短編 男の買い物、女の買い物★
「そこのお嬢さん!いや、若奥さん!今夜は魚なんてどうだい?」
「……わたしの事ですか?」
「そうだ!入荷したばかりの獲れ立てピチピチの魚たち。どうだい?どれも美味しそうだろう。それはそうさ、こいつらは今朝獲れたんだ」
そう声を掛けられたので、実はとても気になっていた木製の大きな水槽を上からそっと覗いてみた。
水槽の中には、色んな形の沢山の魚たちがゆらゆらと泳いでいた。
「目玉商品はクイーンザライだ!1匹240bだぜ」
第五宝珠都市ブレッヒには漁業組合がある。
領主のハーヴェ侯爵が、湖や海がある都市で過去に漁業をしていた人たちを中心に希望者を募って、資金を出して小船や網などを作らせてジデン湖で漁を始めさせたのだ。
魚は他の都市に運ぶのではなくて、ブレッヒだけで消費される。都市民の食料と観光資源が目的なのだと、ハーヴェ侯爵本人が私の主人に話していたのを聞いたから間違えようがない。
釣竿で1匹ずつ釣るのと違って、まとめて獲れるから割合安価だそうだ。1G=100bだから、クイーンザライは1匹で2.4Gになる。
でも、自分で山菜を採ってくればタダなのに……
「1匹でこの値段なのですか?」
「もちろん!格安だろう?ムニエルにすれば美味いぞ」
ムニエルなら1匹で3つ作れる……
でも……
……わたしは魚なんて獲れないし。
「それなら1匹下さい。一番美味しいのはどれですか?」
「おっしゃ毎度ありっ!」
ムニエルなら、塩、胡椒、薄力粉、油、バター、オリーブオイル、レモン。全部ある。
付け合わせは、にんじん、インゲン豆は……無かったはずだから、代わりにじゃがいも?
パンはさっき買った。とうもろこし、塩。牛乳は届けてもらっている。
白ワインは買っていないのに貰い物でどんどん増えていく。
わたしはそんな事を考えながら、湖が一望できる高台へと上って行った。そこにはわたしの家がある。
二百年くらい前までは、都市ジデンハーツの役場や駐留隊詰め所、それに役人の一等地があった。とても広くて立派な石造りの建物が、ジデン湖を広く見渡せる立地で並んでいた。
1年前は、都市ブレッヒ建造の指揮所や宿泊施設になっていた。多くの人たちが利用して住み易く手を加えていた。
その建物の一つを、私の主人が買い取って家にした。今の駐留隊詰め所から直接見える位置で、定期的に見回りもしてくれる。
買い取り交渉はとても簡単だった。
なぜならそこは民間ではなくベイル王国の土地と建物で、主人はベイル王国の宰相代理だから。一番良さそうな物件を選び、自分で買い取り価格まで決めていた。
どうしてそんなことを?
なぜなら、わたしが第五宝珠都市ブレッヒの登録民だから。
Ep03-34
ハインツの都市民登録は第二宝珠都市コフランにある。
バダンテール歴1258年6月、バーンハード大隊長の撃破後に他の待機者に優先して都市民登録をしてもらえたのだ。どこの都市にも未登録の高位冒険者なら、魔物に対する保険の意味合いを兼ねて定員数に無関係で簡単に登録してもらえる。
リーゼは、結婚と同時にハインツと同じ都市コフランに都市民登録を移した。
『1人目の妻は、夫の都市に登録を移せる』という法により登録変更したのだ。これは国民共通の権利で、手続きは元々の登録があった都市フロイデンで書類をもらって記入し、それを都市コフランに持っていくだけで済んだ。
ミリーは、コフランから普通定期便で北東に3日の距離にある都市フロイデンの登録のままだ。『妻は1つの都市に1人まで』という国際法により、ミリーはなにがあってもコフランには登録を移せない。
アンジェは、コフランから西に3日の王都ベレオンに登録がある。次期女王アンジェリカとハインツがその気になれば、アルテナの定めではない国際法からは脱退できる。だがアンジェリカが登録都市を変えると、数年後にはベイル王国の首都自体が変わってしまう。
そしてオリビアは、コフランから南へ6日の第五宝珠都市ブレッヒに登録している。
なぜ妻の登録都市がバラバラかというと、前述のとおり2つの法律が関係している。
1つ目は国際法で、妻は1つの都市に1人までと定められているからだ。バダンテール大街道が作られた後の多重婚の抑制などが目的といわれているが、その国際法により2人目以降の妻の登録を同じ都市にすることは出来ない。
2つ目は国内法の都市登録法で、所属都市の変更は条文に明記された正当な理由が無ければ出来ないと定められているからだ。正当な理由とは1人目の妻が夫の登録都市に変更するだとか、登録していた都市が滅んだとかだ。
登録に関係なく一緒に住んでしまえというのは通らない。神宝珠の消費を押さえるために、登録外の勝手な居住は許されない。違反者には罰則もある。
登録都市以外への滞在は、目的により期間が定められる。
観光、商業、就労、登録のある家族に会いに来た、冒険者活動……。
宝珠都市とは、転生条件を全て満たした高位冒険者が神となり、そこからさらに宝珠都市を作ろうと思ってはじめて創られるものだ。よって冒険者活動という名目は、かなりの融通が利く。
オリビアは冒険者なので、登録都市内に家や住所を持たなくても良い。だが3年に1回の冒険者カード更新はブレッヒでしか出来ない。流石に完全な自由ではない。
だが、オリビアに不満は無かった。
これまでは宝珠都市に十年間入れてすらもらえなかったのだ。たとえ最前線の第一宝珠都市であろうと、登録させてもらえるだけ有り難いのだ。ましてブレッヒは後方の安全な第五宝珠都市である。
難民をそこに受け入れたのはオリビアの主人だ。
それについてオリビアに不満は全く無い。
不満はそういう部分ではなく、もっと別の所にあった。
「ブルルルン」「ヒヒーンッ」
「…………。」
オリビアの広い邸宅の馬車庫に、真新しい箱馬車の車体が堂々と入っていた。そして厩舎には、4頭のそれはもう立派な体格の馬たちが並んでいる。
馬たちの目前には井戸のポンプから汲み上げられた綺麗な水と、馬の飼料である秣がどっさりと置かれている。
馬たちはご機嫌で秣をハミハミ、水をゴクゴク、時々ブルルンと体を振るわせていた。
ポカーン……と、オリビアは我が家の新しい光景を見詰めた。
こういう突飛な事をするのは、警備に雇った退役冒険者たちでも、雑用をしてくれる使丁でも、交代で家事を担ってくれる家政婦さんたちでもない。
オリビアが2.4Gのクイーンザライを選んでムニエルでも作ってあげようかなと思っている間に、1万倍……10万倍?の無駄遣いをする男の犯行だ。
「すげぇなこの車内は!」
「せや!収納式の回転式座イスが側面に4つ、その反対側には引き出せる作業用テーブル。つまり椅子と机が4人分になるんや。それに車内で展開出来る組立式2段ベッドが2つ。しかも高度防振設計。ちなみに車体は1頭もしくは2頭立ての標準サイズや!」
「って、車体に使っている金属はダマスカス鋼か!?」
「おう、武器に使えるほど強くて錆び難いで。これなら大祝福1台のモンスター攻撃くらいは防げるで。都市外でのキャンプも安心や」
単独犯ではなく、複数による計画的犯行だった。
「速度は?」
「ハインツの全体治癒魔法は、1日に何回使えるんや?」
「マナが最大なら20回くらいだな」
「そんなら、その良馬4頭に疾走させて、スキルを30分間隔でかけてやれば6時間くらいあれば着くんやないか?スキルは12回で済むな」
「1都市間か!?」
「せや。視界が良い日中で、天候も良ければ、早朝に出て昼過ぎには着くと思うで」
「おおっ、マジですげぇ!自動車並みじゃん!」
「……なんやそのけったいな名前は?」
オリビアの視線の先で、二人の男たちが車体の傍らで犯行を自供している。
「で、いくらだ?」
「せやなぁ。ハインツの防振設計図がハーヴェ商会の馬車開発の参考になったし、車体はサービス価格で25万Gってとこやな。材料費と工費だけでええわ。でもその馬らは高いで?なにせ4頭とも種馬で、どれも非売や。車体価格と合わせて全部で240万Gやな。サービス価格や」
「ぐはぁ。安いっ!」
「安いわけないですよっ!」
ついに耐えきれなくなったオリビアが声を上げた。
そして馬車の100万分の1の価格のクイーンザライが入った水桶と、紙袋に入った贅沢な小麦パンを抱えたままツカツカとハインツに歩み寄って行った。
オリビアは、本当はライ麦パンで充分だと思っている。ライ麦パンだって焼き立てはとても美味しい。それを小麦パンが良いとかハインツが贅沢思考で否定して、仕方が無いから少し遠いけど安いお店を探して帰ってきたらコレだ。
本当は家政婦さんたちがいるので買い物自体をしなくても良いのだが、それすらも不満だ。どうしてこんなにお金を使うのだろう。
「オリビアお帰り……怒るなって。夫としてきちんと生活費は渡しているだろ。これは俺の小遣いで買ったんだ。ああ、アドルフォ、金は明日お前の屋敷に持って行く」
「おう。ティーナにでも渡してくれればええで」
確かに妻として生活費を貰っているし、自分のお小遣いも貰っている。いきなり出鼻をくじかれた。
その間に共犯者は、まるで『離脱』のスキルを使ったかのような素早さで手を振って立ち去っていった。
そして主犯は、オリビアの持っていた水桶と紙袋をいつの間にか奪い取ると、オリビアを促しながら屋敷の中に入って行った。こちらは『剥ぎ取り』のスキルを使ったかのような手際の良さだった。
オリビアはむーっと顔を膨らせながら、ハインツの後を追って屋敷へと入って行った。
★地図(ジュデオン王国までの旅図)
「これは何です?」
「ジュデオン王国までの旅行計画。王都ベレオンから王都ジュデオンまで20都市だから、あの馬車で片道20日ってところだな。あれはその為に買ったんだ」
「ご主人さま、もしかしてどこかで頭を打ちましたか?」
「うはっ、髪の一房をリボンで結ぶような少女趣味で毒舌は止めるんだっ」
「これは昔お姉ちゃんから貰った形見です。私は物持ちが良いんです。武器を使い捨てるご主人さまと違って」
「いやいやいや……」
それはそれ、これはこれ。
武器は使い続ければ摩耗する。
しかも一般人が金属を用いて起こす摩耗ではなく、大祝福を越える力の冒険者やモンスターがお互いに全力で武器や鋭利な爪牙を叩きつけ合う激しい摩耗だ。
ハインツ自身の攻撃力は大祝福2もあって、その力だけで相手が何であろうと武器の消耗は激しい。
例えば、ハインツが暗殺のスキルを使って無敗のグウィードにフォルシオンを叩き付けた時など、グウィードの硬化のスキルとぶつかり合って刀身が一撃で折れ飛んだ。
武器が折れたら戦いで死ぬ。
伝説の武器ならばともかく、市販品であればなるべく良質な物を使い、さらには何回か使ったら売り払って新しい物を使わないといけない。
大根を切っている訳ではないのだ。研磨すれば良いというわけでもない。
「使ったものはちゃんと中古で売っているぞ。いつどこで入手したか購入証明書も付けて、何回くらい使ったかも添えてな。そうすると他の冒険者が良い物を安く買えて助かるんだ」
「1ヵ月に1回くらい買い替えていますよね?」
「……よく見てるな」
「武器の形が毎月違いますから」
ハインツはジャポーンで、NPCのハインツさんと呼ばれていた。
駆け出し冒険者を誰であってもきちんとサポートする事を信条として掲げていた。そのためには、様々な冒険者が用いるあらゆる武器の使い方を理解していなければならない。
学問上の『特性』ではなく実際の『使い方』を理解するには、やはり自分で使ってみるのが一番だ。
駆け出し冒険者の活動範囲ならば魔物も弱く、割合安全に試し斬りが出来た。
大抵の武器を試した結果、今では剣だけではなく、槍やハンマー、短剣や投剣もそれなりに扱える。それと同時に、相手が使ってくる武器への対処も以前より遥かに上達した。
その名残というか習性がハインツには身に付いていて、ハインツは敢えて一つの武器には特化していない。
「大祝福3の冒険者なんて、そんなものだ」
「わたしも大祝福3ですよ?」
「うむうっ……」
ハインツのずるい言い訳が、オリビアによってあっさりと打ち砕かれた。
オリビアはハインツと出会った時には、既に魔導師特殊系の祝福89だった。
大祝福3(祝福90)まであと1歩と言う状態であり、その後に瘴気の塊のような魔族エイドリアンを倒した事により祝福90へと至った。
だが、それだけではない。
その後オリビアは、大祝福3で覚えられるスキルを併用し続けた。
単体転移魔法を使って廃墟都市リエイツへ行き、全体霊属性魔法の強化版を使って、ゾンビから変化したスケルトンたちを倒し続けた。そしてエイドリアンの経験値の余りと合わせて、あっさりと祝福91に上がってしまった。
「大祝福3台は、祝福を1つ上げるのに1年は必要なんだけどなぁ。もちろん、そこまで効率良く上げて来たハイジーンさんが本気でやって1年という意味だぞ」
「そんなの興味ないですよ」
「ぐぬぬ。だが確か、特殊系は祝福94で全体転移魔法を覚えるぞ。自分と同じ1パーティを丸ごと転移させるスキルだ。あと3つと言ったところだな」
「人類にそんな祝福数の魔導師特殊系はいませんよね?過去の記録にも残っていません。ご主人さまはどうしてそんな事を知っているのですか?」
「……さてな。それこそ大祝福3に至るまでに、本当は色々経験するのさ。それより、話を戻すと馬車の購入に付いてだったか」
「……そうですよ。馬は寿命が20年、早く走れるのは10年と言われていますよ。10年で240万Gなんて、1年で24万Gなんて、1ヵ月で2万4000Gなんて、3日で2400Gなんて、1日で800Gなんて、今日の夕食のクイーンザライ1匹2.4Gの300倍以上じゃないですか!」
「怒りながら声に出して計算するな。しかも大雑把過ぎる。それにムニエルは走れません」
「むーっ」
ちなみにジャポーン馬の寿命は25年、競走馬は2歳からどんなに長くても8歳までが限度である。寿命の差は、衛生環境や食事の違い。早く走れると言う主観は、競走馬か馬車馬かの違いだろう。
もちろんハインツには、10年も同じ馬に乗るつもりはない。馬だって武器と同じく目的を果たす為に用いるものだ。都市外のような危険な場所での移動速度低下のリスクは、極力減らすべきだと考えている。
精子の冷凍保存技術が無いため沢山いる……とは言え、あれらは交配努力の結晶である種馬である。別に契約条項には無いし、おそらく他に売られても良いギリギリのラインの馬を選んだのだろうが、だからと言って他の相手に売る事は出来ない。
数年乗ったらアドルフォの商会に払い下げるつもりだ。
だがそれを伝えるとオリビアがもっと怒りそうな気がしたので、ハインツは今は言わない事にした。ひとまず時間を置いて、種馬なのでいずれ牧場に返してあげる予定だと言えば良い。物は言い様である。
「そもそも、どうしてジュデオンに行くのですか?ベイル王国宰相代理閣下」
「公務じゃなくて私用。公務の方はバダンテール歴1258年10月から1年半ほど、ハイジーンさんの力で頑張った。ディボー王国の再奪還都市に対する不足物資の輸出も順調。外敵も今は居ない。アンジェリカも俺を独占し過ぎたと考えている。今がチャンスだ!」
「何がチャンスなのか分かりません。説明してください」
「冒険したい」
「どうしてですか」
「冒険者だから」
「そこが良く分かりません」
「いやいやいや、冒険しなかったら冒険者じゃないじゃん」
「わたしは、小さくても普通の家で洗濯をして、掃除をして、買い物をして、料理をして、夫を迎えて、そんな生活で良いです」
「あー。ええと、まあそうだなぁ。そんな沢山の人達の生活を守るために、金狼のガスパールや無敗のグウィードを倒したんだろう?誰かに与えられるのを待つのではなくて、与える側になるのが冒険者だ。その戦いの対価として人々の労働成果であるゴールドを貰い、贅沢な暮しをしている」
「……わたしは冒険者に向いていないです」
「どうしてだ?」
「贅沢に慣れません」
「価値観を無理に変える必要はない。本音を言うと、本来親元で出産するなり近所の人に手伝ってもらうなりするはずが、新しい土地で家族もおらず人付き合いも好きじゃないオリビアのために、既婚のベテラン主婦たちにそれなりの賃金を支払って雇ったんだ。オリビアは子育ての手伝いとかもした事ないだろう?」
「むーっ」
「まっとうに働いて稼いだんだ。自分で働いた金を何に使うも自由と俺は思っている。オリビアも殆ど手を付けていない自分のグウィード討伐報酬2000万G、少しは自分の為に使ってみたらどうだ?」
「…………」
「服とかどうだ?この第五宝珠都市ブレッヒにも商会直営の洋服屋がいくつか出来ただろう?高くてしっかりしたのを買って、物持ち良く使えば良いさ。明日付き合うぞ」
「…………」
翌日オリビアはハインツに誘われて洋服屋へ行き、2着の洋服を買った。
1つは胸元をボタンと紐で縛って調整するタイプで重ね着風、全体的に落ち着いた色あいのシックなワンピースだった。腕の良い職人が作ったと思われるしっかりとした縫製とかなりのセンスの1点物で、その店の展示品にもなっていた。普段着としてはかなり上等な部類に入るのではないだろうか。
もう1つはお洒落なシャンタンワンピースとフリルシフォンボレロのセット品。ひざ丈で、腰は大きな布でリボン縛る。もちろんフリルシフォンボレロを外してワンピースとして着ても大丈夫だ。
ちなみに、買い物にかかった時間はなんと5時間である。
どんなに長くても10分で選ぶハインツと違い、オリビアは店内を全て見て回り、身体に合わせて見て、何度も選び直し、値段と相談し、季節を考え、色が自分の髪に合うかを悩み、素材を吟味し、ハインツの意見を聞いては聞き流し、しまいには鑑定のスキルまで使わせて、ハインツをぐったりとさせた。
ハインツは自分から誘った手前逃げ出すわけにもいかず、適当な事を言ってバレた時のリスクも考え、時間を掛けてなんとかオリビアに結論を出させた。
ハインツが心持ち機嫌の良くなったオリビアを連れて王都ベレオンに向かうのは、気力が回復した翌々日のことだった。
























