第11話 双翼十字
『獣人の召喚魔獣は、神宝珠の加護でダメージを受ける』
それを理解したハインツは「飛行魔獣の周囲で複数の神宝珠を同時発動して回避不能にし、加護を浴びせて一網打尽にする」という案を思い付いた。
そして獣人側にこの思い付きを悟られない内に作戦を実行したいと考えた。
ハインツが神宝珠に祈って自在に加護を発動させられる事など、獣人は知る由も無い。
だがベイル王国は、神宝珠を各都市に運んで自在に加護を発動させている。
今回の飛行戦で「第三宝珠都市シーネレンの加護で、ヒッポグリフがダメージを受けた」事をベイル側が目撃しており、その報告を受けたアミルカーレが神宝珠の任意発動という危険に気付くだけで、今後は加護で一網打尽にする手が使えなくなる。
少なくとも現時点では、獣人側はそのリスクを考えた追撃をしていなかった。
ならば気付かれる前にやるべきだとハインツは考える。軍団長二人を同時に始末できる機会など、絶対に逃すべきでは無い。
(問題はどうやって包囲して、複数の神宝珠を同時に発動させるのか)
神宝珠同士の意思疎通はアルテナ神殿の建屋内など僅かな距離であるらしい。
今回の回収作戦で最初の都市エウマリアを襲撃した際、アルテナ神殿内に作られた落とし穴に投げ落とされたエウマリアに対してセレスティアが呼びかけを行ってくれた距離は建屋内であった。
飛行艦を複数の方向に飛ばしても、神宝珠同士が意思疎通できずに同時発動できなければ、広がっていく加護を高速のワイバーンに避けられかねない。
前年に深謀のイグナシオが放ったクロスアストラルウォールを偵察の強襲降陸艦ヘルミが回避している事からも、空を飛ぶ相手に術を当てる事は容易ではない。
いや、本当はやりようがある。
神宝珠に声を届けられる大祝福2以上の治癒師祈祷系は、ディボー王国のラリサ大治癒師の他に少なくとも2人の心当たりがある。
リーゼロット・ルーベンス・イルクナー。
時々発動する「絶対に嫌です」以外は素直に言うことを聞いてくれる一番目の妻。祝福数は既にマルセル・ブランケンハイム大治癒師と並ぶ77に達している。
アンジェリカ・ベイル・イルクナー。
今や人類最強国家を統べる女王だが、ハインツが説明すれば動いてくれる三番目の妻。祝福65の大治癒師で、その力はリーゼに次ぐ人類ナンバー3。
彼女たち3人に神宝珠を持たせ、別々の飛行艦に乗せて正面と両翼から目視でタイミングを合わせて神宝珠の加護を同時に発動させる。
それに加えてハインツがペリュトンで上空から神宝珠を発動させ、その際にタイミングを計って事前に投げ落としたセレスティアにもワイバーンの下側から加護を発してもらえば、上下左右と正面の進行方向全てを包囲する光が完成する。
戦場への動員に際してはリーゼとアンジェが大治癒師である事を説明しなければならなくなるが、ブランケンハイム大治癒師のように再生治療や再生蘇生が叶うと言わなければハインツが危惧するような問題とはならない。
『待ってくれるかな。どうしてわたしが投げ落とされるの?』
なおワイバーンにダメージを与えられるであろう五格以上の神宝珠は、ベイル王国内において王都の第六宝珠ベレオン、アクス領の第五宝珠アクス、ハーヴェ領の第五宝珠ブレッヒの3つしか無い。
それに第七宝珠のセレスティアと第六宝珠のエリザの力を貸してもらって、ようやく包囲網が完成する。
『セレスは金のマナで構成されているから、落ちてもダメージなんて無いだろ?』
『そういう問題じゃ無いよっ!』
『その怒りをワイバーンの近辺で盛大にぶつけてくれ』
『加護を振り蒔く時って、そんな気持ちじゃ発しないよ』
『じゃあ、どんな気持ちだ?』
『ええと、自分の魂を世界へ降り注ぐ感じかな。力が抜けていって眠くなるから、連続発動は難しいよ』
『ほうほう』
ハインツはこうやってセレスティアを誤魔化しつつ、妻達への説得に走ることにした。
ベイル王国に関しては最初にアンジェリカを説得し、次いで総指揮官のメルネスを説き伏せ、ディボー王国のオルランド宰相に大祝福6人を借り受ける協力依頼を取り付け、インサフのヴァレリア皇女に同行の了解を取り、自国の大騎士団長達に説明を行い、完全に準備を整えてからバウマン軍務尚書に通達を行った。
なぜ神宝珠同時発動を行わなければならないのか。
それは獣人の飛行部隊が新インサフ王国の建国や民衆の救出に障害となり、獣人帝国の力を削る事も出来ず、それどころか軍団長や大隊長を乗せて各都市へ向かわれては防衛が不可能となるからだ。
そんな飛行部隊を叩き落とす手段があるとハインツが示す事で、空からの侵攻に対する強力な抑止力となる。
同時に軍団長も減らせば、人類の安全性はさらに高まる。
そして神宝珠の同時発動は、大祝福2の治癒師であるアンジェリカやリーゼロットにしか行うことが出来ない。
このように実行の必要性は明らかだった。
だが女王が最前線に立つことに対して反対の声は収まることが無かった。
とりわけ強硬に反対したのはバウマン軍務尚書で、彼は一切の聞く耳を持たず、他の尚書や武官・文官を巻き込んで声高に反対を叫び続けた。
反対される理由も確かに分からなくは無い。女王を戦場に連れて行って万が一の事があれば、ベイル王国は大打撃を受ける。
仕方がなくハインツは53歳のバウマンを女王の護衛として戦場に連れて行く妥協案を示したが、その意思を示すとバウマンは命令もしていないのに大艦隊に号令をかけ始めた。
女王親征の意味を分かっていないのは、むしろハインツの方だった。
アンジェリカ・ベイル女王とは、ベイル王国そのものの体現者である。
彼女はベイル王国の顔であり、国家方針であり、政治体制であり、意思である。
彼女が進む道はベイル王国の進む道であり、彼女の敵はベイル王国の敵であり、彼女の勝利はベイル王国の勝利であり、彼女の死は現ベイル王国の死である。
彼女が戦場に立った時点で、戦力を問わず国の存亡を掛けた国家総力戦となる。
ハインツが知らぬ間に全ての大祝福2が動員され、騎士団の精鋭や魔導師隊、治癒師達が掻き集められた。
だが大艦隊にしてしまえば、獣人飛行隊の動きが変わりかねない。
宰相と軍務尚書は争いの果てに、総旗艦以外に8個艦隊の旗艦を1隻ずつ出す事で折り合いを付けた。
強襲降陸艦の搭乗人員は船速を落とさないように大治癒師と護衛1名を除いては定員通りにしろと通達したが、各艦隊は所属する騎士の中から祝福の上位順に31名ずつを乗り込ませた。つまり全員が祝福35を超える副隊長以上の騎士たちだ。
その他にも計9隻に搭乗する魔導師各5名が全員祝福35を超えており、軍医・主計科らを降ろして乗り込んだ治癒師各5名も全員大祝福1を超えていた。
彼らの確固たる意志を理解したハインツは、それ以上何も言わなかった。
Ep10-11
作戦は、元々落とす予定であった第二宝珠都市ガルファイムと第一宝珠都市イクセレンドの大橋を相次いで攻撃することから始まった。
前回遭遇した第三宝珠都市シーネレンの一つ北にある第一宝珠都市トーザカイを掠めるように飛んで飛行艦隊を見せつけながら南東へ進み、都市ガルファイムの神宝珠を回収して大橋を破壊する。
その後は東進して都市イクセレンドの大橋を破壊しながら獣人が来るのをゆっくり待つ。
都市ガルファイムで前回と同じ行動を取る事で、追撃してくる獣人軍に本来の目的を悟られないようにする。
加えて全ての大橋を破壊する事で、インサフの民衆が連れて行かれる事を防ぐ。
第一宝珠都市イクセレンドはクロスアストラルウォールのマナを節約し、ペリュトンで大騎士複数を降下させる。どうせ第一宝珠都市に大隊長は居ないし、ここの神宝珠が穴に落とされても構わない。
「閣下、イクセレンドの神宝珠回収班が帰還いたしました。回収には失敗したとの事ですが」
「想定済みだ。次は大橋を破壊する」
「はっ。これより総旗艦は、イクセレンド大橋の破壊作戦を実行いたします」
「艦隊はガルファイム方面に向けて双頭の蛇陣形を維持しておけ。俺はペリュトンで上空待機する。オリビア、何時間掛けてでも良いから大橋は敵が来るまでゆっくりと落とせ」
「分かりました」
「アンジェ、ここは任せるな」
「はい、旦那様」
神宝珠と大治癒師の配置は、中央艦隊に女王アンジェリカと王都の第六宝珠ベレオン。右翼艦隊にリーゼと第五宝珠ブレッヒ。左翼艦隊にディボー王国のラリサ大治癒師と第六宝珠のエリザ・バリエ。
そしてハインツが上空から第五宝珠アクスで加護を発して最初に合図を出し、投げ落とした第七宝珠のセレスティアには下から加護を発してもらう。
この割り振りは王都ベレオンが女王アンジェリカの血縁である事、他国のラリサ大治癒師には持ち運ばれても自分で帰って来られるエリザかセレスしか預けられない事、投げ落とせそうな相手がセレスしか居ない事などから定まった。
大治癒師では無いハインツの神宝珠が加護を発する件に関しては、「ベイル王国の忠臣であるアクス家の初代クリスト・アクスには、女王アンジェリカが事前に頼んだ」と言う説明になる。
そしてセレスの神宝珠は、「他の神宝珠が加護を発するのを合図に加護を発して欲しいと頼んだ」と言う事になる。ハインツが大治癒師だと思う人は居ないので、多分納得してくれるはずだ。
「よし、では行ってくる」
ハインツはペリュトンで一人上空へと舞い上がっていった。
ペリュトンの疲労はハインツが回復魔法で癒やせるので、獣人飛行隊が来るまで何時間でも待つつもりだ。
互いに空を飛び始めた人獣戦争は、狭い平面から広い立体へと戦いの場を広げた。
大街道や要所だけを押さえておけば良かった従来の戦争とは違い、その気になればお互いが広大な空からあらゆる都市へ主力部隊を送り込める。
つまりハインツが飛行部隊を撃墜させる手段を示していない現時点においては、先にアクションを起こした方が圧倒的に有利だ。先手必勝、攻撃は最大の防御。
『……単体治癒ステージ4』
だが北部連合の場合は、仮に飛行艦を持っていたとしてもそれには当て嵌まらない。
ハインツが介入していない戦いで人類が軍団長を倒した例は、トラファルガ会戦で殺戮のバルテルを倒した1回のみだ。しかもあれは、戦場で軍団長1人を孤立させるという特殊条件を満たしていた。
軍団長を倒すために大祝福2を6人用意しても、そこに大隊長など別の獣人が一人居て軍団長の盾になるだけで、バルテル戦の再現は出来なくなる。
一例を挙げるならジュデオン王国は王都ジュデオンで大祝福2を12人も用意したが、アギレラ補佐ら周囲の軍団に邪魔をされて数を減らされ、イルヴァ軍団長の到着まで持ち堪えられて殲滅されてしまった。
つまり北部連合は、軍団長たちに勝利する有効な手段を持ち合わせていない。
飛行手段を手にした獣人軍が北部連合の各王都に攻め込んだ時、彼らは一体どうするのだろうか。
『……単体治癒ステージ4』
ハインツはペリュトンを回復させながら獣人を待ち続け、その間に警戒以外やることが無いので獣人領へ侵攻している北部連合について考え始めた。
(ベイル王国がワイバーンを落とせることを示せば、あちらの危険も減らせるか?)
北部連合は「自分たちが主導する作戦にベイル王国の援軍を要請する」と一方的な要求を出してきたため、ハインツは話にならないと使者を追い返した。
だが彼らは、その後の行動が悪い。
そもそも自分たちだけで勝てるなら、最初から自分たちだけで侵攻して神宝珠を独占したはずだ。
軍団長に対する勝算が思い付かなかったからこそベイル王国の飛行艦やオリビアに援軍要請したのだろうに、それを断られたからと言って勝つ算段も立てずに出征してしまった。
神宝珠がもっと欲しいなどと目先の欲に目が眩み、国防の要である騎士達を短絡的な出征で失い、やがて滅亡へと至る。まるで無謀な投機で破産する愚者と同レベルだが、民や周辺国を巻き込む分だけ個人とは比較にならないほどタチが悪い。
(ベイル王国に依存しても無駄だぞ)
他国に依存して成り立つ国は、独立国では無い。皇女ヴァレリアが当初目指していたのはまさにそれで、ベイル王国の体現者であるアンジェリカ女王はそれを断った。
北部連合が同様の依頼をしようとも、ベイルの答えは変わらない。
だが隣を歩いている対等な相手となら、自身が己の道を進みやすいように対等な交渉を行い、互いに協力し合う事が出来る。
そして今の皇女ヴァレリアは、そちらに成ろうとしている。
何事も、協力した方が楽だ。
三矢の教えにあるように、ベイル王国、ディボー王国、新インサフ王国で束ねれば強固となるし、3艦隊で包囲して加護を放てば強力な効果となる。
一方的に依存されればマイナスになるのでご遠慮願うし、獣人に対するのに3宝珠では足りないかもしれないので5宝珠にするが、基本的にはベイル王国が独立独歩した上で協力ができれば望ましい。
(ようやく来たか)
雲の下、ワイバーンとヒッポグリフの編隊が大橋を燃やして煙を上げているベイル王国の飛行艦隊目掛けて真っ直ぐに飛んできた。
信号弾が飛び交い、オリビアが大橋目掛けて最後のファイヤーを飛ばす。艦隊は艦首を獣人の反対に向けながら上昇を始め、退避を始めるかに見えた。
獣人達は飛行艦に向かって行き、飛行艦隊は獣人達から逃れるかのように中央と両翼の3方向に大きく分かれる。
標的が3つに分散した形だが、獣人たちが中央と両翼のどこへ向かっても、狙われた艦が最大船足で逃げる一方で残る艦が速度を落として反転し、獣人を包むように位置取って加護を発する。
何しろ都市を覆い尽くす神宝珠の加護なので、完璧な包囲にならなくても加護が掛からないと言うことは無い。
果たして獣人達は、総旗艦狙いで中央へと向かった。
総旗艦以外はワイバーンから逃げ切れないので、速度が上がっていない総旗艦から狙うというのは間違いでも無い。
総旗艦は速度を上げ、獣人達はそれに向かって突き進んでいく。
『セレス、頼むぞ。あと20秒くらいで加護を発してくれ』
『お返しにハインツから何をしてもらうか、ちょっと楽しみかな』
『カウント開始』
ハインツは余計な言質を取られまいと事務的な会話だけを交わし、そのままセレスティアを投げ落とした。
そしてクリスト・アクスの第五神宝珠を手に持ち、ペリュトンの高度をさらに落としながら神宝珠に呼びかけた。
『状況が整いました。お願いします』
ハインツが祈った神宝珠アクスから物凄い勢いで光が溢れ出し、瞬く間にハインツの全身を包み込んでいった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
金の光に包まれたハインツの脳裏に、金髪碧眼の白い男が浮かび上がって見えた。
彼は一瞬だけ穏やかな表情をハインツに向け、直ぐに鋭い表情へと変化した。
薄暗い群青色の空、湿った空気と停滞した雲、肌を傷つける瘴気。
白い男の背後には完全武装した数十の騎士達が並んでおり、正面には3人の妖精種が立っている。
いずれも瘴気を纏った、大祝福2を超える妖精女王の眷属たち。
奴らは一切の話し合いを拒絶する表情を示し、武器を構えて白い男の前に立ちはだかっていた。
『アーベル、奴らを討つ』
『はっ、死力を尽くします』
『少しはマシな返事が出来るようになったな』
白い男は惜しいと思った。
せっかくここまで着いてきてくれた騎士たちの半数はここで死ぬだろう。
そして彼らが神に転生しても、この瘴気に飲まれれば相滅して消えてしまう。
彼らはその魂すらも故国のために費やそうというのだ。だがそんな彼らの命を費やさなければ、この作戦は成らない。
白い男は闇を見据え、ナイトソードを振るって号令を下した。
『総員、突撃しろ!』
『『『おおおおおおおおおおおおっ!』』』
影に向かって走り出した白い男に、雄叫びを上げる騎士達が次々と続いていく。彼らは無数の光となって、ベイル王国を覆う闇に次々と突き刺さっていった。
その刹那、ハインツの元に右翼艦隊の方向から新たな光が届いた。
振り返ったハインツの視線の先は、黒い瞳の男が佇んでいる。
彼はハインツに目を合わせて不敵に笑い、暗闇の方に顎を向けて見ろと伝えた。
『クリストが行ったな。次は俺たちの番だ』
『はっ。しかしあの赤目は、宝珠都市を消してなお生き残った奴です。このままアクス大騎士団長と共に各個撃破した方が良いのではありませんか?』
盾を構えた冒険者パーティのリーダーが、頻りに騎士団の方を気にしている。
赤目の妖精種と3人の部下たちを分断したとはいえ、味方も2つに分かれてしまっている。このまま両方を同時に襲うよりも、各個撃破を2回した方が良いのではないか。
そんな危機感を抱くのは、赤目の部下達とまともに渡り合える者が本隊にはクリスト・アクス大騎士団長一人しか居ないからだ。
『万が一にも逃げられないように敵を分断したのだろう。味方を信じろよ』
黒い男に迷いや揺らぎは一切見られなかった。
やがて冒険者パーティのリーダーは決断した。
『了解しました。我々は赤目を倒します』
『行くぞっ』
『はっ!』
黒い男と冒険者パーティは、悠然と佇む黒衣の女に向かって駆け出した。
そんな彼らの力強い光は黒衣を左側面から打ち据え、半数を薙ぎ払われながらもそのまま押し潰していった。
ふと気が付くと、ハインツの周囲に無数の金光が舞っていた。
二人の大騎士からは見えない裏側で、金の光が淡い銀の光と互いに相滅し合っている。
金を発する耳が長く伸びた女が、銀を放つ長髪の女に語り掛けた。
『無駄にしないで欲しいわ。人類の努力と、セレスが地道に育てた神宝珠と、人類と妖精種の仲を取り持った私の思いと3重の意味で』
『感情があるなんて、可哀想な妖精種。銀は世界の意思。人は贖罪して、浄化されるのが世界の理なのに』
銀の女は鎮魂歌を謳うかのように、優しく金の女を諭す。
『貴女には見えないのね。世界にはこんな意思もあるわ。全体回復ステージ3』
金の女が指先に白い光を灯して銀の女に向けると、無数に舞っていた金と銀の光の中に新たな白い羽が舞い始めた。
妖精種には決して扱えないはずの治癒師の光に、銀の女は表情を強張らせる。
『なぜ……貴女は妖精種じゃないの?』
『私は世界が望む可能性の一つよ』
金の加護と白の浄化が世界に乱舞し、銀の瘴気を次々と打ち消していった。
耳長の女の放った二つの光で、世界の全てが包まれていく。
光が収まった先に、地の果ての如き深淵の黒が佇んでいた。
そんな世界を闇に呑まんばかりに欠けた三日月の如き相貌の男の前には、彼を正眼に捉える淡い緑髪の男が向き合っている。
緑髪の男は己の存在を掛けて深淵に対峙し、ついに闇を打ち払ったところだった。
『解せぬ。まこと解せぬ』
闇には現状が理解できなかった。
これまで数十年に渡って反乱の芽を潰し、敵対者には反撃の余地など残さなかったはずだった。
『貴様の民が、貴様の王国には付き従えぬと決別したのだ。ブルメスター』
『共に他国を食らい散々の恩恵に浴しながら勝手なものよ。それでベレオン、壊滅した国々と堕落した民衆を前に、貴様は一体どうするというのだ』
『邪道に進んだのならば、正道へ導く』
『この奈落の底から引き上げると?』
『どのように深い闇からであろうとも。光に向かって進んで行けば、いつか辿り着ける』
淡い緑髪の男が真っ直ぐに光を差し込むと、闇の男はそのまま押されていく。
闇は光を真っ直ぐに見つめて譲らぬ意思を示しながらも、身体は徐々に押し出されていった。昼と夜が入れ替わるように、闇が光に入れ替わったのだ。
いつかまた暗闇が世界を覆い尽くさんとしても、内に秘める意思までは塗り潰せない。緑髪の男はそれを信じ、ただ真っ直ぐに進んでいった。
ハインツの目に、正面の揺るぎない光がいくつもの暗闇を真っ直ぐ打ち払いながら突き進んでいく光景が映って見えた。
暖かい光が足下から溢れ、周辺国の大地に満ちていた。
いつの間にかハインツの隣まで来ていた青髪の女性が、ハインツに問いかける。
『ねぇ、神の気持ちって分かる?』
答える者は誰も居ない。
しばらく沈黙が続き、ハインツは仕方無く代わりに答えた。
『さあ。北部連合を慈愛で全て救ってやろうとか、リーランド皇帝アレクシスすらも庇ってやろうとか、俺はそんな神の域には達せないな』
『それは生きているからだね。神に転生すると生への執着から解き放たれて、もっと本質的な望みを叶えたくなるの。人への慈しみとかね。少なくともわたしはそう』
つまり神に転生した場合、肉体的な望みから魂が叶えたい望みへと変わるのだろうか。
『でも、だからこそ神同士でも考え方が違えば手伝ってくれないから、どうしても必要な時はわたしも他神を欺く事があるよ』
『お人好しのセレスには不向きそうだな。でも行動理由は共感出来る。やりたい事をやって生きるのが一番だ。自分の意に反さず、他者との折り合いも付けて、最終的に最も自分の理想に合致した方向に持って行ければ良いな』
『やっぱりハインツは、わたしやエリザと気が合うね』
そう言った青髪の女は、やがて視線をハインツから周囲の世界へと移した。
彼女はいつの間にか生やしていた翼を数度羽ばたかせ、翼から生み出した白金のそよ風で世界を覆っていく。
上空のアクス、右翼のブレッヒ、左翼のエリザ、正面のベレオン、下方のセレスティア。
十字の神宝珠が金光を放ち、視界に映る全ての空間を照らしていった。
そんな十字の輝きを双翼のように包んでいた飛行艦の前ではヒッポグリフが上半身を滅され、ワイバーンが骨化し、それらに跨がっていた全ての獣人達が残らず大空へと投げ出されていく。
「何だと!?」
加護で覆われた世界に、たった一つだけ消し尽くせない暗闇が残っていた。
それは銀鼠の懐から突然飛び出し、翼を大きく広げながら銀鼠の背に取り付いて、藻掻きながら羽ばたきを始めた。
白煙を上げる翼には大小無数の傷があったが、それを紫色の光が覆いながらゆっくりと埋めていった。
獣人の召喚魔獣は、神宝珠の加護でダメージを受ける。
そして第七宝珠格セレスティアの加護は、大祝福3に満たない存在を一掃出来る。
そんなセレスティアの加護を浴びてなお存在を保てると言う事は、あのワイバーンには大祝福3以上の力が混ざっている可能性がある。
翼は白い蒸気のようなものを上げているので加護自体が全く効いていないわけでは無いようだが、神宝珠は既に力を放ち終えており、これ以上の追加ダメージを与える事が出来ない。
翼を得た銀鼠は、もう一頭の消し飛ばされたワイバーンから投げ出された獅子の元へと滑空し、獅子を掴むと速度を減じながら右翼艦隊をすり抜けるように進路を取り始めた。
(ワイバーンに乗っていたのはおそらく軍団長。銀鼠は惨殺者アミルカーレで、獅子は軍団長のヴァルターか。二人が同時に無事なのは不味い)
銀鼠は正面の第六宝珠ベレオンや左翼の第六宝珠エリザではなく、比較して最も加護の薄い第五宝珠ブレッヒの側を抜けようとしている。
ハインツは慌ててペリュトンで軍団長の方へ急降下を始めた。だが相手側も降下しており、ハインツとは最初から大きな距離があるので追いつけそうに無い。
近接戦闘を得意とする軍団長が二人とも無事に地上へ降り立った場合、その損害はハインツにも計り知れない。
彼らは順調に右翼艦隊を潜り抜けていき…………右翼艦隊の大治癒師から放たれた白い光に襲われた。
『ホーリーライト』
具現化した眩い光が直線に伸びていき、銀鼠に生えた片翼を大きく撃ち抜いた。
そのスキルは治癒師が祝福76で使えるようになる2つの内一つ。
部位欠損の死者すらも蘇らせることが出来る『蘇生2』と対を為す、死者を打ち消す浄化の光だった。
「リーゼかっ!?」
『ホーリーライト』『ホーリーライト』『ホーリーライト』
大きく体勢を崩した銀鼠が紫の光を強めて穿たれた翼を直そうとしたところを、新たな光が次々と撃ち抜いていく。
翼を半ばまでもぎ取られた銀鼠はついに失速し、獅子ごと地上へ墜落していった。
「…………全艦、突入しろ!」
ハインツが銀鼠の落下地点へ急降下し、それを見た艦隊が続々と地上へ突入していった。
























