第09話 国家間交渉
「閣下、お聞きしたい事があります」
「ん、何だ?」
「ディボー王は、どうしてあんな事をしたのですか?」
「ああ。魔族を操って無敗のグウィードを倒し、国土を回復して平和を取り戻すためだな」
「…………それは、正しい事なのですか?」
「最大多数の最大幸福と言う奴だな」
「答えになっていませんよ」
「オリビアは、ディボー王国のやり方が正しいと思うか?」
「……いいえ」
「10人いて、1人を殺す事で9人が助かる。それは成功すれば9人にとって正しいと同時に、1人にとっては間違いだ」
「正しいとか間違いとかは、誰が決めるのですか?」
「人が決める以前の、生物としての目的に適うか否か」
「??」
「生存して子孫を残すという生物の目的がある。その目的に適う事が生物として正しく、それが果たせない場合は間違いだ。人が群れ単位で決めるルールと言うのは、生物としての目的を集団で効率良く達成するためのものであって、ルールそのものが個人の生存を阻害するのなら、それを甘んじて受け入れるのは間違いだ。と言う事で、オリビアの行動は生物として正解だ」
「もっと分かり易く言って下さい」
「ディボー王国のやり方に従う必要は無い。とりあえず俺について来い」
「残る9人はどうなりますか?」
「ふむ……次の1人に誰が選ばれるか分からないだろう?そういう危険なシステムを壊すのは、残り9人にとっても将来の危険を排除する意味で正しい行為だ。生存本能を刺激すればリアクションが大きくなる。ディボー王国で革命があったのは聞いたか?」
「聞きました」
「旧ディボー政権は滅んだ。前ディボー王は生死を問わない国際手配がされている。切っ掛けはオリビアだ。復讐は果たされたかな?」
「……気分が全然晴れないですよ」
「……そろそろ幸せになると良い」
「幸せって何ですか?」
「オリビアには、眼を開けばもう見えるぞ」
「私は眼を開いていますよ?」
「…………温かいパンとスープは美味しいだろう?」
「…………そんなのっ、そんなのもういらないですよ!1人だけ幸せになっても仕方が無いです!……お姉ちゃん…………ああっ……あああああっ、閣下は大嫌いです!」
「君は、もう過去から解放されるべきだ」
「うるさいです!黙って下さい!触らないでください!抱きしめないでください!殺しますよ!」
Ep03-09
ディボー王国で嵐のような変革が訪れた。いや、台風のような革命が訪れた。
ルイーサ王権代行はベイル王国が告発した人工魔族製造を公式に認め、それを命じたディボー王並びに王と共に逃亡するバルトロメ王子の王権と王族位を剥奪した。同時に生死を問わない捕縛命令を出している。
王都の5個騎士団は、戦場で魔族に襲われ王都へ撤退した騎士が100名以上いた事も手伝い、経緯を知って大半がルイーサ王権代行に従いガストーネ前王に反旗を翻した。
騎士団は親衛隊に武装解除と帰順を呼びかけ、即座に帰順した者を防衛戦力に組み込む一方で、帰順を拒んだものは全て斬り捨てて後顧の憂いを断った。
その際に捕らえた王妃コルネリアは、ガストーネ王の共同統治者として一切の権限剥奪と王城内での幽閉が発表された。
そして、帰順した親衛隊の情報をもとにディボー前王の隠遁先を急襲するも、ディボー前王はいずこかへと姿を消していた。
ルイーサ王権代行は、女王に戴冠した。
子がいない為、万が一の際には後継者は暫定的に妹のフランセット王女であるとされた。
最もフランセット王女は王城脱出の際に大火傷を負い、王都のアルテナ教会で療養中であるが。
ディボー王国の各都市は、ルイーサの戴冠後もアルテナの加護を失っていない。人々はルイーサが都市の神々に認められたと安堵した。
ルイーサ女王の勅命で閣僚入れ替えがあり、緊急かつ大規模な難民救済策と貧困者支援策が実施された。
そして、ベイル王国への来訪があった。
「お久しぶりです。遠路遥々良くお越し下さいました、ルイーサ王女殿下。今は女王陛下でしたね」
「久しぶりね、アンジェリカ王女。それと初めまして、イルクナー宰相代理。わたしはルイーサ・ディボー。ディボー王国の女王です」
「お初にお目にかかります、ディボー女王陛下。私はベイル王国宰相代理のハインツ・イルクナーです。アンジェリカの夫でもあります」
「この度はお初にお目にかかります。イルクナー宰相代理。私はディボー王国において宰相の位を拝命しておりますセルソ・オルランドと申します」
「これはご丁寧に痛み入ります。オルランド宰相閣下。遠路お疲れさまでした。どうぞお掛け下さい」
「はい、それでは失礼いたします」
この二人が同時にディボー王国を出る事は、少なくともハインツには考えられない事だった。
革命から間も無い。とか、内政はどうする。とか、そう言った常識な問題もそうだが、女王と宰相が同時に国を離れるには、少なくとも獣人帝国の動きを2ヵ月近く先読みできなければならない。
だが、そんな事は不可能……のはずだ。
獣人軍が戦闘で損耗させた戦力の補充に時間がかかると見たのか、それとも任意の都市をわざと捨てて獣人の軍事行動を操ったのか。ハインツには、賢者オルランドがどれだけの手と確信を以ってここに居るのか読み切れなかった。
「まず、女王陛下御自らがお越しになられたにも拘らず、ベイル王陛下がご病気で出席できない事をお詫びいたします。ここ半年以上、公務には一切携わっておられないのです」
「ご病気は公式発表されているので存じています。ご高齢であられる事も。貴女の成長が間に合って良かったわ」
「そうですね。1人の時は大きな失敗もしましたけれど、旦那様がかなり支えてくれるのでとても上手くいっています」
「それは良かったわ。オルランド宰相」
「はい、百聞は一見にしかずという言葉があります。すなわち、視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚の五感を用いる事で、口伝による齟齬が解消できる訳ですな。この度の交渉は、貴国とディボー王国との齟齬を解消し、理解を深め、人類にとって有益となる結論をより多く出す事と認識しております」
オルランド宰相が交渉の場に出て来た。
アンジェリカは口を閉ざし、代わりにハインツが交渉の相手を務める。
「方針に異論はありません。貴国の革命と、ルイーサ女王陛下と当国のアンジェリカ次期女王との友誼を鑑みれば、交渉再開の理由には充分です。ですが有益な結論を出す為には、まず2つの点を解決しなければなりません」
「それは一体どのような内容ですかな?」
「1点目、魔族エイドリアンが今後引き起こす被害とその対策について。国境を越えてベイル王国に被害が出た場合、ディボー王国がそれを全額弁済する約定を取り交わす事が必要です」
「なるほど、尤もですな。魔族エイドリアンの行為と確認された被害につきましては、人と物とを問わず、損害評価額の5割増しをエイドリアンが滅ぶか、今後50年間全額お支払いします。また、ベイル王国のアルテナの神宝珠を対消滅させた場合には、ディボー王国の同規模の宝珠都市で代替えと費用の全額負担を。また、被害の有無を問わず、別途2億Gを迷惑料として貴国に支払います」
「……よろしいでしょう。2点目。わたしの後ろに控えている秘書官オリビア・リシエ。彼女は、貴国が虐殺を行った収容所からの唯一の生き残りです。彼女の姉は収容所で彼女を庇い、兵士の毒矢に射抜かれ死んでゾンビ化させられました。腹には子供が居ました。それらの問題に対して、彼女が納得できる結論を出す事。できなければ、貴国は不誠実な国家であるとして、国境開放も輸出入の再開もありません」
「納得できる結論ですか。我々は革命を行って大罪人ガストーネの捕縛命令を出しておりますが?」
「貴国に咎無く監禁され、牢内で毒矢を撃たれ、ゾンビに襲われ、焼かれる恨みは、捕縛命令ごときで晴れますかな?ベイル国王陛下よりディボー王国との外交を一任されている私には、そうは思えないのです」
前に居た世界の刑事と民事の違いであるとかは通用しないだろう。ディボー王国にはディボー王国の法がある。
だが、難民たちは獣人の侵攻で家も財産も故郷すらも失い、みすぼらしい恰好で飢餓に苦しみながら、それでも日々を懸命に生きていた。
そんな日々の中、多くの犠牲の中で生き延びた家族ごと監禁され、あるいは別々に監禁され、親子や兄弟姉妹がゾンビに襲われ、生きたまま喰らわれ、最後には焼き払われた。
ある姉妹は飢える妹に姉が自分の食糧を与え続け、最後には妹を庇って毒矢で射抜かれ、ディボー王の計画の犠牲となって息絶えた。
妹はゾンビに襲われる自身の無力さを、生かしてくれた姉の努力の全てが無駄になった絶望を感じていただろう。それらは絶望の平均である。もっと酷い話はいくらでもあっただろう。
それらの絶望がどれほどのものであったのか、体験したオリビア以外は誰も理解できない。彼らの人生とは何なのか。少なくとも、ディボー王に捕縛命令を出しましたで済むとはハインツには到底思えなかった。
第五宝珠都市ブレッヒに行った後からオリビアは少し変わった。だが、ディボー王国が過去の清算をしなくて良いという話にはもちろんならない。
「個人の感傷を外交条件にされるのは意外ですな?」
「なにせ義憤に依って立つ告発ですからな。利益と打算のみで交渉を行えば、告発は一体何だったのかと言う事になります」
「前政権を打倒する事から始まる我々の現政権は、貴国と志を同じくしていると思いますが?」
「貴国がディボー王国を継承したのではなく新興国だと仰られるのならば、我々は過去の国交実績がありません。国境開放は貴国の今後の政策をじっくりと拝見させて頂き、その後に時間を掛けて検討致しましょう」
「ふむ……具体的に何を求められますかな?」
「ディボー王族の身柄。ガストーネ前王か、それが満たせぬなら共同統治者であったコルネリア王妃でもよろしいでしょう。刑はオリビアにお任せ下さい」
「ガストーネは、ディボー王国内で罪を犯し、国内法で死罪となりますが?」
「では貴国との取引は不成立です。国境までは騎士団で御送りしましょう。無敗のグウィードとのご健闘をお祈りいたします」
「ディボー王国を滅ぼして、どうするのですか?」
ルイーサ女王が口を挟んで来た。
「貴国へ侵攻して滅ぼすとすれば、それは無敗のグウィードなのではありませんか?無敗のグウィードは北上した際にベイル王国で倒し、南の獣人帝国領である各都市についてはベイル王国が解放して編入しましょう」
「死霊の杖は金狼のガスパールに噛み砕かれたと聞き及んでいます。次はどんな方法を採るのですか?」
「グウィードがベイルに来た時に披露いたしましょう」
「その方法は、ディボー王国でも採れますか?」
「ベイル王国には分かりかねます」
「そうですか。確認します。17万人の犠牲を咎めながら、100万人以上の犠牲を座視するのは良いのですか?」
「獣人支配下の人類ですらゾンビにされて焼かれたりはしません。オリビアとの解決が図れない貴国は獣人帝国以下です。どちらの支配が人類にとって幸せなのかを冷静に鑑みるに、とても残念な結論に至らざるを得ません」
ルイーサは暫し目を瞑り、やがてオリビアに視線を向けて告げた。
「リシエ秘書官、捕まえられればディボー前国王を引き渡します。捕まえられなければコルネリア前王妃を。人工魔族を国家主体で造り出した罪を考えれば、王妃は共同統治者として王に準じる罪があります」
オリビアが頷いた。
それを見守って、交渉の場に居合わせた両国の官僚が安堵した。
ディボー王国はその命運が掛かっているのだし、ベイル王国も国内に獣人軍団長など入れたくはない。
本来、国交再開までは既定路線だ。
「身柄引き渡し後に国境開放と輸出入再開を致しましょう」
「その条件で構いません」
「では、その条件で国境開放と輸出入再開を行うとの約定を取り交わしましょう。書記官、書類の用意を」
「はっ」
前提条件が合意に至り、ようやく交渉が開始される。
これから先はオルランド宰相の求める、お互いにとって有益な取引の場だった。
「先程来気になっているのですが」
「何でしょうか?」
「無敗のグウィード、あの水牛をベイル王国で倒すと断言された件です。今まさにディボー王国で必要としている物なのですが」
「ええ、ベイル王国に新たな獣人軍団長が迫って来た時の対策にと考えているものです。金狼のガスパールが倒され、次の軍団長も倒されるとなれば、獣人帝国もベイルに攻め込むのを躊躇うでしょう。我々は、我々の国に責任を負いますので」
「ディボー王国が滅んでから北上してくる無敗のグウィードに使うより、ディボー王国が存立しているうちにお使いになられた方が、貴国にとっても被害が少ないでしょう。ディボー王国には、その策への対価を支払う用意があります」
「こちらの手の内を明かせと言うのであれば、ディボー王国も手の内を明かして頂きたいものですな」
「と仰いますと?」
「ディボー王国は、輝石の加工や薬品の製造にとても秀でておられますな?そう、貴国が独自に研究している錬金術の技術供与。具体的には、属性鉱石の製錬、輝石の精錬、特殊繊維の精練、植物からの貴国のマナ抽出」
ハインツの故郷であるジャポーンには錬金術があった。
ベイル王国には錬金術が無かったので、この世界の技術ではまだその段階には至っていないのだろうと勝手に思っていたが、ディボー王国製品を見て単に国ごとの技術差であったのだと理解した。
従来の『100年効果がある代わりに微弱な効果の輝石』を、『5年しか効果が無い代わりに20倍の効果を持つ輝石』に加工する事は、単品で石ころが宝石に変わるだけではなく、それを5年ごとに買い替える必要も出て利益がとても大きい。
技術の一端として、輝石加工の際の研磨剤などにかなり専門的な工夫があったはずだ。
それに素材修復や中和剤なども重要な技術だ。薬品の精製技術が上がれば『回数制限1日1回の酔うマナ回復剤』が、『回数制限複数回で酔わないマナ回復剤』にもなる。
それらの秘匿技術は、両国の公開されている100年以上の技術差どころではなく、その時代には存在しないレベルの天才が出現して技術躍進がなければ進まない巨大な壁だ。
ディボー王国は、優秀な錬金術師を一族ごと抱えて研究を続けて来たのだろう。
その技術があれば、両国の国力の差を大きく縮める事が出来る。
脅威はディボー王国だけではない。獣人帝国然り、リーランド帝国然り、それらの国々に挟まれてベイル王国が国家の安寧を保つためには、国力に直結する技術力の向上がなければならない。
教育制度改革はいずれ行う。
まず無償の学校給食制を行って、就学率と識字率を上げる。
次いで学習指導要領を整備し、理解度を測る期末テストを導入する。
その後に修学度に応じた飛び級制度を用意し、才ある子どもの意欲向上を図る。
加えて高等校を全ての都市に建設し、さらに高度な教育を施せるように図る。
そうすれば錬金術を活かせる可能性を持つ国民が増える。いや、高等校で錬金術を一教科として教えるのも良いかもしれない。それはいつか必ず形になるだろう。ベイル王国がディボー王国を技術で上回る日が来るかもしれない。
「……なかなか厳しい事を仰られますな」
「惜しむ気持ちは分かります。独占技術は莫大な利益を産みますからな。ですが、成立しなくても別に構いません。無敗のグウィードが暴れまわり、第三宝珠都市トイラーンが陥落して技術者が逃げてくるのを待ちます。もしくは、錬金術の概念や各種の大まかな知識ならば理解しておりますので、私が道筋を立てる事もできます」
「……イルクナー宰相代理は、周辺国のご出身では無いようですな」
「さて。それで如何なされますか?国境の封鎖は解除されますし、傭兵を雇ってグウィードに対抗なさいますかな?」
ルイーサ女王がアッサリと答えた。
「戦果と引き換えに、それらの錬金術指南書をお渡ししましょう」
「よろしいでしょう。あとは、軍費と戦果に応じた対価を共通通貨Gで約束してくれるのでしたら、グウィード以外もなるべく倒すように取り計らいましょう」
交渉は具体的な軍事行動の話に移っていった。
























