短編 ニヴルヘイムの地にて
かつて古のアーシア人が造り出し、今なお未知の領域を多く内包する天山洞窟。
そのルンドベリ階層と名付けられた階段の第七階を奥深く進んだ先。
薄い黒土の上へ等間隔に並べられた首無し馬体を抉るように見据えた悪魔ゲロルトは、杖を掲げながら途切れ途切れに呟き続ける。
「酷く……酷く……」
彼の赤い瞳は馬の死体を見つめ、黒い唇からは意味不明な言葉が羅列される。
そんな妖しい銀狐の心境を代弁したのは、彼の同志にして惨殺者の二つ名を持つアミルカーレであった。
「……懐かしいか?」
「酷く」
内心を言い当てたアミルカーレに対し、ゲロルトはなお心此処に非ずと言った体で馬に向かって呟き続ける。
時を失う。
そのような言葉を口にしたとして、イェルハイド帝と彼ら2者以外の一体誰がその言葉に真の意味で共感できるのだろうか。
彼らは生存圏を拡大した竜人に東の故郷を追われ、季節を失い、年月を数えられなくなり、共に逃げた同胞達を亡くし、その子孫達を老衰で看取り、やがて年号を消失した。
やがて天山洞窟に逃げ延びた獣人達をまとめ上げ、獣人のための帝国を創り、転姿停止の指輪を嵌めた彼らは須く社会システムの柱となった。
そこからはたった1人の皇帝が、今に至るまで続いてきた帝国史の礎となっている。
……ああ、一体どこの誰が彼らに共感できるというのか。
今の獣人達は子供でも孫でも無く、鮮烈な思い出の中に残るかつての同胞達の血を引く遠い子孫達でしかない。
「ベヒモス」
「大半を率いて、南に逃げたな」
「ジズ」
「飛べる奴らで、東の島々に逃げた」
「フェンリル」
「逃げ道がなかった」
ゲロルトは絶対種を挙げていた口を閉ざし、目も瞑って在りし日の追想を始めた。
そんな彼に倣おうとしたアミルカーレは、不意に竜人達の姿を思い浮かべて苦々しい表情と共に追想を中断した。
竜人達は沢山殺した。
殺して、殺して、殺して……。
だが相手の数が多かった。平均的な力も強かった。
獣人達の方が多様性は高かったが、竜人達はより原始的な力に特化した存在であった。
アミルカーレは単なる数の力押しだと侮蔑したが、ゲロルトは単なるトカゲの大繁殖だと見下したが、押し負けたのは事実である。
彼らは現実から逃避したのでは無く、種の滅亡から逃避した。
「古代人から長寿やマナを自在に操る力を取り払った人。それに獣の特性を混ぜ合わせた獣人。そして力の根源を掛け合わせた竜人。まともにやり合って、力の根源たる竜人に勝てるはずも無い」
そう自答したアミルカーレは、神の不公平に対する不満を口にした。
古のアーシア人に比べて竜人・獣人・人間の寿命を短くし、マナ操作術を削ぐ事で、それに依らない新たな可能性を模索する。
アミルカーレは3種族の力の在り様から、古代人が滅んだ瘴気の世界に『創意工夫させて立ち向かわせるべく創られたのが人』で、『汎用性を失わせる代償に力を与えて環境適応させるべく創られたのが竜人』なのではないかと考えている。
もしかすると竜人が一定の環境以外で不自由になる事や、アルテナの祝福を得られ難い事や、治癒師や魔導師の祝福を得られる者が一人も居ない事すらも、3様の方向性を模索させるための策なのかも知れない。
それでも竜人は一定環境内における最強種であり、であればこそ獣人は神の定めた摂理通り、その力によって蹴散らされていった。
「ならばアルテナ、人と竜人との間に置いた獣人へは一体何を求めている?」
人は生前に一定の力を溜め込むことで、死後転生によってアルテナの力の一端を発する神魔へと至る。その強大に過ぎる力は、滅んだ後に転生竜と化してゆっくりと世界へ返す。
だが獣人は、絶対種や金銀の優越種のような力こそ持っているが神魔化まで出来るわけでは無い。
竜人は祝福に寄らずとも、血統によって強大な力を引き継ぐことが出来る。
例えば皇妃ゾフィーならば、ニーズヘッグの最上位にあたる血統だ。
だが獣人は、受け継いだ獣の力の一欠片のみを振るえるに過ぎない。
では中途半端な獣人とは一体何なのか。
神にすら見出せなかった新たな可能性を模索せよと言う事であれば、創造神はあまりに身勝手だ。
神が答えを持たないとするならば、天山洞窟に押し込められて獣の多様な生き方を失わせてしまったアミルカーレ達の帝国は失敗となる。
そして創造神が失敗した種をどう扱うかについては、古代人という前例がある。
「滅亡か」
アミルカーレ達は中間という立場から竜人との交配の可能性を見出し、新種という活路を模索した。
だが獣人の皇帝と竜人の王家の血を引いて祝福も得たブレーズ皇子は、その最たる成功例として確立される前に人の手で殺された。
別大陸の人間はブレーズ皇子の存在を確認するや否や、おそらくは問答無用で殺し、それを生み出した獣人帝国自体すらも滅ぼさんと図ったのだ。
その結果は、人類の視点では苦々しい事に成功である。
アミルカーレ達は東の竜人たちを抑えながら、さらに新たな可能性を模索する必要に迫られた。
そして西側の世界で宝珠都市という新しい可能性が根付いていることを知り、人の宝珠都市を獣人帝国に取り込むことで活路を見出す事を考えた。
だが今度は人が『飛行する船』という、新たな可能性を示して獣人の前に立ち塞がった。
だからアミルカーレたち獣人は、人を打ち破ることで自分たちの存在価値を示さなければならない。
彼らが残してきたものの全てを過去としないために。
本当に時を失ってしまわないために。
『召喚、ヒッポグリフ』
ゲロルトのマナが紫輝石を介して力ある霊体を喚び出し、そのまま上半身を失った馬体へと降りていった。
すると馬の下半身からゲロルトのマナが生えるように伸びていき、黒く輝きながら鷲の上半身を生み出す。
やがてムクリと起き上がったアンデッドヒッポグリフは、紅黒い瞳をゲロルトに向けたまま微動だにせず、創造者である主からの指示を待った。
「草を食んで待て」
ゲロルトがマナを発しながら指示を出すと、ヒッポグリフはまるで頭を垂れるかのように従順に主の視界の範囲内で草を食み始めた。
造り出した道具の稼働を確認したゲロルトは、新たな紫輝石を手に取ると新たな馬の死体へ向き直る。
そんな再誕を暫く見守っていたアミルカーレは、ゲロルトの作業が一段落したところで改めて彼に問い掛けた。
「懐かしいか?」
「…………逃がしたとき以来だ」
「自分で飛べる奴らの大半は、ジズと逃げたからな」
相変わらず言葉足らずなゲロルトであったが、アミルカーレにはそれだけで充分に伝わった。
普段ゲロルトが喚び出す魔物たちの力は、天山洞窟の東側へと向けられている。
食事を必要としない強力なアンデッドの軍団を造り続け、それをひたすら天山洞窟内東側エリアへと送り込み、放ったときの命令を滅びの日まで愚鈍に守らせ、竜人たちが通れない死の壁とする。
食事を必要とするヒッポグリフなど呼び出したのは久しぶりであった。
「ところで、なぜグリフォンやワイバーンは喚ばない。素材は腐るほど…………いや、腐った後に残った骨がいくらでもあるだろう」
「紫輝石を介したところで、大隊長が問題なく扱えるのはヒッポグリフまでだ」
ゲロルトの言葉に納得したアミルカーレは、肯定の意の沈黙を返した。
本来ゲロルトが召喚したものは、召喚者であるゲロルトにしか操る事が出来ない。
そもそも召喚された存在は野生の存在ではなく、マナを介して喚び出した召喚者に従う存在だからだ。
しかしゲロルトが召喚の際に自らのマナを紫輝石に通しながら召喚する事で、以降はその紫輝石を通せば他の者でも召喚された存在へ簡単な指示を出す事が出来るようになる。
そこでゲロルトは魔力が沢山込められる上質な紫輝石を用い、さらには全体召喚ではなく一匹ずつ召喚してマナを蓄える事で、他者が長期間運用可能な魔物を生み出しているわけだ。
最大の欠点は、輝石に込められたゲロルトのマナが失われれば召喚した存在を操れなくなる点だ。より強い存在ほど賢く、大きなマナを使い、弱い乗り手を舐めてかかるので、輝石に込めたゲロルトのマナ消費が激しくなって直ぐに従わなくなる。
仮にワイバーンなどを生半可な相手に渡してしまえば、ゲロルトが込めたマナが尽きると同時に乗り手は食い殺されてしまうだろう。
これがアミルカーレならばワイバーンを蹴り飛ばして力尽くで抑え込み、最低限の消費のみで長期運用を可能とする。
暫くは獣人達の質を嘆いていたがアミルカーレであったが、不意に何かを思い付いたらしく沈黙を破った。
「ゲロルト」
「何か?」
「俺が届けよう。6匹用意してくれ」
ゲロルトは杖を掲げたまま視線だけをアミルカーレに向け、暫く無表情を保った。獣人帝国には絶対に死んではならぬ者が2人、容易に死んではならぬ者が3人いる。
絶対に死んではならぬ者は、皇帝イェルハイドと皇妃ゾフィーの2人。
絶対種フェンリルの大祝福4である皇帝イェルハイドと、ニーズヘッグの皇妃ゾフィーの両者が在れば、竜人からの侵攻を防ぐ事が出来る。
容易に死んではならぬ者は、ゲロルトとアミルカーレと皇女ベリンダの3人。
ゲロルトとアミルカーレの二人は、皇帝と金羊大公ヴィンフリートを合わせた4人で獣人帝国をこれまで保たせ続けてきたのだ。彼らが残っていれば、帝国がいかな困難に見舞われようとも立て直しを図る事が出来る。
また皇女ベリンダは、絶対種フェンリルの大祝福3として強大な戦力を生み出す母体になれる。絶対的である皇帝の予備としては幼すぎるが、その存在価値はゲロルトとアミルカーレの間くらいにはなっている。
「届けるだけか?」
ゲロルトの問い掛けにアミルカーレは無言となったが、相手の足りない言葉が分かるのはなにもアミルカーレだけでは無い。
そもそもイェルハイド帝国を永きに渡って支えてきたアミルカーレが、まるで子供の使いのようにワイバーンなりグリフォンなりを地上軍団長に届けてそれでよしとするなど考えられるだろうか。
アミルカーレへの制止の言葉の無意味さを誰よりも深く理解しているゲロルトは、代わりの言葉を探した。
ゲロルトのたった一言くらいならば、アミルカーレにも届くだろう。
互いに妥協できる落とし処とは、一体どこにあるのだろうか。
金羊大公ヴィンフリートの死に基づく警戒感、幼き皇女ベリンダに想定し得る死因、彼らが共通認識する優先順位、そして…………。
短い間に独自の計算式を組み立てたゲロルトは、ようやく一つの答えに辿り着いた。
「…………白姫を死なすな」
「分かった。白姫に余計な玩具は与えぬ」
古き同胞たちの元へと旅立つであろうアミルカーレに最後の約束を課したゲロルトは、それで人類に対する対策を可とした。
……ああ、一体どこの誰が彼らに共感できるというのか。
彼らは現実から逃避したのでは無く、種の滅亡から逃避したのだ。
























