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アルテナの箱庭が満ちるまで  作者: 赤野用介@転生陰陽師7巻12/15発売
短編 錬金術師の卵たち

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短編 黒の歯車

 バダンテール歴1258年11月以降、ベイル王国は王国内に流入していた全ての難民を王国民として受け入れた。

 最初に第五宝珠都市ブレッヒに25万人の難民を受け入れ、次いで獣人帝国軍の侵入によって多くの犠牲を出した東側の各都市に減った人口分の難民を受け入れた。

 その一方で西側の第五宝珠都市アクスは、領主のメルネス・アクス侯爵が難民流入数の調整を行いながら最終的に20万人の難民を受け入れた。


 バダンテール歴1260年2月。

 そんな元難民たちが暮らす住宅の一つで、中年男性がまだ20歳には達していないであろう女性に罵声を浴びせ掛けていた。


「この馬鹿がっ!」


 椅子に腰かけた黒髪紫瞳の中年男性が、その目の前で直立する黒髪紫瞳の女性を睨みつける。

 中年男性の体格は中肉中背で、顔には年齢相応に刻まれたしわがある。筋肉はあるが、それとて特筆するほどでもない。他に目立った特徴もなく、どのような仕事に従事していると言われても納得できる。

 女性の方は年の頃なら17歳くらいだろうか。長い黒髪がおしとやかな印象を与え、色白の肌はあまり陽にあたる事をしていないのであろうと見て取れる。読書をしていれば如何にもと言った感じだ。

 二人の年齢や身体的特徴を見れば、第一印象で大半の人がこの二人を親子であると判断するだろう。


「98点を取るなど、潜入者が目立ってどうする」

「申し訳ございません。ジェンマ大尉」


 ガンッ。女性が謝罪を口にした瞬間、男の右手が伸びて女性の頭を打った。

 頬などを殴らないのは、痣が残るからだ。

「その痣は何だ」と、誰かに一度でも疑問を持たれれば以降注目されてしまう。リスクは極力避けなければならない。


「申し訳ございません。お父さん」


 女性は黙って殴られると、父親役のジェンマ大尉に対して「お父さん」と言い直した。


「ふん」


 男は再び椅子に座り直し、女性は男の前に立って指示を待った。

 あるいは命令を。

 彼女は春からベイル王国の錬金術学校に通う生徒であり、同時にディボー王国からの潜入者でもあった。






 Ep05-33






 バダンテール歴1259年2月。


 ベイル王国が3ヵ月前より強行し始めた全面改革が、それ以前にディボー王国が行ってきた表と裏の投資の大半を失わせた。

 綱紀が粛正され、籠絡した役人が次々と連絡を断った。富の蓄財はともかく、両国の力関係は縮められていった。

 殆ど証拠が残らない筈であったのに、どうやって確証を得たのか。

 大抵はシラを切って口を割らない筈なのに、どうやって自白させたのか。

 まるで、始末したはずのベイル王国の役人たちの霊から情報を集め、それを元にディボー王国が金で籠絡した役人たちを割り出し、その者達に対して生死を問わずに拷問して情報を集め、情報の集約先までも割り出したかのようなあまりにも理不尽な対処だった。


 メルネス・アクス最高司令官の指示があり、王国最精鋭の緑玉騎士団がベックマン将軍の指揮の下に情報収集の中核人物を次々と捕らえて行った事は伝わった。

 もしかすると、英雄の石碑から復活したメルネス・アクス最高司令官が、ディボー王国がベイル王国に対して行っていた行為を犠牲者たちから収集し、集約していたのかもしれない。

 本来狡猾なはずのディボー王ガストーネは、これらの事態に対して二の足を踏んだ。






 バダンテール歴1259年6月。


 ベイル王国の王都ベレオン、その王宮内にある大会議室内の交渉の場にて、ディボー王国宰相セルソ・オルランドは交渉相手から信じがたい言葉を聞いた。


 『惜しむ気持ちは分かります。独占技術は莫大な利益を産みますからな。ですが、成立しなくても別に構いません。無敗のグウィードが暴れまわり、第三宝珠都市トイラーンが陥落して技術者が逃げてくるのを待ちます。もしくは、錬金術の概念や各種の大まかな知識ならば理解しておりますので、私が道筋を立てる事もできます』

 『……イルクナー宰相代理は、周辺国のご出身では無いようですな』


 この時、オルランド宰相は事態の深刻さを悟った。

 ベイル王国の役人が、ディボー王国の錬金術の秘匿先を第三宝珠都市トイラーンであると知っているはずがない。

 ベイル王国は、アクス侯爵が集めたと思わしき情報や王国外務省の役人たちが行う調査に加えて、さらに高度な情報収集手段を有しており、その手段を用いて集められた情報がイルクナー宰相代理へ正確に伝わっている。

 加えてイルクナー宰相代理自身が、ディボー王国の最先端技術を越える知識を有している可能性がある。

 イルクナー宰相代理は、グウィード軍団長を打倒する報酬に金ではなく技術を要求した。彼にとって、錬金術の優先順位は極めて高い。

 実際の最高権力者自身に正確な理解があり、さらに優先順位も極めて高いとなれば、ベイル王国はディボー王国からの技術供与がなくともいずれ独自の錬金術を持つだろう。


 『さて。それで如何なされますか?国境の封鎖は解除されますし、傭兵を雇ってグウィードに対抗なさいますかな?』

 『戦果と引き換えに、それらの錬金術指南書をお渡ししましょう』


 オルランド宰相は、ベイル王国に対して長期的に情報収集を行う必要を感じた。そして可能な限り多様な手法で、幅広く情報収集を行えるスパイ網を広げて行った。






 バダンテール歴1259年10月。


 ベイル王国は、6月の国家間交渉による技術供与決定から僅か4ヵ月で、国内全都市に対して1260年4月に開校する錬金術学校の入学試験を行うとの通知を出した。試験日は12月である。

 オルランドの見積もりでは、ベイル王国の錬金術学校開校はどんなに早くとも1261年4月だった。

 学校や研究施設は、既存の建物から使用者を追い出せば良い。教師には最も優秀な者を宛がえば良い。

 だが、新技術をいきなり使えるはずがない。時間がかかるはずだった。


 (指南書の分析は、イルクナー宰相代理自身ですな)


 加えてイルクナー宰相代理は、『一人の錬金術師が全てを教えるのではなく、専門分野に分けて教える方法』で、高い水準を教えられる教師まであっさりと確保してしまった。


 (……彼の政策や発想は、現代の水準から1人で生み出せるような次元では無い。おそらく彼は、長い歴史の間に沢山の人間が試行錯誤して築きあげた知識の粋を学んでいる)


 オルランドは、イルクナー宰相代理がこの大陸の人間ですら無く、それどころか過去に周辺国に辿り着いた冒険者の中でも最高の教育を受けていると判断した。

 ならばイルクナー宰相代理が行う事は、何一つ見逃してはならない。


 (……さて、何人送ろうか?)


 ディボー王国の王都ディボラスからベイル王国の王都ベレオン、あるいは都市ブレッヒへの距離は6都市だ。アクスなら7都市である。

 試験前にオルランドの指令は各地へ届き、受験させて内部にスパイを送る事は出来る。

 だが受験資格が潜入の足かせになった。

 受験資格はベイル王国の都市登録民で、14歳から17歳であった。

 オルランドならば、ディボー王国が潜入者の追加増員をして難民登録をすることを見越し、新規難民は12月の試験後の都市民登録にして受験資格を与えないようにするだろう。

 つまり、既に14~17歳として送り込んでいる人員だけで入試を受けさせるしか無い。また、受験は記録に残るであろう故、潜入者全員に試験を受けさせる訳にもいかない。


 (先方のスパイ対策は予想の範囲内。むしろ元難民に試験を受けさせる点が甘い。それよりも、ディボー王国にも錬金術学校を創る必要がある)


 ディボー王国に錬金術学校を創るにあたっては、もはやベイル王国の技術がディボー王国の秘匿技術を越えているか否かを問わない。

 ベイルの錬金術学校がディボーの秘匿技術に劣るならば、ベイル王国と同程度の水準を公開して国民へ教育を施すべきである。

 ベイルの錬金術学校がディボーの秘匿技術に勝るならば、ベイルの技術を可能な限り模倣し、国の水準を底上げしなければならない。


 (このまま座視すれば、ディボー王国はいずれベイル王国に経済と産業を支配され、将来は植民地化される)


 それはオルランドの確信だった。

 この際、イルクナー宰相代理の人格や人間性は問わない。ベイル王国の指導者が変われば、両国の国力差が国際関係に直結する。オルランドが宰相の座を退く際にどれだけの下地が出来ているかで、以降の両国間の関係は劇的に変化するだろう。

 その日オルランド宰相は、ベイル王国の潜入者へ指令を出すと同時に、ディボー王国の政策転換に向けた立案を開始した。






 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇






 リコリット・ホーンは、ディボー王国に逃げ伸びた難民の一人だ。

 年齢は17歳。

 これは偶然だが、彼女はイルクナー宰相代理の妻であるオリビア・リシエと同い年である。

 同じディボー王国の難民でありながらリコリット・ホーンはディボー王国に拾われ、オリビア・リシエはベイル王国に拾われた。

 ディボー王国は難民を道具として扱った。魔族の核にしたり、ゾンビにして焼き払ったり、スパイに仕立て上げたり。

 リコリット・ホーンは自らを省みる。


 (眩しく輝くリシエ秘書官と、その陰で暗躍するスパイの私。その違いは何?)


 かつては疑問など起きなかった。

 何もかも失った難民。食べ物が無い。ディボー王国が拾ってくれて、住む場所や食べ物を与えてくれる。だからディボー王国の言う事を聞くのは当たり前。

 自らの立場に疑問が生じたのは、ディボー王国の指示で父親役のジェンマ大尉と共にベイル王国に難民として潜入した少し後だ。


 リコが難民としてベイル王国へ潜入した後、突然ディボー王国がベイル王国から国際非難され、両国の国境が封鎖されてしまった。

 ベイル王国は国境封鎖の理由を公表した。廃墟都市リエイツでの難民大量虐殺と人工魔族製造、そしてそこからの脱出者であるオリビア・リシエ……。

 情報収集が目的だったリコは、使い捨てにされる自分の立場を客観的な視点で理解した。

 それと同時に、リシエ秘書官のように嫌だと反撃すればベイル王国が自分を助けてくれる事まで知ってしまった。


 リコは初めて命令を聞かず、本気で試験を受けてみた。

 その美しい容姿から知識層へのスパイを求められていたリコはディボー王国で高等校までの教育を受けており、ベイルの入学試験は容易かった。


 (……98点。私は、98点)


 ベイル王国はリコに対して、前期試験が終わるまで毎月1,372Gを補助してくれる。望めば寮にも入れるし、将来は最低でも公務員としてベイル王国で雇ってくれる。

 アクス錬金術学校の生徒リコリット・ホーンは、既に将来に渡って飢える心配が無い。


「せめて5~6問くらい間違えておけば良いものを」

「申し訳ございません。不合格になって役目が果たせなくなる事を恐れました」

「ちっ」


 リコはスパイだ。

 リコが捕まった時に他のスパイが芋づる式で発覚しないよう、他の潜入者の情報は一切与えられていない。

 身分を偽り、自分を偽り、仮面を被って単に与えられた任務を果たす。


 (でも、何の為に?)


 裏切ればどんな目に遭うのかは教えられている。

 だが、ベイル王国の庇護に入れば?

 イルクナー宰相代理を敵に回したくないディボー王国は、ディボー王国に大損害を与えたリシエ秘書官に手を出せない。機会があっても絶対に手を出すなとの指令が出ている。かつてなら殺していたはずなのに。


「お前の任務は、アクス錬金術学校の情報を可能な限り収集する事だ。分析は本国が行う。余計な事は考えずに、ひたすら情報を集めて俺に報告しろ」

「……はい、お父さん」


 ディボー王国製の歯車が、環境変化で僅かな歪みを生じさせていた。

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