第05話 収穫の秋
わたしは3ヵ月前から猫を飼っていた。フロイデン解放戦の折、拾ったものだ。
「姫、その猫は眼が見えていませんぜ」
「火傷かしら?病気?膿んでいるわね」
戦争で被害を受けたのは、人だけでは無かった。獣人と猫は違う。人と猿が違うように。猫も被害を受けたし、人には助ける余裕が無かった。
子猫だった。茶色くて、模様があって、しっぽが長くて、先が曲がっている。鳴かない。でもまだ生きていた。
母猫にも捨てられたのだろう。助けられないと判断されたのだ。
「まさか拾うんですかい?」
「ええ、それがなにか?」
「なんでもありませんぜ」
緑玉騎士団による王家への反乱は速やかに鎮圧された。
そして、アヒレス近衛騎士団長は最初から何も言わない。
「名前はモモね」
「モモってどこから持ってきたんです?」
「モモンガよ」
「姫の考えている事はわかりませんぜ」
そう簡単に理解されても困る。
表面の、生き物を助ける事で少しでも王家への好感度を上げようと言う意図だとか。あるいは突飛な命名で、少しでも格式ばらない印象を与えようだとか。
そして、フロイデンで助けられなかった命を少しでも助けたいという、わたしの弱い心だとか。
わたしの心を知られる訳にはいかない。わたしはただの王女ではなく次の国主だ。
皇太子だった父は、インサフ帝国への親征で戦死してしまった。父の顔はまったく覚えていない。なぜなら13年前で、それはわたしが物心付く前だ。弟も妹も居ない。
わたしが居た事で、ベイル王国は纏まり続けられる。
今は纏まらないといけない。強大な獣人帝国を相手に、ベイル王国がバラバラになっては即座に滅ぼされてしまう。
モモの眼はわたしが治した。
目の周りが膿んでいただけだった。治癒魔法で治せた。
ベイル王家は血統に高位冒険者の血を積極的に取り入れた。王族に祝福を得るものが多いのはその為で、わたしも治癒師の祝福35だった。
アルテナの祝福があったわたしは、長期的には護衛の騎士たちの負担を減らす為、護衛の騎士たちに祝福上げの負担をしてもらった。モンスターを捕まえて瀕死にしてもらい、わたしが倒す。
この方法は、南のディボー王国で唯一懇意なルイーサ第二王女から教えて頂いた。
それなりに無理をした。でもおかげで能力が高まり、王子がいなくて残念だとは言われなくなった。
モモは可愛い。
わたしの足に頭を擦りつけて、グルグルと足の周りを回る。顔を舐めてくる。鼻を近づけてフンフンと臭いを嗅いでくる。そして、わたし以外が来ると凄い勢いで逃げる。特に音に敏感。
眼が見えなかった時に怖い思いをさせたのだと思った。治す前に馬に乗せて走ってきたのが悪かったのだと反省する。
本当に臆病者。わたしに似たの?
わたしなんて逃げられないのに。
ピュルルーーーー……
今も音で逃げて行く。
ああ、でもこれは本当に不味いと思う。この音だけはダメだ。今日は定期連絡の日では無い。前はエルヴェ要塞が突破された。
鳴き声が段々こちらに近づいてくる。もう間違えようがない。
ピュルルルルルルルーー……
「王女殿下!国境に配備している大型伝令鳥ですっ!」
(黒だけはダメ。本当に黒だけは……)
「色は黒!リーランド方面!リーランド方面です!」
(ああっ、そんな…………)
ベイル王国と国境が接するリーランドの都市キイーオンが落とされてから、まだ2週間しか経っていない。
10日前にそれを知って、即日指示を飛ばした。
けれど、手配した地方の各騎士隊は連絡を受けて準備し、出立し、大半はまだ遠征の途上だろう。都市間は通常3日。王都から直接出した隊ですら、まだアンケロに到着していないはずだ。
(わたしができることは……)
「通信文を確認なさい!宰相と軍務大臣を呼びなさい。わたくしの責任において全騎士団の出撃準備。非番の全騎士も緊急招集。それと、足の遅い輜重兵隊は北のアルクラへ先行させなさいっ!」
失敗した。いえ、これは致命的な大失敗だった。
まだ通信文を読んでいないけれど、大型伝令鳥は獣人対策のために配備している。それ以外の理由で飛ばす事は無い。
都市キイーオンを襲ったのは、情報では皆殺しのグレゴールだ。
まさか軍団ごとに侵攻国を決めている獣人軍が、このベイル側に攻めて来るなんて思わなかった。
それでも、リーランド帝国の隣接都市が落とされたと知った時点で、即座に王都の緑玉騎士団を国境防衛に向かわせるべきだった。
ベックマンなら兵士を置き去りにして、地方の駐留隊の馬も使い、アンケロまでの行程に必要な12日間を8日間に短縮して、おそらく異変があった当日の朝には到着できていたはずだ。
(今日は9月12日。大型伝令鳥の速度から逆算して、アンケロに異変があったのは9月10日。情報を得ていたのは9月2日。やっぱりギリギリ間に合っている)
誰が何と言ってもベックマンを向かわせるべきだった。わたしの決断があれば、それはできていたはずだ。彼がいれば、少なくとも組織的な民衆避難は出来ている。
これはわたしの責任だ。ご高齢でもう殆ど動けない陛下ではなく、その後継であるわたしの責任だ。
(臆病者のアンジェリカ、良いから何でもやりなさい。わたしが・・・わたくしがベイルの責任者なのだから)
「大型伝令鳥、飛行準備!通信文を確認次第、エルヴェとフォルシウスの騎士団を呼び戻します。王国全ての冒険者ギルドへ緊急依頼の準備、場合によっては、集められるだけの冒険者を王都へ集結させ、北の前線へ移動させます。それと、国内の有力冒険者には直接依頼を出しなさい。騎士ではなく治安騎士で、今は1騎でも惜しいわ」
(後は何を……)
「現在の北の戦力配置図を戦略会議室に用意しなさい。北と王都にある軍事物資の目録を持って来なさい。各地に出す早馬は城門前に並べておきなさい・・・」
城内にいる騎士、衛兵、文官、女官に次々と命令する。彼らがわたしに報告して判断を仰ぐ時間を省き、わたしは思い付く限りの命令を下す。そして・・・
思い付いたけれど、躊躇った。自分で考えた恐ろしい案に息を飲む。言いたくない。これだけは言いたくない。本当に言いたくない。でもわたし以外に言う人はいない。
「アルバレスとオルコットへ一文追加。隣接するアロネン、ヒルヴェラが制圧された場合、北東を繋ぐ大橋を落としなさい」
(お父様、どうしてアンジェを残して死んでしまったのですか?)
泣き事が出てきた。情けない。わたしは誰?
Ep02-05
「わはは、ええで、ええでぇ。実にけしからん二つの果実や!」
「いやーん、会長さんのエッチ~」
「収穫や~秋は収穫の季節やで~」
「ぐはっ、ここは一体……」
ハインツは、遠のく意識をなんとか現実に繋ぎ止めていた。
有力冒険者であるアドルフォ・ハーヴェ曰く、ここはエレミーの店だ。酒を飲むと言われて付き合った結果がこれである。
比較的ライト。初心者向け。健全。男が農作業に従事する実に健康的な店だ。採り放題の田舎のリンゴ果樹園を思い浮かべて欲しい。
場所は第二宝珠都市コフランのそういう歓楽街。どの地方都市にでもあるらしい。良い子はママに内緒である。
「いや、実にけしからん。エレミー、酒やで」
農作業で水分補給は大事である。
このお店は地下にあった。薄暗い灯りで仕切りがあり、店内は良く見えない。
赤くてバネの利いた長いソファーの手摺りには金の装飾が施され、銀で縁取りのされた豪華なテーブルが目前に並び、その上にはワインクーラーとか健全な農作業の道具が置いてある。
おそらく薄暗い場所で育てるもやしとか、きのことかを収穫するのだろう。断じて収穫される訳ではない。
ハインツ達はその一番奥に通され、薄いドレスを来た果実達がアドルフォとハインツの左右に2人ずつ座った。そしてひと際美しい女性が出てくる。彼女はこの果樹園の管理者だ。
「あら会長さん、お久しぶりじゃない。5ヵ月振りくらい?もうキープしてあったお酒は古くなっちゃったわよ?」
「そらいかんな。今日は収穫祭やで?新しい酒にせなあかん!」
「あら、そうなの?ちょっとあなた、ダニエルさんのお店に行って、『ハーヴェ会長に一番良いお酒』って言って来なさい」
「は~い」
けしからん果実が1人、パタパタと走っていった。
テーブルは工夫されていて、お酒を作るコーナーにエレミーと呼ばれた女性が座る。果樹園の管理者自ら、農作業に従事する男たちを労わってくれるのだろう。とても優しい人である。
「今日は奥さんたちが女子会やさかい、袖にされたわいらは飲み歩かなあかんで?ここはのんびりできる所や」
「リーゼはコフランでの友達が欲しいって言っていたからなぁ。ベルティーナさんに料理を教えてもらいたいとも言っていたし、ゆっくり話す時間があっても良いかもな」
と言う訳で、アドルフォの家から抜け出してきた次第である。
確かに酒は出ている。ギリギリセーフ。嘘はついていない。
「せや。あと、バーンハードに襲われた時、あいつがわいの所に向かってきたやないけ?それを隣から倒してくれたハインツは命の恩人やで?ハインツはわいに雇用されてなかったからな。借りはきっちり返さんとスッキリせんわ……これは利子やで?」
「気持ちは分かるけど。別に生活できてるし、特にアドルフォにして欲しい事もないしなぁ。はぁ、気が済むなら好きにしてくれ」
「おう、任せとき!当分酒を奢られる覚悟はしときや?エレミー、ハードや」
「…………はへっ?」
店内に怪しい赤い光が舞い始めた。ハインツは気付いた。この田舎の農園には、農家の男が二人しかいない。
「さっき、エレミーさんは『あらお久しぶりじゃない』って言って無かったか?」
「おう。実際久しぶりや。農作業は2人でええて伝えてあったけどな」
「偶然の来店を装った計画犯っ!」
「わはは、年の功や」
「また騙されたっ!」
「わはははっ、ハーヴェ商会の会長舐めんなや!そら行けっコフランの大地の恵みたち!」
薄明かりの中、たわわに実った左右の果実達が、その薄い皮を上から剥いでいく。収穫を求めてハインツの手を引き寄せる。
……ふにょん。
「はうあっ!」
「どっちや!?どっちが好みなんや!?ちょっと痩せてて、マシュマロみたいな方か?果肉がぎっしり詰まった、弾力のある方か?」
「ぐっ……そっ、それはあっ!や……」
「ん、なんやて?聞こえんなぁ」
アドルフォは、自らの左右にあるけしからん果実を掴みつつ、ハインツにそう言った。ハインツの左右から果実達が迫ってくる。冒険者としてまさに危機的な状況だ。この精神攻撃で惑わすダンジョンに逃げ場は無い。
……ふにょん、ふにょん。
……ぼよんぼよん。
「ぐはっ!」
「サクランボの大きさも違うねんで?色も、形もや。収穫は優しく摘むんやで。大地の実りやっ」
果実達はハインツの両掌を誘導し、その先に聳え立つ先端のサクランボに指先を這わせた。突起する果実の尖端、それはメロンで言うならヘタの部分である。本来は食べられない。だが、メロンでは無かった。それはメロンでは無く、甘い果樹酒のストローだった。
「手で捥いだら、口で味わうんや!収穫祭やで!」
「ダメっ、のぉおおっ!」
ジャポーン語とお米語が入り混じる。もはや訳が分からない。そして、甘い果樹酒がハインツの脳内を酔わせようとしたその刹那。
……バタンッ
とても長閑な農場に、不届きな乱入者が現れた。次の春に向けた種蒔きの邪魔をしようとする、実にけしからん乱入者だ。
「「キャーーッ!!」」
果実達が、糖度の高い甘い悲鳴を上げた。断じてアグネースの使いでは無い。なぜなら果実達は、果実世界の中等校を卒業しているベイル王国の立派な果実だからだ。ダメ、内政干渉、絶対に!
店外にはアドルフォの手配した肉体派のお兄さんたちが沢山立っていて、今日は農園に入れないはずである。アドルフォは怪訝な顔つきで相手を確認した。
「なんや?ん、レイモンかい。ならちょっと店外や。ハインツは農作業続けとってな?わいはこいつから報告聞かなあかんねん」
「ぜー、ぜー……」
自称ピュアなハインツに収穫祭はまだ無理である。彼は奥ゆかしいジャポーン人なのだ。早く愛しいリーゼの所へ帰りたいと思った。
「なんやて?ホンマかいっ!」
「王女が各地に早馬を出しています。先程ハーヴェ商会本部にも、王都からの治安騎士が飛び込んできました」
「情報の整理が必要や……あ、あかん、ハインツ!」
店外から、アドルフォが戻ってきた。
「ぜー、ぜー……?」
「ハインツんとこのミリーが、北のアンケロに向かったんやったな?」
「……何があった?」
「わいと一緒に商会まで来るんや」
アドルフォの元に入った情報によって、農園から出る希望はすぐに叶う事となった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
アドルフォの部下であるレイモンは、エレミーの店へ来る前にアドルフォの家に行った。夜間に急ぎの用があれば当然である。これまでの十数年はそれで良かった。
だが、今回はそこにベルティーナがいた。当然だろう。彼女の名はベルティーナ・バゼーヌ・ハーヴェ。つまりアドルフォ・ハーヴェの妻である。
ところで、平伏と土下座の違いについて語りたい。
いや、語りたくない。
「リーゼちゃん、貴女も旦那を躾けないとダメよ?」
ベルティーナの金色の瞳が、ドラゴンの瞳の様にキラリンと輝いた。急報を受けてお酒を飲みに行ったアドルフォとハインツを探したのは、なにもレイモンだけでは無い。
ゾワゾワとハインツの背筋が凍る。
「……俺は無罪だ」
「本当に?」
「俺が愛しているのはリーゼだけだぞ」
「アドルフォもあたしを愛しているわよ?でも浮気するのよ」
「違うんやぁ、浮気やないんや」
「じゃあ何?」
「未婚女性相手なら男は浮気にな……ちょっとした果樹園の手伝いや!……すんまへん」
ベルティーナがアドルフォの顔を両手で挟み、正面に向き合って微笑んだ。
アドルフォは、目線だけで負けた。
ちなみに、女性と男性の禿げる基準は違う。既婚女性は浮気すれば禿げるが、男性は4人とまで結婚出来る。未婚女性に手を出しても別にハゲない。
「アドルフォ、弱っ!」
「ね、あたしと結婚する時に、なんて言ったか覚えてる?」
「わいが悪かったって、もう勘弁してや」
「『ティーナ、お前だけを一生愛する。わいにはお前だけが居てくれればええ。わいと一緒になってくれ』だったよね?もう29年前だね。あたしは死んじゃってたから、ほんの数ヵ月前だけどね」
「ぎゃあああっ!」
「リーゼ、ここは危険だ。早く逃げよう」
「もう少し居ましょう?」
「……ごめんなさい」
リーゼはベルティーナの真似をして微笑んで見せ、ハインツは即刻謝った。
ティーナさんがリーゼに色々教えると将来まずい事になる気がする。ハインツはそう思った。
一方ハーヴェ家が終戦を迎えるのは、平伏が土下座に変わった後である。夜中に起こされたハーヴェ商会の御者が馬車と共にアドルフォの家へと到着するまでの短い戦いは、こうして幕を閉じた。