第07話 ヴァフスルーズニル★
「失敗したか」
遺憾の意を示した男は、玉座へと深く座り直した。
アレクシス・リーランド。今や数千万人が知っているその名が、彼がこの世で最初に得た物である。
以来アレクシスは、この世界の様々な物を手に入れて来た。
美姫、軍勢、帝位、財宝、属国…………。
アレクシスが自らの手を汚さずとも、多くの者が先を争うかのように彼の意を叶えてくれた。
その最たる成功例は、転姿停止の指輪であろう。
外見こそ40台前半に見えるアレクシスだが、19年前のトラファルガ会戦以降は年齢が停止している。
この意味するところは、極めて大きい。
リーランド帝国皇帝位との相乗効果は果てしなく、機会の到来ごとに周辺を制して行けば、やがて全ての国がリーランド帝国に下ることだろう。
(成功する事もあれば、失敗する事もある)
かつて、配下の失敗は絶対に許せなかった。回り道をすれば、それだけ得られるものが少なくなる。
アレクシスが欲するものを、手配に失敗した者が購うなど不可能だ。手配できるならば最初から失敗などしない。
ならば失敗した者を罰し、せめて一罰百戒として他者への見せしめにするのが常であった。
だが、今はそうでもない。
目的を果たす為の時間に関しては、急ぐ必要が無くなったのだ。
「失敗は、挽回すれば良い。ヴァレリア・インサフを捕らえるか殺せ。いや、もう殺した方が良いな。子供など生ませる前に、確実に殺せ」
「御意」
皇帝の命令に、バッセル宰相は一礼を返した。
Ep08-07
大祝福2の冒険者によってリーランド帝国の行為が非難された所ではあるが、始末の理由などいくらでもこじつける事が出来る。
それが道理に適っている必要は無い。力ある者の主張が通るのは、有史以前からの世界の掟というものだ。
「しかし、ベイル王国とは厄介な事になりましたな」
「アントワーヌ伯爵、厄介とはどういう事ですかな?」
「言葉の通りですよ、宰相殿。属国のいずれかならば、引き渡せと言えば済んだ。争っていた北部連合に逃げ込めば、陰謀を主張できた。だがベイルに逃げ込まれては、そう容易くはいかないでしょう」
「成程」
バッセル宰相は、アントワーヌ伯爵の説明に頷いた。
いかにリーランド帝国が強大であるとはいえ、万事に手が届く訳ではない。
リーランド帝国が意のままに出来ない集団を挙げれば3つあり、第一に獣人帝国、次いで北部連合、最後にベイル・ディボー同盟の順となる。
「何度か圧力をかけましたが、要求の大半は拒絶されておりますからな。まあ我が国が北部連合との争いで圧力をかけ切らなかったという事情もありますが」
「軍事物資の輸出を行っていたからこそ大目に見ていたが、その合間にディボー王国との同盟を結ばれた。疲弊していた経済力もかなり回復したらしい。確かに厄介だな」
昨今のベイル王国は、リーランド帝国が軽く命じても言う事を聞く国ではない。
その理由は明白で、女王の王配として実権を握っているイルクナー宰相が言う事を聞かないからだ。
「相手が男ならば女を使って籠絡するのも一手ですが、イルクナー宰相は4人と結婚済みですからな」
「4人と結婚するとは、男としてあるまじき行為だな」
バッセル宰相が非難したのは、4人に手を出した件に関してでは無い。
むしろ「4人と結婚した後に好みの女と出会ったら一体どうするのか」と言う、真逆の非難である。
貴族ならばハゲないように3人までとの結婚に留め置いて、以降は結婚せずにゲヘヘヘといやらしい顔で若い娘に迫るのが常識なのだ。それをしないなど、断じて若い貴族の所業では無い。
メリットと言えば、他の貴族から婚姻関係を結ぶ事を迫られずに済む点だろうか。彼が4人と結婚して居なければ、リーランド帝国もそれなりに動いただろう。
あるいは不義を行っていないと言う証明に使える点だろうか。
いかに冤罪をでっち上げようとも、ハゲていない時点で無罪が証明できる。「アルテナの法則を疑うのか?」と言われては、加護を失う事を恐れて誰も有罪に出来ない。
女王と結婚したのなら、確かに有効な手ではある。
「金で籠絡しようにも、相手は女王の王配ですからな」
「財政も立て直ったが故、効かぬだろうな」
金に困った地方伯くらいまでなら、金で籠絡するのも手である。
投資に見合う効果が得られるのであれば、それを惜しむ理由は無い。欲しいものを得るために使ってこその金である。それに金払いが良いと示せば、以降も金を求める者たちが率先して働くだろう。
だが王族ともなれば、もはや金では籠絡出来ない。
国庫へ税が入ってくる以上、国費で活動できる王族が金に困る事は無いからだ。
収入と支出のバランスを考えない馬鹿が実権を握らない限り、国家財政が破たんするはずも無い。
今のベイル王国は馬鹿では無いらしく、すなわちイルクナー宰相が実権を握っている間は彼を金で籠絡する事が出来ない事を意味している。かと言って実権を失えば、籠絡する意味も無い。
「女でも金でも駄目ならば脅すしかありませんが、金狼のガスパールや無敗のグウィードを戦場で殺すような男に果たして効果があるのか」
「ならば、周囲の者に圧力を掛ける手はどうだ」
「周囲の者と言うと、メルネス・アクス侯爵とアドルフォ・ハーヴェ侯爵の二人です。人類の大英雄を脅して民心を失うか、ハーヴェ商会を脅して経済的に打撃を受けるか」
「家族は……」
「女王と王女、そして先頃誕生した王子です。獣人帝国や北部連合と争う中で、ベイル王族を殺してベイル・ディボー同盟との全面戦争へ発展させる事も出来ますまい」
「他にも妻が居るだろう」
「第一夫人と第二夫人は、四年間完全に行方知れず。第四夫人は宰相の秘書官で、人類最高峰の祝福80の魔導師特殊系」
「…………分かった。イルクナー宰相の近辺に圧力をかけるのは止めよう」
バッセル宰相は絡め手を放棄した。
ベイル王族に手を出せば、損得を無視した感情論での全面戦争となる。
未だ北部連合との停戦協定が成立しておらず、そこにベイル・ディボー同盟が感情論で加われば、北部連合との交渉も不調に終わって事態の収拾が極めて困難となる事は目に見えている。
第一夫人と第二夫人は、まず探す所から始めなければならない。
だが若い女が4年も行方知れずでは、もはや容姿で探すのは不可能だ。両名は冒険者との事だが、宰相夫人ともなれば偽名の冒険者登録証くらい持っているだろう。二人は既に政治闘争からの安全圏にいると考えるべきである。
第四夫人は、失敗して依頼者が発覚する可能性が高い。
ジュデオン王国に獣人を誘導したリファール空軍も、魔導師特殊系によって口を割らされた。魔導師特殊系の大祝福2以上が相手ではリスクが高過ぎるのだ。しかも相手は、人類最高峰の祝福80。
イルクナー宰相には、在り来たりな手段を用いる隙が無い。
「ならば正攻法で行くしかないか」
「中途半端な事も出来ませんな。我らはリーランド帝国です」
「分かっておる。シーグル、ローギア、リンドホルムの3将は動かせないとして、マティアス、ジャレッドの騎士連隊ならば差し支えあるまい。それにクーラン、ブルーナ両国からも2個騎士団ずつを出させれば、合計で12個騎士団にはなるであろう」
列席した諸侯から、感嘆の声が上がった。
基幹となる2個騎士連隊の8個騎士団は、ベイル王国がアリシア王女誕生の際に国家の威信をかけて王都で見せつけたベイル王国の騎士団に並ぶ規模だ。
それにクーラン、ブルーナ両軍の4個騎士団を合わせれば、数の上で1.5倍にもなる。
「さらに諸侯の軍や兵士、冒険者らを加える。北部連合と停戦交渉中であるから戦力はいくらでも回せる。リファール空軍も……そしてブランケンハイム大治癒師もだ」
「諸侯軍に、飛行隊に、不死騎士団まで!」
「それならば、ベイル王国がアクス侯爵を出そうとも覆すなど不可能でしょう」
彼らの同調に、バッセル宰相は気を良くした。そもそもこれは戦争ではなく、武力による二等国家への威圧である。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「嫌ですわ」
男性の依頼に対し、女性が甲高い声で感情のままに拒絶の意思を示した。
これが市井の話であれば、耳にしたものは単なる笑い話として聞き流しただろう。あるいは野次馬根性で聞き耳を立てたかもしれない。
だが断られたのは、リーランド帝国で宰相に叙せられているバッセル卿である。もしこの場に野次馬がいれば、断った女の末路を想像してさぞや顔を青くさせたことであろう。
「ですが……」
「バッセル宰相、わたくしは否と告げたのです」
帝国宰相にそう告げた者の名は、ブリジット・リーランドと言う。
皇帝アレクシスの実妹にして、粛清後に生き残った唯一の身内である。
粛清後に皇女セリーヌが誕生しているので皇族自体は増えたが、粛清を逃れられたという一点において皇妹ブリジットは他の皇族と存在を異にしている。
皇妹ブリジットのリーランド皇族としての身分は、皇帝アレクシスによって公認されている。
ブリジットが気を使うのは世界で二人、兄である皇帝アレクシスと、皇帝の娘にしてブリジットの姪である皇女セリーヌのみである。
兄に従うのは両親を同じくしているため血統上は対等であり、しかもブリジットより先に生まれたからだ。
姪のセリーヌを疎かにしないのは、兄の血を引き、帝位継承権一位の皇族だからである。
皇妹ブリジットは、皇妃エミリアンヌが相手ですら決して頭を下げない。皇妃の出自は所詮一貴族家である。
そんな彼女の我儘が許されているのは、長兄ではなかったアレクシスに幼少の頃からずっと取り入って来たからだ……と、されている。
彼女がより帝位継承権の高かった長兄の事故死に関わったのは事実だが、それは偶然として決着が付いている。
だが一時忘却の彼方へと消え去った事実は、唯一粛清を逃れられたという新たな事実と連れ立ってリーランド臣民の前へと再来した。
だから臣下は総じて、皇妹ブリジットに対して極めて気を遣う。宰相のバッセルですら、自身の名ではブリジットに意を押し通せない。
「恐れながら、これはブリジット様の兄君であらせられる陛下の御意にございます」
「…………」
無言、微笑、目は猛禽類。
そんな女の顔を見たバッセル宰相は、表情を引き攣らせながら慌てて説明を始めた。
「正式な進軍となりますと、宣戦布告をする必要があります。しかし、北部連合との停戦交渉中に陛下の御名にて新たな戦争を始めては、帝国にも色々と不都合が出てまいります」
しかし複数の騎士連隊を動かすにも、属国に指示を出すにも、諸侯の軍をまとめるにも、旗印というものが必要である。
だからこそリーランド帝国の皇族であるブリジットの名前を使ってベイル王国へ攻撃を仕掛けようというわけである。
「ブリジット様が『リーランド騎士殺害の暴挙に懲罰を加える』との名目で私的に仕掛け、ベイル王国が頭を下げてヴァレリア皇女を引き渡したところで陛下がお諫めして終戦。と言うのが今回のシナリオでございます」
皇女セリーヌが候補に出てこないのは、彼女がまだ11歳の子供だからである。今回の適任者は、つまるところ皇妹ブリジットしかいないのだ。
理で悟っても納得しかねる。しかし兄の決定とあれば従わない選択肢はない。
そんなブリジットの感情の推移を、バッセルは黙して見守った。
「わたくし、馬車で揺れるのは嫌ですわ」
「……少しでもご負担を減らすため、侵攻都市はマイアスではなくアーリラを計画しております」
「アーリラ?」
「はい」
★地図(ベイル&リーランド国境各都市)
なぜ奪った都市マイアスではなく都市アーリラなのか。
それはブリジットへの配慮以外にも3つの理由がある。
そもそもリーランド帝国からベイル王国へ進攻できる都市は3つあり、帝都ログスレイからの距離はそれぞれ違う。
デスデリー王国を経由した都市アーリラへは6都市、ブルーナ王国を経由した都市イグクスまでは7都市、クーラン王国を経由した都市マイアスまでは10都市である。
第一に、軍事的な理由。
アクス侯爵が駆け付けた都市イルゼから都市アーリラまでは8都市と最も離れており、アーリラを攻めればイルゼの部隊が間に合わず圧倒的に有利だ。
さらに帝都ログスレイからも獣人帝国との睨み合いの戦場からも近く、後方都市よりも大規模な戦力を動員できる。本来動けないはずのデスデリー王国からも2個騎士団を動かせる。
第二に、政治的な理由。
都市マイアスよりもベイル王国の王都に近い都市アーリラを脅かす方が効果的だ。
ベイル王国内に入ったヴァレリア皇女を追いかけて捕まえる事はもはや不可能で、引き渡しを求めるにはベイル王国自体を脅かすしかない。
ならば、より効果的な場所を脅かすべきである。
第三に、それ以外の理由。
公言は控えざるを得ないが、リーランド帝国の奥の手であるマルセル・ブランケンハイム大治癒師を動かすためでもある。
その為には、帝都に近い方が良い。
「大治癒師殿、今回の護衛は小官以下24名で務めさせて頂きます」
「そうか、頼むぞ」
「はっ」
護衛官を体現するに最も相応しい言葉は、忠実な狩猟犬であろうか。
飼い主はもちろんリーランド皇帝であるが、彼の場合は狩りの対象がマルセルになる。
大げさな事だ……等とは思わない。たかだか治癒師1人の周囲を、大祝福2台の冒険者1パーティ6名と、探索者3パーティ18名の忠犬で固めようとも。
なぜならマルセルが蘇生した大祝福2の冒険者数は、それを上回っているからだ。大祝福1の数など、もはや比較にもならない。
金の卵を産む鶏のカゴに銀貨を何枚支払おうとも、まったく惜しくないのと同義である。
「あまり面倒は掛けるなよ」
「…………」
犬は人語を解さない。挨拶にワンと吠えるだけだ。
「俺がリーランド帝国に従っているのは、獣人帝国との戦争で人類を勝たせるためだ。いかに貪欲であろうと、リーランドが人類を勝たせさえすれば良い。そのために蘇生をしている。だから、余計な事であまり面倒をかけるな。覚えておけ」
「…………」
犬は人語を解さない。そもそも解する者は、最初から大治癒師の護衛になれない。
こうして不承不承の皇妹と大治癒師の2人を加えたリーランド帝国軍は、当初予定していたよりもさらに大規模な戦力でベイル王国への侵攻準備を整えていった。
























