第04話 商人の回想
(あああああ……あ……あし…………ああ……)
獣人に強引に地面へねじ伏せられた。
うめき声を上げる間に、別の獣人に剣を力一杯に振り下ろされた。
凄い切れ味の剣が、あたしの右足首を斬り落とした。
(あああああああぁぁぁぁぁ……)
足首を斬り落としたのは獣人の冒険者だ。
戦場に出てくる獣人冒険者の祝福は最低でも20以上あるはずで、祝福5のあたしが敵う相手じゃない。
獣人達はあたしを無力化した事に満足して、まだ沢山いる同級生たちに次々と襲いかかっていった。
サマーキャンプ場の方々で悲鳴が上がるが、あたしにはそんな事を気にする余裕なんてもちろん無かった。
(ああ……あ……あ…………あ………………)
足首の先から、ドクドクと命が抜けて行くのが分かった。感覚が麻痺していて痛くはないけど、あたしの命はどんどん身体の外に流れて減っていく。
あああ、体がゾワゾワと震えて凄く寒い。
足をきつく縛ったのに、血を止め切れていない。体に力が入らない。もっと血が抜ける。目はもう開けていない。
「ミリーっ、死んじゃダメっ!」
そんな声が聞こえる。
でも、もう無理でしょう。だってあたしは右足を斬り落とされて、あんたは両手の指先を全部斬り落とされて。あ、そうだ・・・
「……リーゼ、あたしの止血は、もう止めて。そんな手で、力、入れるな。あんたも血が抜け……はぁ……ぁ…………」
「馬鹿っ!嫌だよぉ」
なんであんたは、いつも『非常時にだけ』言う事を聞かないの。それって最悪じゃない?
状況は本当に最悪で、しかも最低だった。
治癒師で祝福3のリーゼも探索者で祝福5のあたしも、攻撃系スキルは1つも持っていない。
相手は獣人で、その強さは祝福7相当とされる。
獣人が1人だけなら、あたしたち二人で少し優勢くらいだ。でも、あいつらは20人もいた。その中には祝福20以上の獣人冒険者が3人も居て、そいつらは他の獣人より圧倒的に強かった。おまけに大祝福1以上が1人いる。
それに対してこちらの冒険者は祝福10台の治安騎士3人と、駆け出しのあたしたち2人だけだった。
みんなパニックになりながら石造りのコテージか、治安騎士か、あたしたちのところに逃げてきた。
獣人にリーゼを斬られそうになって、その獣人を蹴り飛ばした瞬間に冒険者だとバレた。
油断していた獣人が蹴り飛ばされて悲鳴を上げながら派手に地面を転がり、あたしたちはこれ以上ないくらい注目を浴びた。そして獣人たちが集団であたしたちに向かってきた。もう絶対に逃げられなかった。
あたしは素早かったから、囲まれて、捕まって、走れないように右足首を斬り落とされた。
リーゼは、あたしになんとか治癒魔法をかけようとして治癒師だとバレて、よりにもよって両手の10本ある指先を、1本残らず斬り落とされた。
リーゼの性格を考えると、死にそうなあたしを前にして冒険者だとばれないようにスキルを使わない……なんて行動、するはずなかった。
1つのスキルを覚えるのには、指一本が丸ごと必要になる。最も感覚の鋭い指先にスキルを馴染ませて、魂に刻み込む。
獣人は人間の冒険者に対して、末節骨と中節骨、そのくらいの指先を全部落とす。冒険者が死んでしまうと次の冒険者が生まれてしまうから、殺さず無力化するのだ。
指の先端を落とされると、能力値はともかく、大事なスキルを失ってしまう。それに武器も握れない。これでは戦いで役立たずだ。
もちろん役立たずになるのは戦いだけではない。包丁だって握れないから、料理もできない。自分の赤ちゃんだって抱けなくなる。というか、指無し女なら避けられて結婚もできないし……
あたしは確実に死ぬ自分より、今後生きていくリーゼロットの方が心配だった。この子は弱くて融通も利かない。そう、ずる賢く生きて行く強さなんて持っていない。
(ここで死ぬあたしと、この状態で生きて行くリーゼだと、どっちがマシなんだろう)
あたしは意識が次第に遠ざかる中、ふとそう思った。
Ep01-04
―――まだ太陽がとても眩い昼時。
「ハーヴェ会長。普通定期便の馬車を6頭立てに変え、27台分が用意できましたっ!高速馬車も3台、都市正面門に全部並べてあります!御者にはフロイデン便の連中を乗せてあります!」
「早馬はいくつやっ!?」
「14頭です。残りは王都と南のエマールに向かわせました!」
アドルフォ・ハーヴェが都市コフランに構えるハーヴェ商会の本部には、普段にも増して沢山の男たちが出入りしていた。
アドルフォは数多ある問題を、数多いる幹部たちに次々と振り分けた。国内輸送便のローテーションを組んでいる者、折衝担当の者、冒険者雇用を担当している者、元々任せている部署もある。だから、得意分野をそのままやらせれば良い。
幹部たちは既存の部下たちと組織を使って全力で対応した。
アドルフォが求めているのは結果ではない。結果が出るのは当然だ。なぜなら結果を出せない者には最初から要求自体をしていない。いかに早く、そして的確にやるかを求めている。
「参加する冒険者は70名を超えました。魔導師は8名です。遠距離戦闘の編成を組み直しました」
「アルテナ神殿の神殿長より、治癒師を3名同行させる旨の連絡がありました。今こちらに向かっています。橋に獣人が来た場合、全員を会長の指揮下に入れる事も承諾しています」
「商会傘下の職人たちをかき集めました。橋の補強資材も持たせています」
「リーランドへ運ぶ予定だった弩が140基揃いました。矢に塗る毒と一緒に、参加者全員へ配布します」
「都市間を走っている普通定期便を護衛している冒険者は、名簿でカノフ方面が14、エマール方面が19人、王都方面は27人、連絡は既に出してあります。深夜には半数がコフランに呼び戻せます」
粗方の結果が出た。
「治癒師が来たら進軍するで。お前らは残って、やれる事を全部やれや。本部に泊まり込んで、わいからの追加要求には有無言わず即応せぇや。即応や。それと、駐留騎士には何言われても『会長がフロイデン方面へ向かっています』って言うとけ。たまたま大橋付近で馬車が脱輪して立ち往生しとるだけや」
「了解しました」
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
アドルフォ・ハーヴェにとって最大の厄日は、妻を殺された日だ。バダンテール歴1230年の、とても寒い冬の日だった。
当時まだ27歳と若かった彼は、持ち掛けられた違法な談合の誘いに乗らず、自ら設定した価格で商売を行っていた。
「みんなやっている。役人で談合を知らない奴なんていない」
そう翻意を促されたが、自分は彼らとは違う商人になるのだと拒否した。
談合の情報がリークされた時、真っ先にアドルフォが疑われた。その事自体は冤罪だったが、仮に事実だとしても、犯罪の告発に文句を言われる筋合いは無いと思った。
その態度が逆恨みを買い、権力を用いた様々な嫌がらせを受けた。嫌がらせは次第にエスカレートし、ついに歯止めを失って新妻を殺された。どう殺されたかは、絶対に思い出したくない。
だからアドルフォは、報復の資金を貯めるため、荒く稼いだ。
周囲に対しては、秘めた恨みを悲しみの仮面で覆い隠し、その間に着々と報復の準備を進めた。
それから数年の後、商人ギルドの主流派に『生真面目な奴じゃなく、単に金に執着する奴だ』と認識された。彼らは、自分の理解できる相手なら上手く扱える。アドルフォへ隙を見せ、そして懐に潜り込まれた。
アドルフォは、新妻にされた以上の報復を彼らの家族に、そして傘下の従業員に、最終的には彼ら自身に行った。
この時に彼が取り扱った商品は、生きたダルマのお土産、珍しい肌色の革製品、面白い顔になって戻らない補液などだった。特に最後の商品は、だんだん顔が崩れていく過程が他の商品よりも売り手を満足させた。
ちなみに、どれも買い手の意思が一切介在しない押し売りの極みである。
「恨みを買う覚えはありますか?」
「……いいえありません」
「では、犯人は通り魔ですね」
「そんなバカな事があるかっ!」
「では正直に、どんな恨みを誰に買われたか全て教えて下さい」
「……恨みなんて誰にも買っていない!」
「犯人の目星は無しと。もう都市から逃げたかもしれないな」
復讐までには数年の時間があり、いくらかのささやかな買収をするのは容易だった。
モラルなど、妻を殺した相手に問われる筋合いはない。
アドルフォの復讐は止まらなかった。
「貴様らの依頼者の3倍で雇おう」
商人ギルドから出た提案に、裏稼業を生業にする冒険者たちは腹を抱えて笑った。そんな話がまかり通るなら、誰も彼らに依頼をしなくなる。
そもそも、アドルフォと商人ギルドの間で行われた過去のいきさつを、彼らは全部知っているのだ。商人ギルドが善良な被害者面をしても、まともに取り合う奴はいない。
最初に商人ギルドの顔役が家族と共に逃げ出し、商人ギルドのメンバーは1人、また1人とその後を追った。あるいは逃げ損ね、旅行先をこことは別の世界へと変えられた。
バダンテール歴1236年、非主流メンバーがギルドの実権を握り、そのうちの一人はアドルフォとなった。アドルフォは逃げ出した連中の販路を他の連中と共に奪う事で、いくつかの商売を独占して手がけるようになった。
ちょうどその頃、当時の最大国家であった最東のインサフ帝国において、人獣戦争が勃発した。その翌年には、人獣の総力戦ともいえる大会戦があり、軍と冒険者の連合軍に合わせて数万人の死者が出た。
アドルフォが拠点にする都市コフランは、周辺に良馬の生産地を抱え、都市の位置的にもベイル王国の物資を取りまとめて輸出する中継地にもなった。
最初は大量の安馬に、農家から買い取った大八車を無理やり取り付け、食糧や中古の連弩を乗せて運んだ。
滑稽なボロ馬車は、甚大な被害を受けた戦地で、唯一の笑いを取った。ボロ馬車の輸送団は、宰相を兼ねていた皇太子の耳にまで入り、運んだ品を全部買い取ってもらえた上、帰路では車体や幌を与えられた。
幌馬車に変わった輸送団は、次の往路で数倍の物資を運んだ。関税すら取られないアドルフォは大きく稼ぎ、その次の輸送では馬も新しくした。
往復するたびに人馬の数が増え続け、輸送団自体の数もローテーションを組めるほどに増えた。幌馬車はついに箱馬車に変わり、取扱い品目には単価の高い回復アイテムや魔道具が加わっていく。
やがてインサフ帝国の宰相兼皇太子から、インサフ帝国に次ぐ西の大国・リーランド帝国からの三角貿易を託された。
インサフ帝国とリーランド帝国は歴史的に仲が悪く、属国同士の戦争が幾度もあった。
だが獣人帝国は圧倒的な勢いであり、もはや人類全体の脅威である。リーランド帝国は、中立のベイル王国の、さらに民間商人であるアドルフォに売る形でならば、リーランド正規軍が採用している軍事機密の新式兵器や軍需物資をすら、インサフ帝国に渡っても構わないと認めた。
そこからは、厩舎や馬車を増やすどころではなかった。
2大帝国の輸出入を託されたアドルフォは、大義名分と莫大な利益を用いて周辺中の都市に商会を進出させ、食糧を買い占め、武具を買い漁り、馬の生産地を丸ごと買った。帝国の資金援助を受けて鉱山の採掘権も買った。鉱山に近い都市には、精錬場も造った。各都市の商会で、男も女もどんどん雇った。
バダンテール歴1251年。インサフ帝国は獣人帝国と16年争い、獣人帝国に対して決して少なくない被害を与え、だがついに滅ぼされた。
戦争は広大なインサフの国境をついに越え、東の国々へと拡大していった。戦火に飲まれる東の国々と、これ以上飛び火されまいと支援する西の国々。
それまで各国が民衆から絞り取った莫大な金が、アドルフォの懐に怖いくらいに入ってきた。金が有り過ぎる事の恐怖。
各国の各都市にあるハーヴェ商会関連の全ての建物、取り扱っている品、金庫の中身に至るまで、全てアドルフォの物だ。アドルフォが一言持って来いと言えば、それは国を越えてアドルフォの元に運ばれて来る。
放牧場なら馬全てが、精錬場なら武器全てが、採掘場なら鉱物全てが、商店なら未売約品の全てがアドルフォのものだ。例えば商会の馬車は何百台ある?いや、千台は確実に超えている。それとも二千台か?もはや台数すら分からない。
アドルフォには、自分の財産が現時点でいくらあるのか、すでに把握できていない。
なぜなら各国にある商会の支店では、財産が今も増え続け、帳簿は常に更新され続けているのだ。
27歳の時に妻が殺されてから、既に28年が経っていた。だが、まだ妻の事は諦めていない。55歳のアドルフォは、30歳の姿をしている。若造りではなく、30歳の体なのだ。いつ妻が帰って来ても良いように。
人獣戦争開戦から10年が経った頃、有り余る金で『転姿停滞の指輪』を買った。
効果は、『年齢の巻き戻し』と『加齢の停滞』。10段階の内、上から2番目の効力。姿が12歳ほど若返り、その姿のまま135年ほど加齢を停滞できる。
最高の効果を持つ蘇生薬を探している。そのためには時間が必要だった。
魂から蘇生させるという、この世に存在する中で最高の蘇生薬。老衰では効かないが、戦いで死んだ者なら蘇らせられる。
人獣戦争が始まる前には、金が無かった。
今なら誰からでも買えるが、既に品自体が無い。
このベイル王国の皇太子ですら、インサフ帝国への親征で命を落としているのだ。
持っている者がいれば、アドルフォは自分の財産を丸ごと投げ出しても良いと思っている。
ずっと探している。あと120年以上は今の年齢のまま探し続けられる。
だが、この地を獣人に奪われると、品物が手に入っても蘇生が出来なくなる。妻の魂はずっとこの都市で待っている。
今日は、妻が殺された最悪な雪の日の、その次くらいには厄日だった。
蘇生薬も蘇生術者もまだ見つかっていない。コフランを最前線にする訳にはいかない。この地に獣人帝国を入れるわけにはいかない。
治癒師が、なかなか到着しない。
「治癒師が必要になるのは、戦闘の後や!時間無いねん。運ぶための高速馬車1台と御者、それに祝福数の少ない冒険者3人だけ護衛に置いて行くで。絶対に大橋1つだけは落とさせんな。敵の少ないフロイデン大橋を、全力で守るんや!」
「「「はい、会長!!」」」