短編 縁★★
「少し休憩しませんか」
優しく掛けられた言葉に男が視線だけを向けると、そっと差し出されたマグカップから淹れ立てのコーヒーが湯気を立てていた。
「……ああ、すまないね」
男の手によって机上の書類が脇に避けられると、その下から木製のコースターが現れた。
その上にそっと乗せられたマグカップは間を置かずに再び浮き上がり、男の口元へと運ばれた。
ズズズズ……。
熱い液体が、その温度を下げるために空気と共に吸い込まれる。
「品が無いですよ。錬金術師ジェルミ」
コーヒーを運んできた女が、そう言って男を窘めた。
すると男の方は、脇に追いやられた書類の束を眺めながら平然と答えた。
「錬金術師だからだ」
「私も錬金術師ですけれど、そうは思いません」
「……そうか」
男は否定されても全く意に介さず、再び書類に目を通し始めた。
そんな男の様子に、女の方も言葉を重ねる事は無かった。そのような些事よりも、今は書類の方が大切だ。
「それで、逸材は見つかりましたか?」
「……いや、これからだ」
男は手にしていた入学申込書を机の上に置いて、再びコーヒーを啜った。
「そうですね。まだ3月11日です。締め切りの月末までには時間がありますから」
女の方も頷いた。
この二人は、4月から開校する錬金術学校の教師だ。
男の名前は、リディオ・ジェルミ。
青銅色の前髪は伸び、その先端が紫の瞳に掛かっている。真っ白な肌は不健康そうで、見る者に研究室に籠る学者を連想させる。そしてそのイメージを強調するかのように、白衣を着ていた。
研究分野は、『属性鉱石の製錬』だ。
とは言ってもジェルミが持っていた技術は、教師になる事と引き換えに渡された指南書には遠く及ばない。早く出資者である宰相代理から設備や資金を渡され、指南書の検証や次の段階への実験をしたいと願っている。
もちろん対価として、自分が理解した錬金術を生徒たちに教える。だが、願わくば自分には優秀な生徒だけを付けてほしい。中等校で教えた程度の事すら満足には理解できなかった生徒に、錬金術の一体何を理解できると言うのか。
だからこそ、どのような生徒が来るのかには関心を持たざるを得ない。
女の名前は、テレーズ・フレミー。
長い亜麻色の髪はサラサラとしていて、肌も色白で若々しい。流線形は美しく、仕草も上品。だが目に付くのは、透き通った青い瞳であろうか。その瞳の奥から覗くのは、溢れ出る程に深い知性だ。
研究分野は、『特殊繊維の精練』だ。
フレミーは小さい頃から服に興味を持っていた。最初はファッション性へと向いていた興味は次に素材へと向かい、やがて実家から支援を受けて自分の店を出した。
趣味を商売にした結果、高い評価を得て上流階級の貴婦人から子女まで何人も顧客に持った彼女は、やがて素材の精練からさらに一段階上の『付与』までも思い付く。
その頃、宰相代理がピンポイントで張り巡らせたアンテナに、フレミーは真っ先に引っ掛かった。宰相代理が直接交渉した結果、折り合いが付いた彼女はここに居る。
フレミーは自分の生徒に、せめて半数くらいは女子が来て欲しいと思っている。
コンコン。
「すみませーん」
二人が机上の書類をそれぞれの想いで眺めていた時、教員室の扉が叩かれ、おっとりした声が聞こえて来た。
「はい、どうぞ」
「失礼します」
フレミーが返事をすると、若い女の子が入室して来た。
女の子はブロンドの髪を肩くらいまでのお下げにしている。瞳の色も同じだ。
服装は白いブラウスとオレンジ色のスカート、黒いシューズなのだが、ブラウスの袖口の生地は丁寧に装飾されており、スカートは茶色い布と白いで綺麗な縁取りが為されており、シューズにはフサフサの動物の毛のようなものが付けられている。おまけに首には布と一体になった白い星型の装身具を付けている。
「あのー、入学申込書を直接持参しました」
研究分野が『属性鉱石の製錬』であるジェルミには分かった。
「首の白い装飾具、生命力増大の輝石の加工品だな?」
「あ、そうですよー」
研究分野が『特殊繊維の精練』であるフレミーには分かった。
「もしかしてその洋服、魔力凝縮効果が付与されていないかしら?」
「すごいです。どうして分かったんですか」
二人の錬金術師は、少女へ同時にツカツカと歩み寄っていった。
そして次の瞬間、少女の右肩を錬金術師ジェルミが、そして左肩を錬金術師フレミーが力強く掴んだ。
「えっ、えっ……?」
「入試の点数は、何点だった?」
「その服は誰が作ったのかしら?」
「93点でした。服は、錬金術師のお母さんが作ってくれました」
「キミの名前は?」
「いま何歳かしら?」
「アニトラ・ベルンハルトです。15歳です」
入学申込書を持っていたアニトラの右手が、本人の意思とは無関係に上げられる。
「よし、ベルンハルト君。キミは俺の研究室に入れ」
「アニトラちゃん。貴女はぜったい私の研究室に入ってね」
「……えーとっ」
紫の瞳の錬金術師と、青の澄んだ瞳の錬金術師の視線の間に、赤い火花がパチパチと練成され始めた。
その視線の間に、入学申込書が浮かび上がってくる。
『アクス錬金術学校・入学申込書。アニトラ・ベルンハルト』
「おい」
「あら」
「はい?」
アニトラの右手が下げられ、両肩もいつの間にか離されていた。
「ここは王都のベレオン錬金術学校だ」
「あなたが書類を提出しないといけないのは、アクス錬金術学校の方よ」
「試験はこちらで……受けましたけれど?」
4月から開校する錬金術学校は、王国に3つある。
アニトラの顔色が、錬金術師ジェルミのように段々蒼白になっていった。
「3月31日の午後5時までに入学する学校へ入学申込書を提出しなければ、入学辞退になるぞ」
「昨日アクスの校長先生が、3月末に間に合う最後の便で王都を発たれたわ。ちなみにその便が、3月着の送付証明書を発行してもらえる最後の馬車ね」
「………………………………あぅ」
錬金術師アニーの冒険は、始まる前に終わってしまった。
★地図(移動表&カレンダー )
都市間の移動や郵送には時間がかかる。
入学申込書を送るのに最も時間がかかるのは、『東の都市アルバレスから西の都市アクス』あるいは『西の都市マイアスから東の都市ブレッヒ』で、いずれも11都市離れている。
毎週月曜日と木曜日に出発するハーヴェ商会の馬車で移動や郵送をすれば、1週間に2都市を進む事になる。
すると、11都市を進むには5週間半の日程を要する。
従って合格通知書と入学申込書が入った配達記録付の特別郵便は、2月上旬には生徒たちの手元に届くよう各都市の役場に事前に預けてあった。
それだけの余裕があれば、学生はどんなに遠方からでも3月中に錬金術学校のある都市に書類を送り、本人自身も到着する事が出来る。
『錬金術学校合格者は、3月中に錬金術学校へ入学申込書を提出する事』
4月から開校するなら、それ以前に申込書を提出するのは当たり前だ。
申込書は直接持参してもいいが、特別返信封筒に入れてどこの都市にでも必ずあるハーヴェ商会の普通定期便の受付窓口に渡す形でも良い。
窓口で引き換えに貰う控えの送付証明書があれば、例え普通定期便が魔物に襲われるなりして書類を紛失したとしても、生徒に落ち度は無いとして入学は認められる。
だが、到着予定日が期日を過ぎていれば本人の落ち度だ。
「どうにか……どうにかなりませんかっ?」
「惜しいが、ルールを破れるのは結果に全ての責任を持てる者だけだ。入学条件に成績で不公平を作るのは、おそらく学校長でも無理だ」
「あまり落ち込まないで。アニトラちゃんは若いから、また来年があるわよ」
入学試験は、錬金術学校が開校する3都市のいずれかで受けられた。
受験生は各都市の役場に行けば、最寄の試験会場までの無料往復券をもらえた。
受験料・旅費・学費が無料だった事、生活費の補助が大きい事、受験年齢が中等校2年生から17歳までと4学年に及んだ事、合格すれば中等校卒業扱いになった事、錬金術学校卒業の暁には希望すれば最低でも役人にはなれる事など、優遇は多岐に渡った。
そのため受験生が押し寄せ、試験会場がとても足りずに騎士の駐屯地まで使っていた。
試験は100問のマークシート式で、1問に対して選択肢が5~10個あった。
全ての問題を勘で解けば、平均点は10~20点になる。受験生は多かったが、運だけで受かったのはごく少数だろう。
1問でも間違えると不合格になるいくつかの禁忌問題や、製錬・精錬・精練・調合の下地となる基礎知識や基礎技術が備わっているのかを調べる特殊な問題も混ざっていた。
錬金術学校は公表していないが、点数は生徒たちがどの程度の座学で初級の錬金術を扱えるようになるかの重要な指標だった。
例えば錬金術師ジェルミは、85点以上の生徒ならば1年の座学で研究を手伝えるレベルに達せると見込んでいる。
そして錬金術師の娘であるアニトラ・ベルンハルトには、大半の問題の答えだけではなく、その出題意図までもが理解できていた。
それでいて93点と言う点数は、学んできた分野に偏りがあったからだ。その浅かった分野も、錬金術学校で学べばすぐに解消できるはずだった。
「強く生きろ」
「力になれなくて、ごめんなさいね」
「………………」
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「ぐすっ……えぐっ……」
沢山の人で賑わう王都の大通りを、アニーは行く当てもなく彷徨っていた。
ベレオン錬金術学校を出てから真っ先に駆け込んだハーヴェ商会で確認すると、次の普通定期便は木曜日の午後2時で、都市アクス到着予定は4月3日だった。
郵便の送付証明書も4月3日着でしか発行できないと言われた。
特別臨時便に郵便1通だけでも混ぜられないかと聞いてみたが、もちろん駄目だった。
今からでも4月7日の入学日には間に合う。但し、事前の入学手続きには間に合わない。
食い下がったのには理由がある。
アニーには帰る家が無いのだ。
予定では遠方からの生徒のために用意されている無料の学生寮に入るはずだった。
生活費補助は成績に応じた金額が貰え、アニーの場合は前期試験までの半年間は毎月1,302Gが支給される予定だった。
錬金術師である母は、アニーが故郷を出る際に自身も旅に出ており、暮らしていた借家はその時に退去した。
ベイル王国において15歳は成人と認められる年齢だ。生活や収入の見通しが立った娘を送り出したアニーの母は、自らも錬金術の研鑽の道へと戻ったのだ。
まさか合格した娘が入学前に躓くとは想像だにしていないだろう。
「……ぐすっ……入学先…………王都にしておけば良かった」
3校のどこでも全教科を学べるとの事だったが、産業や素材入手と言った都市立地の関係で主となる分野が異なるためにアニーは都市アクスを選んだ。
また来年と言われたが、手持ちの所持金は4月には尽きそうだった。
次年度の生徒に対してどんな補助が行われるのかも分からない。
「あたし、働かないと」
ようやく結論を出したアニーは、涙を拭って王都の職業斡旋所へと入った。
故郷でアニーの事を『天然』とか『おっとり』とか言っていた同級生が今のアニーを見たら一体何と言うだろうかと、そんな事をボーっと考えながら虚な表情で番号札を受け取る。
しばらく待っていると番号を呼ばれ、職員さんから面談を受けることになった。
「おう、こんにちわ。今まで何してたんだ?」
マフィアみたいな面構えの立派な格好をした職安のおじさんが、にこやかに、だが何の配慮も無く問い質して来た。
いきなり挫折の人生を思い浮かばされて心が折れそうになったアニーは、それでも必死に言葉を紡ぎだした。
「あたし……今月中等校を卒業して、だから働きたいです」
「やっぱり、自分のやりたい事を絞り込まんといかんな」
容赦の無い問いかけが続く。
アニーは、本当は錬金術学校に通いたかった。試験では93点も取れていた。合格通知書も貰った。
でも、その夢は叶わなかった。
「どこで、なにを、どのくらいしたいんだ?それと、何が出来るんだ」
「場所はどの都市でも良いです。何か出来そうな事を、短期で。調合……いえ、料理とかが出来ます」
「短期はどのくらいだ?1年?5年?それとも半年か?」
「……半年とか、短めが良いです」
「フーン」
職安のおじさんはいくつかの書類をペラペラと捲り、やがて1枚の書類をヒョイっと引き抜いた。
「はいこれ」
アニーのこれからの人生が、トランプのババ抜きのように適当に決められてしまった。
「……ぐすっ…………ふえぇっ」
「どうした?」
「……何でも…………無いです。お仕事がんばらないとっ!」
「おう」
アニーはそう決意して、職安のおじさんに渡された書類に目を通した
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依 頼 書
雇 用 者 ジョスラン・ベルネット
募集対象 ①中等校卒業者 ②女性 ③未成人不可
業務内容 臨時便の炊事・雑用
報 酬 1200G(保険・危険手当込み)
期 間 3月13日~3月31日
その他 2月に当ベルネット商会の輸送馬車が盗賊に襲われ、人と荷を失った。
その為、王都にて再発注した商品を至急都市アクスへ届けたい。
報酬は3分の1を前金とする。アクス到着後は現地にて解散とする。
行程については以下の通りとする。
★地図(移動表&カレンダー )
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