第02話 建国打診★
バダンテール歴1266年2月。
インサフ帝国の皇女ヴァレリアがベイル王国への政治亡命を果たしてから、およそ1年3ヵ月の時が流れた。
ヴァレリアは亡命時に女王よりインサフ継承権者としての身分と活動の自由を保証され、そのために必要な活動資金も供される事となった。
それから4ヵ月後には妹の皇女オルネラや母方ハズザット伯爵家から付き従ってきた家臣らとの合流を果たし、王都ベレオンにおいて活動拠点となる離宮も貸し与えられ、活動の基盤を大幅に強化した。
本来であれば、そんな皇女ヴァレリアの下には様々な人々が集ってくるはずだ。
しかし女王アンジェリカが旧インサフ帝国への王国軍派兵を断った一点において、ほぼ全ての人々がヴァレリアの掲げる「インサフ帝国民解放」の実現に懐疑的な見方を示している。
「ベイル王国が総力を挙げるのであれば是非も無し。だが、皇女ヴァレリアが主体となった所で、一体どれほどの人々が後に続くのだ?」
女王アンジェリカと皇女ヴァレリアでは、持っているものがまるで違う。
例えばベイル王国の力を1000として、獣人帝国の力を神宝珠の保有数で2倍の2000と見積もる。
1000の勢力が2000の勢力を下す事は困難であるが、不可能とまでは言えない。
だが皇女ヴァレリアの力は1000ではなく1程度だ。
なぜ皇女ヴァレリアの力が1になるのかというと、これは女王アンジェリカがベイル王国の国家予算の約2.5%を自由に使えて、そこから20分の1ほどをヴァレリアに供しているからだ。
ヴァレリアはベイル王国の予算の約0.125%(800分の1)をインサフ帝国のために使える事になっている。
見方を変えれば、ベイル王国はその予算を「インサフ帝国民を代表する皇女ヴァレリア」に拠出する事で、獣人帝国の支配下に喘いでいるインサフ帝国民に対する人類国家としての責務を果たしていると主張できる事になる。
国費から拠出される以上、何の意図も無い純然たる好意など期待すべくも無い。
皇女ヴァレリアはベイル王国による民心掌握に利用されるのと引き替えに、月268万Gほどを供されている。
これはベイル王国の男爵一人に準じる力で個人としては途方もない金額であるが、ヴァレリアが立ち向かう相手はあまりに悪すぎる。
『1の力しかないヴァレリアが、2000の力を持つ獣人帝国に勝てるのか?』
答えは否である。
2000人もの敵をわずか1人だけで倒せと言われ、敵とまったく同じ武器を与えらたなら、戦いの結末は誰の目にも明らかだ。
もちろんヴァレリアの元に誰も来ないという訳では無い。
元インサフ帝国の軍人や役人、臣民、出身国は違うが義勇の士、獣人に家族を殺された復讐者、獣人を排斥したい思想家などがヴァレリアの活動を聞きつけて集まって来た。
だが彼ら全員の力を合わせても、ベイル王国の男爵一人の力には遠く及ばない。
それどころか彼らの中には露骨に過去の地位や出自などをひけらかして「領土奪還の暁には社会的地位を、独占的な商業権を、爵位といずれかの宝珠都市を」となど言い出す輩がいくらでも紛れ込んでいて、必ずしもその力がプラスに働くとは限らない状況にある。
あるいはもっと露骨にベイル王国から供されている活動資金をかすめ取る目的で寄ってきた者も居て、差し引きをすると殆どプラスになっていないかもしれない。
そんな有象無象の足枷によって、ヴァレリアの活動は停滞させられていた。
だが今日は、前述したいずれにも該当しない男が訪れた。
Ep10-02
「活動状況は、あまり芳しくないようだな」
「ええ。アンジェリカ女王が断ったと言う一点において、ベイル王国で高い地位ある者は殆ど協力してくれません」
開口一番まるで取り繕わない指摘を受けたヴァレリアは、その男に根本的な原因を突き返した。
王侯貴族はその身分に付随して国や領地、臣民や領民を守る責務がある。
アンジェリカ女王が否と告げた以上、ベイル王国貴族達がヴァレリアの活動に協力するはずが無い。
「だが責務を持たない者が個人的に活動を行うのは自由だ。例えば、そこに居る大祝福2のロラン・エグバードなどのようにな」
ハインツはヴァレリアを守るように話し合いの場に同席しているロランやレナエルらを一瞥した。
彼らは引くに引けない事情があったとは言え、ヴァレリアが引き込む事に成功した極めて有為な人材であり、皇女の活動が全く前進していない訳では無いという証明でもあった。
「今日の訪問目的は、現状確認では無い。ベイル王国は『請われての派兵』はしないが、『対等な交渉』には応じる意思がある。その提案を持って来た」
「どういう事ですか?」
問われたハインツはヴァレリア達の前に地図を広げて、セレスティアやエリザ・バリエらと共に話していた『インサフ王国の建国計画』を説明した。
それは獣人帝国から奪い返した神宝珠を北側の8都市に置き、インサフ王国を建国するという耳を疑うような荒唐無稽な提案だった。
建国に際してはベイル王国が全面的な支援を行い、新インサフ王国には獣人帝国支配下の旧インサフ帝国民を解放して住まわせると。
そんなインサフ王国の建国案を聞き終えたヴァレリア、オルネラ、ロランらが言葉を失う中、比較的インサフへの思い入れや関わりの薄いレナエルが場を繋ぐために質問の手を上げた。
「お聞きしても良いですか?」
「ああ」
「去年ハザノス・ラクマイア両国で実施した神宝珠移設を今回のインサフで行わない理由は何でしょう。もしもインサフの神宝珠を回収してベイル王国の都市に重ねれば、ベイル王国の国益に適うはずですよね?」
レナエルが質問したとおり、昨年ベイル王国は旧ハザノス・ラクマイア両国から神宝珠を回収してベイル王国の物としている。
それによってベイル王国の人口規模は跳ね上がり、国内の神宝珠の力を使い果たして消滅した際のリスクも減じられた。
ハザノス・ラクマイアで出来た事が、なぜ旧インサフ帝国で出来ない理由は何なのか。
レナエルにはその答えがいくつか想像が出来たが、敢えてイルクナー宰相の口から語らせて言質を取らなければならないと考えた。
「ベイル王国は、皇女ヴァレリアをインサフ帝国の継承権者と公認している。インサフ帝国から回収した神宝珠の扱いについて皇女へ話を通さないのは、ベイル王国の宣言や信義に悖る」
「それだけでしょうか?」
「いや。インサフ王国という難民の受け皿が出来れば、今後ベイル王国はそれに手を煩わされること無く獣人帝国との戦いに専念できる」
ハインツが話した事は事実の一端ではあったが、本心ではさらに様々な事を考えていた。
新インサフ王国が予定地に出現すれば、周辺国の中心部に楔を打ち込む形となり、リーランド帝国の東進阻害、北部連合の南下阻止、ベイル王国本土から戦場を遠ざける事の全てが適うようになる。
そしてエルヴェ要塞の東側に廃墟都市が広がるベイル王国にとっては、新インサフ王国が出来たところで将来の国土拡大に支障は無い。
経済的なメリットもある。
ベイル王国は新技術を用いた様々な製品の輸出大国であり、同時にディボー王国製品の輸出中継地でもある。
そんなベイル王国と北部連合の最前線とを最短で繋ぐ新輸送路ができれば、輸送に掛かる日数とコストの大幅な削減に繋がって、王国の貿易収入が半永久的に拡大する。
今後は旧三属国やリーランド帝国側の中間搾取も減り、ベイル王国と北部連合の双方が得をするだろう。
また、神々の評価を上げておきたいという思惑もあった。
ハインツはセレスティアやエリザ・バリエと出会い、神として転生した後に神宝珠になっていない各地の神々が、各都市の神宝珠に現世の情報を与えられることを知った。
つまり正当な継承権者に神宝珠を返せば、それが神々や神宝珠に伝わって将来ハインツが戦略目的から神宝珠回収以上の無茶をしたときに多少のお目こぼしがあるかも知れない。
果たしてレナエルには、どこまで想像出来ているのだろうか。
だがそれら一つ一つを懇切丁寧にハインツの方から説明する理由も無い。
「つまりベイル王国は、新インサフ王国に自国の戦いの後始末をさせようとお考えなのですか?」
「やりたくないならやらなくても良いが、ベイル王国は戦争の巻き添えになるインサフ民を特に守ったりはしないぞ」
「インサフ民を見捨てるのですか?」
「国とは、国民の生命・財産・生活基盤を最大効率で守るための組織だ。故に、ベイル王国に属していないインサフ民を守るためにベイル王国民から犠牲を出すのは本末転倒だ」
ハインツは公人としての社会的立場から、ベイル王国民を他国民に優先して護らなければならないと考えている。
また私人としても、ベイル王国を守る事が妻であるベイル女王アンジェリカを守る事に繋がると考えて居る。
おそらくアンジェリカは、ベイル王国が滅びる際に民を置いて国外へ逃げたりはしない。彼女はそう言う人間だ。
故にハインツは、インサフ帝国民をベイル王国民に優先して守るつもりは無い。
「ベイル王国民としての私的な疑問ですが、インサフ帝国民をベイル王国に編入すると言う前提で守るお考えは無いのでしょうか?」
「フェンリルの獣人である大祝福3の皇女ベリンダは、ジュデオン王国の王都攻防戦で大祝福2の冒険者1パーティを相手に凌ぎきったという」
「聞き及んでいます」
「では大祝福4の獣人皇帝イェルハイドを倒すには、大祝福3の1パーティでも足りない事になる。大祝福3を6人も揃えられないベイル王国では、獣人皇帝を倒すのは不可能だ。よってベイル王国民の生命・財産・生活基盤が最優先であるベイル王国は、どこかで獣人帝国に妥協してインサフ帝国民を切り捨てる国家方針を採らざるを得ない」
「……ベイル王国は、インサフ帝国民を見捨てざるを得ないのだと?」
「そうなる。だがそんな時にインサフ王国があれば、ベイル王国の国家方針とは異なる立場でインサフ帝国民の救出を考えられる。なぜなら国とは、国家に属する全員の生命・財産・生活基盤を最大効率で守るための組織だからだ。インサフ王国は、誰も守ってくれないインサフ民を守るための組織となる」
ヴァレリアには断るという選択肢もある。
だが皇女ヴァレリアは、インサフ帝国民救出という話を蹴ったりはしないだろう。
女王アンジェリカがベイル王国民を見捨てられないように、皇女ヴァレリアはインサフ帝国民を見捨てられない。そしてこれは、彼女がインサフ帝国民を助ける最大の好機だ。
レナエルに代わってロランが別の視点から質問に立った。
「地図に示された都市には要塞も大河も無いですけど、獣人帝国が攻めてきたらどうしろと?」
「インサフ王国の防衛は、ベイル王国最北の都市キイーオンに駐留しているベイル王国軍を東進して担わせる。構築済みの防衛網を東に移し、人員や駐留費は全てベイル王国が持つ。これはベイル王国の国防に寄与する故に全力で行う」
「どれくらいの防衛力が来るんすか?」
「ベイル王国の防衛網自体を東に移すと言った。最東となる旧第二宝珠都市グリーネルに母港を建造し、そこに飛行艦隊と新騎士団を常駐させて偵察を行わせ続ける。そして索敵に掛かった獣人を火炎樽投下で焼き払い、突破する大軍団があれば転移で移動したオリビアがスキルで薙ぎ払い続ける。ベイル王国は昨年、これで皇女ベリンダ率いる5個軍団を敗走させた。それくらいの防衛力だ」
「でも大侵攻があれば、逃げ遅れたインサフ民に犠牲が出るかも知れないですよね?」
「戦争しているのだから当然だ。俺の4人の妻も全員獣人軍の侵攻で家族を失っている。もちろん突破されそうなら先に連絡する。それに獣人軍が削れれば、それだけ将来助けられるインサフ帝国民が増えるぞ」
ハインツが卑怯な論法を使うと、ロランはそのまま押し黙った。
夫の不利を見たレナエルが再び質問に立つ。
「ベイル王国が国防を担う事は分かりました。では次に『対等な交渉』と仰られた点について確認します。ベイル王国がインサフへの協力の見返りに求める対価は何でしょうか?」
「回収した神宝珠の一部だ。回収予定は17個で、割譲予定地は8都市。つまり9個も余る。さらに前年、ベイル王国は各地から回収したが加護を発しなかった神宝珠をいくつか保有しているのだが……」
インサフ王国への割譲予定地では、回収した第二宝珠デムシアウ、第一宝珠レクセア、第一宝珠ファーティラの3宝珠が加護を発しなかった。
これら3つの神宝珠を元の都市に返す事で再び加護を発するようになれば、余る神宝珠はさらに増えて12個となる。
「建国の際にこちらで余っている神宝珠を使い、それが加護を発すれば宝珠はさらに余る。余った中からいくつかベイル王国へ譲ってもらえれば、こちらの助力に対する充分な見返りとなる。譲られる神宝珠に見合った支援も行うつもりだ」
「どのような支援ですか?」
「そうだな。やるべき事を説明しよう…………」
ハインツがヴァレリアらへ説明した支援は、8段階に分かれていた。
1.事前調査
都市の詳細地図作成と、大規模な家屋調査。
家屋に関しては何人住める家であるか、商店・工房などが併設されているかと言った避難民を受け入れる為に必要な各種調査。
2.生存基盤確立準備
緊急支援物資(短期間の生存に必要な食料・水・毛布・雑貨など)の搬入。
主要路・引水路・公共馬舎など重要インフラの補修・整備。
ベイル王国の中規模以上の商会をインサフに入れ、初期雇用と経済基盤を確立させる準備を整える。
3.行政基盤確立準備
官僚団の組織と配置。
ベイル王国において第二宝珠都市以上の規模で、前年に都市が拡大していないのはイルゼ、ベルセラ、アレオン、ラクール、バレット、アリアーガ、アルバレスの7都市であり、これに王都を加えた計8都市から官僚団を新インサフの8都市へ派遣して新王国の初期行政機能を担わせる諸準備を行う。
官僚団が受け入れの諸準備を開始する。
国務省=戸籍謄本作成、都市民証発行、人材登用。汚職・不正・職権乱用・職務不履行の調査。
軍務省=治安維持。騎士・兵士の採用・組織化・配備。防衛体制の確立。
財務省=税徴収の基本台帳作成。新都市での避難民の収入調査。
法務省=インサフ王国法の周知、職業斡旋所の設置と運営開始
経済省=各産業の生産体制確立。耕作地、種・苗、農耕具、工具、資機材などを与えて運用させる。
技術省=医療・衛生・加護の確保。アルテナ神殿の維持管理。
教育省=学校と教育環境の整備。孤児の保護。
4.救出作戦実行
飛行艦隊での神宝珠回収後、ベイル王国地上部隊による大規模な救助作戦実行。
獣人帝国側による追撃部隊の撃破、以降のインサフの安全確保。
5.避難民のインサフ王国組み込み
避難民トリアージ(避難民の人数や職歴《商人・職人・農民など》を勘案し、経験者を優先して適切な家や土地にあてがう)。
6.新体制を維持運営する人員の育成
行政に避難民を雇い入れ、ベイル王国行政運営のノウハウを教えて引き継ぐ。
雇用対象は旧帝国の行政経験者と物事の吸収が早い若者。引き継ぎ目処は3年。
7.ベイル王国の行政支援部隊の順次撤収
引き継ぎが行えたか否かを各尚書が判断し、影響が少ないように人員を徐々にインサフへ入れ替える形で撤収を行う。
8.インサフ王国の完全独立
ベイル官僚団が完全撤収した時点で、インサフ王国は独立を果たす。
「……と言ったところだ。自力で出来る程度を見極めて、不足分を神宝珠で買えば良い」
ハインツの支援案は、終始前代未聞だった。
ベイル王国の画期的な行政システムが引き出す国力は、他国に効率で数倍すると言われている。そんなベイル王国式のシステムを導入すれば、50万人規模の中堅国の国力が100万人規模にも200万人規模にもなる。
俄には信じがたいヴァレリアだったが、向かい合っているハインツが嘘を言っているようには見えなかった。
おそらくシステム自体は断固守り抜きたいものでは無いのだろう。彼にはもっと大切なものがあって、そのために進んでいるような気がした。
「返答期限と連絡方法を教えてください」
「2月末までに頼む。この離宮に連絡要員を常設する。またブラームス国務尚書には毎週こちらに顔を出すよう命じる故、質問や要望があれば自由に言ってくれ。それと調査は勝手に進めておく。それは返答如何を問わず、ベイル王国の国防上必要な事だ」
話を受けなければインサフ帝国民は誰も助からないが、話を受ければ数十万人が助かる。
ハインツの側は、皇女ヴァレリアが提案自体にはほぼ間違いなく乗るであろうと考えていた。
だから彼女らが検討している間に、神宝珠回収と建国に必要な諸準備は進めておくつもりだった。取り分け人選は、業務の引き継ぎがあるためにとても時間が掛かる。
用件を済ませたハインツは速やかに離宮を後にした。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「断ってもベイル王国が作戦を実行する以上、提案には乗るしかありません」
ヴァレリアが下した結論は、ハインツの思惑通りだった。
なおベイル王国が神宝珠を横取りする可能性については、最初から彼女達の議論に上がっていない。
それをするつもりであれば、最初からヴァレリアに話を持って来ずに堂々とやってしまえば済むからだ。
「提案に乗らなければ、インサフの人々は誰も助かりません。ですが神宝珠をいくつか渡せば、何十万人かが獣人帝国から解放されます」
彼女らとて、多少はハインツの打算も読める。
ベイル王国は現在人口以上に保有している神宝珠をさらに増やす事よりも、獣人帝国との間に壁となる新王国を興させる事を選んだのだろう。
だが例えヴァレリアがインサフ帝国の全土を奪還出来たとしても、結局インサフが天山洞窟とベイル王国との間に立つという状況に変わりは無い。
インサフ王国の建国位置が予定より西側になる事で、獣人帝国からの国防が容易となる分だけハインツの提案にはメリットもあった。
「新しい土地へ移れば、暮らしてきた家、持ち運べない財産、故郷などを全て失います。まずはインサフ帝国の17神宝珠を返してもらい、戦争によって獣人軍が後退していけば元の土地へ神宝珠を戻していくという方法は採れないのでしょうか?」
ヴァレリアの妹である皇女オルネラが別の可能性を模索した。
「それで、獣人軍はいつ後退してくれるんだ?」
オルネラの案に、ロランが率直な意見を返した。
人類国家全てが総力を結集して立ち向かったとしても、大祝福3台を複数抱える獣人帝国はその大攻勢を跳ね返すだけの力を持っている。さらに獣人帝国には大祝福4の皇帝がいて、人類中最大戦力を保有するベイル王国はそれを理由に獣人帝国との国家総力戦に乗り気では無いと告げていた。
ロラン同様、レナエルも時間を掛ける事には懸念を表明した。
「ベイル王国が神宝珠を回収した時点で、そこに住んでいた人達は加護を失って一度は別の地へ移らなければならないはずです。それに、今解放できる人が、将来も解放できるとは限りません」
「俺たちと違って、転姿停滞の指輪も無いだろうからな」
とても極端な例だが、完全解放までに100年掛かれば、今生きている人々はみんな寿命を迎えている。
インサフ帝国が獣人に完全支配されてから15年。帝国支配地の人々にとって、支配される15年間は決して本意な時間ではなかったはずだ。
インサフ帝国の皇女ヴァレリアにとって、インサフ帝国民の不遇は看過できない。
「神宝珠を得ておき、それを交渉材料に各国へも助力を求めるというのは……」
「各国と言うと、リーランド帝国や北部連合でしょうか?」
リーランド帝国は、皇帝アレクシスから女帝セリーヌへの代替わりによって政治指導力が極端に落ちている。さらに大祝福2と言う主戦力も大幅に失った。
これは女帝セリーヌの成長や時間経過によっていずれ解決する問題だが、現時点でリーランド帝国は必要な能力を満たせていない。
また北部連合は、加盟8ヵ国に釣り合いの取れた報酬を出さなければならないため、調整に時間が掛かる。
移設をしても加護を発する第一格の神宝珠を8個同時に渡せるならば足並みが揃えられるだろうが、作戦実行前にそんな確約は出来ないし、それだけの報酬を渡すならベイル王国に渡して支援を引き出す方がより大きな力を得られる可能性が高い。
「では提案に乗るにしても、8都市を興すのではなく、ハザノスのような大都市に神宝珠を重ねるのはどうでしょう。獣人帝国から遠いほど解放した民が安全になるのでは?」
オルネラは、ハインツが置き去った地図を眺めながら他の可能性を模索する。
ヴァレリア達の最大戦力は、祝福60の魔導師であるヴァレリア自身と、祝福64の戦士であるロランの二人だ。それに対して獣人帝国は、周辺国最大のインサフ帝国をも飲み込んだ大帝国である。
いくら慎重になっても、それが過ぎると言うことはない状況だ。
「都市に神宝珠を重ね置きしたのは、イルクナー宰相が初めてです。本来神々は、お互いの加護が重なる事を避けます。なぜベイル王国だけが神々を説得できたのか、未だに分かっていません」
本来主神は、既存の都市に加護を重ねようとはしない。なぜならば他の主神がそこに居て、既にその地へ加護を発しているからだ。
重複分の加護は周囲へ広がるようだが、それをするくらいならば新たな土地に都市を作った方が資源獲得や種の生存に適う。重ね置きは無駄が多い行為で、せっかく宝珠を創り出してくれた主神の意にも概ね反している。
主神達の意に反する行為をしておきながら、どうしてベイル王国だけは神宝珠が協力してくれるのか。
ハインツが説明しない故に、人々にはその理屈が全く分からない。
「ですけれど、ベイル王国にはそれが出来るのですよね。人口30万人規模を受け入れられる旧第六宝珠都市ハザノス辺りに神宝珠を重ね置きしてもらえば……」
オルネラも、ベイル王国が獣人帝国との間に新インサフ王国という壁を作ろうとしている事は分かっている。そして、ハザノスに新インサフ王国を建国する事がベイル王国の狙いから外れると言う事も。
しかし神宝珠という対価を多く渡す事で妥協点を見出すことが出来るのではないかとも考えている。
「可能かもしれませんけど、イルクナー宰相の案に比べて獣人帝国が攻めてきた時の民の逃げ道がありません。国土からは資源も得られず、結局国として立ち行かなくなると思います」
ハインツが持ち込んだ案では、新インサフ王国はベイル王国、リーランド帝国、マルタン王国、廃墟都市と国境を接している。
都市は8つもあり、広範囲に平地・森林・湖・山岳などを抱え、ベイル王国と北部連合との流通の中継地にもなる。
それでいて中心都市から辺境都市までの距離は最大でもわずか2都市と、国家全体を極めて統制しやすい立地になっている。
一方オルネラの案では、新インサフ王国は廃墟都市としか繋がらず、民には逃げ道が無い。都市も1つしかなく、獣人帝国に攻め込まれたら一夜で滅亡するだろう。
経済が活性化する余地も殆ど無い。レナエルには新インサフ王国の未来が見えなかった。
「第六宝珠都市だった旧ハザノス王都を無駄にするには惜しいと思います」
「いや、8都市で不足する物を新人冒険者が稼ぎに行ける稼ぎ場になるぞ。資金稼ぎと経験稼ぎが同時に出来るじゃないか?」
「そうなのですか?」
「ああ」
ロランが冒険者としての視点から意見を出した。
冒険者を成長させるためには、金を稼ぐ場所も、経験を積む場所も必要だ。
それを考えれば、新国家のすぐ近くにそれらの全てを兼ねる大規模な廃墟都市ハザノスがある事は非常に好ましい。
それによって冒険者の他国への流出を減らし、逆に他国の冒険者を呼び込む事にもなる。
「もしも8都市と廃墟都市のハザノスがあって、神宝珠を支払ってベイル王国から冒険者支援をしてもらえたら、治安騎士なら1年で用意できるようになると思う」
「1年?」
「祝福を10に上げるのは簡単なんだ。もちろんベイル王国式でやればだけどな」
ベイル王国で冒険者支援制度を受けたロランは、僅か3ヵ月という短い期間で祝福を1から7にまで引き上げられた。
現在のベイル王国は支援がさらに拡大しており、半年から1年と言う期間で祝福を1から10へ引き上げている。
ベイル王国を除く各国での治安騎士の条件は祝福10以上だ。
もしも新インサフ王国の冒険者がベイル王国と同じ支援を受けられれば、1年後には大量の治安騎士獲得が適うようになるだろう。
「ロラン、いくら神宝珠という報酬を用意しても、ベイル王国は自国の祝福上げを優先するのではありませんか?」
「いや、ベイル王国は魔物の分布図も育成のノウハウも完成している。引退した冒険者2人で20人くらい同時に育成できるから、指南役の冒険者なんていくらでも出せるぞ」
「そうやって急に育成させて、冒険者として役に立つのですか?」
「…………おう」
ロランの返答は若干遅かった。視線も明後日の方向に向いている。
疑惑の眼差しを向けたヴァレリアに対し、ロランは慌てて言葉を重ねる。
「罠作成や植物選別、冒険者基礎知識や魔物図鑑まで全部教科書化されている。それをインサフでも導入して、あとは育成場所とかを作ってもらえば、次の年からそれをそのまま使い回せる。2年目には祝福10を越えた奴を治安騎士に雇ってベイル式を教え込ませて、3年目にはインサフの人員で現場が回るように出来るはずだ」
ヴァレリアが己の主張を通すためには、インサフ王国自身が力を持たなければならない。
そのためには自国の冒険者を育てなければならないが、ロランの話はそれを一気に実現させる足掛かりになりそうだった。
心の天秤が傾きつつあったヴァレリアに、レナエルがさらに言葉を重ねた。
「ベイル王国は、旧インサフ帝国にある全ての神宝珠をヴァレリア皇女が継承すると認めています」
「……どういう意味ですか?」
「私たちは今回の回収が終わった後も、獣人帝国側に残っている次の神宝珠を新たな交渉材料にして、人々を解放し続けられます。困難な時は神宝珠を支払いに変えられます」
それは不遜な考え方だろう。
だがヴァレリアは、その段階をとうの昔に乗り越えていた。
ベイル王国にはイルクナー宰相と言う稀代の英雄が現れ、インサフ帝国には滅亡まで彼のような人物が現れなかった。
だが英雄が現れなければ、獣人の支配を受け入れて人としての生を諦めるのか。
ヴァレリアの答えは否である。
「分かりました。私はインサフ民のためにインサフ王国を建国します」




























