襲撃のブラックサーカス団
時刻は【18:30】。
夕暮れの赤い炎は西に消え、眩しい光が主役を飾っていた昼の時間が終わりを迎えると次にやって来るのは暗い夜……明かりは少なく暗い闇に不安を掻き立てられるこの時間帯は正しく悪の組織にとって最も輝く時間とも言える。
今夜ブラックサーカス団で計画されたのは薬品工場への侵入。近隣海域への薬品不法投棄の証拠を世間に露呈させつつ、ついでにちょっと団の運営資金をちょろまかす。非常にハイリスクハイリターンな計画だったが意外と呆気ないセキュリティーも相まって内部への侵入は無事成功し、今僕ら四人は広い工場内で高らかと声を上げている。
「な、なんなんじゃあアリャァ!」
「なんでしょうねーっ!」
「やばいやばいやばいやばい絶対ヤバイ」
「うわあああん」
……高らかというより、傍から聞けばただの絶叫に過ぎなかったかもしれないけれど。
結果から言えば工場侵入は大失敗。
誰かがミスをしてバレたとかそんな簡単な理由ではなくむしろ始めから待ち伏せされていたと思った方が間違いない。
隠れて侵入したはずの僕等を迎えてくれたのは突き付けられる十数の銃口、マシンガンを構える黒服の男達が一斉に影から飛び出し、走る銃弾とマズルフラッシュによって明るい嵐が巻き起こった。
それでも一応は僕達ブラックサーカス団も悪の組織の一端である。単なる銃弾だけなら問題にならず、怪人であるカニ彦さんを盾代わりにしてその場から即時反転してみせたのだが……その後途方もないものまで工場内に姿を現した。
黒い影の中を流れるモーターの駆動音、軋む機械の物音と一歩『進む』毎に踏み抜かれていくコンクリート床。
ちょっとやばい兵器の登場に逃走する足にも力がこもるというものだ。
「こっち、一応生身って説明してもらってくれませんかねぇ!」
「話し全然聞く様子ないだろ、むしろ機械だろアレ」
「まぁ見た目はそうですけど」
「ッ……よし!」
「カニ彦さん?」
出口を求めて逃げ惑う道中の中、並走をしながら進んでいたカニ彦さんがその場で足を止め、右手の鋏を向けながら振り返る。「いくぞ」と小さな掛け声の後に鋏の中に灯っていく桃色の光。何も無かった空中に川の流れのような光の帯が生まれ、それを目にした長田さんが笑みを浮かべ拳を振り上げる。
「出たぁ! カニ彦さんの十八番!」
「……いやそれより今は早く逃げるべきじゃ?」
「死にたくないい、ぼくは死にたくないよおお」
「ふっ、見てろよ!」
カニ彦さんに向かって声を上げるのは上から沸き立つ長田さん、諦めに近い僕、涙する松井戸くん。
それぞれの視線を甲殻で出来た背中に受け少しだけ振り返るとこちらに向かって笑を覗かせる。宙を漂うピンクの光は徐々に徐々に大きくなって、その全てがカニ彦さんの鋏の中へと吸収されて一つの形になっていく。
怪人化された人物はその容姿以外に特別な『力』を持つようになる。かつての異界からの侵略に既存の世界の兵力が全く歯が立たなかったのもこの力が主な原因だ。常識の追い付かない不可思議な光の集約は今や目に眩しい程に光り輝く。狙い澄ませるのは背後から追い立ててくる機械群。
膨れ上がる目に悪い桃色の光は発射のタイミングを今か今かと待ち続け……ついにその輝きが最高潮へと達した時、カニ彦さん自身の口からトリガーとなる言葉が綴られる。
「くらえ、必殺! カニ、光、線ッ!」
「カニ彦さーん、きゃーー」
「…………」
「おおおおお」
いや、違うんです。『蟹工船』ではなくあくまで『カニ光線』です。
脱力しそうになるそのネーミングも長田さんフィルターを通すと格好よく聞こえて来るのか、野太い男の声援が漏れる中を桃色の光の弾丸が疾駆する。夜闇を引き裂くその光は目にも止まらぬ内に目標へと喰らい付き着弾、爆発。
光弾と同じ桃色の煙を巻き上がり、銀色の機械は甲高い金属音を上げて煙幕に飲まれて消えていった。
「ふ」
漏れる含み笑い、こちらに向き直り弾丸を発射した鋏をカシャカシャ動かして見せるカニ彦さんはとても嬉しそうで。まるで勝利を確信したような声で言ってはいけない一言を口にする。
「やったぜ!」
「あ」
何となく負けオーラ漂うその一言に猛烈なやってない感が僕の中では巻き起こっていた。
「あのカニ彦さん、それ……」
「やったぜぇい。さすがカニ彦さん!」
「いや、あの……」
「やったあああ、生き残ったぁあああ」
「あ……うん」
「ふっふっふ、まぁ軽くな」
「……はい」
それ以上はいけない。
そう警戒の声を上げたいが本人が結構嬉しそうなので僕には言えない……しかしこの世にはある意味約束された不文律というものが存在する。古今東西種類様々、色々なお約束の中の一つにこういうものがある。
「……あ」
曰く勝利を確信して高笑う悪役は、大抵の場合そうはいかなくなる。
目に見えない不文律は今回も健在であるようで、桃色の煙の向こうから確かに聞こえて来る機械の駆動音。
工場の壁を瓦礫へと変える大きな音、余波で生まれる衝撃と風によって次第に桃色のベールは引き剥がされていき……奥から現れたのは全くお変わりない傷一つない金属の身体。鋭い脚の爪。人の呼気を何十倍にも変えたような空気の音が溢れる。
個人的には予想通りの結果だったが余りの出来事にカニ彦さんはあんぐりと口を開き、自身の鋏を見下ろしワナワナと震え出していた。
「ばかな、オレの必殺……」
「とりあえず、『必殺』という名前自体が悪いのかと」
「え?」
「いや……本当に必殺なら今頃シャイニングファイブいないですし」
「…………」
漏らす一言にカニ彦さんの赤い身体から魂のようなものが抜け出ていくように見えたが、今はそんな場合じゃない。
怪人の摩訶不思議攻撃に駆動音漏らす機械もいよいよ本気になったのか鋭い爪を力強く地面に突き立て、背中から伸びた長いパイプから黒い排気が煙となって工場の上へと昇っていく。
見た目は球状の頭を中心に昆虫の脚のような物が生えた銀色の塊。左右三つずつ長い脚は先端が針のようになっていて、頭から覗く大きな一つ目のカメラレンズ、排気の煙が一旦収束すると頭部下の長い筒が音を立てて口を開いた。
遠近感が狂いそうな大型フォルムなので分かりにくいが筒の大きさは小型の自動車程、開いた口の周囲で音に合わせて景色が歪み。周囲の空気が内部へと吸い込まれたかと思うととぐろを巻いた炎の塊が吐き出された。
向かう先はカニ彦さん。
とりあえず、カニ彦さんで良かったと思おう一般人の僕等であれば黒炭どころじゃ済まないだろう。
「うわ、ひぃいいいい!」
筒から吐き出される炎の塊に必死な形相(?)を浮かべたカニ彦さんは避ける避ける。蟹の容姿に似合わぬ機敏さで火の中を掻い潜り、大きく「ダッシュ」と口にすると僕らは逃走を再開する。
狙いを付ける黒服のマシンガンがカニ彦さんへと向かって火を噴き、機械の爪はカニ彦さんへと向かって振り下ろされ、それなりの予備動作は必要なのか定期的に吐き出される炎は全てカニ彦さんを狙っていき。
とにかくカニ彦さん大人気である。
「あの機械、見た目もカニっぽいですしもしかしてカニ彦さんを仲間と思っているんじゃ?」
「はぁ!? バッカ野郎! カニ彦さんがあんなカッコ悪いのと一緒な訳ないだろう! カニ彦さんはなあ漢の中の漢なんだよ!」
「うわあああああひええええ」
「お前ら、ちゃんと走っ! ひぃいい!」
四者四様の言葉が漏れる中、驚くべき事が背後の機械に起きる。
暴れる姿は変わらずカニ彦さんを追い掛ける姿勢も変わりないが、なんと人語を喋り出したのだ。
『ヒーローどもぉ、生きて返さんぞ、ここが貴様らの墓場だぁハハハ』
機械音声ではなく明らかにスピーカー越しと分かる増量された人の声。嗄れた声はかなりのお年をめいたように感じられるが、もしかしたらどこかに操作している人間でもいるのか。
「カニ彦さん、いつの間にヒーローデビューを!? あの、二重契約はちょっと」
「バッカ野郎、カニ彦さんはな、いつだってオレらのヒーローだ! ソレ分かるだろおおお」
「うひゃあああああひややややー」
「いいから、走れよお前ら!」
『グハハハハハ』
「……」
スピーカーから漏れる特徴的な笑い声は正義というよりどちらかというと僕達悪の組織より、明らかに狙っていたようなお出迎え、人員配置、兵器の準備。
それらを察するにどこかのヒーローの侵入でも予期していたのか、それは完全に僕達にとってとばっちりに過ぎなかったが間違いだとどれだけ言っても機械の攻撃に止む気配は見えなかった。
そもそもこんな黒のタキシードに白の仮面を付けた三人組と、見るからに怪人と分かるカニ彦さんを合わせてヒーローと思い込めるなんて……それですごい人なのかも知れない。
「そこまでだぁ!」
「え」
逃げるのに集中していた僕の耳に、その時やたらと聞き覚えのある張りのある男の声が届いてきた。
まさか、こんなタイミング……しかし絶対絶命とも言えるこの状況で助けになるかも知れない声に顔は勢いよく上がり。
「ブラックサーカス団っ!」
「……えぇー」
続いて漏れた言葉に完全に助けて貰う希望は失せる。この状況を見てなんで『そこまでだ=ブラックサーカス団』と言えるのかどう見ても後ろのマシンじゃないのか。こっちもこっちである意味大物かも知れない。
「な、何者だぁ!」
「カニ彦さん、この場面で?」
……僕の周り大物だらけだ。
心から突っ込みを入れたいタイミング、実に最悪だと叫びたいタイミング、なんて律儀なんですかとツッコミたくなるタイミング。上へと上げた視界の中で工場の天窓を背にしてポーズを取る五人組。
聞き覚えのある赤い男の声で既に分かっていたがいつものシャイニングファイブの登場だった。
「我々は、人々の生活と――」
「あ」
いつもの変わらない前口上。余りにマイペースな名乗り上げが流れるその瞬間、上方ではなく後ろから大きな物音が耳まで届く……嫌な予感に振り返った僕の目に写ったのは六本脚の爪を突き立て大きく立ち上がろうとしている機械の姿、空を睨むカメラレンズが僅かな光を反射し、上を向く円筒の内部で赤い炎が渦巻き出す。
「まずい」
……前にも言ったかも知れないが僕達ブラックサーカス団はわざわざヒーローの前口上を遮ったりはしない、それが無粋だと分かっているからだ。
しかしあくまでそれは僕ら『は』というだけ。
決して全ての悪の組織がヒーローを待つとは限らず、自分達の背後に立つ機械の操作者は都合の悪い事に後者であるようだった。
「赤いの、待て!」
「――を守る正義の味方。明日を照らす炎の輝き、シャァイニング……え?」
「逃げるんだっ」
「……へ?」
瞬間、赤く巨大な炎が宙を焼いた。
射出口から漏れる発射音。暗闇を焼く炎の弾丸は空を目指してぐんぐんと伸びていき、天窓付近に立っていた五人の人影を周囲の屋根ごと赤い火で包み込んだ。
「そ、そんな」
今まで泣き叫んでいたばかりであった松井戸くんは頭上の光景を目にし、仮面の奥の目を見開き、悲痛な言葉が叫びへと変わって外に出る。
「イエロオオオさあああ――」
「松井戸くん……」
「あ、ああいややっぱどちらかといえばグリーンさんの方が僕は……グリイイインさああん!」
「松井戸くん……それ、ちょっとガチで最悪な迷い方だからやめた方がいいよ」
「馬鹿言ってる場合か、伏せろ!」
相手はともかく叫ぶ松井戸くん、覆い被さるように突っ込んでくるカニ彦さん。
頭上を向く僕の視線の中で炎の中から飛び出した人影があり安堵した。
敵とはいえ、さすがにこんな最後では不憫すぎる。全員が脱出したかに見え肩の荷を降ろし掛けるがその影の中に一つ、妙な動きをする者に気付くと動きが止まる。
飛び出した他の四つの影とは違い、まるで『落ちてくるように』身を投げ出す黒い姿。
「な」
まさかと思ったが飛び出すと同時に声を上げるレッドの言葉に僕の中の予測は確信へと変化する。
『ブラッ――』
「くっ」
「おい、今野!」
制止を促す長田さんの声が聞こえたのは背後から、気付けば僕は走り出し被さるカニ彦さんの庇護から抜けていた。
硬い床を蹴る足。ゆっくりと、まるでスローモーションのように目に写る周囲の風景。空から落ちてくる何も人影だけじゃない、破砕された工場の天井部分が瓦礫となって降り注ぎ、薄ら寒い身の危険を感じる中で夢中になって手を伸ばす。
明らかに、間に合わないと思った瞬間。スーツの力か何かなのか下降するブラックの身体が少しだけ減速し、その分距離が縮まった。
「やっ――」
伸ばす指先が何かに触れた……気がした。
同時に耳をつんざく轟音が響き。
巻き上がる煙と硬い落下物とに飲み込まれ僕の姿は瓦礫に消える。