第05話 ホズのヤドリギ
「都市防壁から内部へ強行突入しろ」
「揮下騎士団、都市防壁上に敵を侵入させるな。国境警備隊は各隊長の判断で戦闘しろ。治安騎士も応戦だ。兵士も弓を射ろ」
リーランド帝国軍のアルバート騎士団長が率いてきた混成軍のすべてに突入命令を、そしてベイル王国軍のシュナール騎士団長が徹底抗戦を命じた。
戦力に勝るリーランド・クーラン王国軍と従軍の冒険者達は、第一宝珠都市マイアスの小さな防壁を軽々と突破できる能力を有している。
国境軍と言えば、本来は精鋭部隊だ。
クーラン王国にて緊急徴用された従軍冒険者達の大半はこの作戦行動に疑問を感じたが、雇用時に自身の名前を知られている以上、まさか雇用主のリーランド帝国に逆らうわけにもいかない。
一方ベイル王国側も、リーランドによる不当な攻撃を甘受する気は無かった。
ロラン・エグバードとアルバート騎士団長との言い合いから高い精度の情報を得た国境警備隊は、直ちに都市アクスへ向けて大型伝令鳥を飛翔させた。
リーランド帝国がインサフの権利を欲しいなど知った事ではないが、そのためにベイル王国の一般人を殺すなど断じて許容できない。挙句の果てに都市侵攻とは、暴挙の極みである。
(この戦いは何だ!?)
ベイル王国軍のシュナール騎士団長は、怒涛の如く押し寄せてくるリーランド・クーラン両軍を目にしながら自問した。
両軍にとっての勝利条件とは一体何であるのか。
(リーランド帝国軍の目的は、皇女ヴァレリアの確保または殺害だ。そして俺たちマイアス駐留軍の目的は、都市マイアスと民の防衛だ)
シュナール騎士団長は『ヴァレリア皇女を引き渡せば、両軍の戦術目標が同時に達成できる』という事を悟った。
お互いの利害が食い違わないが故に、両軍が共に勝つことができる。これは本来、避けられる戦いなのだ。
(…………リーランド帝国軍に、ヴァレリア皇女を殺させるか?)
防衛網の一角に意図的な穴を空け、ヴァレリア皇女だけを狙わせて都市への被害を最小にする。
ベイル王国の駐留騎士団長であるシュナールには可能かもしれない。
「……ロラン・エグバード、俺たちは都市を守るので手一杯だ。お前は死んでもヴァレリア皇女を守れ」
「分かった!」
「よし、駐留騎士団長より各隊長へ。皇女の守りは、皇女を連れてきた大祝福2のロラン・エグバードが主体となる。各隊は都市防壁の防衛を優先せよ」
Ep08-05
獣人に支配されている国の実権を持たない皇族の要求と言えば「民を解放するために力を貸してください」という言葉が真っ先に思いつく。
だがそれは、ベイル王国騎士に対して「ベイル王国以外のために死んでください」と言うのと同義だ。
それはベイル王国にとって明らかに厄介事である。
これまでベイル王国は、インサフ帝国に対して軍事的にも経済的にも多大な支援を行ってきた。
軍事的にはフェルナン皇太子やメルネス・アクス最高司令を筆頭に、ベイル王国の十数個騎士団がインサフの戦場で散っている。
経済的には、ベイル王国が長い年月をかけて蓄えて来た財を出せるだけ放出した。それでも足りずにディボー王国から借金をし、インサフ帝国が滅んだ後も逃げて来た数十万の難民に多大な支援を続けた。
人材の喪失は著しく、経済的にも大きく疲弊し、難民によって治安は劇的に悪化し、民心は大いに下がり、汚職が蔓延り、それらが連動して悪循環していくという状態に至った。
ベイル王国は、軍事的にも経済的にも滅亡寸前にまで陥っていたのだ。
それをイルクナー宰相が、数年がかりでようやく立て直してくれたところである。
(ベイルが立て直ったところで再び集ろうとするなど、あまりに虫が良すぎる)
もう一度あの苦労をしろなどとベイル王国民の前で言う奴がいれば、民がそいつを殴る前に騎士団長のシュナールが率先して殴り飛ばしてやるだろう。即座に殺さないのは、民が殴る分を残しておくためだ。
獣人帝国の将来の進攻を阻止するためにインサフ帝国で戦った時ならば、まだ理解もできる。
だが獣人に占領されたインサフ帝国を解放するために、ベイル王国が犠牲を求められる所以は一体何か。
(……所以無し)
ベイル騎士はベイル王国のために在るべきで、ベイル王国民から徴収された税は、ベイル王国のために使うべきである。
他人に文句を言う者は自分で行けば良く、行けないが文句を言いたい奴は代わりに実現可能な金を出せば良い。
シュナールが女王に忠誠を誓うのは、女王がその身を以てイルクナー宰相を王国へ取り込み、王族としての責務を見事に果たしたからだ。他の誰がこの国を見捨てても、女王だけは最後まで国と民を見捨てなかった。
(あの方こそ、真の女王陛下で在らせられる)
シュナールの雇用主はアンジェリカ・ベイル女王で、他の誰がどのように在ろうともシュナールの女王に対する忠誠は揺るぎない。
(女王陛下が成された事に比べれば、俺がここで泥を被るなど何ほどの事もない。死んで良いぞ、ヴァレリア皇女。この責は俺が負う)
ヴァレリア皇女の来訪と死傷者の因果関係は明白である。
確信を以って戦局全体を見渡したシュナールの目に、派手に暴れまわるロラン・エグバードの活躍が際立って見えた。
「おりゃああっ!」
都市防壁に上ろうとした敵騎士を、ロランが必死に剣で薙ぎ払って叩き落としている。
都市防壁は、第一に魔物除けとして建てられている。
宝珠格が高いほど魔物を払う力も強くなるので、防壁の必要性という観点から鑑みれば、より宝珠格が低い都市にこそ堅牢な防壁を築くべきであろう。
しかしこれは理想論であって、現実は厳しい。
宝珠格が低い都市は、国家単位の視点からは優先順位が低い。
第一宝珠都市は加護範囲が狭くて輸出産業が育たない上に、いつ宝珠の力を使い切って消えるのかも不明だ。そんな都市に他の都市から資源を投じるなど、投資と回収、あるいは費用対効果の観点からは浪費でしかない。
よって程々の防壁によって一定数の魔物を弾き、なお侵入してきた魔物に対しては祝福を得た者が対処する。というスタンスが採られている。
そんな都市防壁だが、実は「都市民権を持たない者が、不法侵入してくるのを防ぐ」という目的も兼ねている。
祝福を得た冒険者であれば、将来は従神となって既存の宝珠都市に力を委ねるなり、主神となって新たな宝珠都市を創り出す可能性がある。故に彼らを防ぐことは最初から想定外だ。
だが一般人にそのようなメリットはない。
加えて許可を得ずに入ってくる者と言えば違法労働者、難民、犯罪者など都市にとってはデメリットが大きい連中である。
よって都市防壁は、祝福を得ていない者の身体能力では絶対に乗り越えられない程度の高さと強固さを保っている。
これは民間人を阻害するだけではなく、敵国の兵士の侵入も阻止してくれる。
相手に数と質で劣るマイアス駐留軍であったが、地の利に関しては有利に働いた。
そして、ターゲットとされるヴァレリア皇女の前に大祝福2のロランが立ちふさがっている事も大きい。大祝福1の冒険者が下から飛び上がって防壁に乗っても、そこに居るロランにモグラ叩きのように叩き落とされてしまうのだ。
立ち塞がり続けられるだけの防御力や回避力も、上がってきた敵に対応する瞬発力も、一撃で叩き落とせる攻撃力も、ロランは全てを兼ね備えている。
「作戦変更。クーラン王国騎士団はターゲット1及び2との直接戦闘を避け、戦力の集中によってまず防壁上の一点を確保する。その後、左右に押し広げて確保エリアを広げていく」
クーラン王国のオリバス騎士団長が、リーランド帝国のアルバート騎士団長から受けた指示に反した行動を取り始めた。
それを耳にしたアルバートは、立場上では下位のオリバスに一瞥をくれた。だが、次いでロランに視線を移して作戦を肯定した。
「魔導師隊、クーラン王国軍を支援。リーランド軍は、クーラン騎士団がエリアを広げるのを手伝え。冒険者は騎士同士の戦闘の合間に、ベイルの兵器と弓兵を優先して潰せ」
どの国でも祝福45を超える冒険者でなければ、騎士団長には成れない。
祝福45が基準なのはどの職でもかなり強力なスキルを得られるからだが、同時に相当の戦闘経験を有していなければ辿り着けないからでもある。
アルバートもオリバスも「部下が実行可能」かつ「有意な効果が得られる」作戦であれば、それを躊躇わない程度の判断力は有している。
そもそも軍事目標を達成するために最適の指示をするのが、作戦指揮官の役目である。
「行けっ!」
「撃て!」
クーラン騎士団が守りの薄い防壁上へ駆け出すと同時に、リーランド軍から支援砲撃が撃ち込まれ始めた。
炎などではエリアを奪った後に味方へ被害を出すので、魔法は雷系が多い。雷は防壁上のベイル騎士や兵士たちの全身を火傷させ、神経をマヒさせ、次いで防壁から落としていった。
ベイル王国側のシュナール騎士団長も敵の戦力投入に合わせた戦力移動を指示したが、第一宝珠都市の幅の狭い防壁上では展開できる戦力も限られている。一ヵ所に大戦力を投入されては、とても持ち堪えられない。
(突破された後、ロランたちが防壁の下へ降りれば市街戦か)
シュナールは苦渋の決断をした。
「ハルトナー信号弾で、赤色信号弾を一斉に打ち上げろ。軍が持ち堪えている間に、全都市民を避難させろ。遠距離戦用の武器を持たない兵士は、民の避難誘導を行え。都市マイアスを…………放棄するっ」
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都市マイアスを防衛するための駐留騎士団だが、すべてを守りきれないのならば優先順位を付けるしかない。
そもそも「都市の防衛」とは、都市にある神宝珠の防衛の事である。
人口5万人のすべてが死ぬ事よりも、将来に渡って5万人に加護を与え続けられる神宝珠を失う被害の方が重い。神宝珠が無ければ、瘴気に満ちた世界で5万人が残っても生きていけないからだ。
だからもしも魔族が攻めてきたら、騎士は全滅と引き換えにしてでも神宝珠を守り切らなければならない。三百余年前の人妖戦争でも、人類は撤退不可能な戦いを強いられた。
だが、人類同士の戦争では神宝珠を破壊される事はない。
ならば、次に優先されるのは民の命だ。
都市マイアスを失っても、ベイル王国の宝珠格は大きいので民は他の都市へ逃げ延びることができる。
「騎士団は戦闘を継続。遠距離武器を持った兵士も、騎士の支援を継続。治安騎士隊、撤退戦では民の避難誘導と護衛にあたれ。撤退先は第二宝珠都市イルゼ。赤色信号弾を継続射出、すべての民に事態を分らせろ。この都市の死守は不可能だ」
両軍の戦力差は最初から倍で、皇女の追撃隊は国境軍以上の精鋭揃いだ。
状況の打開には増援が不可欠だが、ベイル王国は先ほど第二宝珠都市イルゼへ援軍を求めに行ったばかりで往復に1日は必要だ。さらに国境ではない第二宝珠都市イルゼには、それほど多数の戦力は配備されていない。
だが敵は、現時点ですでに第二宝珠都市オアイからの増援が続々と到着して戦列に加わってくる。
「状況は加速度的に悪化しており、味方の救援は間に合わない」というのがシュナールの判断だ。
戦況がこのまま推移していけば、ベイル側は戦力を失って撤退誘導すらもできなくなるだろう。
攻め込んできたリーランド・クーラン両軍に倫理は期待できない。
ベイル王国軍の規律は高いが、リーランドやクーランあるいはそれらに雇われている冒険者にまで同水準を期待するのは不可能だ。彼らと盗賊との行動の差異は、国が認めるか否かでしかない。
ならば一般人を無法者の暴れまわる戦場から逃がし、戦線を後退させて敵の増援到着を遅らせ、逆に味方の増援を速めなければならない。
どの道リーランド帝国軍は、ヴァレリア皇女を確保するか殺さない限り撤退しないだろう。
シュナールが目論んだリーランド帝国側によるヴァレリア皇女殺害は、思った以上に困難だった。
『サンダースコール』
皇女の杖から閃光が迸り、轟音と共に雷が幾重にも分かれてクーラン王国騎士団の何人かを薙ぎ払う。
その魔法の威力は大祝福1から隔絶しており、戦闘中の動きを見ても皇女が大祝福2台であることは明らかだった。
(ロランと皇女の二人とも大祝福2となると、二人をベイル王国軍と切り離さない限り、リーランド帝国と言えども皇女を殺せないだろう)
ベイル王国騎士は、それほど弱くない。
国境に配備している騎士は、ベイル王国が強くないと見せかけるために配備している従来の祝福数の騎士たちだ。
しかし武具はすべて新式で、対刃布の衣服も着込んでおり、輝石も装備可能な最大数を持っている。1対1ならばリーランドやクーランの騎士に負けたりはしない。
ベイル王国軍の戦術目標達成は不可能だが、リーランド帝国軍も目標達成が不可能のようだった。
「もう一羽の大型伝令鳥をアクスへ飛ばせ。『10月27日、マイアス駐留騎士団は都市マイアスを放棄し、都市民と共に都市イルゼへ撤退する。敵はリーランド1個騎士団、リーランド特務騎士約40、クーラン1個騎士団、クーラン国境軍半個騎士団。冒険者130、その他数十、さらに多数の増援あり。駐留騎士団長アベル・シュナール』以上だ」
「どうして撤退なんて!?」
決断の速いシュナールの言葉にロランが驚きの声を上げた。
無論ロランも目の前の光景は理解している。このままでは都市民に多数の死者が出る。だがそれを頭で理解したくないとの思いが言葉になって出た。
女王に剣を捧げるシュナールは、馬鹿の嘶きを無視しつつ最善の解決方法を模索した。
ベイル王国側が直接ヴァレリア皇女を殺すのは論外である。そのためにシュナールも露骨な事が出来ず、結果この事態を招いてしまった。
そもそも皇女が、これだけの敵から逃げ延びる時点でおかしいのだ。
馬を走らせれば疲労する。遠方から逃げて来たであろう皇女の馬は、疲労の極みにあっただろう。
しかし軍馬を上回るような馬はその辺に走っておらず、買い替えるには時間がかかる。買い替えずに休ませるにしても結局時間がかかり、ベイル王国に逃げきる前には必ず追手に捕捉される。
それを解決したのはロランだろうとシュナールは判断した。
副作用のない体力回復剤は、都市アクスの錬金術学校で開発された。そんな回復剤の研究を行ってきたのは錬金術師グラート・バランド。すなわちロランの義父である。
人伝に聞いたところによれば、ロランの妻レナエル・バランド・エグバードもかつてその研究室に在籍しており、今はアクス錬金術学校の教師だという。
高性能品はすべてでベイル王国軍用の機密品だが、薬の開発者が効果を試すために使う事までは禁じられていない。すなわちロランが持っていてヴァレリア皇女や自身の馬に使ったとしても、何ら不思議はないのだ。
これで移動の問題は解決できる。
(あとは、皇女の魔法だ)
弓より射程が長く、騎士が防御しても一撃で粉砕される。ヴァレリア皇女の魔法があれば、追手も容易には捕まえられない。
ただし、魔法を使えばマナを消費する。
祝福80の魔導師である宰相秘書官オリビア・リシエが、マナ消費最小のファイヤーを連発すればともかく、それ以外であれだけの追手をすべて払うことは不可能だ。
そちらの解決も、ロラン・エグバードだろう。マナ回復薬も副作用のない特別品が開発されている。大量生産は不可能らしいが、開発者の家族である冒険者ロラン・エグバードが持っているのは、他の誰が持っているよりも納得できる。
それをヴァレリア皇女に使えば、皇女はマナを持続させたまま逃げきることができる。
(……加えて、ロランが大祝福2という点か)
もしもロランが大祝福1であったならば、同格の多数の追手から逃げ切れるわけがなかった。
彼らとは隔絶した能力を持っていればこそ、彼らと戦闘をして出し抜くことができたのだ。
ヴァレリア皇女がリーランド帝国から逃げ切るためには、本来「馬を回復させる治癒師」「大祝福2台の複数の魔導師」「大祝福2台の近接戦の護衛」と遭遇する必要があった。
それを意図せず解決してしまったのがロランである。
(この事態の半分くらいは、馬鹿のせいだ。だが、撤退戦では馬鹿を使うしかない。都市の金品を囮に、敵側の雇用冒険者や騎士の追撃を鈍らせる。民を先に逃がし、その後ろからベイル騎士と馬鹿を一気に駆け抜けさせ、敵を小分けにしながら撤退戦を行う)
「撤退なんて……」
「この都市と民を守るよう、女王陛下より勅命を受けたのは俺だっ。無責任な民間冒険者は黙っていろ!」
バダンテール歴1264年10月27日。
リーランド・クーラン両軍により、都市マイアスは攻め落とされた。


























