雑貨屋さんの昼下がり
「あの、ジネットさん」
「なあに?」
アリアネが戸棚を拭いていた手を止め、不思議そうな顔をしてわたしの手元をのぞき込んできた。
見習いに雇って一週間あまり、なかなか頑張り屋さんなところを見せてくれる彼女に、わたしも楽しい時間を過ごせている。教え甲斐があると、こっちも張り切っちゃうよね。
「それって、どこの銀貨なんですか?
すごく大きいですけど……」
「これ?
これはプローシャのバッツェン銀貨よ」
はいどうぞと、アリアネの手の平にのせる。
一等によく見かけるグロッシェン銀貨16枚分の価値があるバッツェン銀貨は、数ある銀貨の中でも群を抜いて大きい。一度見たら忘れないだろうね、重くて嵩張るし……。
アルールを通る西回り航路があるおかげで、実家にいた頃はプローシャの貨幣もたまに見かけていたけれど、アリアネには珍しく見えたかな。
「昨日の夕方来た『キツネの耳』さんがお買い物してくれたの。
プローシャから旅回りしてたんだけど、ヴェルニエでシャルパンティエの噂を聞いてこっちに来たんだって」
「遠くから来たんですねえ、『キツネの耳』さん」
「南の国境からだと、丁度ふた月ぐらいかな」
子供達も宿暮らしには慣れてきたのか、孤児院と教会の完成を待つことなく、村の一員としてシャルパンティエに馴染んでいた。
最初はひとかたまりに見えていた40人の子供達も、何となく顔と名前が分かるようになると、幾つかの組に分かれていて、それぞれが役割を持たされて子供社会が形作られているなって、何となく感じ取れている。
……ふふ、人数も多いから、シャルパンティエ第一番の勢力かもしれないね。
「よし、今日は他の国のお金のお話をしようか。
このバッツェン銀貨みたいに、たまーに余所の国まで旅をするお金があるからね」
「はいっ!」
プローシャの貨幣を見るのは、シャルパンティエに来てからは初めてだった。
ここにいると、ヴィルトール王国の定めたターレル金貨、グルデン銀貨、グロッシェン銀貨、ペニヒ銅貨だけでほとんどの話が済むから楽でいい。
「難しく言うと『貨幣体系』なんて言葉になるけど、覚えなくていいわ。
大きく分けると、アリアネもよく知ってるヴィルトールのお金、この大きなバッツェン銀貨が基準のプローシャ系、それからわたしの実家があるアルールとかで使われてる西方系、あと、滅多に見かけないけど南方の国も独自のお金があって……。
そうね、このうちヴィルトールとプローシャと西方諸国は大陸会議の息が掛かってるから、普通の金貨と銅貨はどこでも使える、ぐらいを知っていればいいかな」
「あ、銅貨の絵柄がばらばらなのは知ってます。
国の名前まではわかりませんけど……」
「ふふ、来年の今頃なら、アリアネも違いが分かるようになってるわよ」
じゃらじゃらと前掛けから数枚、銅貨を取り出してより分ける。
「この数枚は絵柄が違うけど、全部小銅貨……って、これは知ってるよね?」
「はい」
「これはいつものヴィルトールのペニヒ銅貨、こっちはプローシャのヴィッテ銅貨。
それからエヴルーのディナール銅貨に……ああ、これはよく似てるけど、アルールのディナール銅貨ね。裏の聖句と王様の名前が違うの。
まあ、普段は全部1ペニヒって数えればいいけどね」
ほんのちょっぴり、懐かしい気分だ。
わたしはジョルジェット姉さんに教えて貰ったし、アレットがお店に立つようになると、今と同じようにして伝えていった。……アリアネも、大きくなったら誰かに伝えてくれるかな。
「でもね、使えるのは間違いないんだけれど、上の人たちにはあまりいい顔をされないの」
「そうなんですか?」
「銅貨はともかく、銀貨はね……。
国外の貴族様と取り引きするときは、わざわざ両替屋に行ってその国のお金で整えたりしていたわ。……わたしはそんな大取引に立ち会ったことないけど」
「手数料、高いんですよね。
前におつとめしていたお店で、お客さんと店主さんが話してるのを聞いたことがあります」
「オルガドは工房で有名だから、方々からお金持ちのお客様が来るんだっけ……」
このシャルパンティエは大国ヴィルトールの国内だから逆に気を使わないでいいけれど、アルールだと、ヴィルトールのお客さんだと分かっていればなるべくプローシャの貨幣は渡さないようにしていたし、逆もしかり。……国が小さいから仕方ないし、隙間も上手く使ってこそだと口にしたりもする。
それはともかく、この二つの大国は、特に仲が良くない。お店が……というよりも、お客さん同士がちょっとしたことでもつまんない意地を張ったり、喧嘩になったりすることがあるからねー。
「もちろん、『地龍の瞳』商会は偽金じゃない限り受け取るわよ。
手数料はしょうがないけどヴェルニエの両替屋さんに頼ればいいし、今はお客さんが減ったりする方が怖いからね。
だからアリアネも、ゆっくりでいいから、しっかり覚えてね」
「はい、がんばります!」
わたしが『キツネの耳』さんからバッツェン銀貨を受け取ったのは、アルール出身で他国のお金に慣れているから、ってだけじゃない。
ここシャルパンティエには両替屋がなくて、うちの店が実質その役割を持たされていることと、口やかましく他国のお金を流通させるなと言う頑固な顔役もいない上に、旅回りの多い冒険者が主体のこの村で他国の銀貨を拒否しようものなら、流通が破綻するっていう理由もあった。
手間賃を丸被りする方がよほど面倒が少なくていいし、揉めたら揉めたで……そうだね、わたし宛に自分で両替商の営業許可を出してもいいぐらいだ。
「ほんとは南方の銀貨もあればよかったんだけどねー」
「い、いまはいいです……」
順番に手持ちの銅貨、銀貨の交換比を説明して、ついでに簡単な計算を出題していると、扉がかららんと鳴った。
冒険者が店先にたまり出す夕暮れには早いけど、小さなお客さんたちは大抵このぐらいの時間にやってくる。
「いらっしゃいませ!」
「アリアネおねえちゃーん!」
「ジネットさんこんにちは!」
「はい、いらっしゃい、ミカエラ、カティア」
ミカエラとカティアは7、8歳、まだ外に出て働くには早いけれど、お使いなら大丈夫なお年頃だ。
毎日この時間になると、同じくらいの子たちが入れ替わりで買い物にきてくれる。
変化の少ない昼下がり、みんなのおやつを買いに来る小さなお客様の来訪は、わたしにも楽しみになっていた。
▽▽▽
まず子供達は、元々オルガドにあった孤児院時代に住んでいた部屋割りの名残で、大きい子と小さい子が数人で一つの組になっていた。これは家族───兄弟や姉妹のような感じになるのかな。お部屋の名前で、『星の組』『月の組』なんて呼ばれてたりもする。
着替えるときも食事をするときも一緒で、7、8歳の男の子はもっと小さい男の子の面倒を見ているし、女の子も『妹たち』のお世話をしていた。その絆の強さは……わたしに泥団子を投げつけたフランツはゲルトルーデの『お兄ちゃん』であるからして、一番最初に確認している。
更にそれぞれは、年長組と年少組でお仕事が分かれていた。
年長組は9歳10歳ぐらいより上の子たちで、お店や宿で本格的に働いている子と、下の子の面倒を見ながら薬草畑の手入れや洗濯、掃除を頑張っている子がいる。
掃除や洗濯の割り振りから食事の順番で揉めている子の仲裁まで、役割も違うし対立することも多いけど、彼らが子供達の中心になっていた。もちろん、働き手の中心として生活を支え、『稼いで』もいるよ。
真ん中あたりの子は、遊びながらも小さい子達の面倒をよく見て、自分たちで出来る仕事を片付けていた。
小さい子は遊ぶのがお仕事だし、そのことで怒られたりはしない。でも……自立心が旺盛すぎるかなって思えるほどしっかりしているのは、ちょっとだけ哀しいかな。親代わりになるかはわからないけど、わたし達がいっぱい褒めてあげないとね。
その中でも一番大きい数人は、街区の顔役や村の長老のように子供達の舵取りをしている。男の子ならやんちゃ坊主のフランツ、女の子ならうちに来ているアリアネが筆頭なんだけど、これがまた大人顔負けで、毎晩その日の出来事を話し合い、おまけに指導力まで強いと来ている。……シャルパンティエ商工組合の方が頼りないくらいだと、わたしたち大人は顔を見合わせてため息をついた。
そんな彼らが院長さまとシスター・アリーセを手助けして、どうにか回っているって感じかな。
ちなみに院長さまとシスター・アリーセは宿の部屋に仮の礼拝所を構えて、聖符や聖水の作成に忙しい。
出来上がった聖なる品々をヴェルニエの教区本部に納めると援助金が送られてくるし、冒険者たちも必要に応じて買っていく。これが運営資金の大本になるわけだ。
特に魔族狩りを専門にしている傭兵冒険者や、もっと大きな国からの依頼で動く騎士団はひとたび討伐の命が下ると大量に使うし、魔に汚れた土地の浄化にも必要で……って、このあたりはユリウスの方が詳しい。多少はシャルパンティエも蓄えておこうかって、まじめなお話になってるし。
ユリウスを筆頭に、わたし達村人だけでなく、良心を刺激された冒険者達も援助をしてくれているけれど。
子供達を食べさせるのは、思ったよりもずっと大変だった。
▽▽▽
「シスター・アリーセがね、今日は二人で行っておいでって!」
「そうなの!」
「おー、ご苦労様。
じゃあアリアネ、用意してあげて」
「はいっ!」
みんなで話し合って決めた買い物なんだけど、売り上げはともかくアリアネに店番を慣れさせられるし、子供たちもお金を使う練習ができる。
というわけで、うちのお店には新たな商品が増えていた。
たまーに冒険者が買っていくこともあったりして、面白い。
「ジネットさん、フリーデンは?」
「今日は天気がいいから、たぶん森の中かなあ」
「残念……」
うちの使い魔、今のところお仕事がないからねえ……。
我が家も含めて村にネズミが居着かないように、時々見回りをしてくれればそれでいいかな。
「お待たせしました!」
「おー」
「おねえちゃん格好いい!」
「もう、茶化さないで!」
「はあい!」
アリアネが奥の食品棚から持ってきたのは、生地の上にクルミを散らした焼き菓子だ。これが合計50個。孤児院の人数よりも多いけど、喧嘩にならないように、そして、頑張った子へのご褒美になるように、いつもこの数だった。
ちなみに裏側では、少しだけややこしいことにもなっている。
作っているのは『猫の足跡』亭なんだけど、目と鼻の先にあるうちの店が、わざわざ仕入れて売っているわけで……。
もちろん直売にすれば話は早いんだけど、ディータくんも徒弟に取った子たちに仕入れと卸売りを教えていて、わたしも一口乗っている……ってことになるのかな。
うちもこの焼き菓子───たまーに茹でた練り物や半生菓子に変わる───は少し多めに仕入れて、助言だけは与えつつアリアネに全部をお任せしていた。
「50個で20ペニヒになります」
「20だって!」
「いーち、にー、さーん、よーん……」
ちなみに冒険者に売るときは、1個1ペニヒと少しお高くしてある。
売り上げは全部孤児院への寄付になるから、誰も文句言わないけどねー。
「20!」
「はい、20ペニヒちょうどです。
お買いあげ、ありがとうございます!」
「あってた?」
「うん、大丈夫よ」
「やった!」
「行こ、カティア!」
教会の名前が入ったお菓子専用の木箱は冒険者のお手製で、子供たちでも持ち運びしやすいように肩掛けまでついている。
「割れると喧嘩になるから、丁寧に持っていくのよ。
……あ、こら!
転んだら大変だから歩きなさい!」
「はあい!」
二人を見送って、ふうとため息をつくアリアネをねぎらう。
うん、しっかり『お姉ちゃん』だね。……って、弟と妹がわたしの10倍もいるんだから、鍛えられて当たり前か。
「アリアネ、お客さんで混む前に、もうちょっと計算頑張ってみようか」
「はいっ!
今日は『水鳥の尾羽根』さんが帰ってくる日ですよね」
「『水鳥の尾羽根』さんは第三階層の常連だから、いっぱい鉱石粒持って帰ってきてくれるわ」
今日は『水鳥の尾羽根』、明日は『荒野の石ころ』が帰ってくる予定だ。
……買ってくれそうな物をまとめておこうかな。
去年はいなかった子供たちと。
去年の夏より少しだけ増えた冒険者のおかげで。
シャルパンティエもわたしのおみせも、少しだけ賑やかになっていた。