第00話 プロローグ フギンとムニン★★
去るバダンテール歴1262年5月。
リーランド帝国と北部連合との戦争に中立を貫いていたバレーヌ王国が、リーランド帝国に突然侵略されて殆ど抵抗できないままに滅亡した。
帝国による侵略の大義名分は「バレーヌ王国が、周辺のアゴスト王国・アドルノ王国と共に連合国家形成を図ったため」である。
連合国家の一翼を担っていたとされたアゴスト王国は、北部連合の一員としてリーランド帝国と交戦中であった。
大義名分が事実ならば、確かにリーランド帝国から座視されるはずもない。
リーランド帝国は旧バレーヌ王国の45万人規模の全領土を支配下に組み込むと同時に、元々属国であったカザーレ王国からも第一宝珠都市バファイムを割譲させて旧バレーヌ王国領をリーランド帝国本土と繋げた。
また領土を割譲させたカザーレ王国に対しても、リーランド帝国が制圧したアゴスト王国の都市第二宝珠都市ルグラシエを与えて寛大さを示した。
旧バレーヌ王国領には、帝国貴族の子弟たちが新領主としてあてられた。
だが第三宝珠都市バレーヌに限ってはその例外であった。
★地図(元バレーヌ王国周辺図)
「バルトス閣下、伯爵位就任おめでとうございます」
第三宝珠都市バレーヌという新領土と伯爵位を賜ったのは、バルトス・ファインハルスという新興貴族である。
本来であれば、由緒正しき帝国貴族家から有能な子弟を伯爵に任じるのが自然な流れだ。
だがリーランド皇帝アレクシスは、リーランド帝国民ですらなかったバルトスという男を伯爵に任じた。
それは、彼の旧姓が「インサフ」だからだ。
インサフ帝国の第二皇子にして、皇太子亡き後の第一継承権を持つバルトス・インサフ。それが彼の出自である。
父である前インサフ皇帝ジュラルドは『獣人帝国との戦いにおいて、最も功を上げた者を次の皇帝とする』と宣言した。
それによってインサフ帝国の継承権を持つ皇子と皇女はそれぞれ大金を与えられ、騎士団や部下を与えられ、故国奪還に向けてこれまで活動して来た。
バルトスはインサフ帝国が滅亡した頃にリーランド帝国へと亡命し、その後は虎視眈々と領土回復を図っていた。
そんな彼も、バダンテール歴1262年で39歳となった。
帝位を継承するには全く問題ない年齢だが、肝心のインサフ帝国領をいつになったら取り戻せるのかは見当もつかない。
「領土奪還が叶う頃に、オレは一体何歳になっている?」
年齢を重ねるごとにバルトスの皇位継承という野心は儚く消えてゆき、代わりに覆し難い現実が見えて来た。
獣人帝国にインサフ帝国領を奪われて領地収入が無いにもかかわらず、これまで多くの部下を抱えていた。加えて、見栄と浪費によって手持ちの資金にも底が見えていた。
そのためにバルトスは「部下の共有」と言う形で弟のリシュアン第六皇子から強引に金を奪ったが、リシュアンにあてられていた資金にも限界があった。
妹たちの資金も狙ったが、母が伯爵家出身であるヴァレリア第四皇女とオルネラ第五皇女の部下たちが思ったよりも堅固で、その二人から資金を奪う事は出来なかった。
バルトスには、苦汁や辛酸をなめるつもりは毛頭ない。
リーランド帝国において伯爵位を得られ、領土収入によって生涯の贅沢が保証され、自分に従う者たちを今後も自由に使い続ける事が出来るのであれば、インサフ帝国をリーランド皇帝に売り渡してしまっても良いと考えた。
リーランド帝国の伯爵位は、年齢を重ねて行くバルトスが妥協できるギリギリのラインであった。
リーランド帝国にとって、この意味するところは非常に大きい。
バルトスをリーランド帝国貴族に列する事で、リーランド帝国は旧インサフ帝国全領土を支配する大義名分を得た。
それと同時に「インサフ帝国が人獣戦争で当初受け持っていた多大な負担と功績」をリーランド帝国が引き継ぐ形となり、本来は理不尽であった周辺国への強要の論拠まで手に入れた。
これによってリーランド帝国と北部連合との戦争の趨勢は、リーランド帝国側に大きく傾き始めた。
ベイル王国の宰相代理が両陣営への介入を一気に強め、リーランド帝国貴族からの反発を受け始めたのもこの頃からである。
プロローグ
幼い頃の私は、自分の出自を呪っていた。
父親は、周辺国最大の領土と人口を抱えるインサフ帝国皇帝ジェラルド。
母親は、伝統・格式・財力揃い踏みのハズザット伯爵家令嬢フロランス。
そして私は、生まれながらに帝位継承権第七位を持つ皇女ヴァレリア・インサフ。
もし私と立場を代わって欲しいと望む者が居るならば、代わった後にあなたは一体何をするのかと問い質したい。
おそらくあなたの夢は叶わないでしょう。
私が3歳の時、帝都インサフが陥落して両親は獣人に殺されている。
絵で見る両親の顔は、私の記憶には一切ない。
父は生前、『獣人帝国との戦いにおいて、最も功を上げた者を次の皇帝とする』とアルテナに宣言した。
現在インサフ帝国領は全て獣人帝国の支配下にあり、皇位継承権を持つ私を含めた9人の皇族は、既に半数を上回る5人が殺されている。
生きているのは私と妹のオルネラ、弟のリシュアン、そして2年前にリーランド貴族となって皇位継承権を失った次兄バルトスの4人。
次兄バルトスを除いた私たちが生きているのは、帝都陥落時に私ですら3歳であったという当時の年齢によって人々から逃がされたからだ。
インサフ帝国が滅亡した時点でも私は11歳で、帝国の滅亡に際して何かを為せる年齢では無かった。
一方でインサフ帝国滅亡時に28歳であった次兄バルトスは、自分が逃げる際の風聞を気にしたらしく、私たちをまとめて連れて比較的安全と目されていたリーランド帝国まで逃げた。
「11歳と10歳の妹、そして9歳の弟を連れていては致し方が無い」
そのような建前が欲しかったらしい。
人生の大半を逃亡者として生きた私には、たった一つだけ恵まれた才能があった。
それは、大祝福2の魔導師としてインサフ帝国でも名高かった母フロランスから受け継いだ魔導師の才能だ。
片親が大祝福2なら、本来は200人に1人しか得られないはずの祝福が2人中1人も得られる。仮説では胎内のマナ量が胎児に与える影響だとされているけれど、それとは相反する仮説もあって推測の域は出ない。
私が生まれる2年前に獣人帝国は天山洞窟を突破しており、父たる皇帝が祝福を得られる後継者を多数欲したが故に選ばれたのが、貴族家の出自ながら冒険者としても大成した母だった。
祝福を得た結果、私の進むべき道はようやく定まった。
なにしろ兄と弟とで皇位継承権者の候補は足りている。
そして祝福を得た当時のリーランド帝国の皇族には皇帝、皇妃、皇妹の3人しかいなかったので、私は政略結婚の道具として使えなかった。
私に残されたのは、インサフ帝国解放の旗になる道だけだ。
リーランド皇帝アレクシスは、リーランド帝国の継承権を持つ他の皇族たちを悉く排除した。
粛清の対象から外れたのは皇妹ブリジットのみで、リーランド帝国唯一の皇女セリーヌはその後に生まれている。
それは、大帝国の皇帝としてあるまじき行為だ。
帝位を取って代われる者からの暗殺を恐れ、あるいは自身の血統から確実に世継ぎを出したいという理由なら理屈として分からなくもない。
それでも、粛清後の後継者候補が皇女セリーヌのみと言うのは異常だ。
なぜならアルテナに誓える皇族の血統を絶やさない為に、保険として数人は継承権者の候補を用意すべきだからだ。
それなのにアレクシス帝は、まるで永遠に皇帝位に留まる事かのように次々と対抗者を排除して、以降はろくに後継者を増やす気配も無い。
他国の皇室に関してあまり口を差し挟むべきではないので、この件に関してはそれまでにする。
私はインサフ帝国から逃げる際に付き従ってくれた皇家の者たちと、母方であるハズザット伯爵家の者達からインサフ帝国の皇位継承権者としての教育を受けた。
そして父帝の宣言によって宝物庫から継承権者へ割り振られた巨額の資金によって、まずは魔導師として大成すべく活動を続けた。
バダンテール歴1254年に14歳で祝福を得てから、私は10年の歳月と有り余る資金とを祝福上げのみに費やした。
周辺国最大のインサフ帝国が、存亡の危機に際して皇族へ渡す支度金。そして故郷奪還を夢見る臣下たちの忠誠を受けた私の歩調は、万事常軌を逸していた。
1年後の祝福12となり、以降も年を経るごとに21、29、36、42、47、51、55、58、60と上げ続けて10年で大祝福2の高みに達した。
私は、人々に可能性を見せなければならなかった。
バダンテール歴1264年。
大祝福2に達した24歳の私は、割り振られた品の中にいくつかあった4等級の転姿停滞の指輪を嵌めた。年齢は18歳にまで若返り、それが今後84年間ほど持続される。
これは長期が予想されるインサフ帝国解放のために手に入れた時間だ。
私は、インサフ帝国の帝位継承権者ヴァレリア・インサフ。
インサフ帝国に取り残された民の嘆きを、苦しみを、絶望を、目に見えないものは存在しないとする事など出来ない。
最初の問いかけに戻ります。
私と立場を代わって欲しいと望む者はいますか?
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
10年間に渡った祝福上げを終えて故郷奪還へ向けて動き出そうとした私を阻んだのは、やはり兄バルトスだった。
インサフ姓を捨ててリーランド貴族となった兄は、妹弟である私達も当然「兄に従属するものだ」と致命的な勘違いをしており、リーランド帝国に対してもその様に触れ回っていた。
そんな兄とリーランド帝国の考えでは、私とオルネラには適当なリーランド貴族をあてがい、弟リシュアンには男爵位を与えてインサフ帝国自体を完全に取り込む事を目論んでいるようだった。
リーランド帝国が欲しい物は2つある。
まず一つは、人口625万人規模の旧インサフ帝国の全領土と全権利。
そしてもう一つは、インサフ帝国が人類に先んじて被った犠牲と功績の継承。
インサフ帝国の継承権を持つ者が全員リーランドに従属すれば、膨大な領土の権利と共に、各国に負担を強いる大義名分が手に入る。
例えばジュデオン王国に請け負わせた犠牲も、インサフ帝国が請け負った犠牲に比べれば些細だと強弁できる根拠となる。
現在のインサフ帝国第一継承権者はヴァレリア・インサフ。つまり、この私だ。
兄バルトスがリーランド貴族となってインサフ帝国の帝位継承権を失った結果、生者で最年長の私に第一継承権が自動的に移っている。
父帝は『獣人帝国との戦いにおいて、最も功を上げた者を次の皇帝とする』と誓約しているが、未だ何も為せていない妹弟と比べて私の功績が劣る事はない。
ただしリーランド帝国が兄を取り込んだ以上、私たち妹弟がリーランドへの従属を断れば殺される事は目に見えている。
私達妹弟を残らず殺してしまえば、兄バルトスを受け入れたリーランド帝国のみがインサフ帝国の権利を継承する正当な国家となるからだ。
私はこの問題を、母を同じくする妹オルネラと共有した。
「お姉様、どうしてリーランド帝国に従属してはいけないのでしょう」
「オルネラ、それはどう言う意味かしら?」
「リーランド帝国にインサフ帝国の継承権を与えれば、獣人から宝の山を奪い返したいとリーランド皇帝が躍起になるのではありませんか。そうすればインサフ帝国奪還の日が近付くかもしれません」
確かに私達の目的は、民を獣人支配から解放する事だ。それを考えると、オルネラの発想自体は一つの解決手段として間違いではない。
けれど問題は、インサフ帝国を委ねる相手自体にある。
「オルネラ。リーランド帝国に従属させられている国々を見てどう思う?戦争では矢面に立たされ、戦費や物資の徴発で国民が貧困に喘いでいるわ。リーランド皇帝に委ねれば、インサフ帝国はどうなるかしら」
「獣人に支配されている現状よりは良くなるのではありませんか?」
リーランド帝国の皇帝アレクシスに任せれば、現状よりも民の暮らしが改善する。
と言うオルネラの考えに私は同意できなかった。
「私の言い方が悪かったわ。仮に解放されても、国土と民は残らず獣人帝国への盾にされて、物資は残らず接収されるわよ。インサフ帝国民の行く末が、戦死と餓死による死滅で良いのかしら?」
「良くありません」
オルネラは、私の説明をようやく理解してくれた。
でも弟リシュアンには、今更説明しても理解してもらえないだろう。
弟リシュアンは、兄バルトスが善意で私達妹弟を連れて逃げてくれたのだと誤解している。
そして私は、弟の誤解をこれまで敢えて解かなかった。
祝福上げて余裕のなかった私の手が、母を同じくして幼少期より共に居たオルネラまでにしか届かなかったからだ。
弟に信じるものが何も無いよりは良いだろうと、私が弟を切り捨てたからだ。
そんなリシュアンは、故郷に対する想いも薄い。
兄の言う事を素直に聞き、私が兄の不利になるような行動を取れば兄に報告するだろう。
「ではお姉様、どう致しましょうか?」
「まずはリーランド帝国から出るしか無いわ。私達のどちらかが他国で生きていれば、帝国はリシュアンを『人獣戦争において最も功績の高かった者』にしなければ正当な継承権を得られなくなるから」
とにかくリーランド帝国から出てしまえば、リーランド帝国に継承権を渡さないで済む方法はいくつかある。
例えば兄のように、他国にインサフの継承を他国に委ねる方法。そうすればリーランド帝国だけが一方的な権利を主張できなくなり、民に可能性が生まれる。
あるいは、私達の子に継承権を受け継がせて託す方法。これらなら継承権を失った兄バルトスを擁していても、リーランド帝国はインサフ帝国の権利自体を主張できない。
継承権に拘る理由は、大義名分以外にもある。
第一に、一方的な侵略を行っても支配地の神宝珠が加護を発しない可能性があるから。それでは支配する意味が無い。
第二に、これは滅多に無い事だけれど、他の神宝珠が加護を発しなくなる可能性があるから。侵略して領土が減っては本末転倒だ。
バレーヌ王国を支配したリーランド帝国も、バレーヌ王に伯爵位を与えてリーランド貴族へと迎えた。
私達は人に気を使っているのではなく、神に気を使っている。
「ではログスレイからお兄様の領土である第三宝珠都市バレーヌへ向かう途中で逃げましょう。私が囮になります」
★地図(ヴァレリア皇女亡命計画)
兄バルトスの伯爵位授与以前より祝福上げを公言していた私は、祝福上げの終了を兄に報告に行く事になっている。
その際に、兄から私達へリーランドに全権委ねる旨の話が出るとの内示を受けている。
話を聞いてしまえば、返事をしなければならなくなる。
一度でも肯定すればインサフ帝国継承の正当性を主張できなくなるし、拒否すればそれこそリーランド帝国から殺される。
逃げるなら今回の旅が最後の機会だ。
その中でも最大の機会は、クーラン王国との国境にある第一宝珠都市イーリオに立ち寄った日だ。
「……オルネラが囮になる必要は無いわ。私と一緒に逃げれば良いのよ」
「いいえ、私がお姉様に着いて行くのは不可能です」
オルネラが囮になる事を提案したのは、この子が祝福を得られなかったからだ。
私だけなら、真名と偽名の冒険者登録証を両方持っているので都市間移動が自由だ。
ハーヴェ商会のような馬車の護衛に紛れる事も、一般冒険者の移動に紛れる事も出来る。それに騎士に追いつかれても、1隊くらいなら倒して逃げ切れる。
でも一般人のオルネラはそれが出来ない。
まず他の都市に入れず、近くを通って検問に遭えばすぐに捕まってしまう。逃げる途中に野外で魔物一匹に襲われても死んでしまう。
そして、護衛を連れて行く訳にはいかない。
私達に従ってくれていた者の中には、バレーヌ伯爵位を得て地位の保証が出来るようになった兄へ下っている者も混ざっている。
私に従うと言う事は、長い亡命生活の中でようやく見つけられた安寧を失うと言う事だ。裏切るなと言っても誰かは裏切るだろう。
そして失敗したら、もう次の機会は無い。
「それならオルネラは、私の逃亡については何も知らない振りをしなさい。あなたが囮にならずとも、協力者を選別して事態の発覚を遅らせるわ」
「……分かりました」
(この子は素直に言う事を聞くかしら?)
妹の身を案じつつも、私には妹を置き捨てる他に選択肢が無かった。
兄がリーランド貴族になってから2年、もっと早く逃げ出しておくべきだった。
でも大祝福2に達したのは最近で、それ以前では逃げてもすぐに捕まっただろう。
インサフ帝国を救う最後の可能性は、今しかなかった。


























