第08話 だが妻は4人まで持てる
「ぐぉおおおおおがああああっ!!」
バーンハードは、大声で吼えた。
力が漲り、マナが湧き出でて、興奮が冷めない。叫んで、叫んで、ようやく収まる。先程までは満足していた。
ベイル王国の紅玉騎士団長ベレンゲル。彼は、凡庸な人間にしておくには勿体無いほど冷酷で、恐ろしい騎士団長だった。
彼はフロイデンの住民を守らず、むしろ無防備な囮にして襲わせた。
獣人が隊を分けてフロイデンの住民を追い回すと、分散した隊の一つに30名程の騎士の決死隊が襲いかかった。
獣人の1隊には冒険者が12人しかいない。合計2隊も蹂躙された。3隊目が応戦する間にバーンハードが到着し、そこで活動の限界を迎えた……かに思われた。
彼らは人を入れ替えて自分たちが少数に見せかけていた。回復アイテムを持っていた。マナを残していてスキルが使えた。彼らの行動はバーンハードを少数で引きずり出す罠だった。
バーンハード達の隊が駆けつけてくると、30名と聞いていた相手が殆ど減っておらず、むしろ周囲からさらに出てきて合わせて40人ほどになり、それらで一斉に襲いかかってきた。
バーンハード大隊長はベレンゲル騎士団長に対して全力で突撃し、自らの左腕を捨て、ベレンゲルを貫き殺した。
斬られた腕はさほどではない。バーンハードはそう言った戦いを想定し、部分的に強固なプロテクターを用意していた。
活動にさほど支障の無い重さで。だが、騎士団長級の一撃に対してなんとか耐えられ、治癒魔法ステージ2で腕が治せる程の強度のプロテクターを、経験則に基づいて自分で計算して準備して。
「ぐおおおぉおおおあああああああっ!!」
元々大きな声のバーンハードはさらに大きな声で叫ぶ。
今は機嫌が悪い。
先程までは良い戦いだった。入念な狩りの準備をし、自分の全ての力で獲物を倒し、そして糧を得る。狩りは本能を満たしてくれる。走り回ると気持ちが良い。強敵を倒し、狩りの成果として住民を殴り殺し、叩き潰し、薙ぎ払い、蹴り転がし、振り回し、焼き尽くし、大いに満たされた。
だが、こいつは今何と言った?
「ぐぉおぉおおぉぉおおおああああっ!!もう一度報告しろおぉおおっ!!」
蒼白な獣人が、バーンハードに怯えながらもハッキリと答える。ここで口ごもると、いくら部下でも無傷では済まない。
「フロイデン西の大橋に数百名の人間が侵攻。冒険者50以上、魔導師約10。橋を奪還されました!」
「ぐがああああああああぁぁぁあああぁああああぁああ!!」
バーンハードの大声がフロイデンに轟いた。
既に住民の3分の1を殺された都市の人々は建物に隠れ潜み、あるいは逃げ惑い、轟きに対しては稲妻と同じようにとにかく震えてやり過ごすしかなかった。
Ep01-08
森のキャンプ場に、冒険者が沢山入ってきた。
慌てて唇を離すハインツとリーゼ。二人の位置は入り口となる細道にほど近く、冒険者の観察力であれば見られたかもしれない。だが、大人の気遣いなのか、何も言われなかった。逆に気まずい。
指揮官と思しき男は、率いてきた多数の冒険者に素早く指示を出した。
「トリアージと救護開始せい!救護所は一番大きいコテージに設営。1班がトリアージエリア。2班と3班が赤。4班が黄。5班が緑。黒は放置や。各隊長は、隊員が余れば不足する所へ振り分けい。獣人が出た場合はそちらを優先。その他、何かあればパーティ隊長の判断で対応、判断付かんかったら、わいに報告せぃ!」
「「「了解」」」
冒険者たちが、キャンプ場とコテージ内に広く分散する中等生たちの保護に動きだした。救護所はコテージで代行し、前面にトリアージエリアを展開。洗浄水と回復アイテムを並べる。コテージにベッドがあった事が幸いし、立ち上げはスムーズに進む。
彼らの指揮官は優秀すぎた。
ハインツは、回復魔法を使わなかったのはともかく、リーゼに付き合って救護の手伝いもすれば良かったとやや反省した。
リーゼと話そうとし、だが指揮官はすぐに戻って来た。
「わいは都市コフランを拠点にする、冒険商人のアドルフォってもんや。にいちゃんは?」
「ハインツ。ハインツ・イルクナー。旅の冒険者だ」
「ふん、なるほどなぁ。せや、獣人退治お疲れやったな。兄ちゃんが逃がしてもた獣人は、こっちでも8人処理したで。あとは2人おるはずやけど、この暗さで森の中やと、もう追い切れんわ」
「そうか。手間を掛けたな」
「ええで。単独での戦闘は限界あるしな。それだけ倒して追い払っただけで充分や。んで兄ちゃん、その子らへの治癒は魔法か?」
「いや、回復アイテムを使った」
「そりゃ、高いアイテム使ったやん。ステージ3の回復薬なんて普通ダンジョン漁らんと出て来んやないけ。兄ちゃん金持ちなん?」
「いや、探索者だ。金はそんなにないな」
「そうかい。善人なんやなぁ」
しばし雑談。いくつか情報が入る。
(イケメーン狐さん、逃げ切ったかなぁ。こっちに来て最初に話した人だし。あ、名前聞いて無かったな)
「わいも急行してきたんやけどなぁ。兄ちゃんも、その娘さんらも、大変やったなぁ」
「ああ」
どうやらこの状況を危惧していたらしいなと、ハインツは思った。
彼らがもう少し早く着いていれば犠牲者は少なかった。だが、彼らはどう考えても国の騎士などには見えない。装備がてんでバラバラだ。
相手は軍隊だ。この国の防衛はどうなっているのだろうか。
「なぁ兄ちゃん。わいは転姿停滞の指輪しとんねん。ちょっとだけ年寄りや。だから兄ちゃんの事、若く扱っとるけど気ぃ悪うせんといてな?あ、兄ちゃんも転姿停滞の指輪しとるんか?冒険者でする奴はそこそこいるけどなぁ」
「いや、俺はしてない。若く扱ってくれて構わない(てか転姿停滞の指輪ってなんぞ?)」
アドルフォはよくしゃべり、ハインツは適当に誤魔化した。アドルフォはようやく本題を切り出した。
「ところでな。いつまでもここにはおれんのや。本当は救護をきっちりしたいんやけど、フロイデン方面から獣人の大隊が迫っとる。避難が必要や。逃げ先はコフランしかないで。兄ちゃん準備にはどれくらいかかる?」
「すみません、フロイデンはどうなったのでしょうか?」
「ん?嬢ちゃんは?」
「わたしはリーゼロット・ルーベンス・イルクナー。ええと、こちらにいるハインツ様の妻で、治癒師祝福3の冒険者。フロイデンの市民です」
「ああ……」
「あああ……」
ハインツとミリーは、キッパリと言い放つリーゼを目にして視線だけを交わし、心の中で頭を抱えた。世の中の問題は、一つ解決すると2つに増える仕様らしい。
問題にも優先順位と言うものがある。とりあえず緊急とは思えない問題の方は、先送りする事にした。
「なんや、二人して頭抱えて。フロイデンは、獣人の大隊に襲われとる。んで、もうすぐこっちの大橋を落としに来る。南のハグベリ大橋も、別の大隊に襲われとる。獣人を尋問して確定した情報や。孤立する前に逃げぇ。10分で出発できるか?」
「……そんなっ!」「分かった」「分かりましたっ」
賛成2、反対1だった。
「……家族がフロイデンにいるんです」
リーゼが焦った顔でハインツを見る。
ハインツは、現状を理解したとは言い難い。
だがリーゼについては、獣人に悲惨な目に遭わされていた為に判断力や対応力が低い冒険者だと考えた。
その一方、行動が迅速なアドルフォの方は見るからにベテランだ。冒険者を多数指揮している事からも、ここに獣人を蹴散らして来た事からも、そして救護の尋常ではない手際の良さからも。
だからハインツはアドルフォの意見を受け入れる事にした。
「リーゼは、獣人の大隊?の所に行って、どうしたいんだ?」
「……みんなを逃がさないといけないです。わたしたちは冒険者です」
「それで、具体的にどうするんだ?」
「なんとかフロイデンまで行って、獣人から隠れて家の方に行って、それでみんなに……みんなにっ……」
リーゼは無謀である事に自分で気付いた。ハインツは、とりあえずリーゼの頭を撫でた。
「じゃあ逃げるぞ。アドルフォさん、コフランまで頼む。10分待ってくれ」
「おお、ええで。救護の切り上げもそれくらいかかるわ。嫁さんに指示出したれ」
「リーゼ、ミリー、荷物を取って来い。アドルフォさん、あんたが連れて来た連中にも、呼びかけを手伝ってほしい。全員集めているんだから、治療の見切りを付けたらそのまま行けるだろう」
「おし、スムーズで助かるわ。5班、今すぐ終わりや。ガキどものケツを引っ叩いて、撤退を指示せぇ。むしろ手伝わせぇ。5分で支度せぇて言え!5分やで?荷物一つだけ取って来させぇ。遅れたら容赦なく置いてくで!」
途端に騒がしくなる周囲。質問が飛び交うが、アドルフォが率いてきた集団は時間を変えない。彼らにも分かっているのだ。ぐずぐずしていると退路が絶たれると。
無駄な質問をしている間に準備すべきだとやがて理解した中等生たちは、その大半がキャンプ場のコテージに慌てて着替えなどを取りに行った。
「ああ、兄ちゃん。時間無いけど、獣人の耳どないするんや。状況は1班がまとめとるさかい、やらせるか?剥ぎ取り手数料は1割や。それでええか?」
「問題ないですよ」
「1班、その13匹の耳剥ぎ取れや!兄ちゃん、かさ張らんマナ回復薬が2本あるから、それと交換でどないや?獣人戦士5、獣人兵8。ギルドに持って行って、大体1,400Gってとこやろ。1割引いて1,260Gやな?せやから、この2本でどないや?」
ハインツは、差し出された瓶に鑑定のスキルを使ってみる。
マナ回復薬 品質78 マナ回復量156
マナ回復薬 品質80 マナ回復量160
「なるほど。それくらいかな?」
「兄ちゃんは鑑定のスキルも持っとるんか?優秀やなぁ。ほら、飲んどき?今結構やばいから、ケチったらアカンで。あ、ちゃんとマナに変わるのは1時間ほどやけどな」
ハインツは言われるがまま、ゴクッ……ゴクッ……と喉を鳴らして回復薬を飲んだ。
マナを潤沢に含んだ回復薬は、じわじわと魔力の源が身体に滲み渡るようでとても甘美だ。
その不思議な液体を一口飲むたびに、マナが体の中に染み込んでいった。味はじっくりと煮込んだ海の幸が濃縮されたスープの様な、そう大いなる命の液体だ。ハインツはその液体が喉を通るたびにクラクラとした。身体にマナが同化していく。
ハインツにこの味はむしろ毒だった。なぜなら美味し過ぎるからだ。
この世界に来てから、水分を含んだ植物を口に含み、いつ汲んだかも分からない水筒の皮の味が染み込んだ水を飲んだ。ようやく安心できる飲料水を手に入れたという安堵感も手伝い、喉をゴクゴクと鳴らして瓶に入った謎の液体を一気に飲み干す。
ハインツは2本目の瓶の封を切った。
「兄ちゃん、1日に2本飲んでも効果ないで?しかも酔うで?」
「ひっく。全然大丈夫っすよ?」
ハインツは2本とも一気に飲み干した。強い味に身体が酔ってくる。
だが1,260Gと言う事は、約12万6,000円と言う事になる。冷静になると肝が冷えてきた。
ジャポーンでは1クールのアニメのBDが3作品マラソン出来る値段だ。オーディオコメンターリーで声優さんの素敵な裏話まで聞けるのだ。あるいはスタッフさんかもしれない。でも特典CDだって付いてくる。それが3作品分。ハインツの顔がやや青ざめた。
「お、めっちゃ冷静な顔になったやんけ?なんや、マナ酔いには強いんやな。ほな、少し確認するで。兄ちゃんは今、雇用状態にあるんか?」
「いや、全然」
「なぁ、わいに雇われんか?冒険者はわいを入れて75人来とるけど、Lv50以上はわいだけや。緊急時やさかい、今回は相場の5倍でどないや?」
「すまないけど、今は万全の状態からほど遠いんだよ。早く街に行きたい」
お金は欲しい。ハインツの所持金は1,561Gしかない。わずか15万円で、後は獣人達から奪った装備品や持ち物だけだ。いずれ働かないと飢えてしまう。
だが、どう収入を得るのかはとても大事なのだ。無職ならいきなりハロワに行くよりも慎重に情報を調べるべきである。
「まあええわ。『この戦争が終わったら結婚するんだ』なんて言って帰って来なかったやつもおる。兄ちゃんは既婚者やけど、まあ新妻がおるんなら、無理せんでええわ」
「結婚は確定かいっ!」
「なんや?あのブロンドでウェーブの優しそうな子に不満でもあるんかい?ちゃんと言う事聞かせとったやないけ。それに容姿端麗っちゅうのは、ああいう子を言うんやで。爆発せぇ。結婚はちゃんと申し込んだんやろ?」
「……確かに、俺が申し込んだんだけどさ」
「で、相手はアルテナの加護の下に受けたんか?」
「ああ、確かにそう言った」
「結婚する2人以外で、アルテナの祝福を受けた冒険者の立会人はおったんか?」
「ミリーも冒険者だなぁ」
「明るい髪の子か?それなら、完全に成立しとるやん。破棄したらアルテナの加護を失って、ハゲるで?」
「うおぇえぇえっ?なんで!?」
ハゲ。
それは不治の病である。
老化現象ならばどうしようもない。どうしようもないのだ。
だが、対処療法としてカツラという文明の利器がある。
「ちなみに、カツラとかある?」
「なんやねん、そのけったいな名前の物は?」
「あ、無いかぁ。ハゲってやっぱ社会的地位低い?」
「そらそうやろ。都市でハゲを見かけたら、子供は石を投げるか、逃げ出すで?破棄なんてアルテナへの反逆罪や。男も女も破棄したらハゲてまう!」
「マジか……うおおおやべぇ。ちなみに、破棄の定義は?」
「夫婦の自覚を無くしたらやな。男は生活費を出さんだり、妻に会わんだり。女は浮気したらハゲるで?男女ごとに色々アウトな行為があるから気を付けや?ちなみに、アルテナの加護の下に結婚した夫婦に離婚なんて存在せんな」
「あ、それは定年退職するお父さんたちが喜ぶかもっ!」
(ジャポーンで、神に誓った結婚式の様なものか?あっちの神様が優しくても、こっちまでそうとは限らないってことか。いや、どうなんだ?ジャポーンも、俺達のエリアの神はアルテナだっただろ?何が違うんだ?浮気しないのは良い事だが……だがしかしっ)
「それに、冒険者資格を持ったらどの国でも立派な成人なんやで?」
「そうなのか?」
「考えてみ?保護者おる冒険者なんて、冒険やなくてお使いや」
「むっ」
「成人同士の結婚に親の同意なんていらんねん。アルテナの加護の下に立会人が居て成立したら、それで結婚完了やで?浮気するとハゲになる」
「ぐあああっ、一夜の過ちでまさかこんな事に!アルテナ、最初にマニュアルよこせよ~マジでひでぇ」
「せやけど、妻は4人まで持てるやん?」
「……4人っ!?そこ詳しくっ!」
「別に詳しくも何も、常識やん?中等生男子が自発的に調べる法律第一位やん」
「おおおおおおおっ!!お願い、説明して下さい!」
「お、そろそろ時間やな。兄ちゃん、コフランで教えたるで」
「ぐぬぬ……分かった!」
リーゼとミリーが戻ってくるのを見計らい、アドルフォは出発の号令を飛ばした。