第11話 意志は受け継がれて
(……おい、嬢ちゃん。はぁ)
『駄目だ』との一言で、本当に駄目になる気がする。
だから言わん。
ワシの勝手な願掛けだが。
(……だが、一体何を待っておる?)
他の連中は死体が喰い尽された後、諦めて消えた。
もう都市へ運ばれて埋葬される可能性は消えた。
耐える意味が無い。
残っているのは、このちっこい娘とワシだけだ。
(……ワシも、嬢ちゃんがいなければとっくに消えておったのだが)
何をしたいのか知らんが、付き合ってやろう。
他にする事もないしな。
(……嬢ちゃん、しっかりしろ)
呼びかけておく。
(……何か希望を持っているのだろう?)
ワシにも迷いがある。
無駄な足掻きかもしれないと言う迷いだ。
長く苦しめるだけかもしれないと言う不安だ。
本当はさっさと成仏させてしまった方が良いのではないかという恐れだ。
だが、呼び掛けておく。
(……諦めるなっ!)
(……………………ぁ)
反応が返ってきた。
Ep02-11
馬の甲高い鳴き声……断末魔が、無人の都市に響き渡った。
ドサッと言う音が聞こえてメルネスが暗闇の中で剣を構えるが、ハインツは交代時間まで眠り続けた。
(どうせ相手はもう逃げている)
これは狩りだ。
獲物はハインツとメルネスで、狩人はイリーナ大隊長とパトリシア大隊長。
この狩りは、獲物が疲れ切ったところをやられる。だから休まないといけない。明日もまた走り続けるのだ。馬を蘇生し、ゴールのアンケロを目指して。
『蘇生ステージ3』
「まったく嫌になるねぇ」
「そうだなぁ」
メルネスと一緒に馬を駆るかなり後ろを、2人の獣人が付かず離れず追いかけて来ていた。
イリーナ大隊長は大した負傷もなく、速度も速い。
もし追いかけているのがイリーナ級の獣人2人だったのならば、そのまま駆け抜けて来てハインツを襲っていただろう。
足を引っ張っているのは、パトリシア大隊長だ。
左右に生えていた犬の耳が1つになっており、肩口には血の固まった布切れを巻いて固定している。
口元は斬られて裂け、やはり布を巻かれて風を防がれていた。風が当たると、激痛が走るのだ。
加えて、戦士系であろうその速度は単騎駆けの馬たちより若干遅い。だが、それでも必死に走り続けている。
イリーナは1人先行し、ハインツ達の進行を何度も妨害しようと図る。
たまに馬を目掛けて石を投げてくる。
命中率はそんなに良く無い。お互いに走っているし、後ろから投げられるから馬を左右に動かして回避させることも出来る。
ハインツもイリーナに向かって石を投げつけるが、相手は馬より速い上に身体能力も遥かに高い。苦も無く避けてしまう。
「……遠距離攻撃スキルの一つも、取っておくべきだった」
「おや、遠距離攻撃は、魔導士系の固有スキルじゃなかったかい?」
「僧侶系なら霊属性の攻撃スキルが得られるだろ。この金狼に噛み砕かれて効力が後わずかの杖には、無理みたいだけどな」
「それは残念だねぇ」
「同感」
風景が流れて行く。
「ふむ……緊張しっぱなしもどうかと思うんだけど、少しリラックスできる話をしても良いかな?」
「なんだ?キャッキャウフフな話なら、大歓迎だぞ?」
「たぶん、最終的にはそうなるよ」
「よし、聞こう」
「くはははっ……ねぇ、大隊長たちが僕らを追いかけて来てくれたおかげで、ベイル王国は大勝利になっていると思うんだ。さて、そもそも国とは何だろう?」
「国か……」
ベイル王国と比較して、ハインツが真っ先に思い浮かぶのはジャポーンだ。
王制と民主制の違いがある。
だが、どちらも国だ。
「集団で協力すると、敵対するより、あるいは中立よりもずっと効率が良い。資源を融通し合える。共通の敵に対処できる。つまり、群れになると生存の可能性が高まる。人間に限らず、動物も魚もそうだ。その、人の作る最も大きな集合体が国だ」
「そうだねぇ。では、なぜ統一国家が出来ないのかな?獣人帝国に対応するにはとても都合が良いのに」
情報伝達速度が遅いから……とは言えない。
ジャポーンはベイルより情報伝達が発達していたが、全てを束ねる統一国家ではなかった。
「統一国家が出来ると、みんなが平等になって自分の優位性が失われると感じるから。弱小国から資源を搾取し、大国の国民が分け与えられる。あるいは弱小国に高いリスクを押し付け、安全を確保すると言う大国の恩恵が無くなる。だから大国は無駄な統一をしない。リーランド帝国は各国にリスクを押しつけているのだろう?」
「……ふむ。君は嫌な事を言うね。でも、嫌と思うと言う事は、あながち的外れでも無い訳だ。では国王とは何かな?」
歴史を紐解けば、どこの国にも大抵王が居た。だが、その立ち位置は国によって様々だ。色んな解釈もあるのだろう。
「……競争本能を押さえる存在だ。誰もが頂点に立てるとなれば争い合う。争いとは相手を上回れば良い。脅し、貶め、足を引っ張り、殺してもバレなければ勝ちだ。だが、血統制と言う本人にはどうしようもない基準があれば、そんな争いが回避できる。そして王族には、帝王学を幼少時から学ばせておけば、他の者が突然王になるよりも下地や人脈が作れて効率が良い。そういう生物も居る。アリやハチが分かり易いか。役割分担だな」
「それも一理あるねぇ。だが、王の役割の最もたるものは、顔であると言う事だよ。アルテナに対するね」
「……うん?」
「一説によれば、宝珠都市は、転生竜が蓄えた世界の力を冒険者が倒して奪い、やがて神になった時に人々に分け与えるらしい。だが、そもそも、宝珠竜を倒すだけでは神になれない」
「そうなのか?」
「そうだよ。カルマって奴が必要なんだ」
「カルマ?業?」
「行いだね。マイナスに振り切れていると、神族じゃなくて魔族になるよ。神の一部が、好きで宝珠都市を作っているだけで、神族も魔族も普通に居るんだ。でも、マイナスって何だろうね?人を救うのが善?それなら獣人は悪になるね。でも獣人の側はどうだろう?人を倒すのが善かもしれない」
「……難しい」
「これから先は、単なる僕の考えなんだけどね。アルテナが本当の神なんじゃないかな?神族も魔族も、生前の冒険者としての、あるいは転生竜から奪った力が本人の強い性質を反映して変容しただけの存在に過ぎなくてさ」
「……アルテナが本当の神?アルテナが?」
「僕の勝手な考え。よし、本題に戻るよ。人は結婚すると、アルテナに誓いを立てるね?」
「ああ。誓いを破るとハゲるらしいな」
「くっくっ……。それでね、王族も誓いを立てるんだ。自分が加護範囲の王であり、それをどの子が誰と受け継ぐと。君が言った、アリやハチだね。王が承認する血の繋がった子孫であれば良い。アルテナは承認する。破るとどうなるか分かるかい?」
「……さあ。洒落にならない気がするけどな」
「そうだね。でも分からない。アルテナが何なのか、実は分からない。世界の法則だなんて賢者は言っている。どういう法則?不変の法則?まあ、ここまでを踏まえた上でだ。実は、ボクは後悔している事がある。エドアルド王陛下に言ったよね?13年前にフェルナン皇太子が戦死した事を気に病んでいると」
「ああ」
「フェルナン皇太子には、娘が居た。フェルナン皇太子も若かったからね。一人娘だった。まだ王子が居なかったんだ。さっきの話を踏まえて、一人娘はどうなると思う?」
「…………」
「まあ、気楽に答えてみなよ」
「女王アリ?」
「ひどっ!!」
「うわ、鬼かお前!」
「くっく…………」
メルネスは緑の瞳を細める。
紫髪に緑の瞳、本当にどういう遺伝子をしているのだろうかとハインツは思った。まさか、神族や魔族、あるいは竜の血など引いてはいやしないかと。
メルネスは言葉を続ける。
「心残りだったんだよ。いきなりそんな大役を、訳も分からない子供に押し付けてさ。フェルナン皇太子はもう次期王の宣言をアルテナにしてしまっていたから、次はアンジェリカ姫しかベイルを継承できないんだ。何が起こるか分からない。そんな中、アンジェリカ姫はベイルの王都に金狼が迫った時、誓いを立てた」
「……」
「ハインツに関係するから聞いて欲しいな。こう言ったらしいよ。『第一王位継承権者アンジェリカ・ベイルは、ベイル王国に侵攻してきた獣人軍団長・金狼のガスパールを、その手段を問わず1年以内に討伐した男性を我が夫とすることを、アルテナの加護の下に誓約いたします』ってね」
「……いつの話だ?」
「君が僕たちを蘇生させた日」
「……お前らは当然分かっていたんだろうなぁ。何度も念押しされたしな。なぜ王女はそんな誓約を……対価か?ああ、確かに俺は王に文句を言ったな。バーンハード大隊長討伐の報酬が少なかったぞこの野郎と。くそっ……後から言ったとか言い訳も出来んな」
「理解してくれて助かるよ。僕はね、君が良いと思ったんだ。君なら、いざとなったら王女を連れて逃げる力がある。それにお人よしだ。こんなところに、大隊長に追われてまで知り合いを助けに来るなんてね。僕は責任が取りたかった。どんな手段を使っても。謝るよ」
「……もういい。王に文句を言ったのは俺の意思だし。王女は俺みたいな民の声に耐えられなかったんだろう?俺はガスパールにグレイブを投げた後は、そのまま逃げ去ったしな。分かった。はぁ……よし。なんとかする」
「ありがとう。それじゃあ君を何とか生かして帰そう。帰ったら王女と存分にキャッキャウフフしてくれたまえ」
「そこまで見越して言ったお前が怖いわ。まあとりあえず、最初にミリーを蘇生して魂を安定させ、その時に杖が完全に効力を失った振りをして戦う」
「パトリシアは馬より遅そうだ。いくらでも追いかけられる。二人がかりで先にイリーナを倒すかい?」
「そうするか」
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
もうすぐアンケロだ。
ハインツは慎重に風景を見続けていた。
地平線の彼方まで続く大街道。その脇にあった。
獣人の進軍に際し、邪魔になって大街道からどかされたのだろうか?それは道端に捨てられていた。
辛うじて馬車の成れの果てだと分かる散乱した木材と金属、そして人馬の骨と、醜くうごめくゾンビの群れがそこにいた。
「くそ、ミリーはどこにいるっ!?」
ハインツはゾンビの群れに近寄った。
ハインツの治癒魔法でゾンビたちを浄化してしまうわけにはいかない。そこにミリーが混ざっていた場合、消し去ってしまうのだから。
「ええいっ、違うっ、違う!」
すでに死んでいるゾンビに対して、剣はさほど有効ではない。
ハインツはゾンビの性差や髪の長さ、体格、服装を見定めながら、ミリーではないゾンビを蹴り飛ばして探し回った。
「……僕は獣人のほうを警戒するね」
さすがに居た堪れなくなったのだろうか。あるいはミリーを知らない自身は役に立たないと感じたのだろうか。メルネスはハインツから距離を置き、大街道の南を警戒し始めた。
メルネスの気遣いが伝わり、ハインツは少し冷静になった。
「だが、ゾンビだったらどうすればいい?そのまま蘇生できるのか?それとも一度倒すのか?くそっ!」
その時、ハインツに声がかけられた。
(……蘇生。青年、面白いことを言うな)
それは、とても大きな体の男だった。それしか分からない。
なぜなら、抉られていない部分がどこにもないほどにボロボロの魂だったからだ。辛うじて大きさしか分からない。
だが、相手はしっかりとハインツを見ていた。
ハインツは単刀直入に尋ねた。
「ミリーという子を探している。髪はブロンドのミディアム。背は小さい。探索者で祝福は7かそれより少し上くらいだ。あまり人見知りをしない。元気なやつだ。知っていたら教えてくれ」
(……ふむ。探してどうするつもりだ?)
「蘇生させる」
(……お前さん、あのちっこい嬢ちゃんの何だね?)
「!?彼女の親友の旦那で、冒険者の先輩で、半分保護者だ」
(……半分保護者か。保護が行き届いていなかったのではないか?)
「悪かったよ。……蘇生したら、今度は嫌がっても照れても、逃がさずちゃんと面倒見てやる。もう、まとめて嫁にでもしてしまうか」
(……ふむ。責任を持つのなら持て。魂の崩壊が酷いぞ?最後まで面倒を見るのだな?嫁にするのだな?)
「……はぁ。ミリーを俺の嫁にすることを、アルテナの加護の下に誓約する」
(……ならば良いだろう。こっちだ。付いて来い)
その男は、大街道の脇に進んだ。
そこには、何かが引き裂かれた跡がある。何かが引きずり出された跡がある。何かが食い散らかされた跡がある。何かが・・・
「ミリーっ!」
(……………………)
その男の状態より、ずっと酷かった。なるほど、その男がハインツに覚悟をさせてから引き合わせるはずである。
男は、体を抉られつつも綺麗な魂でそこにいた。一言で言うなら、瘴気に負けていない。すさまじい精神力だった。綺麗な死体の霊だった。
逆にミリーは、ほとんど負けていた。
魂のほとんどすべてが瘴気に穢され、ぐちゃぐちゃに混ざったような魂になっていた。もし肉体がある者が同じ状態になるとすれば、ゾンビが溶けて半分液体になった状態だ。
大男が居なければ、ハインツはミリーに気付かなかっただろう。大男は、そんな状態のミリーを見届けたのだ。すさまじい精神力だとハインツは感じた。
(……大祝福を受けていない者がそこまで耐えられるのは異常だ)
「……ミリー、うちに帰るぞ。だから来い。俺のところに帰って来い」
『蘇生ステージ3』
ハインツはミリーに優しく声を掛け、スキルを使った。
白い光が、消えかけのミリーの魂に優しく降り注がれる。暖かく包み込むような光は、ミリーの抉られた魂を埋め、黒く濁った魂に溶け込んでゆっくりと汚れを清め、ドロドロしていた輪郭を綺麗に整える。
「……なるほど、だから蘇生は白い光なのか」
(…………すごいな。)
魂が、だんだんミリーの形になっていく。
「…………ほら、ミリー。帰るぞ」
(………………あああぁああ…………あぁぁああ)
「遅くなって悪かったな。ミリー、ハインツだ。迎えに来たぞ」
(…………ぁぁぁ…………ぃ…………ゃ)
魂が、ミリーの意思を取り戻しつつあった。だが、意志はミリーになるのを拒んだ。
「我がまま言うな。もう全部見た。責任とってミリーを嫁にするから諦めろ。もうアルテナに誓ってある」
(…………リーゼ)
「男は4人まで妻を持てるんだろ?どうせ誰かと結婚するなら、俺にしておけ。リーゼとなら仲良くやれるだろ?少し貧乏かもしれないけど、ちゃんと愛して抱きしめてやるから」
(…………)
「ほら、『ハインツ・イルクナーは、アルテナの加護の下に、エミリアンヌ・フアレスに結婚を申し込みます』」
(………………)
「返事は?」
(……………………)
「受けろ。俺に付いて来い」
ハインツが、ミリーの魂に手を伸ばした。
ミリーは躊躇うが、ハインツは構わずミリーの魂を抱きしめた。
「ミリー、俺と結婚してくれ」
(………………)
「聞こえない」
(…………『アルテナの加護の下に結婚の申し込みをお受けします』)
「よしっ!」
ミリーを包んでいた白い光がついに消え、ミリーの体がハインツに抱きしめられた。
大男の魂はそれを見届けた。彼の最後の仕事は、祝福を受けた冒険者としての結婚の立ち会いだった。
アルテナに誓う夫婦への立ち会いは、冒険者の神聖な役割の一つだ。
(……悪くない終わり方だ)
大男は強面の顔でニヤリと笑うと、そのまま別れも告げず静かに消えていった。
「……ハインツ、話し掛けて良いかい?」
ミリーを抱きしめ続けるハインツに、メルネスが遠慮がちに話し掛けた。
「……すまん。杖が壊れた。金狼に噛み砕かれた上に、私用で使った。国王陛下に会わす顔が無い」
「それは良いんだけどね。どうせ噛み砕かれた時点で殆ど終わりだったんだ。金狼を倒せただけで充分さ。さて、僕らを逃がしてはくれないんだよね?」
追いついたイリーナが答えた。
「……当たり前でしょ?杖の入手経路、蘇生させた者達の情報、いくつも確認しないといけない事があるわ。ただし、一切抵抗せず、全てを隠さず話すというのなら、あたしにも自制心があるかもしれないわ」
イリーナは怒っている。だが、杖の効果を見てやや冷静さを取り戻していた。
回復は何度も見たが、蘇生を目の当たりにしたのはこれが最初だ。獣人帝国でも魂からの蘇生は見た事が無い。アイテムでも、スキルでも。
そのような奇跡が実現したとなれば、大隊長として看過できる事では無い。父の敵と言えど、感情のままに殺して済ますわけにもいかなかった。
「…………っ!!」
「…………あら。ふーん?人間の基準は分からないわね。その娘、あたしがここの馬車の冒険者を襲った時に逃げたゴミでしょ?部下が始末したけど。そんなゴミに使うなら、お父様と相討ちになった黒い騎士にでも、あるいはダグラスと相討ちになった白い騎士にでも使えば良かったのに。愚かしい」
「…………ううううああああああぅっ」
ハインツはミリーを抱きしめた。そして言う。
「メルネス、悪いけど作戦変更だ。あのイリーナ大隊長を俺が倒す。メルネスは、パトリシア大隊長を必ず倒してくれ」
「…………パトリシア大隊長はかなりの手負いだ。そもそも祝福も僕より低い。罠を張られる状況でもない。1対1なら負ける要素が無い。だが、君は死ぬぞ」
「考えがある。俺からの要望はただ一つ。パトリシアを逃がさず、そちらで確実に倒してくれ」
「……分かったよ」
「ふーん?パトリシア、あなたは持ち堪えなさい。あたしがあの杖の男を倒す間ね」
パトリシアは無言で頷く。
「ミリー、かなり無茶をするけど、夫を信じて黙って見ていろ。じゃあ行くか」
4人が剣を構えた。
「…………っ!」
ハインツがイリーナに向かって走る。イリーナもエストックを惑わせるように煌めかせてハインツに迫った。
『暗殺』
「なっ!」
ハインツが、スキルを使って腰の短剣をイリーナに投げつけた。
イリーナの瞳が驚きに染まる。イリーナは速度を重視し、バーンハードとは違って硬い籠手などしていない。
だが、だからこそ身体を捻って短剣を避け切った。そしてハインツにはその動作だけで十分だった。
「ぐうううっっ!!」
「…………つはっ!!」
イリーナは、まずハインツに軽い剣撃を2度当てた。
攻撃無効化スキルの特性は、追撃戦で理解していた。
敵の攻撃を2度無効化して効果が無くなることを確認しており、事前にかけていると見越していた。まずそれを打ち消したのだ。
そして、ハインツの長剣がイリーナの右脇腹を貫き、イリーナのエストックがハインツの右胸を貫く。
イリーナの勝ちだった。
『単体治癒ステージ4』
「…………なっ!」
「…………ぐぅあああっ!」
ハインツはひたすらに左指のスキルを発動させて回復しながら、驚くイリーナを突き飛ばして離れる。
『単体治癒ステージ4』
「はあああっ……つあああああっ!」
ハインツは、自分の右胸に突き刺さったエストックの刃先を掴んで抜き放った。
『単体治癒ステージ4』
「っ!」
逃げようとしたイリーナに、奪ったエストックを持ったハインツが斬りかかった。
エストックがイリーナの左脇腹に突き刺さった。
「ぐっ」
イリーナの顔が歪む。
ハインツは、イリーナの髪を掴み、さらにエストックを突き刺して地面に押し倒した。
「あがああっ!」
イリーナが喘ぎ、引っ掻き、身体を激しく揺らす。だがハインツは力尽くで押さえこみながら、エストックをさらにぐりぐりと身体に沈め込んだ。
イリーナは暴れ続け、抵抗を止めない。
『全体治癒ステージ3』
ハインツは、メルネスにも援護のスキルを飛ばした。
メルネスはパトリシアの身体を何度も斬りつけていたが、その攻勢がさらに激しさを増した。
「はあああああああああっ!!」
エストックの剣先がイリーナの皮膚を斬り裂きながら暴れ回る。
「う゛ぁああああぁぁぁ……」
ハインツとイリーナの目線が合った。お互いに目を逸らさない。イリーナは、深い金色の大きな瞳をしていた。
金狼のガスパールは原色に近い金色の体毛だが、イリーナは人と遜色の無い皮膚だった。髪の色もライトゴールデンブロンドで、人の色と変わらない。
確かに爪や牙、瞳にガスパールの遺伝的特徴が多少見てとれ、獣人だと見た目で分かるが、とても美人だった。
「凄い美人だな」
「……ねぇ、あなた本当の祝福は?」
イリーナの抵抗が止んでいた。
ハインツは、油断して逃がすまいとイリーナの髪を掴んだまま答えた。
「大祝福3祝福5の治癒師。祝福数はお前の父親と同じだ。前職は探索者戦闘系で大祝福2祝福16。こちらはお前と同じくらいだ」
「……非常識じゃない。本当に人間?」
「ああ、努力したんだ」
「……そう。あたし、腹が立っていたの。弱い人間が道具でお父様を殺したって。でも、実力で負けたのなら良いわ。だって、弱いなら負けて当然でしょ?」
「そうだな。間違ってない」
「ふふ……ねぇ、あたしは強い男と結婚するのが夢だったの。お父様より強い男と。獣人帝国には殆ど居なくて、居ても対象外で、あなたなら対象なのだけれど」
「凄く魅力的だな。戦争していなくて、人と獣人が対等ならお前を妻にしたんだがな」
「……それは残念ね。じゃあ来世で機会があればね」
「そうだな。じゃあな」
「……ばいばい」
『暗殺』
ハインツは、エストックを抜いてイリーナの喉を切った。
スキルを使ったのは、苦しみを長引かせないためだ。せめてもの情だった。
「遅いよハインツ。こっちはもう終わってる」
メルネスがそう声を掛けてきた。
パトリシアは既に息絶えていた。これで金狼軍の大隊長以上の全てが戦死した事になる。
「ああ。ミリー、うちに帰るぞ」
「……うん。ええと、あたしはハインツさんの事なんて呼べば良い?『あなた』はリーゼが使ってるし」
「遠慮しないで『あなた』と呼んでみろ」
「……あなた?」
「ぐはっ……」
「ハインツ、僕がいること忘れてるでしょ?」
10月6日、ミリーはおよそ1ヵ月遅れて家路に着いた。
王都から北上してくる数多の獣人達は、アンケロから南下してくるハインツとメルネスに次々と倒されていった。
ハインツが倒した獣人の大半は、ミリーの経験値に変えられた。
やがてアンジェリカ王女の追撃隊は、大街道に膨大な数の獣人が倒されているのを目撃する事になる。


























