第06話 北風の南下
はやく……はやく……はやくっ……
反転して全速力で南へ向かう馬車の前方から、物凄い音がした。
前方を疾走する馬車がひっくり返ったのだ。いや、1人の獣人によってひっくり返されたのだ。
「ソフィア、奴を最優先で足止めしろ」
「速過ぎて全然当たらないのよっ。大祝福だけじゃなく、種族補正であいつの脚が早すぎるの!」
また大きな音が響いて来た。
南へ方向転換して全力疾走していた箱馬車の一つが、車輪を引き剥がされて横転し、そのまま大街道を横滑りしていったのだ。
それに巻き込まれた後続の馬車が1台激突して吹き飛び、馬車を引っ張っていた馬がそれに引き摺られて転がって行った。
馬の脚は既に折れていて、もう箱馬車では無くただの車輪の付いた木の箱になってしまっている。
先程から信じられない出来事が次々と起こっている。
「ぎゃあああああああああああ!!」
あまりにも非常識な光景に耐えかねた後続の馬車の御者が絶叫した。絶叫しながらも、懸命に馬を操作して多重事故を避けた。馬も賢く、自ら動いて障害物を避けてくれた。
だが大街道を外れた地面の泥濘に車輪を取られ、その馬車はついに動かなくなる。
破壊され、あるいは動かなくなった馬車はついに7台になった。
「まて、置いて行かないでくれ!」
「うあああああああああっ」
その箱馬車に乗っていた一般人たちが、箱馬車の乗降口から次々に飛び降りていく。
だが、残る5台は停まらない。本来雇われたはずの護衛の冒険者も助けない。助けようがないのだ。後ろから大隊規模の獣人軍が迫って来ている。こちらを足止めしようと魔法や矢が飛んでくる。
その中でただ一人、信じられない速度で迫ってくる獣人がいた。
その女は馬よりも圧倒的に早い速度で、懸命に逃げる12台を軽々と追い越した。あれは馬が荷を引いていなくとも逃げ切れる速度では無い。
そして反転して前後が入れ替わった馬車の先頭から順番に車輪を引っこ抜き、馬車をひっくり返し、馬を殺し、そして好き放題に暴れまわった。
おまけに箱馬車を追い抜く時、エストックで車体をドスドスと突いていった。壁に身体を押しつけて揺れに耐えていた冒険者が、その獣人の遊びで1人死んでいる。
また破壊音が響いて来た。
「いやあああああああっ」
「8台目がやられたあっ!」
「あいつと、後方の獣人軍を引き離す。引き離してあいつを倒し、また逃げる。そうすれば逃げ切れる可能性がある。大祝福を受けている者は何人いる?」
「俺達3人とも受けている!」
「祝福数は?」
「全員30と31だ」
ドガガガガァンッと新たな音が前方で響き、それが後方へと流れて行く。音が響くたびに十数人が死んでいる。いや、生きているだろうが、結局獣人の大隊に追いつかれて死ぬ。
「9台目がやられたっ!」
「残り3台か。反転してわしらが一番後ろの馬車だと言っても、もう時間は無いな」
「くそっ、なんでこんなところにっ!」
「わしとそこの赤髪のソフィアは祝福42だ。戦闘指揮を執る。あと1人、祝福が高い奴はいるか?」
「27の魔術師で良ければ」
「贅沢は言えん。魔術師なら接近戦は無い。お前の腕でなんとか援護しろ」
また破壊音が聞こえて来た。
「10台目もやられたああああっ!」
「もう無理だろう。御者、ここで停車しろ。あいつを倒さなければ逃げるだけ無駄だ。お前たち、4人で一斉にかかるぞ。1人死んでも倒せればいい。わしが正面から行く。ソフィア、魔術師、あいつの動きを先読みして援護しろ」
「無茶言わないでよ!」
イヤダイヤダイヤダ……停まらないで……お願い……逃げて……逃げて……怖い……怖い……怖い……
破壊音が聞こえて来た。
「この馬車以外、全部やられたっ!」
「迎え討て」
「イリーナ大隊長、お怪我はありませんか?」
「一番後ろに乗っていた冒険者達から。なかなか良い男だったわぁ。それで、逃げたゴミは?」
「大隊長が戦っている間に逃げようとした連中なら全員殺しました」
「そう?ご苦労様。あいつらも手伝っていれば、少し危なかったかもね」
「お怪我の手当てを」
「そうね。突入時間に間に合わなかったら、わざわざ迂回した意味がないものね」
ィャ……………………ャ…………
Ep02-06
ベイル王国に属する全ての都市の冒険者協会へ緊急依頼が出されていた。
王都ベレオンから北上し、最前線の都市まで行って防衛戦に参加して欲しいと言う依頼である。どの都市かは記載されていない。王都より北の地の戦力は乏しく、いくつかの都市は獣人の侵攻を防げずに陥落すると予想されたからだ。
報酬はいつも通り、ベイル王国の逼迫した財政から出せるささやかな額であった。だが依頼主にはベイル国王の名が記されている。もはや、なりふり構っていられないのだろう。
東のエルヴェ要塞に駐留する3個騎士団から選抜された2個騎士団が王都への移動を開始した。南のフォルシウスからも1個騎士団が向かっている。彼らは王都到着後、そのまま北上する。
そして王都からは、近衛騎士団と緑玉騎士団が先行して北上した。
だが、どの程度の戦力が間に合うのかは分からない。獣人軍は既に最北の都市アンケロだけではなく北部に属するアロネン、カマライネン、ヒルヴェラの3都市まで陥落させたと、それらの都市から逃げてきた人々によって最前線の都市アリアーガに伝わっている。
9月19日、ハインツは最前線のアリアーガに到着していた。
王都に大型伝令鳥が到着したのが9月12日、ハインツが知ったのは9月14日の事である。4都市を5日で駆け抜けたハインツの速度は異常だった。普通定期便に出せる移動速度では無い。
これはアドルフォ・ハーヴェに高速便を手配してもらっての事である。商会幹部の一人であるレイモンがハインツに付き、各都市にあるハーヴェ商会の高速馬車を新しい都市に着くたびに次々と乗り換えてきた。
だがアリアーガで足が止まった。この先に馬車を出してもらう事は出来ない。なぜなら、この先は今や獣人帝国の支配域と化しているからだ。
ミリーの足跡はハーヴェ商会の記録に記載されていた。アリアーガの先のアンケロに商会の隊と共に向かっていた。その先の記録は確認のしようが無い。
代わりに、アンケロから脱出した避難者の証言が得られた。
アンケロの都市外に、ハーヴェ商会の馬車の残骸と、多数の死体があったと。
「ハインツさん、商会の関係者はアリアーガから撤退させます。ここはエルヴェのように要塞都市ではないのです。わたしは商会撤退の手配をしないといけません。高速臨時便は明日の午前に出しますので早めに来て下さい。その他何かあれば商会までお越しください」
「ああ、レイモンさん。ありがとう」
彼の役割はハインツを乗せると同時に、王都で避難者の馬車を指示しているアドルフォの代理として前線の指示を出す事だ。
その彼にお礼を言って一旦別れる。リーゼを連れて商会の外に出て、アンケロへと大街道が続く北門へと歩き出した。
ハインツに無理をする気は無い。
なぜなら、リーゼが言う事を聞かずにここまで付いて来たからだ。拒否権(絶対嫌です)を発動されてしまった。
そして、納得させ切れなかった。
祝福3なら危ないと言えば済むが、祝福42は騎士なら副団長、治癒師ならどこかしらの地方都市の神殿長になれる高さだ。ミリーの乗っていた馬車の護衛のリストでも、最高位は祝福42だった。
つまりリーゼは現時点で、この都市にいる最上位の治癒師なのだ。誰に聞いても、是非力をお貸し下さいと言われるだろう。
それでいて圧倒的に経験不足。これほど危ない冒険者も居ない。
ハインツは、後になって1人で普通定期便に乗って追いかけて来られるよりは、手の届く範囲に居てくれた方が安心だと思った。
一旦引いて、獣人が引き上げた後にミリーを回収して蘇生する。魂からでも蘇生できる。問題ない。
と、リーゼがハインツの裾を引っ張って来た。
「あなた、あなた……」
「ああ、巻き込まれたな。でもリーゼ、最悪でもミリーだけは蘇生するから安心しろ。ミリーには知られているから、あいつに隠す意味なんて無いしな」
「違います。アンケロならまだ良かったのですけれど、ミリーの馬車はアンケロの都市外なのです」
リーゼの表情が普段には無く焦っていた。
今後の方針を決めていたハインツが、怪訝な表情でリーゼを見返して促す。
「ええと……それはどういうことだ?」
「ティーナさんは加護がある都市内でしたから、29年間も魂が保ちました。けれど、アルテナの神宝珠に守られていない都市外だと、瘴気が身体と魂を蝕んでしまいます。だからゾンビ化したり、ゴースト化したりします。身体がそう変化すると、次は魂が壊れてもう蘇生できなくなります」
「……なんだって!?」
「治癒師になった後、フロイデンのアルテナ神殿で教わりました。ミリーは、ティーナさんと違って冒険者だから魂が強くて、少しは保つと思いますけれど」
ジャポーンの常識が通じない。
ハインツはこの世界に来て、まだ3ヵ月程しか経っていない。
リーゼは冒険者としての経験が浅いが、ハインツもこの世界の常識に疎かった。
「どれくらい保つんだ?」
「人それぞれですけれど、普通の人は保って数日と言われています。冒険者で強いミリーなら、多分1ヵ月くらいは。わたしならミリーの半分も保てないと思います」
「そう言う事を言わないでくれ」
「ごめんなさい」
「あ……いや、少し気が立っていたかもしれない。ごめんリーゼ」
「はい」
「でもリーゼもかなり強いと思うけどな」
ハインツはそう言って、リーゼをなんとなく抱きしめた。このまま得られる安堵感に身を委ねてしまいたくなるが、ハインツは考えなければならなかった。
9月10日、多分ミリーは死んでいる。殺されている。
リーゼの話ならばタイムリミットは10月10日くらいだ。もちろん助けに行くのは早い方が良い。
今は9月18日。ここから馬車で向かえば普通の馬車でも9月21日。今からなら充分間に合う。
「普通定期便で3日の距離だが、ハーヴェ商会は撤退するし、あちらには獣人がいるしな。北門の方に行ってみるか。リーゼ」
「はい」
第二宝珠都市アリアーガには、多くの騎士や冒険者が集まっていた。
まずベイル王国軍。
近衛騎士団と緑玉騎士団。各地の騎士隊。元々の駐留騎士隊。あとは沢山の治安騎士。
アリアーガは第二宝珠都市であり、第一宝珠都市の2倍の人口を抱える。そして都市防壁はかなり厚い。
200年以上前、リーランド帝国とベイル王国との間に一度戦争があった際、ベイル王国の優秀な騎士団長が圧倒的な勝利をもたらし、多額の賠償金をせしめて国境の各地の防壁を大幅に強化したという。アリアーガの都市防壁はその一つだ。
軍は、ここを防衛の拠点と目している。
呼びかけに応じて冒険者もかなり集まって来ている。二百は超えているだろう。ベイル王国も捨てたものではない。
そして北から逃げてきた避難民が溢れていた。祝福10台の治安騎士は戦争には加わらず、彼ら避難民の護衛をする。避難民はその地の治安騎士や冒険者に守られ、自前の馬車やハーヴェ商会の馬車に乗ってアリアーガまで逃げてきた。
大通りを沢山の人たちとすれ違う。
大勢いるとその人数で少しは安心するのだろうか。いや、彼らの不安はその大声で伝わってくる。大きな声を出すのは不安な証拠だ。怯えて威嚇をしている。
ハインツはリーゼの手を引いて群衆の中をしばらく歩き、ようやく北門へと辿り着いた。
「かなり高い都市門だな。流石に第一宝珠都市とは違うな」
「高さは6~7メートルくらいでしょうか?横幅も厚いですね?あっ、あなた、そこに階段がありました」
「お、でかしたリーゼ。とりあえず上がるか?」
ハインツは、階段を守っていた3人組の兵士たちに冒険者登録証を掲げた。都市の防壁には大型の弩や投石機も取り付けられており、今は冒険者が沢山いる。そこへ民間人は上がれない。
「んおっ!探索者戦闘系で大祝福2かよっ!やべぇ、おいおい、大隊長と戦えるじゃん!」
「まじか……勇者が来た!おい、勇者だぞ」
「あ、でも一般人の随伴は駄目だぞ?」
「ええと、わたしも冒険者です」
リーゼも冒険者登録証を見せた。
「うはっ、治癒師の祝福42……」
「うひょー!こんなに若くて可愛い子が神殿長なら、俺アルテナ神殿に毎日だって通っちゃうぜ!」
「おいおい、アリアーガ神殿長の婆様だって、自称17歳だぞ?」
「よし、俺は3年に1回だな!」
「ええと、登ってよろしいでしょうか?」
「「「はーい、いってらっしゃ~い」」」
北門に登ると、ヒュウウッと風が吹き抜けていた。
前方には遥か彼方にまで続く大街道があり、後方にはアリアーガの街並みが続いている。
地平線の先にまで続くバダンテール大街道。この大半は、人の手で作られたものではない。
周辺国全ての暦にもなったバダンテールと言う偉大な神官が無数のゴーレムを創り出し、多数の年月を掛け、都市間の障害物を殆ど直線で全て排除して大地を均し、広い大街道として繋げたのだ。流石に大河は渡し船だったが。
共通の暦は、周辺国全ての大街道が完成された年に始められている。
当時の人々は偉大なるバダンテールに感謝し、その名を暦にして未来永劫讃えようとした。そして1000年以上経った今でも人々から讃えられている。
人の手で造り得ないその大きくて広い道は、都市間の流通を一気に加速させた。
だが、とハインツは思う。
この街道が無ければ人々はインサフ帝国に増援を出せない代わりに、獣人帝国もここまで来ようとは思わなかったのではないだろうかと。
単に各個撃破されていただけかもしれないが。
「ん……なんだあれは!?」
ガラガラ…………
大街道の遥か彼方から、車輪の音が聞こえてきた。
北門の上で大街道を監視していた他の冒険者や騎士が色めき立つ。そして声を上げた。
「なんだ、あのとてつもなく大きなものはっ!?」
「太くてでか過ぎる!」
「馬鹿なっ、先端が凄く堅そうだぞっ!」
それはインサフ帝国にあるエルフの森の巨木を切り倒し、枝と皮を剥ぎ剃り、丸太の先端にはとても堅い金属を取り付けた巨大な破城槌だった。
金狼のガスパールが発案した物で、今回初めて用いられる。
丸太の幅は、都市アリアーガを守る高さ7メートルの防壁の北の大門に匹敵していた。
それを乗せている台車には、台車に見合った大きな車輪が取り付けられている。そして左右にはロープで繋いだ大量の馬を並行して走らせて引いている。
ハインツとリーゼの目前で、その巨大な物体が勢いよく迫ってくる。
カンカンカンカンカン……カンカンカンカンカン……と、警告を発する鐘が打ち鳴らされる。
「獣人軍だあああああっ!」
「敵襲!敵襲!敵襲!」
「投石機隊、撃てぇええ!!」
城壁に据え付けられている4機の投石機が投石を開始した。
だが、なんと巨大な破城槌からも応射が始まった。
『サンダーバースト』
『ファイヤーランス』
魔法は投石機から飛ばされた砲石を次々と打ち落とす。
「あああああ、なんだあれはっ!!」
「魔法で迎撃されているっ!?おい、台車に魔導師たちが乗っているぞっ!」
「もっと良く狙え!」
「馬鹿野郎、命中精度は向こうが上だぞっ!弩で迎撃するんだ!」
「くそっ、リーゼ、今すぐ降りるぞ!あれは北門を一撃で壊せるっ。上に居ると危ないっ」
「はいっ」
北門の階段には、騒ぎを聞き付けて登って来ようとする人と、巨大な破城槌を見て慌てて降りようとする人が入り乱れて大混乱を起こしていた。
それを見て、ハインツは右手の薬指に刻んでいるスキルを使った。これを使うのは、ジャポーン以来だ。
『離脱』
咄嗟にリーゼを抱きかかえて、7メートルの高さの北門を容易く飛び降りた。
その間にも巨大な破城槌が迫る。どうなるか、ハインツには見ずとも分かる。いや、防壁の上に居る人間には分かっているはずだ。あんな非常識な物がぶつかれば、北門が吹き飛ぶと。
ハインツは構わず北門から逃げ出した。どう考えても突破される。あれは大き過ぎる。
そして混乱しつつも、今がどれだけまずい状況かを必死に考えた。
(突破されたらどうなる?おそらく後続の獣人軍が雪崩れ込んでくる。いや、絶対に来る。皆が逃げる。馬車が無くなる。俺が獣人をまとめて倒せるか?無理だ。それに戦いの中でリーゼを逃がせる気がしない。ハーヴェ商会の馬車まで逃げる。皆が北門の状況を詳しく理解する前なら、皆が駆け込んでくる前に乗れる)
「リーゼ、俺に捕まってろ」
「……はい」
ハインツがリーゼを抱えて後ろを振り返らずに走り出した後、獣人軍の巨大な破城槌を乗せた台車からは4人が左右に飛び降りた。
飛び降りたのは右に1人、左に3人である。
彼ら彼女らはそれぞれ、破城槌に固定された太いロープを握っていた。そして4人は台車より先行し、左右から力強く引いて馬よりも早く走り出した。
4人は、獣人の中でも種族補正が極めて強い。ガスパールは金狼だ。ダグラスはライオンだ。イリーナはガスパールの娘だ。そしてパトリシアは犬だ。それに大祝福が加わり、破城槌を乗せた台車はどんどん加速していく。
台車に残っていた獣人達が慌てて馬のロープを切り離し、次々と飛び降りていく。馬も城門にぶつかるまいと離れていく。
「ダグラス、イリーナ、パトリシア、お前たち3人で左から俺に合わせ、力いっぱい叩きつけろ。お前ら3人でバランスはちょうど良いだろう」
「承知!」
「激しいのは嫌いじゃないわ」
「全力で行きます!」
4人は北門の前で止まり、そのまま軸になって太いロープを引っ張った。破城槌は前面からの膨大な力に引かれ、北門に一気に激突した。
北門は、それを取り付けていた都市壁ごと都市方面へ吹き飛んだ。
台車から分離した巨大な破城槌はそれだけでは勢いが収まらず、4人の化け物の手を離れて門の内側に勢い良く飛んでいき、民家を次々と吹き飛ばし、10軒ほど破壊してようやく止まった。
それは常識を疑う光景だった。北門周辺の騎士が、兵士が、冒険者が固まる。怯える。動けなくなる。彼らの戦意は既に0だった。
それらに構わず、平然と破壊槌を乗せていた台車を門から移動させる彼ら。後方では、獣人軍の後続が北門へ向かって進軍し始めていた。
「イリーナ、パトリシア、防壁の上にいる連中を左右から片付けろ。後はダグラスの指示に従って動け」
「了解~」
「はいっ」
「ダグラス、予定通り軍団を指揮しろ。全責任を俺が負う。自由にやれ」
「承知!」
「さて、ようやくの収穫祭だな」
彼らは4者4様に動き出した。
イリーナ大隊長とパトリシア大隊長は軽く助走してそれぞれ防壁の上に飛びあがり、上に居た冒険者たちを舞うように殺し始めた。後続が上から攻撃されないように残らず狩り尽くすつもりだ。
ダグラスは、後続の獣人軍が侵入する時に邪魔になりそうな北門の駐留部隊を、まとめて薙ぎ払い始めた。その後は軍団指揮だ。
(さて、いよいよ軍団指揮を任されたな……戦いはこの都市だけでは終わらない。敵を倒すより、損耗を抑えるか?)
軍団長補佐のダグラスは、軍団長のガスパールによって将来の軍団長候補に育てようとされている。
ダグラスの前任者であった首狩りのイルヴァは、同じようにガスパールに鍛えられ、獣人帝国の地上統括者である皇女ベリンダに認められた。
もちろん大祝福3を得なければ軍団長には成れないが、ガスパールに相応しいと思われた時点で推薦を受けて後方へ回され、祝福上げに専念する事になる。そうなればいずれ必ず軍団長になるのだ。
(俺は運が良かったな。他の軍団では後継育成などありえない。俺もしようとは思わぬだろう)
ダグラスたちに指示を出したガスパールは、単独で騎士団の駐屯地へ向かっていった。都市の構造は捕まえた人間達から聞き集め熟知している。まずは主力を潰す。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「今の破壊音は何です!?」
「姫、北門に巨大な白煙が舞っていますぜ。門から内側に続いてます。これはやべぇや」
「なんて事……まだ非常事態の鐘が鳴ってから間もないのに」
「到着まであと少しですぜ。緑玉騎士団、小隊単位で北門へ先行しろ」
人々が立ち止まって不安そうにしている。
彼らはまだ、北門を破られたとまでは思っていないのだ。アンジェリカの率いる軍勢を見て安心したような顔をする者もいる。2階から様子を見ようとする者も。そして・・・
(……あら、どこで見たのだったかしら?)
アンジェリカの軍が進む先から、1人の青年がうら若い女性を抱きかかえて逃げてきた。若い女性は青年にしがみ付いている。おそらく夫婦か恋人。すれ違い様にそう考えた。
青年の方もアンジェリカを見た。
彼はアンジェリカを見ただけではなく、集団全てを見渡した。全体を観察し、そして何かを思案しながら走り抜ける。その青年が角を曲がった直後。
「ぐああああああっ!」
「ヒヒイイインッ」
先頭の騎士と馬がまとめて吹き飛ばされ、道端の太い樹木に激突して折れ飛んだ。折れたのは3つ。飛んだのは5つ。
折れたのは騎士の身体、馬の身体、そして馬にぶつかられた木だ。
飛んだのは2つに分かれた騎士の身体と、馬と、これまた2つに分かれた木だった。
「うあああああっ!?」
「そんな馬鹿なっ!」
それを成した金色の獣人が、周囲の騎士達を見渡して淡々と言葉を発した。
「沢山おるな。ここが当たりか?」
「おい、無事かアヒレス!」
「ぐっ、先頭の近衛がやられただけだ。ベックマン、金狼のガスパールだ!全員でかかるぞっ!」
「レドルンド、バハモンテ」
「左から行きます」「では右からっ」
「小賢しいな」
金色に染まる深い瞳で、金狼のガスパールは騎士たちを見渡した。
ガスパールがベイル王国の指揮官ならば北部は全て捨て、まず全軍を王都に集結させた。その後に全軍で北上し、総力で防戦するのだ。そうすれば獣人軍に大きな被害を与えられるだろう。そのように動けば、こちらも戦いを避けて軍を引く。
だがこれでは、彼らは各個撃破されに来たようなものだ。彼らは1個軍団に対する防衛戦力では有り得ない。
早く来れば良いと言うものではない。目先の民衆を逃がす為に2個騎士団を犠牲にしても、その為に国が滅んでは元も子もないだろう。
要するにやり方が稚拙だ。と、ガスパールは思った。
「一斉にかかるぞっ」
「馬鹿め」
金狼のガスパールは、速攻に転じた。
真っ先に指揮を執っていたアヒレス近衛騎士団長に対して、グレートソードを振り下ろす。
「ぐぅうああああああああっ」
アヒレス近衛騎士団長は、攻撃を弾かんと掲げた剣を押し切られ、右腕を骨ごと断たれた。グレートソードは地面に当たって止まる前に、金狼に操られて既に次の動きを始めていた。
(攻撃のタイミングを敵に教えるなど、こいつらは下の下だ)
一斉にかかるはずだったタイミングを外され、同時に指揮官も失った騎士たちが反応出来ない僅かな間に、ガスパールはレドルンドと呼ばれた騎士をグレートソードで薙ぎ払った。
大気がうねり、風圧が音を立てる。
「ぐうああああああっ」
凄まじい横薙ぎを受け、たまらず声を上げるレドルンド。
慌てて立てた剣が呆気なく弾かれ、そのまま腕も折られ、なお勢いの止まらないグレートソードを内臓に叩きつけられ、弾き飛ばされて地面を転げ、肺から息を吐いたまま吸えもせず倒れ伏した。
ベイル騎士たちは、ここに居るのは本当に獣人なのだろうかと疑った。
獣の皮を被った化け物ではないかと。
あるいは、竜の姿をしていれば納得するのにと。
(後、強そうなのは2人か?)
もちろん自分にとっての脅威ではない。こいつらは何人いても自分の敵では無い。
だが自らの軍団の隊長格を1対1で殺せる可能性がある者は軍団にとっては脅威だ。それは自分に攻撃を仕掛けようとしていた残り2人だろう。そう思ったガスパールは、そのまま高く飛び跳ねてバハモンテという騎士の方に向かった。
「がああっ」
バハモンテはいきなり有り得ない速度で飛びかかられて、迫りくる金狼の大剣を自らの剣で防ぐのが間に合わなかった。
ガスパールの大剣を腹にそのまま叩きつけられ、バハモンテは身体を思いっきりくの字に折り曲げながら吹き飛ばされた。
『暗殺』
「……ぐっ!?」
『離脱』
ガスパールがバハモンテに向かって攻撃をしてからベックマンに飛びかかるまでの一連の動作の合間に、グレイブが空から投槍のごとくガスパールへと襲いかかった。
ガスパールはバハモンテを大剣で薙ぎ払って崩れた態勢のままそれを大剣で弾いたが、思った以上に強力な一撃に驚いた。
その攻撃は、大祝福2回を受けた攻撃系冒険者の力だった。
しかも、飛んできたであろう民家の上には既に人影が無い。
さらに驚愕する事に……
「バーンハードのグレイブだとっ!?」
弾いたグレイブは、3ヵ月前に部下が使用していたグレイブだった。見間違えようがない。なにせ、かつてはガスパール自身が予備にしていた武器なのだから。
我の強いバーンハード大隊長を手懐けるために金狼のガスパールがいくつか打った布石の一つ。ガスパール自身の予備の武器を与えたのだ。以後、バーンハードはガスパールを尊敬し、ガスパールの軍団の大隊長であるという自覚も持った。
大隊長を倒せる冒険者がいるとなると、脅威度はここにいる騎士たち全員を上回るかもしれない。自分にとっては脅威ではないが、放置すれば部下に死者が増える。
(追うか?だが既に姿が見えん。一目も見ていない相手を、膨大な人間の中で見分けられるか?)
ガスパールの動きが止まった。
ベイル王国軍が態勢を立て直す、ほんの僅かな瞬間が訪れた。
「ベックマンっ、王女殿下を連れて王都まで引けっ!」
「ちっ、ええいっくそ」
「なにをっ!?」
「姫、すいませんね。ちょっと揺れますけど、今は何をすれば良いかわかりますかい?」
「ばかにっ、ぐうぅっ」
「そうでさぁ」
「ベックマン、頼んだぞっ。近衛騎士団、金狼を足止めしろっ!これこそが我々の仕事だっ!その金の体毛を毟り取って、全裸にして都市を引き摺り回してやれっ」
「まあ、お前たちも脅威だしな」
グレイブを投げた相手を追わずに残る事を決めた金狼に、アヒレスは真っ先に殺された。赤色の信号弾がアリアーガの空を彩る中、金狼は的確に敵を殲滅し続けた。
アリアーガに随行してきた近衛騎士団は全滅した。アリアーガ自体も、翌日には完全に支配された。