけら笑った。
『も〜、許さない。ぜえったいに私にメロメロにさせて、色々むしってやるんだから。』
美鈴は固く誓いながら、階段を上がって、すぐ右にある男の部屋に入った。四畳半一間の畳の和室だ。向かって正面には窓があり、台所兼洗面所になっている。
左には押し入れ。そして2ドア冷蔵庫。折り畳みテーブルが右の壁際にあり、古そうなテレビとゲーム機が置いてあった。
後は部屋の右奥の本棚に、たくさんの漫画やゲームの攻略本。モロにオタクである。まあ、ファッションからなんとなく予想はしていたが…。
それはともかく、ちゃんとエアコンまでついているのが意外だった。
「向かいの部屋も同じ間取りで、エアコンもついているから、そこを好きに使え。布団は新品のが転がってる」
「別におじさんと一緒でもいいんだけど〜」
甘えた声ですりよるも、
「えーい暑苦しいから寄るでないわ」
などと、すげなくあしらわれた。
『ほんと、コイツおかしいわ。もしかして、ゲイなのかしら?』
また読まれるかもと思ったら、どんぴしゃ。
「いいや。女は好きだぞ。ただし」
零は壁に貼られたゲームキャラのポスターをビシッと指さした。青い髪をした女子高生の美少女キャラが微笑んでいる。
「二次元にしか興味がないだけだ。まよちん、サイコー」
「あっそ…」
美鈴は納得した。そりゃ、生身の自分がいくら誘惑しても乗らないわけだ。
とりあえず美鈴は、向かいの部屋に入った。
掃除はしてあり、思ったよりも綺麗。ただ、ゲームの攻略本や漫画が部屋の隅に山と積まれている。
…中には、エッチな漫画なども。
「こんなの見るくらいなら、ホントの女の子と付き合えばいいのに」
パラパラとページをめくっていると、ガラッと引き戸が開いて、エッチな漫画をひったくられた。
「こらっ。子供が見るもんじゃない」
そして零は、本の山に隠してあったエッチな本をこそこそと全て回収して、出ていった。
「変な男だなぁ…」
美鈴はころんと畳に寝転がって、エアコンをつけた。音は少し大きいが、ちゃんと涼しい。
そして山のようにある漫画から、適当に一冊を取り出して読み始めた。3つ目の不老不死の女の子が主人公の漫画だった。三冊あたりで寝てしまった。
「お〜い。メシ食わんのか〜」
ドアの外からバカっぽい男の声が聞こえて、美鈴は目を覚ました。もう、部屋は真っ暗だ。昭和チックな照明をつけて、欠伸を一つ。そういえば、お腹が空いているのに気づいた。
向かいの男の部屋に入ってみると、ちゃぶ台の上にシーチキンの缶詰めが2つ。後はパックのメカブが2つ並んでいる。
「…ナニコレ?」
「今日の晩飯のおかずだ。シーチキンにマヨネーズをかけると、ドンブリ二杯はいけるぞ」
五合炊きの電子ジャーからご飯を大盛りにして、せかせかと食べ始める男。
「心配するな。ちゃんと飯代込みの家賃にしてやる。白いご飯は食い放題だぞ、はっはっは」
「ちょ、ご飯つぶが飛んだじゃない!!」
ほっぺを押さえて、美鈴は抗議する。
「おお、すまん」
「まったく…。」
美鈴は、ぱくっとそのご飯つぶを食べた。零は意外そうな顔で見ている。
『しまった!?つい、いつもの癖で。』
ほら、よくあるだろう。女の子が好きな男の子のご飯つぶをとってあげて、食べるシーン。メジャーだが、好感度アップには効果的なので、美鈴は大人の交際の時にもこの作戦を多用していた。
美鈴はちらりと零の顔をうかがった。だが、零は別に喜ぶ様子もなく、飯を食うのを再開する。
『ほんっとに、生身には興味ないのね』
そして美鈴は、用意された茶碗に自分もご飯をよそって食べ始めた。
「あっちの部屋で食ってもいいぞ。差し向かいで食うと気を使うだろ」
「いいよ。私は慣れてるから」
「いや、俺が気を使うんだが…」
ぷちっとキレる美鈴。
「男のクセにいちいち、うるさいわね!!」
「どわ!!ご飯つぶ飛んだあっ!!」
しばしドタバタ。しかるのちに落ち着いて食事再開。
「…おじさん、料理できないの?」
「焦げた卵焼きくらいしか作れん。お前は?」
「できるわけないじゃない…。コンビニ弁当で育ったのよ、私」
「ほ〜豪勢だな」
「どこがよ!!」
どんだけ貧乏っちいのだろう、この男は。などと考えると、やはりすぐに答えが返ってきた。
「飯に使う金があるなら漫画とゲームに使うわい」
「はいはい、そうでしょうね〜。おかわり」
「自分でつげ、アホ!!」
「あははははっ」
美鈴は笑った。作り笑いじゃなくて、素直に笑ったのなんかいつ以来だろう?
たぶん、ここ数年では初めてだと思う。
…こんな珍しい献立?の夕食も初めてだが。そして粗末ながら楽しい夕食は終わった。
何やら零が右手をブラブラさせて、準備運動している。
「何やってんの?」
「ほい、ジャンケンだ」
「え?」
「負けた方が食器を洗う。勝ったら、それを眺めながら優雅に麦茶を飲めるぞ。」
「いいよ。私が洗うからさ。」
美鈴は笑って、食器を小さな流し台に運んで洗い始めた。
「なんだ、つまらん。お前が悔しがるのを見たかったのに」
「…おじさんさ。女にウザいとか言われたことない?」
「頻繁にある。世の中、変な女が多いからな」
零は穴の開いたザブトンを枕にして、テレビを見ている。典型的なダメ男の図である。
美鈴は、ほどなく食器を洗い終わり、零の隣スレスレをわざと歩いた。スカートの中がチラリと見える微妙な角度だ。大抵の男はこれに引っかかる。
思い通り、零はひょいと顔を向けた。
悩殺チャンス!!
美鈴は扇風機の風にふわりとスカートを舞わせた。
チラリとピンクの下着が見えたはずだ。
「おい」
「なぁに?」
艶っぽい(と本人は思っている)笑みを零に向ける。実際、これで落とした男は十人は下らない。
だが、しかし。
「扇風機の風が当たらんからどいてくれ」
「……ああ、そう!!」
美鈴は足音も荒く零の部屋を出たのだった。
この時点で、ほぼ見切りを付けていたのだが、その日の深夜の事。
「…………」
何となく眠れずに天井を眺めていると、美鈴の部屋のドアがそっと開けられたのである。
「…っ!?」
正直、美鈴は驚いた。泥棒かと思ったが、足音はごく短かった。つまり、侵入者は前の部屋からやって来たのだ。
それが意味するのは。
『な〜んだ…。やっぱりコイツも他の男とおんなじか…。』
美鈴は近づいてくる零の気配を感じながら、妙に冷めた気分を味わっていた。
目論見が成功した達成感はある。だが、何となく、来て欲しくない思いが頭のどこかにあった。その日の夕食は、久しぶりに本音で笑えたから。
『ま、いっか…。そのお礼ってことで、一回くらいはさせてあげても。別にこの人、嫌いじゃないし』
それでも、なぜか寂しい気持ちは拭えなかった。
そして零の手が布団にかかるのが分かった。
…ただし、上ではなく下の布団に。
『なに?』
美鈴が寝たフリをしていると、零は敷き布団をゆっくりと引きずった。
「よっこらしょと。重てぇガキだな、おい。お〜あったあった。まよちん、ごめんな〜。こんなデカイ尻に敷かれて可哀想に」
何やら一冊の本を布団の下から引っ張り出して、頬擦りをしながら出ていってしまった。
『なっ、なんなのよ、あの男はーーっっ!!』
美鈴は心の中で絶叫するのであった。




