エピローグ 解放者の領域★
アミルカーレら飛行隊を撃破した3国軍は、負傷者や死者を乗せた艦隊を離脱させると中断していた神宝珠回収作戦をすぐさま再開した。
大祝福2以上の犠牲は19名中2名のみであり、軍団長のさらなる各個撃破に淡い期待を寄せたハインツだったが、都市アズラシアからは残留部隊が撤退しており新たな首級を挙げる事は叶わなかった。
やはり戦場から逃れた黒色小飛竜が情報を伝達したのだろう。
神宝珠の任意発動や祝福76を超える大治癒師と言った切り札の開示に見合う戦果が欲しかったが、どうやら2軍団長と7大隊長の首級、そしてアミルカーレが所持していた転姿停止の指輪(∞-6)という結果で落ち着きそうだった。
(まあ良いか。獣人帝国で怖いのは皇帝、ゲロルト、アミルカーレの三人だ。一人討てただけでも大戦果と考えよう)
ハインツはそれ以上の欲をかかず、オルランド宰相が示した神宝珠を全て集めたところで回収作戦を終えた。
その後は予定通り、大河西側の民衆を新インサフ王国に移動させる作戦に移る。
地上にはまだまだ軍団長が残っており、民衆の移住作戦は急がれた。
飛行艦で先行した主力部隊が獣人たちを撃滅し、皇女ヴァレリアが民に向けて演説を行い、その後に大街道を埋め尽くす軍と民間の馬車隊が一斉に都市内へ雪崩れ込んで、民衆を次々に乗せて建国予定地へ西進していく。
一方、祝福を得ていない獣人の民衆はインサフ・アスキス方面の各都市へ逃がした。
これは善意に基づく行動では無く、獣人軍が逃げ惑う彼らに食糧や住居を用意しなければならず、逃げていくインサフ民に構う余裕が無くなるだろうと言った思惑からだ。
直接的な表現を用いるなら、体の良い人質交換である。
彼らには「既に神宝珠は回収済みだ。加護が足りなくなる分の人間は西に移動させるから邪魔をするな。もしも妨害されれば、獣人をそちらへ逃がす労力は一切割けなくなるぞ」とベイル側の意図を理解させ、獣人側へ伝達させた。
避難民が移動する中継拠点には事前に大量の物資とそれらを維持管理するディボー王国軍が配備されており、都市間を往復する馬車隊の効率的な運用を支援した。
また各国では冒険者が掻き集められており、避難民の護衛に動員された。
それによって作戦はスムーズに……とは行かなかった。
難民の中には「西の人類圏に行くとまた人獣戦争に巻き込まれて、今度は死ぬかも知れない」「獣人帝国内で持っていた生活基盤が壊れた」「攻防戦に巻き込まれて家族が死んだ」などと兵士達を罵る者もいて、その都度救出部隊の手が煩わされた。
あるいは何らかの犯罪によって獣人達に投獄されていた者も居た。
獣人への反抗といった政治犯ならば一向に構わないのだが、ハゲや強盗犯のような明らかな犯罪者はどう扱えば良いのか。
さらに救出隊の手に余ったのは、半獣人の扱いだ。
人の扱いをすれば良いのか。それとも獣人の扱いをすれば良いのか。国家方針が定まっておらず、都市で受け入れる態勢も整っていない。
母親が人間で人類側への移住を希望し、子供が半獣人でその死を望まない場合はどうすれば良いのか。殺すのか……。
これから民が力を合わせて苦難を乗り越えていかなければならない新インサフ王国では、彼らの存在は重い足枷となってしまう。
「残留を希望する者は、宝珠の加護が消えた都市に捨て置けば良い。来るか来ないかだけ選ばせろ。政治犯を除く犯罪者は牢から出さず、民の移動が終わってから獣人側へ送り込む。純然たる人間以外を含む集団は、ベイル王国の新都市に受け入れ先を作ってまとめて引き受けるから他とは分けろ」
まだヴァレリアには荷が重いと判断した事柄は、ハインツがベイル王国側で引き受けた。
彼女にはこれから独り立ちしてもらわなければならないが、最初から重い荷物を持っては倒れてしまう。最初は荷を軽くして、前へ進めるようにしておきたかった。
それとハインツには、本当に新都市を作る必要があった。
ハインツの妻リーゼは、アミルカーレとの決戦で祝福76以上の治癒師しか使えないホーリーライトのスキルを連発してワイバーンを倒し、勝利に多大な貢献を為した。
その後はバハモンテら何人もの死者を、やはり祝福76以上の治癒師にしか使えないリバイブで蘇生して回った。もはやリーゼが祝福76以上であることは隠しようが無い。
よってハインツは、リーゼを社会的に守る必要に迫られていた。
まずインサフ王国から報酬として支払われた神宝珠で、ベイル王国の廃墟都市に新都市を作る。そしてベイル王国への功績が多大なハインツが爵位を兼ね、リーゼを爵位貴族の第一夫人とする。
そうすればリーゼは爵位貴族として王族以外から罰せられることが無くなり、警護に騎士が付き、幅広い悪意からその身を守られることになる。
ハインツはスワップリザードの巨大沼地が近い廃墟都市に「王国所属冒険者の祝福上げのため」として第四宝珠都市ラドイーアスを作ると、女王の夫として王族を兼ねたまま侯爵を兼任し、妻のリーゼロットを侯爵夫人にした。
そしてイルクナー侯爵領で半獣人などインサフの手に余った厄介ごとをいくつか引き受け、新インサフ王国の建国に関わる障害物を取り除いていった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
ハインツが元居た世界に、ルシアという祭があった。
人々が暗い冬の中でずっと光を待っており、そこに一人の少女が現れて人々に光を届けるというものだ。
獣人帝国領から連れて来られた大勢の人々が、廃墟都市グレッセートのアルテナ神殿前に集まってきていた。
そして神殿に向かって必死に祈りを捧げている。
そこへ白金のドレスを纏った少女が、両手で一つの神宝珠を胸元に抱きながらアルテナ神殿から現れた。
彼女はそのまま神殿のバルコニーまで進み、人々の前で神宝珠を掲げてみせる。
「おおっ、ヴァレリア様だ」
「神宝珠は何れの由来だ?」
「あれは第四宝珠トラファルガらしいぞ」
「何、人類が初めて獣人軍団長に勝利したあのトラファルガかっ!?」
『私の名はヴァレリア・インサフ。当代のインサフです』
その時ざわめく人々の声を打ち消すかのように、魔法で拡大された女性の声が都市内へ響き渡った。
人々は慌てて口をつぐむと、白金の女性を見上げて次の声を待つ。
『私たちは、失ったものを再び手に入れる事が叶いました。もはや獣人の支配に屈し、移動や職業を制限され、抑圧される事は無くなりました』
人々はヴァレリアの言葉を聞きながら、それは本当なのかと真偽を疑った。
何しろ彼らは、これまでずっと間近で獣人達を見ながら暮らしてきたのだ。多くの冒険者が獣人に殺され、一般人は抗う術など持ち合わせてない。
だが、それでも自分たちは今こうして獣人帝国から脱することが出来た。
『今日この瞬間に辿り着くまでに、私たちは多くの人々を犠牲にして来ました。死者に償う方法はありません。しかしその全ての業は、女王である私が全て背負います。あなたたちは犠牲を償うのでは無く、犠牲に報いる道を歩みなさい。民が幸せであり続ける事こそが、国を守るために命を捧げた人々へ報いる道となります』
ヴァレリアはそこで言葉を切り、沈痛な面持ちで暫し沈黙を保った。
人々は沈黙の中でそんな女王を遠目から眺め、次の言葉を待つ。
『そして努力なさい。神宝珠の加護は、それを生み出した神と支える人々がもたらす恵みです。その恩恵に浴すだけでは無く、維持すべくあなたたちも努力なさい。道は私が示します。あなたたちは私が示した独立という道を支え、子や孫のために歩む道を広げなさい』
「……あれで大丈夫なの?」
貴賓席でハインツの隣に座るミリーから声が掛けられた。
ミリーは新インサフ王国の建国に力を貸した祝福76の探索者という扱いでここに座っている。
ミリーはリーゼが祝福77の治癒師だと名乗った際、リーゼだけを特異な存在にしないよう自らも祝福76であると名乗りを上げた。ちなみに祝福76の前衛職は、メルネスに次いで第二位となる。
またアンジェリカも祝福60では使えないスキルを戦場で使っており、本当の祝福数である65だと宣言している。
そのためハインツも、自身が「祝福76の探索者だった」と名乗った。
夫の祝福数が一番低いのも沽券に関わるし、近年のベイル王国では祝福60を越える者が増えているので祝福数が下で侮られるデメリットも考慮した。
……治癒師に転職する以前は確かに祝福76の探索者だったので、嘘もついていない。
「この国が大丈夫になるのは、民が国を守りたいと自ら立った時だ。自発的に立たないと、独りで立つとは言わないからな」
「それっていつ?」
「多分ヴァレリア女王の宣言が終わった瞬間。獣人に支配されてきたインサフの民にとって、この王国は希望の国だ。彼らはきっとこの国を守ろうと立つだろう」
ハインツの傍に居ない女王アンジェリカは、アルテナ神殿のバルコニーに設けられている貴賓席で建国承認者としての立ち会いを行っている。
その立ち会いにはディボー王国のフランセット女王も参加しており、新インサフ王国は2つの大国から国家として承認された形となる。
『私の国の有り様は宣言の通りです。トラファルガよ、インサフを永きに渡って支えし神よ、私の国に加護を与えるを由とするならば、この新たな国に加護を与え給え』
ハインツの視線の先では、女王ヴァレリア・インサフがトラファルガに向かって高らかに宣言していた。
それに合わせて、今や純正の治癒師として人類最高と称されるようになったリーゼが神宝珠に祈りを捧げる。
『トラファルガ様。どうかこの地に、インサフ王国に加護を……』
リーゼの祈りを受けた神宝珠トラファルガから白く暖かい光が溢れ出し、やがて新たな都市へと広がり始めた。
それは、新インサフ王国の王都トラファルガが誕生した瞬間だった。
暖かい白光を感じた人々の歓喜の声が、光と共に都市全域へ響き渡って行った。
バダンテール歴1266年。
結果から見れば、この年の戦いはインサフ王国が独立した『独立戦争』であったと言えるだろう。
最後まで滅亡に抗い続けた少女は、パンドラの箱のあらゆる災厄を乗り越え、残されていた希望の光を暗闇の中にいた人々に届けた。
インサフ帝国滅亡から15年、インサフ民はついに獣人の支配から解放された。