短編 新興貴族の気ままな実技
師走。
大国マルタンの崩壊や新インサフ王国誕生など、前年と比べても遜色ない激動の年であったバダンテール歴1266年が、その勢いのままに1年を終えようとしていた。
忙しいのはイルクナー侯爵家の領地ラドイーアスでも同様だ。
この都市ではリーゼ、ミリー、オリビアの三人が領主代行の権限を持っているが、人には向き不向きがある。
領地の統治に関して、リーゼやオリビアはあまり向いていない。
一方で要領が良くて状況判断も速いミリーは領主代行の適性が高く、月の過半は不在のハインツに代わって領主の仕事を半減させてくれる。
だがそのおかげで新たな仕事が殆どミリーに持ち込まれるようになった。
「遊びに行けなーいっ!」
「ああ、よしよし」
4日振りに侯爵城へ帰ってきたハインツは、ミリーの不満をひとまず身体ごと受け止め、そのまま子供をあやすようにミリーの頭を撫でた。
ハインツは王国宰相として、国内外を飛び回っている。
移民を受け入れた各貴族の間を飛び回って要望を政策に反映させ、インサフ王国の進捗状況を確認して追加支援を行い、前線の軍備増強や新型飛行艦の開発、材料調達に至るまで細かな指示を出し、過労死まっしぐらのジャポーン人的労働を行っているのだ。
忙しさの大半は、ベイル王国の誇る7尚書をインサフ王国建国の担当に割り振った直後にマルタン王国が半ば崩壊した事に起因する。
インサフ王国の政治基盤を短期間で一気に確立すると同時に、容易に代替えの効かない7大臣を一時的に自国の内政から外すことで副大臣たちの成長を促し、代替え可能な人材を揃えようとした一石二鳥の欲が裏目に出てしまった。
現在のハインツは、マルタン人150万の国内受け入れに伴って発生する7省の重要政策を全て監督せざるを得ない状況にある。いきなり副大臣に全て任せるのは不可能で、かといって大臣達を半ばでインサフから外すわけにも行かないのだ。
マルタン王国崩壊の一因となったワイバーン対策も欠かせない。
防衛策として最前線のエルヴェ要塞、飛行艦の母港である都市ブレッヒ、王都ベレオンの3都市に第七神宝珠セレスティアの加護を追加で掛けて貰っている。だが消費が回復を大きく上回っているため、この方法は永続できない。
飛行艦をワイバーンが追い着けない第二世代型に切り替える必要があり、ハインツは建造拠点へ頻回に足を運んで、設計や建造に関わる者達に細かな指示や要望を出している。
このように多忙の極みにあるハインツは猫の手も借りたいという状態で、イルクナー侯爵領の領地運営にまでは到底手が回らず、侯爵第二夫人であるミリーに実務の半ば以上を任せていたのだ。
「各地やインサフ王国での初動は順調にいったし、作業のサイクルも作れたから少しは余裕が出た。ミリーも気分転換に遊んで来て良いぞ」
「えっ、そうなの。それならあなたも一緒に行かない?」
「いや、今のうちに領地の中長期計画を策定したいから俺は行けない。とりあえず不足している家畜をどこから輸入するか決定して、移送を手配して……」
「ねぇ、なんでそんなに働くの?」
ハイジーンさんに「なぜそんなに頑張るの?」と聞いたことがある人は居るだろうか。
果たしてその答えは、ハイジーンさんだからである。
ハイジーンとは可能な限り効率的に数値を上げ、周囲のハイジーン仲間と感化し合って行動を常に最適化し、日々新たな進化を遂げていく生き物である。
僅かな寄り道は、効率的な行動を持続させるために必要な休憩と気力回復、そして休憩を罪悪感に変換させて修羅の道へ戻る理由付けに用いられる。
この行動が理解できない場合、それはあなたが常識人だからである。
鳥が空を羽ばたくように、あるいは魚が水の中を泳ぐように、ハイジーンさんとはハイジーンな生き様をひたむきに歩む生き物なのである。
ハインツはベイル王国という国の数値や状態をハイジーンさんとして引き上げている真っ最中である。
さらに彼の性格は、1の相手に2を用意すれば勝てるのなら、6や10を並べて味方の犠牲を極力減らしながら次の戦いに備えたいと考える慎重なタイプだ。自身の手札は全種類揃えておきたいし、相手の手札は減らしておきたい。
現在のベイル王国の国力、技術力は政治改革や技術革新で獣人帝国を遙かに上回っているが、軍事力に関しては論じるまでも無く獣人帝国が上のままだ。
人類が互角以上の状況にならなければ、ハインツは安心して引退できない。あるいは状況が有利なほど安心して引退できる。そしていずれは理想郷へと辿り着くのだ。
「まあ習性というか、生き様かなぁ。ミリーは暫く自由にして良いぞ」
「うん、あなたも程々にね」
「了解」
第四宝珠都市ラドイーアスの手綱をハインツに渡したミリーは、暫く休暇を取ることにした。
Ep10-34
ミリーは2日かけて都市内を散策した。
都市ラドイーアスはアルテナ神殿を中心として、同じ敷地内に治癒院と侯爵城、その東側に都市行政府、北側に騎士団本部と宿舎、南側に治安騎士団本部と宿舎、西側の大河の畔に大艦隊の建造拠点と母港が位置するように造られた。
中心部のいくらかは空き地として、将来の建て替えに備えられている。
そんな都市中心部には「十」と「×」の形で重なる広い大通りが都市の果てまで八方に延びる予定で、同時に中心部と都市防壁との間には「○」の形で環状の大通りも作られる事になっており、将来の交通の利便性は高くなるだろう。
何しろ人の住んでいなかった廃墟都市に新たな都市を造るので、立ち退きなどさせなくても最初から好きなように都市を建設できる。
問題は建設資金だが、飛行艦の建造拠点の分散は国益に適う上に急がなければならないため、獣人帝国から最も後方に位置する都市ラドイーアスにはベイル王国から巨額の国費が注ぎ込まれる事となった。
ラドイーアスの都市中心部を囲むように冒険者協会・高等校・錬金術学校・技術研究所・各省支部などの重要施設も揃う予定で、今は建設ラッシュの真っ最中だ。
大通りに面する建物には公共役場、学校、各種商店や飲食店、生活雑貨、食料、酒類など都市民の生活に便利な施設が入る予定となっており、現段階でも仮店舗や露店が並んでいる。
大通りに面していないところは住宅街だが、中心部の方には酒場や繁華街なども置かれる予定だ。
南部は大山脈と鉱山地帯があり、製錬所や精錬所、工房や加工施設などが連なる予定で、ハインツは大鉱山地帯を抱えて貴金属の生産を行っていた旧第二宝珠都市ルドラフの民をそちらへ振り分けた。
北部は大規模農場や放牧場、食料品や食肉の加工施設、革製品の製造工場が造られる予定で、農耕と森林資源を抱えて自給自足を行っていた旧第一宝珠都市レッケンスの民を中心に住まわせている。
西部は回復剤や医薬品の生産工場が建てられる予定で、そちらは王都で経済活動や商業に触れていた旧第六宝珠都市ルセタニアの民を多く割り振った。西はスワップリザードの巨大沼地や魔物地帯に近いので、将来は冒険者の出立拠点にもなる。
東部は大街道に繋がっているため輸出と貿易拠点になる。そちらへ国内外の商会の支部を集め、ラドイーアスの産業を外へ輸出していくのだ。
ハインツはそれら都市計画を事前に布告して居住地を厳格に制限し、王国と王家の予算を惜しみなく投じた。
いずれは神宝珠の加護が円状に広がるという特性を活かして、都市の各建物に「地下部分」を作り、都市民の生活空間を大いに拡大する予定でもある。
この都市は天然資源の宝庫で、投資すれば投資するだけ豊かになるだろう。
そんなハイジーンが造る都市ラドイーアスへと移ってきたマルタン王国民たちは、家族単位で住宅と最低限の家具、当面の食料と生活物資、職もしくは学校教育を与えられた。
彼らが最初に割り振られた職の大半は、都市建設に関わる事柄だ。
都市内はどこもかしこも建設ラッシュの真っ最中で、人の往来はまるで祭りのようだ。そんな都市創設時に独特の熱気には趣もあったが、ミリーが求めるような商店が揃うのはまだ先のようだった。
現時点でもハーヴェ商会を始めとした大規模商会の支店には多少の品揃えがあったが、それならばオリビアの転移で王都まで連れて行って貰えば良いだけだ。
ミリーは八方に延びた「十」と「×」の作りかけの大通りを一通り歩いて回り、いくらかの裏道も散策し終えて冒険者協会へと足を運んだ。
冒険者協会内で、受付カウンターで7名程の男女がギルド受付嬢に詰め寄っていた。
詰め寄っている男性は戦士系2人、探索者系2人。女性は戦士系2人、探索者系1人。全員20歳前後で、装備のいくつかにはマルタン王国製の特徴が見受けられる。
ミリーは7人をマルタン王国からの移民冒険者と判断して様子を窺った。
といっても彼らの声は大きく、会話は聞き耳を立てるまでも無く届いてくる。
「俺たちはベイル王国へ移民してきたんだ。支援制度を受けさせてくれても良いだろう」
「そう仰られましても、ベイル王国の冒険者支援制度は『祝福を得てから3年間』と定められています。マルタン王国の冒険者協会から引き継いだ記録では、皆さん方は3年を超えています」
要望しているのは青白い髪の戦士で、腰に鋼鉄製のロングソードを帯剣し、部分的に金属を使った革鎧とロングブーツを履いている。
ベイル王国においても冒険者支援制度が始まる前までは、祝福を得て5年未満の冒険者の装備と言えば彼ら程度の品だった。
だが現在のベイル王国冒険者は、祝福を得てから3年間は月平均5,000G分を越える支援を受けることが出来て、最初の半年から1年で祝福10以上にまで引き上げられる。
支援制度を受けきった3年後にはどんなに歩みの遅い冒険者でも祝福15は越えており、20を越える者もさほど珍しく無い。すると自力で資金を稼ぐ事が出来て、身に付けている装備やアイテムは更に良い物となる。
そんなベイル王国冒険者から見て、彼らはあまりに貧弱だった。
青白い髪の彼は、ベイル王国で言うところの祝福を得てから2年目程度の祝福数と、支援制度を受け始めて半年未満の装備品しか携えていない。
そんな彼は、ベイル王国の冒険者としてやっていくのは不可能だ。
何しろ冒険者ギルドに張り出される魔物退治や調達依頼は祝福15を最低と見積もっており、ハーヴェ商会や民間馬車の護衛もそのくらいを目安としている。しかも冒険者達が装備品や道具を揃えているのは当然と見なしている。
つまり彼ら7名はベイル王国の冒険者としては実力が低すぎて依頼を受けられず、冒険を始める前に生きていくための生活費を稼がなければならない状態だ。
彼らがベイル王国の最低レベルの冒険者に追いつく装備品を買い揃えるには、これから10年くらいは働かなければならないだろう。
「じゃあ戸籍の無い難民だと言えば受けられるのか?」
青白髪の剣士に代わって、同じくらいの祝福数の短剣を帯剣した灰色の髪の探索者が受付に詰め寄った。
だが受付嬢はハッキリと首を横に振りながら探索者の言葉を否定した。
「いえ。この都市ラドイーアスは、マルタン王国の3都市民しか受け入れていません。過去に難民を自称して多重支援を受けた方が居ましたので、出自が不明の方は支援制度を受ける事が出来ません」
その言葉を聞いて、軽装にナイトソードの女性が探索者と入れ替わるように前に出て尋ねる。
「じゃあどうすれば良いの?」
「冒険者ギルドはベイル王国から業務委託料を得て、依頼として支援制度の事業を請け負っているに過ぎません。契約条件は厳守しなければならず、融通は利かせられません。制度自体に不満があるのでしたら、冒険者局のラドイーアス支部に直接言って頂くより他にありません」
「言って何とかなるのか?」
「当ギルドでは分かりかねます」
金髪の探索者が突っ込みを入れると、受付嬢は無情に首を横に振った。
ミリーが冒険者ギルド内を見渡すと、事態を静観している中で年配の冒険者達は7人の男女に共感しているように見えた。
冒険者支援制度はバダンテール歴1259年に始まってから7年ほどしか経っていない新しい新制度だ。ベイル王国民であっても、祝福を得て10年以上経っている冒険者たちは制度の恩恵を一度も受けていない。
一方で若手冒険者の中には優越感に浸っている者も居る。
7名の男女に比べて何歳も若いのに数年分も先んじた祝福数、優れた武具、身体能力向上の高価な輝石、支援制度で得られた動植物や冒険・罠などの各種知識、多種の魔物との実戦経験。
マルタン王国に比べて、ベイル王国の若手冒険者は確実に高い位置にいる。
「私たちが受けられる依頼はあるかしら?」
ハルバードと盾を装備している女戦士が受付嬢に尋ねた。
「おい、グディア」
「マルシアル、落ち着きなさい。冒険者協会で暴れてどうするの。ここに居る人達はみんなあたし達より強いわよ。それにあたしたちが誰であるかもギルドに知られているわ。貴方はお尋ね者になりたいの?」
「だが、移民を受け入れるのだから支援してくれても良いだろう。現状で俺たちマルタン王国の移民が冒険者活動をするのは困難だ」
「そうね」
ハルバードの女戦士はそう言った後、ギルド受付嬢と同じ方向へ視線を向けた。
それだけではなく、ギルドにいる人達が周囲の視線に気付いて次々とミリーの方へ視線を向けてきた。
ブロンド髪の小柄でお洒落な20歳前後の若い女性が、2ヵ月間も都市の各所で騎士や役人に命令を飛ばしていれば嫌でも目立つ。
現在ミリーに視線を向けている冒険者のうち何割かは、自分たちの視線の先にいるのが領主代行のエミリアンヌ・フアレス・イルクナーであると認識しているようだった。
逆に言うと、そのくらいの情報収集が出来ない者は冒険者として向いていない。
ミリーは夫が気ままに遊べない理由を理解したと同時に、自身もそう言う立場に置かれた事を悟った。
それから半月後、冒険者支援制度に関する特例条項が布告された。
『バダンテール歴1260年以降に祝福を得た者でベイル王国へ移民した冒険者は、祝福を得てから3年を過ぎていても1年間の支援制度を受ける資格を与えるものとする』
この布告は、ベイル王国全土へ同時に為されている。
イルクナー侯爵は侯爵家の当主である以前にベイル王国宰相であり、制度の公平性を保つ責務を負っている。従って制度で自領を過剰に優遇する事は出来ない。
ミリーはそれを理解した上で、支援制度の改正案を施行させるべく働きかけた。
「それは大変感謝していますが、どうして私たちが侯爵夫人と一緒に冒険をしているのでしょうか?」
弓使いのビルギットが現状に対する疑問を呈した。
冒険者ハーラルトをリーダーとする冒険者パーティ7名は、現在ミリーの監督下に冒険者支援制度を受けている最中である。
なお支援制度による祝福上げは祝福10まで受けられると定められているが、ハーラルトたち7名は11~13なので全員その対象外だ。
ビルギット達は、マルタン王国の冒険者として成長が遅かったわけでは無い。
マルタン王国の半崩壊と故郷喪失という事態によって生活基盤を失い、ベイル王国という冒険者のレベルが高すぎる国へ移民することとなり、出足を挫かれてしまっただけだった。
いや、6年間で祝福11~13と言うのは平時であっても早い方かも知れない。加えてベイル王国からの資金援助を受けられれば、自力で祝福15に達する自信はあった。
「あなたたちって、自力でも数年で届く治安騎士になりたいから冒険者協会に掛け合っていたわけじゃ無いよね?」
「……はい、故郷のマルタン王国をこのままには出来ません」
ビルギットには、自分たちを老若男女分け隔て無く丸ごと受け入れてくれたベイル王国に対する恩義はある。
だが故郷がどこかと聞かれれば、それは生まれ育ったマルタン王国だ。
なにより獣人に踏みにじられて滅亡しようとしている故郷に対し、ビルギットは到底無関心では居られなかった。
「それじゃあ、あなたがしないといけない事は?」
「強くなることです」
「自分でそこまで出来ると思う?」
「……出来ません」
「じゃあ、祝福を得てから10年で祝福76になった見本から技術を教えて貰えば良いじゃない」
「そこまでご迷惑をおかけするわけには……」
「迷惑じゃなくて、これは冒険者の流儀だよ」
「流儀ですか?」
「あたしの駆け出し時代の先達冒険者が、こう言っていたよ。『冒険者が先達から受けた恩と言うのはな、先達に返すのが流儀ではない。未来の後輩に返してやるのが流儀だ』って。貴女たちも無駄死にしないで、誰かに伝えていってね」
リーゼにやりたい事があるように、ミリーにもやりたい事はあった。
ミリーは支援制度の改正で働いた後にしっかりと休暇を取り、7名の後輩たちとの気ままな冒険を楽しんだ。