短編 工房と貴族
アクス錬金術学校を卒業したフィリオ・ランスケープは、第一宝珠都市フーデルンに新設した支店と工場の統括責任者として赴任した。
これは、都市フーデルンの次期男爵にして自領での新産業を模索していたダビド・エア令息と利害が一致したからだ。
都市を統治する爵位貴族家と懇意にすべき理由は数多ある。
1つ目、場所の確保。
都市内で理想的な立地を手に入れる事が出来る。広さや利便性は、事業を軌道に乗せるために不可欠だ。
2つ目、人材の確保。
そもそも都市アクスの都市民権では、都市フーデルンに住めない。だがその都市を創り出した神に由縁ある貴族が認めれば、よほど無茶をしない限り誰も反対しない。どこの誰でも自由に雇ってフーデルンで使う事が出来る。
3つ目、手続きの簡略化。
建築条件・都市民の雇用数・提出書類・収支報告など、事業に勿体を付け、権威で威張り散らし、相手が下手に出る事で自己満足を得たがる小役人は多い。彼らはそれで仕事をしている気分になりたがる。
だが貴族の許可があれば、そんな小役人を賄賂で黙らせる手間が省ける。
4つ目、制度上の優遇。
技術省錬金術局と経済省産業局のフーデルン支部から、それぞれ優先して人と金の支援を受けられる事になった。事業が軌道に乗れば、経済局の支部も動いてくれるだろう。
これは「ランスケープ支店の事業を都市フーデルンの特産物の一つにする」と、エア男爵から正規のルートで口利きしてもらえたからだ。
これこそ都市フーデルンを選ぶ最大のメリットと言っても過言ではない。逆にアクスのような大都市では、フィリオが受ける優遇などタカが知れている。
5つ目、雑事の排除。
工場からの臭いがどうだとか、日陰になったとか、何かしらの理由を付けて金をゆすり、たかる小悪党を排除する事が出来る。
グレーゾーンを行き来する連中は絶える事が無い。だがそんな小悪党は、権力者を相手に正面から歯向かおうとはしない。
何しろ爵位貴族家以外に対する最終判決権は、その都市の統治貴族が持っている。端的に言えば、貴族を敵に回せばどのような罪で如何様にでも罰せられる。
ダビド・エア令息との協力関係により、フィリオの成功は事業開始前から約束されていた。あとは事業の内容である。
フィリオは勧誘に成功した特殊繊維研究室のユティサ・リーチ、同じく勧誘に成功した属性鉱石研究室のマリ・エルゲ、そして協力者であるダビド・エア男爵令息と在学中に繰り返し打ち合わせを行った。
「フィリオ先輩、そもそも何を作る予定なんですか?」
「わりと何でも作れるわね」
フィリオとユティサが習った『特殊繊維の精練・付与』技術を用いれば、基礎防御力を高めた布地を造り出し、さらに付与で防御効果や保温効果などを自在に上乗せする事が出来る。
それにマリ・エルゲが習った『属性鉱石の製錬・加工』技術を用いれば、基礎防御力や攻撃力を高めた金属に付与で追加効果を上乗せする事も出来る。
結論としてフィリオの新工場では『布地や金属に、素材強化や追加付与が出来る』のだ。
その後に服を作るのも、武具を作るのも、装飾品を作るのも、建築材を作るのも、マリ・エルゲが言った通りまさに自由自在である。
フィリオが立ち上げる予定の新工場は、まさに黄金の山を創り出せる可能性を秘めていた。流石は錬金術と言うべきだろうか。
何でも出来るからこそ、フィリオは何を作れば良いかに迷った。
だが、事業を行うからには成功しなければならない。
「物を作るからには、売れなければならない。ユティサ、売れるためには何が必要だろうか?」
「需要です。幅広い顧客を獲得するためには商品の用途を幅広くし、汎用性を高め、かつ代替を困難にしなければなりません。代替を困難にするためには独自の技術を用いるか、他よりも品質を上げるか、価格を安くしなければなりません」
「テストみたいな事を言うな。マリはどう思うんだ?」
「他が真似出来ない精練か付与をして売れば良いんでしょ。誰でも使えるストールとか膝掛け、あるいはマフラーとかマントならバンバン売れそうね」
「流石マリだなって痛てててててっ!」
「先輩、出題自体に問題があります。後出しもずるいです。これは一体何ですか、マリさん優遇ですか!?」
「わがったがら、わがったって……」
フィリオは商売に関してなら多少は理解しているが、女性の扱い方に関しては未熟も良い所である。
女性の部下を持つ時には、非常に気を使わなければならない。3者のうちマリだけは余裕で微笑んでいるが、残る2者のうち一方は不満顔で相手の頬を抓り、もう一方は頬を引き伸ばされている。
「先輩は一体何を理解したんですか。胸囲差別の過ちですか、妹は姉に勝るという真理についてですか」
「どうじてぞうなる」
「あらあら、大変ね」
ちなみにユティサは、フィリオの商売の方針自体には介入しない。フィリオに対しては、単に責任を取る事だけを求めている。
何の責任か……そんな事は決まり切っている。
フィリオがそれに対して分かったと返事を返したので、普段ユティサは理解のある女だという態度を示している。だが時々フィリオが大切な事を忘れているようなので、懇切丁寧にも頬を引っ張って思い出させてあげているのだ。
一方マリ・エルゲは、ユティサが考えるような将来の不安は一切持ち合わせていないようだった。物事に対してさほど悩まず、何とかなるだろうと楽観的に考えているらしい。
そんな彼女も、フィリオの事業方針には口を出さない。聞かれたら自分が出来る事と出来ない事だけを線引きして、あとはフィリオになるべく合わせてくれる。フィリオにとっては非常にやり易い相手だった。
それを苦笑と共に見守っていたダビドが、暫くして口を挟んだ。
「他都市に容易く模倣されるような品は困るな。ボクがフィリオ君を招いたのは、第一宝珠都市フーデルンの発展と繁栄のためなんだ」
ダビド・エア男爵令息がアクス錬金術学校に入学した目的が、まさにこれであった。
新技術に金を出して領地の行く末を委ねるのは賭けの一種だ。
その技術者がどれだけ信頼に値するのか、その技術自体にどれだけの可能性があるのか。その見極めが出来れば賭けに勝て、あるいは負けても適切な損切りが出来る。
頬を抓る手を若干緩められたフィリオが言葉を返した。
「精練段階でランスケープ工房の基礎技術も用いるから、そう易々とは真似されないと思うが」
「怖いのはユティサ嬢の指摘した低価格品だね。ボクやルーナも特殊繊維の特待生だから、最低限の防寒効果を付与した安布くらいなら作れるよ。他と差を付けるために、新製品には何かしらの付加価値が欲しいところだね」
「…………そうだな。ところでユティサ、そろそろ離してくれ」
伸びていた頬が元に戻ったフィリオが少し思案し、ダビドに新案を提示した。
「それなら市場に卸す防刃布や特殊鋼のような素材系は、質を6~10級にする。それでマントや手袋のような加工品は質を1~5級にして、さらに防寒効果などを付与するのはどうだ」
まだ若くて経験が浅いダビドは、知らない事柄に関して賭けを行うリスクは冒したくない。なにしろ何の変哲も特色もない第一宝珠都市の男爵家で、一度の失敗が領地経営にとって痛手となるのだ。
だが錬金術に関する知識だけは、他の貴族よりも遥かに先んじている。ダビドにとっては、他の貴族家を出し抜ける圧倒的に有利な勝負だ。
なにしろ同級生という最大の利点を活かし、将来確実に成功するであろうフィリオを自領に招く事が出来たのだ。
時代の転換期でチャンスが巡って来たのは何も平民だけでは無い。ダビドはこの勝負に賭けていた。
「良い案だけど、一般人に1~10級は幅広過ぎるんじゃないかな。SS、S、A、B、Cの5段階くらいにして、金だけで買えるのはAまで。特別な顧客はS、表に出さないのをSSくらいにしたらどうだい?」
「……分かった」
「Cは祝福いくつまでの攻撃を防げるとか基準を作ると分かり易いね。それで防御C、防寒Bと表記すれば良いかな。評価はランスケープ式と言う名前でも付ければブランド力も増すだろうね」
「反対する理由は無いな。そのアイディアも頂こう」
フィリオは自らの考えに固執することなく、ダビドの提案をアッサリと受け入れた。
両者が同じ研究室に所属している事もあり、打ち合わせは思い付く度に行われ、意思の疎通は完璧に図られた。
「案は今後も煮詰めるとして、卒業前に試験操業くらいはやっておこうよ。むしろ運用しながら調整して行った方が良いかもね」
「もし令息が商家に生まれていれば、実家は大商会に発展していたかもしれんな」
「ボクは商人の機敏な対応が苦手でね。のんびり策を練る方が好きなんだ」
「祝福まで得ているのに?」
「そうさ。人には向き不向きがあるだろう。そう言う訳で、新工場の現場運用はよろしく頼むよ。フィリオ君」
「なるほど。了解」
こうして若い商人と貴族の組み合わせは、共存共栄の道を歩み始めたのである。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
光陰矢の如し。
新事業の展開という密度の濃い1年間が、あっという間に過ぎ去った。
「お初にお目にかかります。私は第二宝珠都市ラクールで卸売業を営んでおりますロニオ・フィゲロアと申します」
「初めまして。ランスケープ工房のフィリオ・ランスケープです」
本来新製品は、軌道に乗せるまでが大変なのだ。
有効性を証明しなければならないのは無論、安定供給できる体制が整えられているか、トラブル発生時の補填は行えるのか、アフターケアは、法的な問題は無いのか、政治的な保証人は誰か……などと、大きな組織ほど導入には慎重となる。
だがランスケープ工房は、元々都市アクスにおいてそれなりの歴史と実績を持っていた。
そしてエア男爵家が後ろ盾となって王国の各省からの支援を引き出した。おまけにエア男爵家の令息はイルゼ子爵家の令嬢と婚姻関係を結んでいる。
信用問題について検討するならば、新事業においてランスケープ以上の相手を探す方が難しい。
「実は私どもが懇意にさせて頂いておりますアルヴィドソン商会さんからご紹介頂きまして」
「ええ、先だっての経済懇親会で事前に伺っておりました。会長のブロルさんには、私も大変お世話になっております」
「おお、2月の懇親会ですな。実は私も参加していたのですよ。その時お会い出来ていれば良かったのですが」
「いや、あれは大きかったですから。こうやってじっくりとお話しする機会は無かったでしょう」
「確かに、ははははっ」
ランスケープの新製品は世に出てから瞬く間に噂となり、加速度的に売れていった。
良い製品に実績と評判まで付けば、そこから売れない筈が無い。飛ぶように売れるとはまさにランスケープ製品の事であり、フーデルンを経由する流通に乗って文字通り都市間を飛び交っている。
「私どもが聞き及んでいる話によりますと、第一宝珠都市フーデルンのランスケープ工房はあくまで生産者であって、販売の方は卸売業者相手のみであるとか」
「ええ。販売ルートの開拓に労力を費やすよりも、良い製品を作って既存の販売ルートをお持ちの卸売業の方々に託した方が良いだろうと考えまして」
当初フィリオは、製造から販売まで一手に手掛けるつもりであった。そうすれば中間搾取を省き安価での提供が出来る。
だが顧客の新規開拓は大変で、顧客相手のトラブルに対処するのも大きな手間だ。既存の業者との争いも発生するし、そんな既存の業者には最初から味方が居て、彼らは都市貴族などとの繋がりも持っている。
新参のフィリオが都市アクスやフーデルン、イルゼ以外の都市で既存業者を押しのけるのは困難極まりない。
むしろ彼らを味方にして、彼らにも利益を分ける形で彼らの販売ルートに乗ってしまった方が良い。そして省けた労力を全て自社製品の向上に注ぎ込むのだ。
つまりランスケープはメーカーで、それを一般に販売するのは彼ら卸売業者と言う事だ。彼ら卸売業者は、フィリオからの仕入値と一般販売価格との差益で儲ける形となる。
「なるほど。実は貴工房の製品を拝見いたしまして、我が商会でもぜひ取り扱いたいと考えているのですが」
「ご評価頂きましてありがとうございます。ブロル会長のご紹介とあらば、卸値の方も勉強させて頂きます」
フィリオと卸売業者は、長ったらしく大人の会話を繰り広げて商談を成立させた。
ちなみに、都市ラクールでランスケープの製品を扱っている卸売業者は彼で3社目になる。
ランスケープ製品自体いくつもの種類があり、業者の側も別々の販売ルートや取扱品目の差を持っている。
高品質の精練と付与を施したランスケープ製品は、現時点で代替品が無い。業者を引き込めば引き込んだだけ売れるのだ。
(最大の問題は、製品の生産が追い付かない点だな)
工場での製造工程は、特殊繊維の精練を完璧に理解しているユティサがマニュアル化してくれた。
マリは精錬に用いる工場の容器自体を、属性鉱石を用いて加工して安定した精錬作業が行えるようにしてくれた。
だが熟練の人材が足りない。資器材が不足している。付与は研究室で学んだ錬金術師しか行えない。作業場は融通してもらっていて、工場は3つ目と4つ目を同時に新設中だ。
「やあフィリオ君。先月都市民に出した工員の追加募集、今日までに38人応募があったよ」
「…………全員採用で」
バダンテール歴1264年春。
フィリオ・ランスケープと言う若手商人が錬金術で徐々に頭角を現しつつあった頃。
かつて何の特色も無かった第一宝珠都市フーデルンは、新繊維産業の一大集積地として生まれ変わりつつあった。


























