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アルテナの箱庭が満ちるまで  作者: 赤野用介@転生陰陽師7巻12/15発売
第二部 第六巻 神(エリ)杯(クシール) (12話+2) 闇の章

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第08話 禿の乱

 ドリー・オードランがその身に取り込んだのは、ネズミやエネルギー放出実験の後に残った0格の竜核120個と、元々所持していた1格の竜核1個であった。

 彼女は、『エネルギー120+1(分子)/容量120+1(分母)』の力と吸収力とを併せ持つ存在を目指したが、神由来と魔由来の竜核を混ぜると相滅するという現象への理解不足により『エネルギー20+1(分子)/容量70+1(分母)』という力で吸血鬼へと至ってしまった。

 もし『120+1/120+1』という万全の状態であったならば、体内の加護循環不足に陥らず、急激な飢えも渇きも脱毛も発生しなかったであろう。

 だが、老化を防ぐために身体を補い、あるいはその身に溢れる力を使ったならば、いずれ力の補充のために吸血行為を行わざるを得ず、捕食対象者との衝突はいずれにしても不可避であった。


 ドリーが体内に取り込んだ0格の竜核70個は、その全てが2/7程のエネルギー残存量であった。

 その一方で1格の竜核に関しては、元々の容量が0格よりも大きい為に消費に対して残存量に余裕があり、ドリーはそちらのエネルギーを0格の竜核に流しながら辛うじて理性を保っていた。

 そして、フィリオやアニーら10人を襲ってエネルギーを奪う一方、竜核の一部を流し込んで自らの吸収速度を落とした。

 フィリオらは体内の加護を奪い取られて頭髪を失い、同時にエネルギーが2/7ほどの0格の竜核3個をそれぞれ押しつけられて急激な飢えと渇きに苦しみ、与えられた吸収の力を以って人を襲わざるを得なくされたのである。

 だがフィリオらが奪う者は、0格の竜核を流し込まれる訳では無いので吸血鬼化するわけではなかった。彼らには竜核が無い為に吸収力が無い。もっとも、それがフィリオらよりマシであるとは言えなかった。


 ドリー=真祖の吸血鬼 (0格の竜核40個分+1格の竜核1個分の力と吸収力)

 フィリオたち=吸血鬼 (0格の竜核3個分の力と吸収力)

 吸われた生徒=食人鬼ハゲ (人を襲うが吸収力は無い)


 吸血鬼はエネルギーを充分に満たせば失った頭髪を回復する事が出来る。

 だがドリーは、フィリオらに竜核を押し付けると幾人かの食人鬼を創り出して、レナエルたちが冒険者協会に報告に走り出す前に早々と逃げ出してしまった。

 よってドリーとは同じ竜核で魂が繋がっているはずの下位者フィリオ達は、何ら指令を与えられずに錬金術学校に置き捨てられた。




 血液中に含まれる世界の力は、血液の循環に乗っておよそ1分で体内を廻っている。

 大気中に均等であろうとするマナのように、血液の流れを介して体内の加護が不足する場所へ流されるのだ。

 そこに吸収の力を持つフィリオらが1分間噛み付けば、一般人が保有している程度の加護ならば概ね吸収することが出来る。

 つまり、吸血鬼1匹が創り出せる食人鬼は最速で1分間に1匹という計算である。

 よって、フィリオら吸血鬼10匹が10分間ほど人を襲い続ければ、最大効率で100人の食人鬼が誕生する。

 実際はそこまで効率的ではなかったが、事件発生から冒険者たちの現着時間までは10分を数倍上回っており、加えて一般人10人の犠牲程度では、0格の竜格1個のエネルギー容量を満たす事すら到底適わなかった。


 一方、食人鬼は吸収の力を持たない。彼らは生命の危機レベルで加護を喪失して正気すら失っており、加護保有量の高い人体を直接食らうことで己の体内に加護の力を取り込もうとする。

 例えば体重50kgの人間の身体を1kg食べれば、人体に含まれる世界の力の50分の1ほどを取り込める。また、なお血液中に含まれる加護の量は他よりも多いため、食人鬼も真っ先に血を啜ろうとする。

 ちなみに食人鬼が吸血鬼を襲わないのは、力では到底抗えないのと同時に、吸収力を持っている吸血鬼に歯を突き立てても、そこから逆に力を吸い取られるからだ。それでは本末転倒も甚だしい。

 かくして食人鬼ハゲ達は、フサフサの髪を持つ一般人たちへと襲い掛かったのである。






 Ep06-08






 錬金術学校でフィリオら複数のハゲが明確に他の生徒を襲い出したのは、一般生徒たちの自由選択授業が終わった夕方頃だった。

 その頃200名の全生徒のうちすでに3割程は家路へと着いていたが、残る7割の生徒はまだ校内に残っていた。

 特待生は無論のこと、一般生徒らが錬金術学校で授業以外に行える事も多数ある。

 他の生徒と雑談をし、あるいは食堂で夕食を食べるのはごく一般的だが、初等とはいえ錬金術を習うのであるから、一般生徒用に用意されている設備を使った自主的な勉強を行う生徒たちもそれなりに居る。

 一般生徒の場合は一般教科の教師が顧問となって部活動という形での錬金術の勉強が認められていた。

 日暮れの早い12月とはいえ、既に飛び級した生徒たちの大半も15歳の成人年齢を越えており、また彼らには生活費補助も支給されており、成人で生活費も稼ぐ者に対して親が騒ぐ云われは無い。それに建屋が繋がっている学生寮の寮生も多い。


 アクス錬金術学校は元々兵舎で、民間施設に比べれば多少頑丈な造りになっている。校舎も、学生寮も、食堂も、研究棟も、全てが元々は軍事施設である。

 だが敵の侵入を想定した造りにはなっておらず、理性という枷が外れて暴徒化した無数の食人鬼の急襲を防ぐ事は出来なかった。

 食人鬼ハゲたちは、喪失していない己の知識を大いに活用して人の大勢居そうな場所へと走り回り、目にした獲物へ次々と襲い掛かっていった。

 一部では狩人より獲物の数が多く鎮圧された教室などもあったが、増援が時間経過ごとに次々と沸いて出て、やがて押さえつける人手が不足して押し寄せる波に飲み込まれるかのように沈んでいく。

 バイオハザードの初期段階においては個々で己の身を守るしかない。生徒たちは十人十色の行動を取り始めた。真っ先に動き出したのは、冒険者の資格を持つ生徒たちである。

 『特殊繊維の精練・付与』を学ぶ特待生にして次期男爵でもあるダビド・エアは、ハゲが研究室に侵入して来たと同時に婚約者のルーナ・イルゼ子爵令嬢を手元に引き寄せてハゲから大きく距離を取った。


「ハゲだっ!」と言う研究室内の生徒の警告と、ダビドがルーナを引き寄せるのと、ルーナの隣に居た女子生徒がハゲへ先制攻撃を仕掛けるのとはほぼ同時だった。

 ルーナの隣でいつも微笑んでいる青髪の少女ニネット・バダイユ。

 青い前髪を綺麗に切り揃え、とても丁寧で穏やかな物腰が印象的な彼女は、ハゲがルーナに接近した瞬間に自らハゲに急接近し、長いスカートを穿いた右前脚を上げてハゲの腹部を力一杯蹴り付けた。

 普段のニネットの穏やかな印象とのんびりした動作を見知っている研究室生たちは、そのニネットがハゲを蹴り飛ばした光景を見て、ハゲが侵入して来た時と同じくらいに驚愕した。

 だがニネットの動きはそれだけでは納まらなかった。彼女は壁へと蹴り飛ばした侵入者をそのまま追撃し、気合いの一声と共に右の拳で相手の顔面を力一杯殴り付け、その拳を引きもどす動作と同時に突き出した左の拳でハゲの下顎をさらに殴り付けた。

 瞬く間に崩れ落ちるハゲ。

 だがハゲは1匹ではなく、ドアからは後続がさらに続いていた。

 後続の2匹がニネットに襲いかかろうとした瞬間、今度は男子生徒がハゲの前に立ちはだかった。

 常日頃から草食動物に例えられ、誰とも程ほどの付き合いをしている男子生徒のブレット・アンヴィル。いつも通り研究室の奥に居た彼は、そこから研究室の入口までにあった全ての机を軽々と飛び越えてハゲの前に立ちはだかり、ニネットを庇いながらハゲを次々と殴って床へ沈めていった。


 研究室に居る特待生達は、全員がベイル王国の誇る秀才たちである。

 ニネットやブレットが何者であるのか、ここまで示されれば容易に想像できた。


「いつもルーナさんと一緒に居るニネットは子爵家の者だと思っていたけど、まさか冒険者で、しかも二人とは距離を置いていたアンヴィルさんまで護衛だったなんて」


 特殊繊維の研究室で最高得点を取り、普段は委員長っぽい役割を担っている本屋の娘ユティサ・リーチが確認の意味を込めて敢えて口にした。

 集団の注目を引いたニネットは、平時と変わらぬ微笑みに戻りながら平然と「何の事かしら」とシラを切って見せた。飛び込んで行ったブレットに至っては、雑音を無視して無言で周囲を警戒し続けている。

 少しムッとしたユティサの裾を、隣に居た万年二位のニーナ・ジルクスが少し引っ張った。


「何よ」

「ユティサ、ルーナさんは子爵令嬢。ダビドさんは次期男爵。二人にそれぞれ護衛が居るのは当然でしょう」

「わ、分かっているわよ。それくらい!」


 ニーナの指摘を受けたユティサは、自分が余計な事を確認したかもしれないという自覚があった。

 錬金術師が任意に決められる5枠の特待生は、貴族とその護衛のための枠であるというのが、それ以外の理由であるよりも遥かに納得できるし分かり易い。

 それに入学金も授業料も1Gすら取らず、逆に生徒へ生活費補助を出し、寄付金すら全て断る錬金術学校がどんな方針であろうと、一方的に恩恵を受ける側がケチを付ける筋合いは無い。

 だが何でも確認しなければ気が済まないのはユティサの生来の性格なのだから仕方がない。幼少時から知らない事を知る作業に時間を費やしたが故に、この研究室で総合得点1位となった側面もある。

 ともかくも危機は去った。あとは3人の侵入者を錬金術学校の正面門に配備されている兵士たちに引き渡せば終わりである。

 ユティサがそう思った瞬間、突然舞台に次の幕が上がった。


「次!」


 ブレットの警告は、ルーナ・イルゼ子爵令嬢の護衛であるニネットへと向けられていた。

 この研究室の中ではダビドも冒険者だが、彼はブレットやニネットよりも祝福数が低く、そもそも戦力ではなく護衛対象である。

 ブレットは姿を見せた4人目のハゲに目を向け、それが見知った顔である事と、今までのハゲの強さを基準に対処しようとした事で先手を取られた。

「一般人フィリオ・ランスケープが、祝福18である自分に勝てるはずがない」との常識的な考え方でフィリオを取り押さえようと図ったブレットは、フィリオを抑えようと伸ばした右手を弾かれ、左手を折られ、驚愕する間に殴られて胸骨を折られ、身体を庇いながら後ろに下がった所を踏み込まれてさらに腹を殴られ、壁を背に崩れ落ちる際に顔面を殴られ、瞬く間に意識を失った。

 そしてニネットが咄嗟にフィリオへと駆け寄る間に特待生の一人が素早く動き、その手によって研究室の窓が勢い良く開け放たれる。


「エア令息、イルゼ令嬢を抱えて窓から飛び降りて下さい」


 特待生カルメロ・アランジは二階の窓を開け放つとダビドにそう言い、ついでにフィリオとダビドの間に立って両者を遮った。


「アランジさん、貴方は一体!?」

「アクス侯が、ご両家だけに警護を任せるとお思いでしたか?」


 カルメロが正体を明かす間に、フィリオがニネットを捕らえてしまう。だがカルメロはニネットを助けようとはしなかった。


「あれはどうにか出来ないのか!?」


 どうにかとは、もちろん捕らわれたニネットと捕らえているフィリオの事だ。フィリオはニネットに噛みつき、ニネットは悲鳴を上げながら抵抗している。

 ユティサらが叫んでいるが、ハゲ2匹を叩きのめした冒険者のブレットを瞬時に倒したフィリオに対し、一般人の特待生たちは動けずにいる。


「無理です」


 カルメロは多くを語らず、ダビドに逃げるように促した。

 ダビドには男爵家次期当主という立場に対する責任がある。また、ルーナに何かあっては自領の民が不利な立場に陥ってしまう。だから護衛が何人も付くのだ。そしてそれらを無下には出来ない。


「すまん」

「いいえ。アクス侯城へお逃げ下さい。複数の騎士団と、何より侯爵がおられます」

「アランジ卿、ご武運を」


 ダビドに引かれて窓際まで移動したルーナがカルメロへの武運を祈った時、彼らの前で前代未聞の出来事が起きた。


「そんな、ランスケープ先輩!?」

「どうして、あり得ないわ!!」


 ユティサとニーナが驚愕の声を上げる中、なんとハゲていたフィリオの頭髪が産毛を生やし始め、それが伸びて軟毛へ、続いて硬毛へと少しずつ変化して行ったのだ。


「ハゲの頭髪が回復するなんて、そんな馬鹿な!?」


 一度禿げ上がった頭髪が回復するなど不可能だ。だがフィリオは、研究室生たちの眼前で5mmから1cmほど頭髪を回復させていた。

 だがそれと引き換えに、美しい青髪のニネットの頭髪がどんどん落ちて行った。


「あ、あくま、ランスケープ先輩の悪魔っ!」

「ハゲ……じゃないけどハゲ、人でなし」


 二つの現象の因果関係は明らかだった。

 女性陣からのブーイングがフィリオを攻め立てる。


「……次はお前らだからな」

「ひうっ」

「あああ、ハゲじゃないです。ランスケープさんはハゲじゃないです」


 ユティサとニーナが共に髪を押さえながら一歩下がる。

 その光景を見たダビドは、ルーナを抱えて窓の外へと飛び降りた。こんな所で意味も分からずにルーナの深緋色の長髪を失う訳にはいかない。

 ダビドは両膝を曲げながら着地の衝撃を削ぎ、そのまま勢いを殺さずに走り出して落下エネルギーを前方へと転化しルーナへのダメージを最小にした。

 そこに、ダビドを追って研究室から飛び降りて来たカルメロが逃亡に加わった。

 てっきり彼が研究室を襲ったフィリオと戦うとばかり思っていたダビドは、並走し出したカルメロを見て問い質した。


「アランジさん、何故!?」

「小官の任務はお二人の護衛ですので。このままアクス侯城へご案内します」


 ダビドはこの段階に至って、カルメロが「私が防ぎます」とか「ここはお任せ下さい」といった類の言動を一切していなかった事に気が付いた。ダビドは彼から意図的に誤解させられていた。


「心苦しいのですが」


 研究棟を振り返ったダビドの目には、同じ研究室にいたリコリット・ホーンがカーテンをロープに窓から脱出している光景が見えた。

 彼女が地面へと降り立った頃、それを追った何人かの体重でカーテンが裂けてしまう。

 リコに続く二番手だったニーナが2階と1階の間くらいから硬い石畳の上へと落ち、その後続がさらに激しく落下する。それを予見して巻き込まれるのを避けたユティサは、2階の窓際でフィリオに捕まってしまった。

 ルーナを抱えるダビドは研究室へ戻る事は出来ず、そんな二人の光景を遠目に眺めるしかなかった。


「ラ、ランスケープ先輩、助けて下さい。お願いですから」

「ユティサ、さっきなんて言った?」

「ランスケープ先輩が大好きですって言いました」

「嘘を吐くな、嘘を」

「本当です。先輩の事がずっと前から好きでした。だから助けて下さい。ハゲだけは嫌ですっ」


 それは『命乞い』ならぬ『髪乞い』であった。命を失うのと髪を失うのは、生物学的に死ぬか社会学的に死ぬかの違いでしか無い。結局どちらも死んでしまう。

 ユティサはフィリオに対して、自分のポニーテールをどうか奪わないで下さいと懇願していた。懇願の方向性を大きく見失ってはいたが、思わぬ説得方法に他の生徒が逃げる時間稼ぎにはなっていた。


「増援を呼ぶには、お二人がアクス侯爵に直訴されるのが一番でしょう。ところで、正面門で兵士たちとハゲたちが争っていますので塀を越えます」

「あの高さをですか!?」

「飛び越える間だけ、小官がイルゼ令嬢をお預かりします。エア令息はお1人ならば飛べますか?」

「厳しいですね」

「では小官が手をお貸します」


 カルメロはそう告げ、ルーナを抱えたまま錬金術学校の高い塀の上へ軽々と飛び乗り、次いでそこからダビドに手を貸して彼を塀の上へと引き上げた。カルメロの身体能力は、明らかに大祝福を得ていた。

 そして3人は、混乱する錬金術学校から早々に脱出を果たしたのである。






 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇






 生徒たちが命を注いで紡ぎだす悲鳴交じりの合唱は、ドアが勢い良く破壊される前奏から始まった。

 食堂にいたリオン・ハイムとアロン・ズイーベルの二人は、食事を摂りに来た食人鬼たちに対して、自らの夕食の中断を余儀なくされた。

 食人鬼がいかに食事に来たとは言っても、食材の調達から調理まで自前でされては食堂も商売上がったりである。それに客の側も血の臭いや悲鳴交じりでは食欲が減退すること甚だしい。招かれざる乱入者たちには強制的にご退場頂かなくてはならなかった。


 アロンは冒険者として5年間経験を積んでいる。

 冒険者支援制度が無かった当時、何もない所からスタートしたものの、治安騎士になれる程度の能力は身に付ける事が出来た。

 そこで堅実に治安騎士になっていれば、右膝から下を義足に変えずに済み、年齢に比して相当良い給料を得ており、好みの娘を紹介してもらえたはずだ。

 だが、アロンの性格でそれは不可能な相談だった。何度過去に戻っても、真っ直ぐに突き進む選択しか出来なかっただろう。伸び盛りの10代後半で立ち止まる冒険者など皆無だ。そこで立ち止まっては、それはもはやアロン・ズイーベルではない。

 アロンは過去に対する後悔はあるが、その経験が即座に逃げるという結論へは結び付かなかった。なぜならここには親友とも呼ぶべきリオンが居て、無力な一般人の学生たちも居る。アロンは真っ先に飛び出した。


 一般生徒も加わっての、アロンたちと食人鬼たちとの殴る蹴るの大乱闘が始まる。

 アロンは片足が義足で、踏み込んだり右膝を曲げたりする動作が出来ない。4本の足で走る馬に2本の足で走る人間が追いつけないように、1本の足を軸に戦闘行動を行うアロンは2本の足で戦う食人鬼たちに対して苦戦を強いられた。

 攻撃、防御、回避、全ての立ち回りでいずれも足を使う。アロンは食人鬼を2匹ばかり床に沈め、別の3匹は殴り飛ばしたが、左足を掴まれてついに引き倒されてしまった。


「アロンっ!」


 アロンの義足を作ったリオン・ハイムの叫び声が、混迷を極める大食堂の騒音の中で一瞬だけ響いた。

 それを受けたアロンは、大乱闘の中心で食堂の天井目掛けて叫んだ。


「逃げろっ!」


 リオンが何か言い返す前に、食人鬼に喰らい付かれた生徒たちの絶叫が響き始めた。冒険者アロンという防波堤を失った生徒たちは襲いかかってくる食人鬼たちに生身での対処を迫られ、常軌を逸した食人鬼の力に次々とねじ伏せられて噛みつかれていった。


「逃げろおおおっ!!」


 義足では起き上がるのにも苦労する。組み伏せられてしまったアロンは断末魔とばかりにリオンへ向けて指示を出した。

 その力を防御に、あるいは反撃に使えば、あるいはアロンだけならば逃げる機会があるかもしれない。


「分かった。お前も俺を気にせず逃げろ!」

「応!」


 足手まといの一般人リオンは逃げ出した。リオンと同じように、大乱闘となった食堂から戦闘中の人と食人鬼とをすり抜けて次々と生徒たちが脱出して行く。

 錬金術学校の正面門には兵士たちが警護にあたっており、そこまで逃げれば安心の筈だった。

 だが大食堂から見事脱出を果たした彼ら十数人は、やがて正面門がハゲたちによって兵士たちが倒されている制圧されている光景を目撃する事になる。

 それは退路が絶たれた事と同義だ。リオン達とは別の場所から逃げて来た何人かも正面門の光景を前に立ちすくみ、そこから動けないでいた。

 慌てて校内へ戻り掛けた生徒たちであったが、そこでリオン・ハイムは大胆な提案をする。


「ハゲたちの殆どは、倒れている兵士6人を襲っている。獲物を探しているのは2匹だけだ。突破するぞ!」


 それはさながら、野生動物の群れが水生モンスターの生息する大河を泳いで渡るかのような提案であった。少数は犠牲となるが、それで大多数が助かるだろう。

 リオンは生存の可能性と言う種を撒き、20人ばかりがそれに便乗した。

 門へ突撃した幾人かは捕まり、そこにいた食人鬼の親玉である吸血鬼によって新たな食人鬼にされてしまったものの、リオン自身は上手く逃げおおせる事に成功した。

 だが兵士と生徒が食人鬼に変わる事によって正面門は完全に制圧されてしまい、それ以降の突破は適わなくなった。

 生徒たちは生存の可能性を求めて校内を逃げ惑ったが、その中には冒険者ウィズ・ハルトナーと剣士ペドラ・マクティカの二人も居た。


「不味いね」

「ウィズ、どうするっ!?」


 食人鬼の1匹や2匹なら、二人は素手でも倒せない事は無い。祝福8とは言え冒険者であるウィズの身体能力は常人を凌駕しており、ペドラの戦闘能力も並の兵士には劣らない。

 だが食人鬼はその十倍以上いて、その中には食人鬼とは比べ物にならないほど強大な力を有する吸血鬼が混ざっていた。吸血鬼の力は大祝福並の冒険者程にあり、しかも血を啜るごとにその力は増していった。

 二人は冒険者の生徒が血を吸われるのと引き換えに一気に力を増した吸血鬼を見て、もはや手に負えないと逃亡を開始したのだ。

 二人の逃げ足も他の生徒を上回っており、辛うじて食人鬼の溢れる校舎から研究棟へと逃げ伸びる事が出来た。


「ここは都市アクス内だから、そのうち騎士団が駆け付けて来ると思うよ。まだ事態に気付いてすらいないと思うけど」

「お前の祝福を、初級の信号弾のスキルが覚えられるまで上げておくべきだったな。都市内でレッドライトスコールを2度も打ち上げれば、即座に軍が動くものを」


 そう言った二人は、所属する輝石の研究室に逃げ込むとドアに鍵を掛け、机や本棚をドア前に移動させ始めた。


「嫌だなぁ。これだと食人鬼はともかく、吸血鬼の力は全く防げないよね。退路が無いなぁ」

「…………ウィズ」


 ペドラの声色が変化した。

 静かだが有無を言わせない力の籠ったペドラの警告にウィズが振り返ると、研究室の奥から先客が現れ、無言で佇んでいるのが見てとれた。

 輝石研究室の所属で学年首席のアニトラ・ベルンハルトは、緊張を押し殺したペドラの視線の先で、内に秘めて今にも爆発しそうな力の奔流を抑えながら震えていた。

 アニーの泣き腫らした赤い眼差しは、ペドラとウィズの目と身体の動きを交互に捕らえている。


「ウィズ」

「何?」


 生徒を突然襲わずに多少の理性を残しているのは食人鬼ではなく吸血鬼の方だ。

 ペドラはそれを理解し、飢餓状態の捕食者から目を逸らさないままに言葉だけでウィズに呼び掛けた。


「俺が抑えるから、その間にお前は逃げろ」

「どこにさ」

「お前が考えろ。俺は思い付かないから逃げ切れる自信がない。だがお前なら出来るはずだ。良いな」

「……彼女が逃がしてくれるかな」

「良いから行け。おい、ベルンハルト。俺の血を吸わせてやるからウィズを見逃せ。あともう少しだけ衝動に耐えろ。何らかの感染だろうが、10秒くらいなら耐えられるだろう」


 そんなペドラの一方的な要求に対し、だがアニーは彼から目を逸らさないままに僅かに頷いた。


「よし、ウィズ、行け。10、9……」


 ウィズは途中まで移動させていた机や本棚の狭い間を縫って、ペドラとアニーが見つめ合う研究室から脱出した。

 建屋内や校庭という在り来たりな場所に逃げるのは無謀であると考えたウィズは、研究棟3階の廊下の窓から建物の縁へと出て外壁を伝い、石壁の凹凸を掴みながら屋根へとよじ登って逃げた。

 ウィズは屋根に身を伏せ、息を殺し気配を殺して救援を待った。

 それから暫くして、錬金術学校の夜空へ黄色の緊急信号弾が次々と打ち上げられた。それは、錬金術学校の生徒に数倍する冒険者達を一気に呼び集める救援の光だった。

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