短編 錬金術学校の新任教師たち
チュンチュン。
窓の外から小鳥の囀りが聞こえて目が醒めた。
(今……何時?)
季節はすっかり秋に入り、この頃はベッドから抜け出すのが辛くなってきた。
そんなベッドから手だけをするすると伸ばして枕元の懐中時計を手繰り寄せると、針は午前6時17分を指していた。
もう起きなければならない。
「…………んーっ」
身体を伸ばして、だがリコは再び頭を枕に落とした。
昨夜は、授業で使う教材作りの為に夜更かしが過ぎたのだ。
「眠いけど、がんばろ」
父親役として一緒に潜入したジェンマ大尉を殺した当時は不安でまともに眠れなかったが、最近は気が抜けきっている。だが、懐中時計を手繰り寄せた時点で頭だけは冴えていた。
何しろリコが手繰り寄せた銀の懐中時計は、7月に即位したアンジェリカ女王からリコに下賜された品だ。
懐中時計の裏側にはベイル王家の紋章と共に「バダンテール歴1263年7月21日。女王アンジェリカより、リコリット・ホーンへ贈る」との文字が刻まれている。
これはベイル王国において、王族あるいは貴族が身分証明をする非常手段の一つだ。宮内局の各支部には、それぞれの家紋と最新の正規登録者の記録が用意されている。
これがあれば王国のどこに居ても、各都市の宮内局支部がリコの登録した言葉で本人確認と身元証明を行ってくれる。同時に軍から要人として警護を受ける事も出来て、保証人である王家に宮内局経由で連絡まで取ってくれる。
(私は、これっぽっちも高貴な出自じゃないけど)
宮内局への登録条件は厳格で、基本的には王侯貴族家の当主と第一配偶者、そして継承権を持つ者だけだ。禿の乱を起こしたドリー・オードランのような外孫は持つ事が出来ない。
この正当な所有者は、王侯貴族への裁判権を持つ者以外から罰せられる事が無くなる。所有者を勝手に害した者は国家反逆罪に問われ、他国が害せば戦争も起こり得る。
リコは、現在そのレベルで安全が保証されている。
過去にスパイとしての教育を受ける事およそ10年。基本的には飼い犬なので、餌をくれると懐いてしまう。ジェンマ大尉に噛みついたのは、欲しい餌を一度もくれなかったからだ。
所属を失って心が折れている時に、首輪のような贈り物をされると……。
「惚れちゃうぞー」
そうならないように、一度も会った事の無いアンジェリカ女王名義で懐中時計を下賜してくれたのかもしれない。
身元保証人の夫をハゲさせてしまえば、恩知らずになってしまう。
「…………わんわん」
自分を動物に例えると犬に違いない。
そんな馬鹿な事を考えている間に、リコはすっかり目が醒めた。
Ep07-33
「おはようございます」
「ホーン先生、おはよう」
リコが挨拶しながら職員室に入ると、まず同僚のニーナ・ジルクスが顔を上げてムスっとした表情のままに挨拶を返してきた。
ニーナはリコよりも2歳年下で、錬金術学校に15歳で入学して18歳で卒業した。教師1年目の今年ようやく19歳に上がる。
彼女は在学中の3年生の一部よりも年下で生徒に若干舐められ、侮られないようにと前髪を切ってからは隠れ美人が発覚してモテ始めた。おかげで今度は常時怒った体を作って気丈に振る舞い、なんとか教師の威厳を保とうとしている。
だが、あまりうまくは行っていない。生徒からの新たな評価は……
「ツンデレ?」
「ホーン先生、何か言った?」
「何も」
「……そう」
ニーナは首を傾げながらも、机上の資料に視線を戻した。彼女は負けず嫌いの努力家だ。
入試の時点で99点。予習は徹底的にする。ミスがあれば自分が何を理解できなかったのかを省みて、絶対に繰り返さないようにする。
不器用だが真っ直ぐな性格で、基礎能力がとても高い。おそらく婚期を逃すタイプだ。
リコはそんなニーナの隣にある自分の席に向かい、手提げを椅子の上に置いてその中から持ち帰った資料を取り出し始めた。
すると後ろから声が掛かる。
「やあ、おはよう。二人とも早いね」
「おはようございます」
「クワイヤ先生、おはよう」
リコの後に入って来たのは、リコと同い年で同僚のトト・クワイヤだ。職員室の席はニーナの向かい側になる。
リコは丁寧に、ニーナはきっちりと挨拶を返した。
ちなみに職員室の中でリコ達の席は一つの島になっており、リコとニーナが隣同士で、それと向かい合うようにレナエルとトトの席が並んでいる。
「最近は寒くなって来たね。暑いのも嫌いだけど、寒いのも嫌だなぁ」
そう言ったトトは大きな革の鞄を自分の机の上にドンと置いて、中から厚い書物をドサドサと取り出した。
トトはマナ抽出・調合の分野を担当しているが専門は広く、とりわけ薬学関係に関しては教師の中でも飛び抜けている。
彼の最大の成果はマナを介した急速投与や半減期の延長で、既に錬金術師グラート・バランドとの共同開発薬が軍と治癒院へ配備されている。
彼が10月から立ち上げる研究室への所属希望者は、現在大変な数になっている。
「もう少し寒くなったら、付与で暖かくなるコートでも作ってあげようか」
「お、ジルクス先生が作ってくれるのかい?」
「ええ、もちろんお金は吹っ掛けるけど」
トト・クワイヤは裕福だ。
名家に生まれ育ち、さらに新薬の特許料で王国からも大金を得ている。おそらく彼が金に困る事は、生涯に渡って一度も無いだろう。
「それは一向に構わないよ。では後日、君の口座にいくらか振り込んでおくよ」
「ご注文ありがとうございます。時間がある時に寸法を測らせてもらうわ」
トトと違い、ニーナはごく平凡な家の出である。だからきっちりとしている。
リコやニーナは担当している特殊繊維の精練・付与に関してそれなりの貢献は果たしてきたが、画期的かつ有意な個人特許は持っていない。
新人教師の給料だけだと、ちょっと少ない。
ちなみにアクス錬金術学校の教師の職階は8段階ある。
1 講師
2 助教諭(主事補)
3 教諭(主事)
4 指導教諭(主任)
5 主査教諭(主査)
6 主幹教諭(主幹)
7 教頭(副参事)
8 校長(参事)
レナエルの父であるグラート・バランドら4人の錬金術師は主幹あるいは主査教諭で、それ以外の教師が教頭から講師までの様々な役職に就いている。元副騎士団長のバジル・ブルトン先生は教頭といった具合だ。
リコたち4人は、下から3番目の教諭(主事)として正規雇用されている。
今のところ、錬金術師の教師は極端に少ない。
いくらリコたち第一期生が錬金術学校を卒業したとは言っても、一般生徒の卒業レベルで錬金術学校の教師になるのは不可能だ。
特待生でも上位数人がギリギリで教師になれるラインで、ベルガー校長の実力査定も相当厳しかった。校長のスタンスは「実力の低い者を雇って教育の質を下げるくらいなら、アクス錬金術学校だけ小規模でも一向に構わない」である。
加えて『輝石の精錬・変質』と『属性鉱石の製錬・加工』に属していた特待生たちが、なぜかごっそりと居なくなった。
両分野でそれぞれ首席だったアニトラ・ベルンハルトとリオン・ハイムの二人はハルトナー研究所と国立医療研究所に居て、他の何人かの特待生もそちらに行ったらしい。
だが、他の特待生達は本当に一体どこへ行ったのだろうか。
おかげで教員確保が不十分で、リコ達はかなり苦労している。
「おはようございますー」
同僚の1人であるレナエル・バランドが職員室に入って来た。
「おはようございます」
「エグバード先生、おはよう」
「やあやあ、髪が乱れているよ」
リコはマイペースで丁寧に、ニーナは相変わらずきっちりと、トトはフレンドリーに挨拶を返した。
トトとレナエルは錬金術学校入学時からの友人で、同じ研究室にも所属していた。
「走ってきましたから」
「それはお疲れだったね」
トトが自分の髪を撫でる仕草をして見せ、レナエルはそれを見て手鏡を覗き込みながら自分の髪をササッと直した。
「輝石の精錬・変質なら良いんですけど、属性鉱石の製錬・加工は本当に専門外なんですよ。早く次の先生を確保してくれないと」
レナエルは、専門外のその2分野を担当している。いや、させられている。
なぜなら、その二つの分野の特待生を教師に出来なかったからだ。
輝石の精錬・変質だけならば、レナエルは入学以前から独自研究を行っていて首席のアニトラ・ベルンハルトに匹敵する実力があった。だからそちらを受け持てと言われても、確かに出来ない事は無い。
だが、属性鉱石に関しては本当に専門外だ。理論は知っているが、一言で言えば浅い。そんな自分が生徒達に教えても良いのだろうかと不安になる。
「属性鉱石の分野では、我らが同期のリオン・ハイムが一人だけ飛び抜けていたからねぇ」
「上位3番までになら、アロン・ズィーベル、アーナリー・サンドライト、マリ・エルゲ辺りの名前が良く出ていたわ。ベルガー校長先生が教師に誘うのは、おそらくその辺りまでよ。みんな他に希望進路があったみたいだけど」
トトとニーナの二人が婉曲に、新たな教員確保は当面無理だと告げた。
属性鉱石の分野でリオン・ハイムに匹敵出来そうなのは第一期生ではアニーだけで、残る3人と同等の講義が出来るのはレナエルくらいしかいない。
それを聞いたレナエルは、ガックリとうな垂れて2種類の教材を取り出す。
「3時間睡眠で教壇に立つと、声の調子がおかしくなるんですよね。頭も働かないし、アニーが居たら良かったのに」
「今年度卒業予定の2期生に、属性鉱石の分野で有望そうな人材は居ないのかい?」
「…………どうでしょうね」
一期生にあって、二期生に無いものがある。
最初に飛び込む勇気と未知への好奇心。先輩の不在によって前例に頼れず、何事も自分たちで考えた思考の環境。ドリー事件で培われた錬金術への恐怖と経験値。
だから教師を雇うなら、二期生よりも一期生の方が良い。一期生は二期生の倍くらいの経験を重ねているはずだ。
「どうしても教師が足りなかったら、王都やブレッヒ錬金術学校から応援が来るんじゃないかい」
「それは避けたいですね」
「屈辱よ」
「…………代わりに、私が王都に行くのはありかも」
トトの提案に対する却下が2票と、何の脈絡も無い案が1票だった。
「どうしてですか?」「なんでだい?」「なぜ?」
「…………アクス錬金術学校からも教師を出せば対等かと思って」
「属性鉱石で負けた事に代わりは無いですから、却下です」
「そもそも、先方も輝石と属性鉱石では教師が不足しているらしいよ」
「むしろ、特殊繊維の精練・付与という強みを作るべき」
リコの提案は呆気なく却下されてしまった。




























