第09話 逃亡
アドルフォと30名の冒険者が決死の覚悟で突入を果たした森のキャンプ場では、まずバカップルのキスシーンが出迎えてくれた。
そしてその周囲には、装備を剥ぎ取られた獣人の死体が13体転がっていた。
アドルフォは半ば茫然としつつ、だが違和感に気付いた。
バカップルの隣で座り込んでいる娘、右足を切り落とされた痕跡がある。
サイハイソックスの切断面、片足のブーツ、裸足なのに土を踏んでいない足、そして服に染み込んだ、尋常では無い血の量。
ライトブルーの上着に大量の血が付着し、黒ずんでいる。ベージュ色のティアードキュロットも、血が塗りたくられている。
おかしい、あまりにも異質だ。
良く見ると、バカップルの女の方も、腰まである長い髪が血でかなり固まっている。男の服には、斬られた跡が沢山ある。
だが、それでいて服の下が無傷だ。こんな事はあり得ない。
アドルフォは、率いてきた冒険者たちに指示を出した。
アドルフォはその出だしを見届け、すぐにバカップルの所へと向かった。とは言っても、キスをしていたのは突入した直後だけであるが。
「わいは都市コフランを拠点にする、冒険商人のアドルフォってもんや。にいちゃんは?」
「ハインツ。ハインツ・イルクナー。旅の冒険者だ」
「ふん、なるほどなぁ。せや、獣人退治お疲れやったな。兄ちゃんが逃がしてもた獣人は、こっちでも8人処理したで。あとは2人おるはずやけど、この暗さで森の中やと、もう追い切れんわ」
「そうか。手間を掛けたな」
「ええで。単独での戦闘は限界あるしな。それだけ倒して追い払っただけで充分や。んで兄ちゃん、その子らへの治癒は魔法か?」
「いや、回復アイテムを使った」
「そりゃ、高いアイテム使ったやん。ステージ3の回復薬なんて普通ダンジョン漁らんと出て来んやないけ。兄ちゃん金持ちなん?」
「いや、探索者だ。金はそんなにないな」
「そうかい。善人なんやなぁ」
アドルフォは確信した。この男は嘘を付いている。だが、何を隠している?
金がないと言いながら、倒した獣人13人の耳を剥ぎ取る様子が一切ない。
装備は、全て獣人から剥ぎ取ったのだろう。だが、なぜ自分の体に合わない武具を身に付けるのだ?
剥ぎ取って店に売るのならば分かる。
だが、なぜ使い慣れない長さの剣を、そしてサイズの合わない鎧を調整もせずに装備するのだ?使い難いだろう。必要なら最初から持っているし、不要なら使わない。
そして、獣人冒険者6人を1人で追い散らせる冒険者は、少なくとも祝福50を超える。6人いれば獣人の隊長もしくは副長が必ずいて、そいつは最低でも祝福40だからだ。それらを倒せるレベルの冒険者が、装備を何一つ持っていないなどありえない。武器を持たずにどうやって50まで祝福を上げると言うのだ。
そもそも、この男は旅の冒険者だと言っていた。護衛なら装備を持っているはずだから、サマーキャンプの護衛でないのは分かる。
だが、何の荷物も持たずに旅をするか?
アルテナの神宝珠に守られていないこの瘴気に満ちた都市外を?
死ぬ気だったのか?
つまりこの荷物無しの男が、回復アイテムだけ都合よく、治癒に使った数だけたまたま持っていた可能性は0だ。
隠しているものが分かった。その辻褄を合わせるために、ボロを出したに違いない。
念を押してみる。
「わいも急行してきたんやけどなぁ。兄ちゃんも、その娘さんらも、大変やったなぁ」
「ああ」
治癒薬はマナを蓄えた植物や加護を蓄えた輝石を磨り潰し、煎じて凝縮させ、それを合わせた薬でしか無い。
再生に適応がある薬でも、足を斬り落とされれば再生まで相当の時間がかかる。
庶民が使える薬では無い。
使った事が無いからそんな事は知らなかったのだろう。
アルテナの祝福を受けたスキルとは違うのだ。スキルは賢者たちが頭を悩ませる、理屈の分からない奇跡だ。薬では遠く及ばない。
獣人の行動から見ても、血の固まり方から見ても、襲われてから回復までの時間が薬では為し得ない。
(こいつはこの若さで、既に最低でもリーランドの大治癒師級や。そんで隠しとる。せやけど、どこまで使える?)
アドルフォはさらに確認する。
「なぁ兄ちゃん。わいは転姿停滞の指輪しとんねん。ちょっとだけ年寄りや。だから兄ちゃんの事、若く扱っとるけど気ぃ悪うせんといてな?あ、兄ちゃんも転姿停滞の指輪しとるんか?冒険者でする奴はそこそこいるけどなぁ」
「いや、俺はしてない。若く扱ってくれて構わない」
(……仮にいま大治癒師級でも、停滞して居なければ、ここから祝福がさらに上がる。見つけた!見つけたで!こんなところで、何も期待していなかったこんなところでっ!)
何度か言葉を掛ける。
「なぁ、わいに雇われんか?冒険者はわいを入れて75人来とるけど、Lv50以上はわいだけや。緊急時やさかい、今回は相場の5倍でどないや?」
断られた。金では動かない。
「せやけど、妻は4人まで持てるやん?」
「……4人っ!?そこ詳しくっ!」
「別に詳しくも何も、常識やん?中等生男子が自発的に調べる法律第一位やん」
「おおおおおおおっ!!お願い、説明して下さい!」
凄い勢いで釣れた。こいつは女で釣れる。若い男なら当然か?そうだろうとも。しかも経験は乏しそうだ。
何人欲しい?どんな女が好みだ?どんな娘でも用意する。どれだけでも用意する。
「お、そろそろ時間やな。兄ちゃん、コフランで教えたるで」
「ぐぬぬ……分かった!」
アドルフォは、ハインツをコフランまで同行させる事に成功した。
Ep01-09
サマーキャンプは都市フロイデンの中等校の一校で、もう何十年にも渡って続けられてきた伝統行事だ。
そのおかげでコテージは、下級のモンスターなら完全に防げるしっかりとした石造りの建物になっている。
それが今回は裏目に出たかもしれない。
獣人達に襲われた時に中等生たちは、コテージか、治安騎士か、ミリーとリーゼの所へ向かって駆け出したのだ。いくら下級のモンスターを防げると言っても、獣人冒険者複数を防げるような強固な造りにはなっていなかった。
まずコテージの外の中等生達が襲われた後、コテージの扉が蹴り壊され、逃げ場の無い中等生達が散々に襲われた。コテージの中は、まるで局地的な台風が来たかのように色んなものがひっくり返っていた。
ミリーやリーゼの荷物は、割り振られた部屋の中に転がっていた。中身は無事だ。服は割れない。
ミリーは血まみれになった自分の服を全部脱ぎ捨てて、リーゼが濡らしてくれたタオルで軽く血を拭ってから素早く着がえた。着替えはいくつも持ってきているのだ。
靴は一足しか持って来ていないから、殺された子のを拝借してきたけれども。
「ねぇリーゼ、こっちの服に着替えなさいよ」
「えっ、わたしはもう着替えているけれど?」
「そんな飾り気のない無地の上着と、オバサンくさい茶色のロングスカートで、一体何を考えてるのよっ!」
「サマーキャンプのしおりに、地味な服装でって書いてあったから持ってきたの。わたしだって、地味かなって思ってるもの」
「いいから、チェックの上着は胸囲が立体的に見えて、でも下の白のシャツと合わせればちゃんと清楚になるんだから。裾だってかわいい刺繍があるしっ。それに黒のセミフレアのスカートだって抑え目だけどちゃんと広がって……」
「ミリー、わ、わかったから。もう時間無いから」
リーゼは慌てて着替え直す事にした。
ミリーが持ってきた荷物の中には、とても短い裾プリーツのワンピースとか色んなものが見えたのだ。せめてこの辺にしておいて貰わないと困る。
地味な服だという自覚はあったのだ。お気に入りの服をサマーキャンプに持って来ていなかっただけである。
「いい、リーゼ?取り消せないんだし、最初が肝心だからねっ?」
「ええと、取り消すつもりはないのだけれど、最初が肝心って何?」
「ファーストインパクトっ!」
「きっと凄いインパクトだったと思うよ……」
なにせ血まみれのミリーを引き摺って、隠れていた森の中から突然出現したのだ。
相手に悲鳴を上げて逃げられても、流石に文句は言えないだろう。
「そうじゃなくて、離婚したら加護を失うと言っても、定期的にお金だけ渡して終わりって人だっているんだから。男の人は4人と結婚できるんだから、油断したら駄目ってこと」
「ずっと前から思っていたのだけれど、どうして4人なの?」
「男の人は良く死ぬからよ」
「えっ?」
「1つの都市内にある資源は限られているでしょ?だから足りないものは、隣の都市から運んで来ないといけない」
「うん」
「でも都市間を移動すると、必ず魔物に出逢うわよね?大街道が出来る前は、今よりもっと沢山の男性が死んだから、その名残かな。男の人が少ないから1人で何人かと結婚できたの」
「今はそんなに死なないよ?」
「そうね。だからいくつか決まりがあるわ。結婚する女性は1都市に1人まで。こうすれば、都市間を移動しない男性は1人としか結婚できないわ」
「そうだったんだ?」
「そうよ。それに、1人目の妻だけは夫の登録している都市に戸籍を移せるから、最初の妻なら有利なの。だって、1都市の女性とは1人までしか結婚できないから、戸籍をそこに変えてしまえば、もうその都市に住んでいる他の女性とは結婚できなくなるわ。リーゼが最初にやる事は分かった?」
「ええと、わたしの戸籍をハインツ様の登録都市に変えること?」
「50点っ!」
「ええっ、どうして?」
「油断したら駄目って言ったでしょ?最初が肝心なんだから、ちゃんと首に縄付けておきなさいよっ」
「そんな酷い事できないよ」
「縄は本当の縄じゃないわよっ!」
森を抜けた暗い大街道を、いくつものキャンドルランタンが仄かに照らした。
その中に浮かぶ、腰まで伸びる長い髪の娘。リーゼ。
ブロンドに属する茶色の髪はウェーブがかって、だが今は髪の先に血がこびり付いて固まっている。
髪は、おそらく切らないといけないだろう。少なくとも肩に掛かるくらいまで。
とすれば、一房だけ束ねている干した青草のような薄い色のリボンも、切るとなればもはや不要になる。
翠色の瞳で少しだけ垂れ目。顔つきは整っていて、気丈にも優しそうに微笑んでいる。
最初は白を薄い草色で染めたような上着を着て、膝下まであるロングスカートを穿いていたが、血まみれになったので着がえている。
ハインツは知らない。わずか10分の間に、地味な服しか持っていないリーゼとオシャレな服を揃えてきたミリーとの間で、服の貸し借りがあったのだと言う事を。
もちろん発案はミリーだ。
ミリーは、リーゼが焦っていると分かっていた。このままだとフロイデンまで、まっすぐ走って行きかねない。
リーゼは普段こそ優等生だが、非常時になると自分の思い込みで行動し、ミリーの言う事を全然聞かなくなる。
それをハインツが上手く止め、髪を撫でて落ち着かせている時に、もういっそのことハインツに任せてしまおうと思ったのだ。俗に言う丸投げである。
飾り付け、熨斗を付けて、はいどうぞと渡したわけだ。
(どうせもう取り消せないしねっ。別に悪い人じゃなさそうだし、冒険者としての腕も良さそうだし)
一生懸命相手の良い所を探して納得しようとする。だが決してイケメーンとは言わなかった。
一方リーゼは、ウエストから裾が広がるペブラムのレースブラウスと、膝が見えるくらいの長さのボリュームのあるタックスカートのワンピース。オフホワイトとベージュの組み合わせで、清楚なイメージになっている。ワンポイントはレース生地の紐くらいの太さの黒いベルト。
リーゼロットは、これでも凄く頑張った。本来、膝が見える時点で彼女にはありえない行動だ。ミリーが何を言っても絶対穿かなかった。そして手を繋いでいる。誰と?さっき結婚した夫とだ。
「……おおぅ」
ハインツから、変な声が出た。
ハインツの身長は172cmで、ジャポーン人男性としては平均値だ。リーゼの身長は155cmで、この世界の成人女性の平均値くらいある。並んで歩いても別に違和感はない。手を繋ぐと、イチャイチャしているように見える。
長年連れ添ったような慣れた感じではなく、時々距離が離れて、慌てて距離を縮めて、それを何度も繰り返している。
何も付けていないのに、良い匂いがする。と、ハインツは感じた。
「ううっ、甘いっ!」
ついに耐えられなくなったミリーが、とりあえずハインツを蹴り飛ばした。
他の中等生とは距離を取っているため、イチャイチャラブラブの被害者はミリー1人に押さえられている。
3人はアルテナの加護を受けた冒険者で、他の中等生はアドルフォが連れてきた冒険者たちに守られている保護対象だ。ハインツが獣人13人を倒し、残る獣人も追い散らした時点で、他の冒険者は指図できる立場にはない。
そしてなぜかアドルフォがその点を各PTのリーダーに強く念押ししたため、ハインツ達は完全に自由行動が出来ている。
「ミリー、どうしたの?」
「ソウダゾ、イッタイ、ドウシタンダ?」
リーゼは素で聞いている。一方ハインツは、半分だけ分かって聞き返した。
分かっている方は、自分たちの行動だ。
分かっていない方は、ミリーの服を着てラブラブしている事に対して、ミリーが恥ずかしくてついに耐えられなかったという事だ。
後先を考えずに行動してはいけない。懐かしい話だが、キャンプの趣旨は、『学問なき経験は、経験なき学問に勝る』だ。ミリーは一つ経験を積んだ。
「ああっ、なんでもなーい!もういいわっ」
ちなみに、ミリーの身長は151cmと少し小柄で、リーゼのスカートが本来よりやや短く感じられるのはそのためである。本来はギリギリ膝が見える程度なのだ。そう言った事も気恥ずかしさに繋がっている。
「でも、この後どうしようかしらねっ」
「そうだな。まずコフランだな。情勢が落ち着くまで、様子を見た方が良いだろう。それに、色々とやる事もありそうだし」
「あ、はい。わたしの冒険者登録と戸籍登録を、ハインツ様と同じ都市にしないと」
「登録?」
「はい。ハインツ様はどの都市に登録していらっしゃいますか?」
「あー、登録してない」
「ハインツさんって、冒険者登録証持ってないの?」
「持ってない。アルテナの祝福とスキルはあるから、持てるか?」
「はい。それはもちろんですけれど」
だんだん苦しくなってきた。ハインツはどこまで話そうかと考えた。上手い言い訳は無いのだろうか。
(ど田舎で修業に明け暮れていたという事にでもするか?)
「……じゃあさ、インサフ帝国とか東の国から逃げてきた事にして登録すると良いよ。荷物も全部なくした事にすると良いかもね。それならどこでも登録できるから」
ミリーが助け船を出してくれた。それなら無理に泳ぐ必要もない。
「そうか。あと何か注意する事はあるか?」
「ハインツ様?」
「……登録する時にあたしも連れて行けば大丈夫よ」
「……分かった」
「ハインツ様、わたしも行きますね」
「ああ、リーゼは良い子だな」
「子じゃないですよ?わたしはハインツ様の妻です」
「ぉぅ」
遠くに大きな明かりが見えてきた。
巨大な建造物、全長200mにも及ぶフロイデン大橋だ。広く、そして深い渓谷に架かる橋は、既に馬一頭が通れるくらいにまで復旧していた。
「ああ、あれか。すごく大きな橋だな」
「はい。バダンテール歴1149年に完成したそうです。100年以上前ですね。でも、いつから作り始められたのかは、正式な記録が無いそうですけれど」
「もう一つの、ハグベリの大橋はもっと前に造られたみたいよ」
その時、遥か後方より、身の毛のよだつ遠吠えが聞こえてきた。
「ぐおおおおおおおおおおおおぉぉぉぉおおっぉおぉぉおおおぉ!」
心臓が震え、生命を震わされた。魂が、死の警告を放つ。こっちに来る。アレはこっちに来る。そんな恐怖が集団を襲う。
皆が騒ぎ出し、怯え出し、早足になり始める。いや、だんだん小走りになる。
ハインツ達も、そんな彼らに速度を合わせざるを得ない。取り残されるとまずい気がする。
冒険者たちですら顔を見合わせる。だが、彼らも自分たちでは対処ができないと感じた。それなら逃げるのを止める事は出来ない。逃げるしかない。それが生きるためには正しい行動だ。
ついに皆が走り出した。集団が半ば恐慌状態に陥るのは、避けられなかった。