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アルテナの箱庭が満ちるまで  作者: 赤野用介@転生陰陽師7巻12/15発売
第二部 第八巻 エウリュディケー(12話+2) 空の章

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第08話 ミーミルへの片目

 メルネス・アクス侯爵と面会した翌日、ヴァレリア皇女は高速馬車で王都べレオンへ向かうこととなった。

 御供はヴァレリア皇女に直接雇われているロランと、メルネスから派遣されたディアナ侯女、それと馬車周囲を守る数名の騎士たちである。


 まだ地方都市までは情報が届いていないようで、最初の数日間は実に平穏な旅が続いた。

 だが都市イルゼから5都市、王都から3都市の距離にある第二宝珠都市ラクール近郊で重武装の2個騎士団とすれ違った先からは、ベイル王国の雰囲気が一変した。

 駆け回る軍の伝令、慌ただしく動き回る冒険者たち、息を殺すように様子を窺う商人、怯えた表情の都市民。

 この事態は否定しようもなく、ロランとヴァレリア皇女がリーランド帝国から招いたものだった。


「ディアナ、俺は一体どうすれば良かったと思う?」

「それをアクス侯爵家の後継者である私に聞くのか。猪突猛進とは実に恐ろしいね」


 馬車内には3人しかいない。ヴァレリアが無言で見つめる中、ディアナは溜息と共に想いを口にした。


「皇女の見殺しがベイル王国にとって戦争回避の手段だったとしても、見殺しにする事は冒険者たる者の所業ではないと思うよ」

「……そうだよな」


 ロランの動機は単純かつ明快だった。

 ……結果このような事態を招いたが。


「個人の死が全体の幸福に繋がる時、個人は自らの死を甘んじて享受すべきだろうか。そして冒険者は、それを見殺しにすべきだろうか。答えは否。と、イルクナー宰相閣下は前例を出しておられる」

「イルクナー宰相が?」


 ディアナの思わぬ回答に、ロランだけではなくヴァレリアも若干の目を見開いた。

 その仕草で続きを促されたと感じたディアナは話を続けた。


「オリビア・リシエの話は有名だろう。国益のため不当な死を強要された彼女は抗った。宰相閣下は損を承知でディボー王国を国際非難し、国境封鎖して政治的に圧迫した。結果ルイーサ革命が勃発し、ディボーに新たな体制が構築された。難民政策もその時に見直されている」

「ああ」


 その話はロランも知っていたので頷いた。国際非難の時点で、周辺国に幅広く知らしめられている。

 それはヴァレリアが政治亡命する国をベイルにする決め手の一つともなった。


「皇女自身の政治亡命は受け入れられるだろうね。ただし、皇女個人の保護とインサフ帝国の保護とは分けて考えるべきだ」

「それはどうしてだ?」

「インサフ帝国は、ベイル王国内ではないのだよ。実効支配権が無いから、責任を負える範囲じゃない」

「じゃあ、取り残された人々が可哀相だとは思わないのか?」

「可哀想だね。ではそれで、一体どうするのかな。宰相閣下に『獣人を全員殴り倒して、インサフ帝国の人々を助けて来て下さい』とでも言うのかな。実効支配権が無いと言ったばかりじゃないか」


 ロランは言葉を返せなかったが、一方でヴァレリアは表情を変えなかった。


「皇女は感情論以外を用意した方が良いと思うよ」

「感情では……いけませんか?」

「ベイル騎士を殺す対価が感傷では釣り合わないよ。おや、これも僭越だった。今日の私はおしゃべりだね。まるで女子のようだ」

「…………いや、そもそもお前は女だろ」






 Ep08-08






 都市外で野営して、ヴァレリア皇女に万が一のことがあってはならない。

 王都ベレオンから1都市の距離にある第一宝珠都市オトラフムに到着した一行は、いつも通り都市で宿泊した。

 軍用の高速馬車で早朝に出発し、馬に希少な回復剤を惜しげもなく与えながら移動すれば、夕刻には次の都市へ着く。

 即効性の高い薬は量産できないので、通常であれば軍でも使えない。だがロランには、これまで3日と目されていた都市間移動が随分と近くなったように感じられた。

 メルネス・アクス最高司令と面会した翌日の11月2日早朝から1都市を1日で駆け続けた結果、11月8日の夕刻には王都べレオンから1都市の距離にある都市オトラフムにまで辿り着いた。


 宿泊先は、貴族の館か軍事施設だ。

 ディアナ・アクスという個人に付随する肩書きや信用、あるいは後ろ盾は、ベイル王国内では認知症の御老人と赤子以外のほぼ全てに通じる。彼女の前では、あらゆる障害物が自ら道を空けていった。

 だからこそアクス侯爵は、自分の娘を王宮までの水先案内人としたのだろう。

 戦争の引き金となった件に関して思うところがあっても、ディアナの姿があれば手を出せる者は居ない。


「…………」


 ロランは無言で天を仰ぎ見た。

 個室の天井では装飾の美しいシャンデリアが眩い光を放っていて、とても居心地が悪かった。基調の整えられた高価な家具、センスの良い調度品の数々。まるで死刑執行前の囚人に対する最後の晩餐を彷彿とさせる。


「絵画は小さい方が、どこにでも飾れて実用的だから価格が高いんだったか?」


 不安を誤魔化すための独り言は、全く効果を為さなかった。

 そもそもの心の重石は、ヴァレリア皇女をベイル王国に逃がす際に戦争を引き込んでしまったことだ。

 襲われたら、抵抗するだろう。

 襲われている人が居れば、助けるだろう。

 それらを行うことは議論の余地が無く正しい行いで、後の事は知ったことではない。と、ロランは思っていた。

 それによって戦争が勃発し、都市マイアスが陥落して多くの難民を出した。

 殺された人や、逃げ遅れて敵の只中に取り残された人は数え切れない。前者は最低でも数百人で、後者は最低でも数千人。

 殺された数字の一人目を知り合いに当て嵌めると、二人目を数える気には到底なれなかった。

 そしてユーニス司祭から、その戦争がより悲劇的な結果を招きかねないとも指摘された。


「…………正しいって、何だっけ?」


 仮に、理不尽な死に抗う行為が正しいのだとする。

 そしてヴァレリア皇女の生存と、マイアスの人々の生存とが同時に成り立たない。

 その場合、両者の正義は対立する。


 (ヴァレリア皇女は、ベイル王国の正義に反する存在?)


 そう考えて、ロランはそれも否定した。

 そもそもリーランド帝国とロランたちの正義があまりにもかけ離れているからこそ起きた問題だと気付いたのだ。

 だが、ヴァレリアの正義とメルネス・アクスの正義が異なっている事も否定しようのない事実だ。


 (人の数だけ正義があるのか?)


 組織の数だけ、利害関係の数だけ。

 あるいは人類の正義と獣人帝国の正義とが対立しなければ、人獣戦争も起きなかったかもしれない。

 ではロランは、一体誰の正義を信じて進むべきだろうか。


 (国が見殺しにするのなら、俺が助けるしかないだろう。だけど戦争が……)


 コンコン。

 ロランが思考の迷路からようやく這い出したとき、扉をノックする音が聞こえた。


「ロラン、今良いですか?」


 声はクーラン王国から共に居るヴァレリア皇女のものだった。


「……ああ、構わないぞ」

「では入ります」


 そう断って部屋に入ってきたヴァレリア皇女の姿を一目見て、ロランは思わず目を見開いた。

 ヴァレリアの細身の体を包むのは、まるでユニコーンの鬣かアラクネの糸で織ったかのように純白のドレス。薄青のレースが束ねて縫い付けられている胸元と袖口には、金と紫の輝石の装飾が精巧に施されている。

 丁寧に梳かされた薄い金髪に差し込まれているのは、真銀に紫の輝石が埋め込まれた左右一体の髪飾り。それが澄んだ緑の瞳と調和して見事に映える。

 元々貴族と言うものは容姿端麗な娘を手に入れて血を連ねていく為に、高貴な爵位貴族家の女性は際立って美しい。

 インサフ帝国皇帝を父に持ち、ハズザット伯爵家の令嬢を母に持つ皇女ヴァレリアは、その体現者としてロランにその事実を気品に満ちた仕草と共に示していた。


「凄く奇麗だな」

「ありがとう。明日の謁見の正装です」


 11月9日夕刻、王都ベレオンに達するヴァレリアはそのままアンジェリカ女王に謁見する予定となっている。


「流石インサフ帝国の皇女だ……なんか変な事考えそうだから要件を言ってくれ」

「……変な事とは何ですか?」


 ここは個室である。そしてベッドがある。


「……分かって聞いただろ!」

「分かって聞きました。私は24歳でロランより5歳年上です。4等級の指輪で停滞しているので、この身は18歳ですが」

「くそっ、くそっ!」


 もし手を出してドレスを汚したら、明日の女王陛下との謁見をどうしよう。とか、そんなイケナイ事を考えてしまうロランを尻目にヴァレリアは小銭袋を取り出した。

 それはロランたちへ依頼をする時に示した、転姿停滞の指輪が満載の小銭袋であった。


「ああ、報酬か」

「はい。依頼はベイル王国への政治亡命に手を貸してもらう事でした」

「成立するまでちゃんと付き合うけど」

「ありがとう。ですが、ベイル女王との謁見前に報酬を支払っておきたいのです。交渉の行方が分からないので、その後にロランへの依頼料を支払えなくなっては困ります」


 感情の表出が薄いヴァレリアの内面に強い感情を感じたロランは、素直に一歩引いてまず提示された話を受けることにした。


「…………欲しいのは6等級の指輪2個だ。年齢の減少はないけど45年保てるやつ。あるか?」


 以前の4格竜退治の際、ロランは「45年保てる6等級の指輪・1個」と、「30年保てる7等級の指輪・2個」と、格下の指輪をいくつか手に入れている。

 ロランとレナエルが未使用状態で持っているのは7等級の指輪で、6等級の指輪は二番目の妻レオノーラに渡してある。

 もし6等級が2個手に入れば、ロランとレナエルはそちらを使って年数を長引かせる事が出来る。


「もちろんあります。63年保てる5等級も、2個ありますよ」

「こっちの事情でまたややこしくなるし、インサフ帝国の為に使ってくれ」


 こっちの事情で。とロランが言った時、ヴァレリアはロランの薬指に嵌められたウェディングリングに目を向けた。

 緑色の二つ葉が模された指輪は、それを嵌めている男性が2人の妻と結婚済みの証だ。

 6等級が2個欲しく、5等級が2個だとややこしくなる。その意味を察したヴァレリアは、あっさりと頷いた。


「分かりました」


 ヴァレリアは小銭袋の中から6等級のタグが付けられた指輪を2個取り出し、差し出されたロランの手のひらにそっと置いた。

 そしてそのまま手を握ると、ロランと目を合わせながらそっと呟いた。


「……4等級は、あと3個あります。ロラン、私の騎士になりませんか?」


 ヴァレリアは『インサフ帝国の騎士』ではなく『私の騎士』と言った。

 その発語に込められた微妙なニュアンスの違いに気付いたロランは、一瞬断りかけた言葉を飲み込んだ。


「…………どうして、誘うんだ?」

「分かりませんか?」

「俺は馬鹿だからハッキリ言ってくれ。それだけ出せば、大祝福2の冒険者でも選んで雇えるぞ」

「私にあなたが必要だからです」






 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇






 11月10日の王都ベレオンは雨天であった。

 長旅の疲労を慮った女王の配慮により、ヴァレリア・インサフとの謁見は翌日に持ち越された。

 ヴァレリア唯一の付き人として共に謁見の間に入ったロランの目に最初に飛び込んできたのは、王座まで続く黒く赤い海のような手織りのカーペットだった。


 (……血の色か?)


 まさかそんな筈は無い。

 そう思いながらも床一面の赤色に圧倒されたロランが次いで見たのは、赤の海の左右に向かい合って並び立つ人の群れであった。

 まずロランから見て左側には、文官が列を為している。


 国務局長、内務局長、外務局長、人事局長。

 軍務局長、治安局長、冒険者局長、勧誘局長。

 財務局長、出納局長、銀行局長、調整局長。

 法務局長、労働局長、宮内局長。

 経済局長、農耕局長、産業局長、建設局長。

 技術局長、医務局長、錬金術局長。

 教育局長、人道局長。


 局長は組織上、各々が数千から数万人の官吏を従えている。

 国家全土の政務を口先一つで動かし、各都市の支部長へ頭ごなしに命令を下せる身の上の彼らも、この場においては門前の小僧のように入り口付近で立ち並ぶ存在でしかない。

 彼らの先には、大臣や次官たちが並んでいる。


 国務尚書、国務次官。

 軍務尚書、軍務次官。

 財務尚書、財務次官。

 法務尚書、法務次官。

 経済尚書、経済次官。

 技術尚書は不在で、技術次官のみが並んでいる。

 教育尚書、教育次官。


 大臣らは、王国の7柱を1本ずつ託されている。

 そのわずか1柱が揺らぐだけでも、345万人の民が総じて大きな揺らぎを感じる。そんな彼らは、その身を以って王国自体を支えている。


 (……偉すぎて、逆に訳が分らないな)


 一方ロランの右側には、正装の軍服を纏った幾人もの騎士たちが並んでいた。

 それも単なる騎士ではない。

 最低でも祝福45以上の騎士団長たち。その先には眩い輝きを放つ階級章を付けた祝福50台の将軍たちが並び、さらに前へ進むと大祝福2台の大騎士団長たちが2人並んでいた。


 (…………こんなに居るのかよ)


 ロランが多いと思ったのは、大祝福2の冒険者の数だ。

 都市イルゼに到着した大祝福2台の冒険者は、ディアナ・アクスを含めれば8人だった。

 そして謁見の間に居る2人の大祝福2を足せば、王国は10人の大祝福2台を従えていることになる。

 だがロランが知っているクラウス・バスラー、ロータス・ボレル、フランセスク・エイヴァン、ロランド・ハクンディの4名は、都市イルゼでも謁見の間でも姿を見せていない。


 ベイル王国所属で大祝福2のロランは、ベイル王国軍の情報に関してはかなり詳しい。ドリー事件での従軍経験もあり、幾人かの大祝福2との面識も得ている。

 彼ら4人はディボー王国の魔族創生事件の際に証明者としてイルクナー宰相から依頼を受け、無敗のグウィード討伐の際にも力を貸した。以降宰相とは昵懇の間柄である。

 特にクラウス・バスラーが率いていた傭兵団『紅塵』は、団員全員がベイル王国へ誘われている。

「妻子全員を、王国の好きな都市に登録させる」などと言う条件が騎士に出されたのは、そもそも宰相が傭兵団『紅塵』を自国へ招き入れるために創った制度が元となっている。

 それによって紅塵の団員グラシス・バルリングのような大祝福2の冒険者を含めた大半の者がベイル王国の庇護下に入っている。


 (……そういえば宰相と、リシエ秘書官も大祝福2だっけ)


 侯爵家と軍人で10人。宰相直属が5人。宰相と宰相秘書官の2人。合わせて17人。

 それはベイル王国が、大祝福2台だけで3個パーティを編成できると言う事だ。


 (ベイル王国軍は、獣人の3個軍団に匹敵するのか)


 文官と武官の織りなす列は、現在の王国の実力を端的に示していた。

 そんな彼らの間を通り、王座へと歩んでいくと今度は爵位貴族家の者たちが列を成していた。

 爵位貴族。

 都市で最大の権勢を誇る彼らが、整列して直立している。

 ディアナ・アクスのような爵位継承前の者は後ろ側で、当主たちが最前列だ。

 有名人のバハモンテ男爵もいる。金狼が攻めてきたときに戦死した緑玉騎士団副団長の姉で、彼女も大祝福2の冒険者。

 謁見の間の壁際には、元緑玉騎士団で現在は近衛騎士団に鞍替えしたベックマン中将揮下の騎士たちが、この場では唯一帯剣して影のように控えている。


 (……ベックマン『中将』って事は、大祝福2は他にも居るって事か?)


 そういえば、エルヴェ要塞のネッツェル司令も中将である。どうやらベイル王国の軍事力は、ロランの想像よりもかなり上を行っているらしい。

 そして彼ら全員を「皇女は長旅で疲れているでしょうから、謁見は明日にします」との意向を示すだけで思いのままに動かせるが女王だ。


 果たしてベイル王国民ではないヴァレリアに、この事態が理解できるのか。ロランは分不相応にもヴァレリアを心配した。


 ヴァレリアとロランが赤の海の先に辿り着くと、やがて音楽隊が女王入場の知らせを奏で始めた。


 (…………どうしてイルクナー宰相がこの場に居ないんだ。それにリシエ秘書官も)


 そう思いつつも暫し頭を垂れ、宮内局から教わった時間を数えてから頭を上げると、謁見の間の最奥で女王が静かに座していた。



「わたくしが、当代のベイルです。遠路遙々御苦労でした」



 女王から声をかけられるまで話してはならない。ロランが宮内局の人間から教わった作法はここまでだ。

 本来山のようにあった礼儀作法の大半は、この場に姿を見せていないイルクナー宰相が礼儀作法に則って合法的に廃止したらしい。

 女王アンジェリカに声をかけられたヴァレリアは言葉を返した。


「インサフ帝国第四皇女、ヴァレリア・インサフです。この度は先触れを立てずの急な来訪、国境を騒がせた事をお詫び致します」

「その件は、先に皇女と面談したアクス侯爵より、仔細を耳にしております…………」


 ヴァレリアの謝罪に、女王が言葉を区切った。

 その一事だけで謁見の間に緊張が走る。

 女王が許すと言えば、ベイル王国が許したことになる。それはマイアスの犠牲を、女王が甘受しろと命じる事と同義である。

 だが女王が許さないと言えば、ベイル王国が許さない事になる。

 都市マイアスが陥落して数百の死者と数千の負傷者が出た。敵地に取り残された人と難民を合わせれば数万になる。


 この瞬間、ロラン自身も緊張と共に身体を固くした。

 許さないと言われれば、ロランは全力でヴァレリアを庇うつもりだ。

 自身の弁が立たない自覚はあるが、ディアナからも見殺しは冒険者としての所業ではないと心強い言葉を貰っている。それに女王の夫である宰相も、リシエ秘書官を庇っている。

 仮に弁が立たなくても、大祝福2の力で立ち塞がるつもりだった。

 だが女王は、その件に関しての言及は避けて新たな情報を示した。


「都市マイアスは、一週間前の11月3日にアクス侯爵が奪還しています。新たな守りには元々の騎士団と増援を合わせた5個騎士団を、また残る2つの国境都市にも4個騎士団ずつを駐留させます」


 ロランは女王が言及を避け、加えてマイアス奪還が成った事に安堵した。家を失った人たちはすぐに取り返せたのだ。素早い奪還であるから、多くの人たちはすぐに被害を回復できるだろう。

 だがヴァレリアは、女王の言葉に懸念を持った。


「誠に僭越ですが、それではエルヴェ要塞の守りは……」


 女王は笑みを浮かべただけで答えなかった。

 獣人帝国の支配域に隣接したエルヴェ要塞の守りを減じたのか、あるいはベイル王国がさらに多数の戦力を有しているのか。謁見の間の最奥に座す女王の表情からは、そのいずれかを推察する事は出来ない。

 だが女王はエルヴェ要塞を認識している。ならばそれ以上の口出しはすべきではない。


 なぜならここは『ベイル王』国であり、『ベイル王』とは目の前の女性の事だ。

 現在この国は、彼女の物である。

 彼女1人を除く344万9999人の民は、アルテナと誓約した女王が個人所有する数多の宝珠都市のいずれか一つに住まわせてもらっているに過ぎない。

 であれば「あなたが持っている宝珠都市の一つ、エルヴェが心配です」と言うのは、他人が自分の小銭入れの中身を心配してくれるのと同じくらいに余計なお世話である。

 ヴァレリアはそれ以上の言及を控えた。


「ところでヴァレリア皇女。わたくしに、この度の来訪の目的を聞かせて下さい」

「はい。私は現在、人口625万人を擁したインサフ帝国の第一継承権者です。ですがその帝国は国土の悉くを獣人に奪われ、民は苦境に喘いでおります。これを救うは皇族の務め。ですがリーランド帝国ではそれが叶いません。故に、ベイル王国への政治亡命をお認め頂きたいのが一先ず一点」


「リーランド帝国では、何故それが叶わなかったのですか?」

「リーランド帝国の傘下に入ってインサフ帝国の全権利を譲渡するように。との内示が、リーランド帝国騎士立会いの下、リーランド伯爵位を得た兄の使いからありました。帝国が傘下に加えたクーラン王国のような属国をどう扱うかは、マイアス侵攻の一件を見ても明白。故に、兄に直接聞くとの名目で都市間を移動し、隙を見て脱出を図った次第です」


 その件に関しては、メルネスからの報告を受けていた女王は既に知っている。

 そんな既知の事実を謁見の間で敢えて問うたのは、居並ぶ者たちの前で証言させる事に意味があったからだ。

 アンジェリカも、ハインツと出会わずにヴァレリアと同じ状況に陥っていたならば、彼女と同じ選択をしていたかもしれない。

 今なら選ばない選択肢である。だが皇女の行動原理自体は、女王にとっては決して理解できないことではなかった。


「良いでしょう、皇女ヴァレリアの政治亡命を受け入れます。今後いかなる存在が皇女の身柄を要求しようとも、ベイル女王であるわたくしが許しません。また、わたくしの国で皇女の生活に支障が生じぬよう、子細を国務尚書に命じます」

「勅命、謹んで拝命致します」

「私の政治亡命を受け入れて頂き、ベイル女王に感謝します」


 ロラン・エグバードの依頼は、この瞬間を以って完了した。

 『ベイル』である女王が受け入れると言った以上、他の349万9999人がどのような言葉を重ねてもベイルの決定が覆ることは無い。ヴァレリアの亡命は成功したのだ。

 だがそれは、リーランド帝国との全面戦争を意味していた。



「では、ベイルの客人であるヴァレリア皇女に次の目的を問いましょう」


 300万の民の命を戦乱の中で守り続けてきた女王の下問は、穏やかな口調でありながら一切の欺瞞を許さぬ迫力があった。

 実際に背負ってきた女王と、背負わなければならないという使命感を持った皇女。その歴然たる差に飲まれかけたヴァレリアであったが、すぐに思い直して言葉を返した。


「625万の民が憐れです。『人として生きる事』が『人生』であるならば、獣人の支配下に置かれて『人生を歩めぬ彼ら』は、もはや人としては生きていないのでしょう。一人でも、二人でも助けたいのです。ベイル王国には、インサフを救うための助力を頂きたいのです」


 もし「現世における人道の体現者とは誰であるのか」と問えば、大抵の人は女王アンジェリカの名を挙げるだろう。

 そんな過去の実績において比類ない女王が持つ答えは分かり切っていると思ったヴァレリアであったが、女王の口から出たのは想像とあまりにも異なる言葉であった。


「人同士が支え合っている姿を『人』と呼ぶそうです。わたくしがベイルの地に辿り着いた難民達に手を差し伸べ、立ち直った彼らがわたくしを支えてくれるのは人の支え合い。わたくしの手が届かぬインサフの地でも、人同士が支え合って生きていれば、それは人生です」

「ご助力は…………頂けませんか?」

「わたくしが1歳の折、父がインサフの地で獣人帝国と戦い果てました。次に奪われるのは、夫の命でしょうか」

「……それは」

「わたくしが行けと命じる騎士の家族たちも、わたくしと同じ思いをするでしょう。それもベイルの為ではなく、滅びた国の皇女の憐れみによって」


 女王は、すべての民を背負って立っている。

 そこへ「支え合う」ならまだしも、「一方的に支えろ」と言う国外の者が現れた。

 差し伸べた手を引き込まれて倒れてしまえば、背負っている者たちが地面へ投げ出されてしまう。

 宰相がベイルへ来る前には、王国は実際に倒れかけていた。


「今より6年前、獣人たちはこの王都ベレオンにまで達しました。撃退後の追撃戦に加わったわたくしが目にしたのは、獣人たちの侵攻路で腐臭を放つ数万の民の死体と、それに集る無数のハエでした。わたくしの甘さが、民を殺したのです」


 獣人たちは、まさかと思っていた北から来た。リーランド帝国の都市を攻め落とし、そのまま一気に駆け抜けてきたのだ。

 リーランドの都市が落ちた段階で、北へいくつかの部隊を回した王位継承前のアンジェリカ次期女王であったが、臣下の反対もあり当時最強の緑玉騎士団は送れなかった。

 そもそも王国の戦力が尽きかけていた点、最前線は東側のエルヴェ要塞であった点、初夏にはエルヴェ要塞を抜けた獣人たちが都市フロイデンなどを襲った点など、臣下が挙げた理由はいずれも正論だ。

 だが、決定を下したのはアンジェリカ次期女王である。


「わたくしには、同じ過ちを繰り返すことは、許されません」


 一言ごとに区切った女王の明確な意思が、ヴァレリアの思惑を打ち砕いた。

 国を背負う本当の責務を知らないヴァレリアは、それ以上の説得の言葉を紡げなかった。






 差し当たってヴァレリアの身分は、女王の客人と言うことで落ち着いた。


 個人でインサフ帝国を救うべく活動する事は認められる。

 ベイル王国全土の往来は自由。自らの意志で国外へ行くことも阻害されない。

 女王の個人資産から、皇女への活動資金が供される。元インサフ帝国民に声をかける事も、傭兵を雇う事も自由に認められる。

 だが、ヴァレリアの要請に基づく旧インサフ帝国への王国軍派兵は認められなかった。

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