捕縛のブラックサーカス団
おき―――て―――ね―――しっか―――
「…………」
……どこか遠くの方から声が聞こえて来る。
不鮮明な言葉で聞き取りづらいが恐らく『起きろ』『しっかりしろ』と言っているのか少しだけ早口の怒声。それに対して反応する僕の身体はまるで自分のものじゃないかのように、重く、鈍く、瞼を開ける事すら億劫に感じる。
怠い全身、もっと休んでいたいという誘惑により、声だけでなく身体を揺らしてくる『誰か』に対しわずらわしさばかりが募っていった。
――お――しっ――し――おき―――
「あ、ぁあ……」
小さく口から漏らし。
――っ、起きた――
「うるさい……オマ……」
力尽きる。
―――――――――
どうせ大した用事であるはずがない。
耳に聞こえてくるのは同世代の高めの声、きっと今は授業休みか昼休憩か。僕は疲れているんだから大した用事で起こしてなんて欲しくない、僕を揺り起こすというならもっと大事な時に……
――ふんぬ!
「ぐぇあっ」
突如、下腹部を襲った強い衝撃に体がくの字に折れ曲がる。芯まで響く圧迫感、窮屈な肺が酸素を求めて口は開かせ同時に見開いた目に黒い影が写った。
「……起きたか」
「イヅヅ……ぇ?」
黒い影……シャイニングブラックは何故か自分を見下ろし仁王立ちに立っていた。
……………。
「……」
状況を整理しよう。
先ず落ち着いて考えるべきだがどうやら僕は閉じ込められたらしい、それも鍵付きの人工的な密室に放り込まれたという訳ではなく原始的に瓦礫と残骸とに取り囲まれた出口の無い生き埋め状態、扉など無く開けてくれる人間などいない。
「……」
頭の重さに手を添えると大量の砂を髪に被っていた、軽く払い落としながらも目に写る光景は縦2メートル横3メートル、斜めに走った線に区切られた狭い空間。剥き出しのボルトが顔を覗かせ折れた鉄筋が残骸の中から突き出ている……手狭なこの空間を構築するのはどうやら工場天井部のコンクリートの成れの果てが主であり、分厚い破片に混じり元天窓の一部が床に転がっている。
「あー、これは……」
……完全に生き埋めですね。
名実共にお先真っ暗な状態であるが、微かな光が部屋を照らしてくれているのが数少ない僥倖だ。ジジ、ジジジジと衣擦れのような耳に届く音、床を濡らす冷却水の水溜まりの上に浮かび上がる折れた筐体、瓦礫を一身にその身で受けた壊れた自動販売機が僅かに光を漏らしている。
恐らくは光源としてだけでなく僕とブラックを飛散物から守る役目も果たしてくれたのだろう……割とギリギリの距離に一歩間違えばペシャンコだった事を思い仮面の下で僕は苦い笑みを浮かべた。
「落ち着いたか?」
「まぁ……」
僕と同じく生き埋めになった人物、シャイニングブラックは変わらぬボイスチェンジャー越しの人工的な声を漏らす……この声をさっきは同学と勘違いしたのか、自分の頭も随分参っているようだった。
「少しは落ち着いた、かと」
「そうか……」
短い返答に、僕とシャイニングブラックの会話は終了する。
生き埋め状態の狭い空間とはいえ限界まで距離を離した場所で体育座りをしている黒い姿……半壊の自販機の光に浮かび上がる姿は相変わらずヌラヌラのテカテカであり、向こうから近付いて来ない事は精神的にちょっと優しい。
記憶の中では瓦礫に巻き込まれるその直前に爆発に巻き込まれ投げ出されるブラックの姿を見た気がしたが……座り込むブラックのスーツには傷一つ埃一つ付いいない。まさかあの自然発光するスーツには自動クリーニング装置でも付いているのか無事とはいえ割と泥だらけの自分のタキシードや仮面と比べるとやはり明確な格差を感じてしまう。
「……あ」
「……爆音、外では戦ってるん……ですかね」
「だろうね」
「戦闘の余波でここが崩れなきゃいいんだ……ですけど」
「……そう、だな」
「……」
「……」
会話が、続かない。
今ひとつ計り切れない敵対ヒーローとの距離感、スーツの見た目から成人男性と想定し一応の敬語だけは使っておく。
周囲を固められた瓦礫の中にそれらしい出口は見れないが、代わりに時折聞こえて来る音はあった。
何かが爆発するような重い音と壁越しの遠くの人の掛け声、爆発の揺れる振動が響くと音に合わせて頭上から砂埃が振り、飛び出した鉄筋が微かに揺れる……外では未だに戦闘が続いているのか、既に逃走を決め込んだカニ彦さん達が戦いを継続するとは思えないので今の戦闘は『シャイニングファイブVS謎のマシン』か。余り派手な事をされるとここが崩れそうで怖くなるが、それでも過度な恐怖は感じない。
隣に天下無敵のヒーローが居るという事もあるがきっと僕の中に明確な助かる見込みがあったからだろう。
こんな場合にふてぶてしく瓦礫に背中を預ける僕とは反対にやたらと沈み込んでやまないのはブラックの方。体育座りをした膝の上に頭を埋めしきりとうわごとのような呟きが聞こえて来るのがちょっと怖い……少しお金を掛けた程度の戦闘員服の自分に比べアンタはその謎スーツのおかげで不安はないだろうと言ってやりたいが余計な反感を買うとこの場で成敗でもさそうなのでやめておく。
「……すまない」
不意に、明確な言葉でブラックから掛けられる声。
「ん?」
「その」
「?」
「……なんでもない」
反応する自分も顔を上げるが、すぐに押し黙って消えてしまう。
外の音が伝わらなければ静かな生き埋めの中、向けた顔に表情の全く見えない黒いヘルメットの向こう側、仮想の視線と幾度か絡み合うが目を合わすとすぐに反らされてしまう。
何もなく右を向くブラック、左を向くブラック、左右を連続して向き、最後には頭を抱えるブラック……忙しない様子を面白半分に見つめていると、やがて小さく吐き出される息と共に大きく頷き瓦礫の中にスっと黒い影が立ち上がる。
「待ってて、今すぐ何とかするから」
「え?」
「大丈夫、私を信じて欲しい」
立ち上がりこちらを見て、ハッキリと告げられる強気な言葉……に、僕はなんとなく嫌な予感を感じ止めようとするがそれより先にブラックは瓦礫の壁へと向かっていく。
動ける空間はあると言っても所詮は狭い部屋の中だ。ブラックの勢いある足取りは数歩進んだだけで終わりを迎えたが彼の行動はそれに留まらず構える右手を腰だめに止め、微かに開いた左手を壁に添える。
……余談であるがシャイニングファイブの五人にはそれぞれ特有の武器がある、カニ彦さんと戦ったレッドの大剣がそれであるが、その中で唯一ブラックだけには武器がない。ブラックにとっての唯一武器と言えるのはこの世に無二とない己の腕、戦闘となればその腕力で相手戦闘員を殴り、相手戦闘員を叩き、相手戦闘員を地に伏せる、そんな凶悪な兵器へと早変わりするのである……ちなみにこの場合の相手戦闘員は全て僕だ。恐ろしい。
「はぁあああ……」
何をするつもりなのか漏れ聞こえて来る呼吸の音、見守るその先でブラックの身に不思議な事が起こった。
腰だめに構えた右腕が紫色の光を放ち出し、ブラックの全身をどす黒いオーラが覆い始めたのだ……今まで戦闘していた中でも見た事のなかった凶悪な変化。
単純な見た目はこれから暗黒面に落ち行こうとしている元正義の味方にしか見えなかったが握り拳の放つ光が徐々に強く、やがて最大限に達した時僕の嫌な予感は現実のものとなる。
「爆ぜろおおお!」
閉所に響く裂帛の気合、溢れ出る凶暴な光、叩き付けられる拳!
「やめてえええ!」
悲痛な叫び、零れる涙、屈み込み頭を押さえる両手!
ブラックの拳が残骸の壁へと吸い込まれ触れた瞬間、大きな音と共に猛烈な振動が辺りを揺らし。
「……ぁ」
ギリギリで固定されていた頭上の瓦礫がブラックの頭へと降り注いで行った。
「……」
「いや、あの、失敗って誰にでもありますし」
「……しゅん」
「その、頑張ろうとした心意気自体は全くもって素晴らしいかと」
「……う、うぅぅ」
「じゃ、じゃけんふぁいとぉ!」
先程よりもより隅により遠くに、今や瓦礫の一部に溶け込むような場所でブラックは膝を抱えて座っている。
いや、止められなかった僕にも悪い部分はあると思うが、こんな閉鎖空間であれはないだろう……ブラックの所業により狭かった空間は更に三分の一程瓦礫に埋もれ、立ち上る砂煙に閉所恐怖症の人間にとってまるで生き地獄のような環境に変わっている。それでもやはり傷一つなく直に落下物を受けた割にケロッとしている辺りさすがのヒーローという所だが、それを言った所できっと更に落ち込む所だろう。それだけはなんとなく分かった。
「すまない」
「いやぁ」
「ごめんなさい」
「大丈夫ですから」
「信じてとか言っておいて、うぅ」
「元から信じてなかったですし平気です!」
「……う、うわあああ」
「あ」
本当に、これが成人男性なのだろうか。今の僕にはブラックがとても駄目な子供に見えて仕方ない。
「やっぱ私ってダメ」
僕の心でも読み取ったのかブラックは呟き、フルフェイスのヘルメットを畳んだ膝の中に埋没させていく。
「正義のヒーロー、失格だよね」
「はぁ……」
「私、わたし、は……」
「……どうすりゃいいの」
さっきとは別の意味で覆っていくブラックの黒いオーラ。本気で落ち込んでいる様子に明るく茶化す事も下手な慰めをする事が出来ずに静かに見守る事しか出来ない。
「分かってたんだ、私は人気ないし」
「……」
……見た目の色と質感がGですから。
「自分から進んで話しかけられないし」
「……」
……ブラックって実は引きこもりか何かなのだろうか。
「大した事が出来る訳でもないのに」
「……」
……散々、人を倒しておいて何を。
「今まで努力は続け来たのに……」
「……」
……。
「期待は、してもらってたはずなのに……まさか敵対する悪の組織を巻き込んで、こんな様」
「ん?」
……巻き込む?
「……」
そこまで聞いて思い出す。
確かに、空中に投げ出されるブラックの姿は見えはしたがあの時本当に意識までなかったんだろうか。
何故か着地する前に減速したように見えたし、少なくとも瓦礫に生き埋めになって先に気が付いたのは間違いなくブラックだ……もしかして、そもそも僕と違って気絶すらしていなかったかも知れない。
だとしたらどう思うか、下手を打って投げ出された自分、眼下に写る自分へと駆け寄ろうとする敵の姿……あの時、明確な声を上げるような事はしなかったはずだがその身になった者なら自ずと想像付くだろう。ましてや、何度か向かい合った敵仲だ、全く見ず知らずな訳でもない。
「すまない」
ブラックは謝った。
「私がもっとしっかりとしていれば、ごめんなさい」
続けて、ブラックは謝った。
何度か聞いた代わり映えない言葉、影を落とすブラックの仕草に微かにカニ彦さんの姿が重なって見える。きっと本当に真面目で律儀な性格なのだろう、だからこそ余計な責任を感じる。
……昔、誰かが言ったのを聞いた事がある。『正義=悪』であると。
別に難しい意味の言葉じゃない、正義の味方の心の中に悪が住んでいるとか偽善なんて所詮と大したものじゃないとかそんな高尚な言葉ではない。
例えば『僕=悪』
例えば『ブラック=正義』
それは『僕=人間』
それは『ブラック=人間』
そして『正義=悪』
大した事じゃないだろう。単なる冗談めいた洒落に過ぎない。
「私が、私がしっかりしていればこんな……」
「ふぅ、待った待った」
いつまでも続きそうな愚痴になんだか長くなりそうなのでブラックの言葉を止める。寄りかかる壁から背を離し、尻に付いた埃を自分で叩く。単純に尻や背中だけじゃなくて全身の至る所に埃を被ってしまっているので払っても払ってもキリがない。
「シャイニングブラックのせいじゃ、と言ってもしょうがないから僕がやる」
「……え?」
首を傾げるブラックを見てタキシードの中の道具を確認する。
謎の正義スーツと比べると玩具のようなものだがこれでも一応戦闘員服には金を掛けているブラックサーカス産だ。見た目以上の機能性を有し頑丈さや柔軟性も意外と高い、そして逃走時の常套手段、見た目からは計り知れないかなりの収納スペースの中に色々な道具をしまっている。
ちなみに仮面は本当にただの仮面、単なるオシャレアイテムとして着用を義務付けられている。
「何を……戦闘員」
「はは」
ブラックに呼ばれ、そう言えば僕には大した固有名詞がない事を思い出す。
本当は首領であるがただの人、シャイニングファイブのような色の付いた名前も、カニ彦さんの見た目から分かる怪人らしさもない。
極めて平凡で他に二人も居る一般戦闘員。きっと何かをやると言われてもブラックには想像も付かない事だろう、自分より遥かに弱い、何度も倒している相手にこんな状況で出来る事なんてあるのか。
「うん」
――ハッキリ言おう、ない。
「まぁ、見てろって」
パラパラと頭上から落ちてくる砂の山。ちょっと触れただけでも崩壊しそう壁を見て勢い込んで大きく頷く。
腕を捲くり肩を回し、仮面をしているので意味はないのだが両手に向かって唾を吐き掛けるポーズだけを取り瓦礫に向かって数歩。
何も出来ないが逆に大して意味のない事は僕にとっての得意分野で。
「アダッ」
「え?」
歩く途中、通路を塞ぐ『見えない壁』にぶち当たり僕は大きく首を仰け反った。