第07話 狩りの準備
血が滾り、体内に流れる力が体外へと噴出しそうになる。
よって大きく息を吸い込み、熱い吐息を吐き出した。
ジュデオン王城内に飛行騎兵が逃げ込むのを、アロイージオが直接確認した。
アロイージオは速度をわざと落としながら追いかけ、奴らがどこへどう逃げるのかを確認してきたのだ。
駄目だ……感情が理性を上回る……
カーッと頭に血が上り、グァアァと少しだけ唸って発散した。
それだけでも気の弱い者なら卒倒するだろう。その点、エリーカはよく耐えている。
さすが第一軍団長オズバルドの姪、銀狐種、祝福83。お前は優秀だ。だから軍団長にしたいのだ。
もちろん、目の前にいる3人の軍団長は全く怯まない。軍団長達が持つ大祝福3の力は、同じ大祝福3の私の威圧を無意識に打ち消せる。
そんな事を考えているうちに冷静になって来た。
「被害者たちの証言の裏付けが取れたな」
「実は先ほど、私の揮下の大隊長たちが都市ムーランの遥か西側でアロイージオ軍団長が撃墜した飛行騎兵の生存者を捕縛したとの第一報がありました。今頃は尋問の最中かと」
「その大隊長達とは、呪いのリーラと死のレーナか?」
「はっ。あの狂った双子たちです」
「そうか。ならばそのまま尋問させておけ」
「はっ!」
イルヴァの報告は、アロイージオが事実確認を行った今となっては何ら意味を持たない。あの残虐な双子の尋問で苦しめておけば良い。
やはり人間種は嫌いだ。あいつらの姿を見ずに済むならそれに越した事は無い。
再び熱い吐息を吐く。
まるで我が身が竜にでもなったかのようだ。
(馬鹿な。私はフェンリルだ)
竜が下等だと言うつもりはないが、私自身はおそらく最上位竜クラスだろう。そして父は、最上位竜のさらに上にいる。
ならばフェンリルの最強は、竜の最強よりも格上と言う事だ。この身を竜に例えるなど、自虐と言うものだ。
……いや、竜は空を飛べるな。
空の優位性は、人間がペリュトンで示したばかりだ。
アロイージオが居なければ、奴らの壊滅はもっと先だったに違いない。
竜の評価は一段上げておこう。
それと同様に、アロイージオも極めて有能な混血獣人だ。
「アロイージオ。私と竜骨で作られたバスタードソードとを持って飛べるな?」
「可能」
「ならば飛べ。ジュデオンを滅ぼす」
「承知」
これで良い。後は地上軍だ。
「先鋒にラビと第五軍団。第二陣にアギレラ補佐、エリーカ補佐と直属軍団。中堅にイルヴァと第八軍団。後詰にヴァルター補佐と輸送軍団。作戦時、私とアロイージオは軍に先行する。ラビ、足の速さには自信があるな?」
ラビは無言で笑みを見せた。
「よし、では明日の日の出と共にジュデオンへ向けて通常速度で進撃する。慌てずとも都市は逃げない。到着予定は3日後の7月3日とする」
Ep04-07
獣人帝国軍に属する数千台の軍用馬車が、都市ゴセックに集結している。
最南端の都市ムーランを完全に支配した第八軍団と輸送軍団が、北の都市ゴセックに先行した他の軍団に合流したのだ。
馬車による進軍は、インサフ帝国を制圧する過程で獣人帝国が得た新技術だ。
天山洞窟内には馬という生き物自体が居なかった。エリーカが生まれた頃は、徒歩が常識だったらしい。
エリーカは、人獣戦争が始まったバダンテール歴1236年に生まれた。
俗に言う「平和を知らない世代」だ。その世代が、ついに軍団長補佐として2個大隊を率いる事になった。
だがエリーカは、実は大隊を指揮した経験すら一度もない。祝福を上げられるだけ上げてから従軍したら、いきなり皇女の副官として配属されたのだ。
「皇女殿下、私の役割についてお尋ねしてもよろしいでしょうか?」
「ラビが突破した敵に突撃し、前方の味方を孤立させず、敵陣に空いた穴をさらに拡大させる事だ」
「ラビ様の軍団に続いて突撃すれば良いのでしょうか?」
「そうだ。お前のギラン大隊とウルマス大隊は足が速いだろう?アギレラと東西に分かれて分担しろ。……いや、待て。やはりお前に付ける大隊長の1人は、ウルマスからゲイズティに変えよう。アスキス併呑の際に役立った男だ」
「どのような大隊長なのでしょうか?」
「戦士系の大祝福2祝福15だ。いや、アスキス攻略で1つ上がったか?ようするに、軍団長補佐候補の1人だ。武器は槍で、腕前をオズバルドが珍しく褒めていた」
「伯父様がですか?」
「そうだ。だが私は、指揮官としての腕の方を買っている。戦局全体を冷静に見る事が出来る男だ。こういう部分は当人の性格や性質であって、どちらかと言えば才能に属する。29歳だったか?祝福をあと14上げて、軍団長になってくれると助かるのだが」
「皇女殿下、またですか?」
「総司令として当然だ。よし、アギレラを呼べ。アギレラからウルマスに伝えさせる。ゲイズティにはお前から伝えておけ」
「はい、畏まりました」
アギレラ軍団長補佐とエリーカ軍団長補佐は、皇女ベリンダの命により揮下の1個大隊を丸ごと交換する事になった。
両者とも皇女直属で、両大隊も同じく皇女直属だ。その上どちらも第二陣で、部隊の役割も変わらない。軍団長補佐と大隊長の意思疎通さえ出来れば問題ないのだ。
エリーカはアギレラに、皇女ベリンダが呼んでいる旨をすぐに伝えた。そしてその足で、直属大隊の駐屯地へと向かった。
皇女直属の軍団長補佐は現在5名いるが、軍団長補佐には定数が無く、普段から指揮する部隊がある訳でもない。
軍団長の候補者として経験値上げをさせたり、複数の大隊を急遽編成する時の指揮官にしたりと、皇女にとって使い勝手の良い手札としてキープされている。
その一方で直属大隊は『定数=10個大隊』と定まっている。その全ての大隊には大隊長がしっかりと配属されている。
1個大隊は大隊長1名と、その部下800名だ。配属されている冒険者は大隊長と部下120名で、兵士は680名いる。
彼らは1個大隊ごとに独立した部隊としてまとまっており、辺境で大規模なモンスター被害が出たと言われれば出撃を命じられ、前線の軍団が大規模な被害を受けたと言われれば駆け付ける。『軍団未満、隊以上』の事態には、殆ど彼らが派遣される。
そして何より、『新軍団長が誕生した!』となれば、直属10個大隊から半数の5個大隊がそのまま新軍団長の指揮下に配属される事になるのだ。
ちなみに皇女からの新軍団長誕生祝いとして、新軍団長は直属10個大隊から自分の好きな大隊を5つ選んで部下にして良いと言う事になっている。
アギレラもエリーカも仮に軍団長になれば、彼らを率いる事になるのだ。2個大隊くらい率いて当然だと期待されているに違いない。
そんな事を考えているうちに、ゲイズティ大隊の駐屯地に到着した。
兵士たちが屋外で弓の射撃訓練を行っており、それを黒狐の指揮官が指導していた。
指導と言っても、兵士たちに怒鳴り散らしている訳ではない。彼らの弓を放つ姿勢や手つきしっかりと見て、悪い所があればその部分を温和に指摘している。
スラッとしたスリムな体格で頼りなさげに見えるが、部下からも信頼されているようだった。
その指揮官が兵士の1人に声を掛けた。
「とんでもない弓の腕だな、エスコット。この従軍が終わったら、いっそのこと正式にうちの射撃隊に入ってみないか?軍の俸給は大きいぞ」
「戦争が終わったら考えますよ、シアン隊長」
「ん?それは一体どういう意味だ?」
(……戦争が終わったら?)
エスコットと呼ばれたフェネックの獣人の言葉が、『平和を知らない世代』のエリーカの耳に残った。
だが本来の用件を思い出し、エリーカは声を掛けた。
「訓練中、すみません」
「ん……お」
シアン隊長は若い女性の声に振り返り、相手が誰であるのかを確認して慌てて敬礼した。総司令の首席副官が不意打ちで後ろから声をかけてきたら慌てるのも無理はない。
エスコットと呼ばれた兵士もそれに倣い、周囲の兵士たちも慌てて姿勢を正す。
エリーカは丁寧に返礼してから尋ねた。
「ゲイズティ大隊長を探しているのですが」
「うちの大隊長ですか?それなら割り当てられた大隊長室かと」
「いえ、今頃は隣のギラン大隊長の所でしょう」
シアン隊長の説明を、エスコットがあっさりと否定した。
「なんで分かるんだ?」
「先程、うちのギラン大隊側の宿舎で何かがぶつかった音がしました」
「それで?」
「うちの隊は、ギラン大隊に一番近い位置で訓練をしています。私たちがここで弓の訓練を行っている以上、音の原因は明らかにあちらの大隊です」
「すると?」
「ギラン大隊長はあまり深い事を考えない性格です」
「つまり?」
「誰かが文句を言わなければ、うち大隊の宿舎の壁に穴が空いたままです」
「…………そう言う事は、早く言ってくれ」
「ギラン大隊長は、大隊長格です。シアン隊長が言っても聞かないでしょうから、ゲイズティ大隊長を通して苦情を言う必要があります。ですが、ゲイズティ大隊長は種族特性で音に敏感です。こちらから報告しなくても、大隊長同士で話し合って解決すると判断しました」
エスコットの推理に周囲の兵士たちがポカーンと佇む。
シアンは温和に説得を試みたが、エスコットの説明で「それもそうか」と、あっさり納得してしまった。
エリーカは、エスコットが不足する都市長に向いているのではないかと思った。
もしくは、エスコットが大隊長級ならば、お局様化しているカルディナ軍団長補佐の部下になれば案外良いコンビになれるのではないかとも思った。
だが、差し当たって用件は済ませなければならない。
「すみませんけれど、その場所へ案内して下さい」
「承知しました。各自、自主訓練をするように。それと、エスコットは一緒に来てくれ」
「「「「はっ!」」」」
「了解」
シアン隊長と兵士エスコットは並んで歩き出した。
エリーカはその後ろを追いかけ、ふと二人の身長差が気になった。
兵士エスコットは低身長だ。種族特性が大きく出ているのだろう。フェネックの獣人なら珍しくも無い。
シアン隊長はスラッとしていて、エスコットと比べるととても高い。黒狐の雄。エリーカと種族も近く、エリーカが並ぶと丁度良いかもしれない。
暫く歩くと宿舎が見えて来た。
「おっ、居た……」
シアンの視線の先では、2人の極めて眼つきの悪い獣人が顔を突き合わせていた。
「がははっ、元気があるのは良い事だ!」
「がははっ……ではない。俺とお前の大隊の兵士宿舎を交換しろ」
「ん、それではうちの兵士が野宿になるのではないか?」
「このままだと、俺の大隊の兵士が野宿になるだろうが!頭を使え、この猪!」
「しかし、ここまで派手に壊れるとは思わなかったが」
「お前は大祝福2だったか?自分の力を、祝福59だった時の約2~3倍で計算しろ。それとスキルの『突進』を使っただろう?あれは馬鹿専用のスキルだ。建物の1つくらい吹っ飛ぶ」
「俺は馬でも鹿でもないぞ?イノシシだ」
「それならお前の為に馬鹿猪という言葉を作ってやろう……ん?」
「むっ……?」
二人の大隊長がエリーカの方を向いた。
ギラン大隊長は元々の部下なので、エリーカは良く知っている。先程から思い付きで話しているあの猪の獣人だ。
そしてその隣にいる白い獣人が、おそらくゲイズティ大隊長だろう。エリーカの眼には、彼がシアン隊長よりもやや背が高いように見えた。そして……。
「……アルパカの獣人?」
「羊だっ!」
「ぐわっはっは!」
「あはははっ」「はっはっは」
アルパカに間違われたゲイズティに周囲は大爆笑した。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
王都ジュデオンでは、人々の戦意が高揚していた。
「卑劣なるリーランド、断固許すまじ!」
同じような主張が都市内の各所で、同時多発的に叫ばれ始めた。
それと並行して、義勇冒険者や義勇兵志願者が続々と王城に集まり始めたと言う。
それら義勇の人々はジュデオン王国軍の指揮下に入って、都市南側に穴を掘ったり、柵を設けたり、防壁の上に石を運んだり、矢筒を運んだりと忙しく働いている。
過日、ジュデオンに侵入した獣人を魔導師達が協力して追い払った事が、都市民達の連帯感を強めたのだろうか?あるいは、少女の危機を救ったネルヴァ・ハルパニアと言う冒険者の勇敢な行動が人々を勢い付けたのだろうか?
ハインツはその可能性を考え、あっさりと否定した。
そんな面も一部にはあるのだろう。
だが、分かり易いスローガンを都市中へ一斉にばら撒いたり、義勇兵がどれだけ集まっているかの情報を、噂話をかき消して意図する通りに流せる組織はジュデオン王国しか無い。この人々の熱気は、ジュデオン王国が意図的に発生させたものだ。
そもそも、「リーランド帝国を許さない事」と「獣人帝国と戦う事」は別であるはずだ。逆上する程に本来の目的を見失う。獣人帝国の大軍勢が迫っている危険を人々は怒りで見失っている。
民衆を操る術を理解しているジュデオン王は有能だ。
ハインツは、妻一人の説得にすら苦労していると言うのに。
「嫌です」
リーゼが避難に納得しなかった。
アルテナ神殿の周囲の救護所は、南の都市ゴセックから運ばれてきた大勢の負傷者達でごった返している。
6月29日から7月1日の今日に至るまで、リーゼはこの周囲で治療統括者として活動していた。
と言うより、そもそも路地に横たわっていた避難者たちの中心で青空治療所を立ち上げ、そこを救護所にまでしたのはリーゼ自身であった。
祝福47の治癒師として高いマナと魔力を持ち、加えてマナ量を増やす魔力の輝石を3つも装備し、高価なマナ回復剤まで携えて。
しかも、ミリーや他の治癒師にまで手伝わせ、ハインツが教えた救急医学までフル活用して、隣に建つアルテナ神殿の神殿長が蒼白になる水準で治療を続けている。
そこまでは良い。
だがリーゼは、来たる王都決戦での治癒活動にまで参加したいと言った。
馬鹿な。と、ハインツは呆れた。
そしてその瞬間、不意に重婚を反省した。
アンジェリカがベイル王国にかかりっきりのように、ハインツ自身もベイル王国にかまけてリーゼやミリーに費やす時間を充分に取れていなかったのだろう。
思い返せばオリビアは仕事でも秘書官として傍に置いていたが、リーゼやミリーには冒険者活動ばかりさせていた。
(……この戦いが終わったら、もっとリーゼやミリーへの時間を作ろう)
だがここは説得するしかなかった。
「リーゼが参加する場合と、しない場合を比較してみた。リーゼが戦場で治癒活動に参加する場合、俺が戦いに集中できなくなる。リーゼが戦場に居ない場合、俺が戦いに集中出来る。俺が戦いに集中して大隊長1人を倒すだけで、リーゼが治癒するよりもずっと多くの人を助けられる」
「わたしは必要ありませんか?」
「グウィードの時とは状況が違う。皆が熱に魘されているが、俺はこの戦いで人類が勝てるとは思えない。他国で軍の行動も把握できないから、撤退のタイミングを掴み切れない」
「それなら、皆に逃げるように言わないといけませんよね?」
「……俺が逃げるように言うと、軍の士気が落ちる」
ハインツは、金狼のガスパールと無敗のグウィードにトドメを刺して王女と結婚した、民衆に伝わり易い伝説の冒険者と言う事になっている。
その伝説の男が現れて「勝てないから逃げろ」と言ったら、ジュデオン王国がせっかく作った流れが変わってしまう。
ベイル王国宰相代理であるハインツにそれは出来ない。
「それに逃げても敵が追ってくるなら、いずれどこかで一撃を与えなければいけない。ジュデオンは巨大な防壁に囲まれ、冒険者が大勢いて、市民にも元冒険者が混ざっている。市街戦になれば、敵の数を1個軍団分くらいなら削れるはずだ。すると敵の侵攻は王都ジュデオンまでで止まるかもしれない」
「わたしは納得できないです」
「それなら、何もかも捨ててお前を抱きかかえて今すぐ逃げる。俺が一番大切なのはリーゼだ。実は、時間をかけてやれなくて悪かったと思っている。今後はベイル王国の仕事を減らすから、週末は都市コフランで一緒に過ごそう」
「……あなた、今そんな事を言うなんてずるいですよ」
「ずるいさ。返事は、「はい」だけだぞ?」
「わかりました。約束ですよ?」
「ああ、約束だ。この戦いが終わったらな。ミリーと一緒に馬車で北のルドリクスまで行ってくれ」
「はい」
多くの人々がジュデオンから脱出して行く。
王都からの脱出者の中には、飛行騎兵の生き残りである治癒師の他に、ジュデオンに協力の意思がある極めて重要な亡命者ヘラルド・バルリオス中佐と乗騎ペリュトンの姿もあった。
彼らは他の脱出者と違い、直北の第二宝珠都市ルドクリスではなく、さらに北の第三宝珠都市ルクトカイネンへと連れられて行った。
各地に早馬が走り、リーランド帝国とその属国以外の国へも使者が走る。その間に、王都の防衛体制も着々と構築されていった。
ハインツもジュデオンの特産品とも言える品々を店主が脱出する前に素早く購入した。また、噂の治癒師付与系を探すと金を積んで一つの依頼をし、来たるべき戦いに備えた。
そうこうしている間に、日はあっさりと過ぎて行った。
あとがき
5人登場!彼らの大活躍は次話から!
複数のご応募をいただき誠にありがとうございました。
エリーカさんは4巻の展開次第で、応募頂いた中から誰かを選ぶと思います。
私もまだ知りません。だって今から書くのですから……
次回投稿はしばらくお待ちください。
























