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短編 私立・ハルトナー研究所

 都市アクスの新興住宅建設地に、突如早鐘の音がカンカンカンと高く鳴り響いた。

 人々は慌てて音の発生源を探す。


 仮に魔物の侵入であれば、都市防壁の上から大鐘が不規則かつ力の限り打ち鳴らされる。

 その際には都市上空に赤色信号弾が打ち上げられ、大人たちは血相を変えながら、そして子供たちは泣き叫びながら全力で音の反対側へ走る。

 都市の加護を突破できる魔物相手に一般人が抗っても無意味だ。雑草を踏むように無造作に殺されて終わる。

 走って、走って、走って、少しでも遠くへ逃げなければならない。立ち止まるという事は、そこで人生を諦めると言う事だ。

 足の遅い人間から死ぬ。子供や老人から死ぬ。そうやって人は、自分たちが食物連鎖の下位に属する事を再認識させられる。

 だが今回は、大鐘の音ではなかった。


「火事かっ!?」

「一体どこが燃えているんだ?」


 規則的に打ち鳴らされる早鐘の音は、火災を知らせる警戒音だった。

 安堵したと言えば誤解が生まれるかもしれないが、人々は確かに安堵した。第五宝珠都市を突破できる祝福70以上の強さの魔物が目の前に現れるのと比べれば、どちらがより脅威かなど論じるまでも無い。

 とりあえず生命の危機から脱した彼らが空を見渡すと、木造の新興住宅街の方から大きな白煙が天へと昇っていた。

 木造住宅は建築材料の材木が都市周辺からいくらでも手に入り、とても安価で、加工が容易で、おまけに建築速度も速い。だがその代わりに、脆くて非常に燃えやすい。

 煙草を吸う大工はごまんといるので、昼の休憩時を過ぎる辺りで火の不始末が火事に繋がる事は珍しくも無い。

 大抵は延焼する前に自分たちで消して、火を出した大工は親方からタコ殴りにされる。

 だが自分たちで消火できなかった時は、タコ殴りでは済まなくなる。


「裏手の方か、結構近いな」

「おい、閉店だ。商品に煙が掛かったら価値が落ちる。表通りに並べたのも全部店の中に戻すんだ」

「分かりましたー」


 きちんと区画整理をしていても、強風で飛んだ火の粉が区画外に燃え広がる事もある。

 ここ数日は晴れの日が続いて都市は乾燥しており、風も強いとあって延焼の危険が大きかった。

 店子がバタバタと駆け回って、通りの商品を手早く仕舞う。その間に店長は客に声をかける。


「お客さん方、すみません。ご覧のとおり火事のようです。一旦店じまいにしますのでご協力くださいや」

「仕方がないなぁ」

「やれやれ」


 ぞろぞろと店から出ていく客を眺めながら、店長はひきつった笑みを浮かべる。

 まったく、営業妨害も甚だしい。この損害を一体誰に補填してもらえば良いのか。

 むろん出火元が補填すべき対象が広すぎて、区画の違う店にまでは補償などされないだろう。

 要するに、自分の身は自分で守らなければならない。

 もちろん家族も守って、職場とこれからの生活も守って、それでも余裕があったら助けてやっても良いかなと言った具合である。


「おい、裏手から水を汲んで来い。店の外壁に撒いておくんだ」

「分かりましたー」


 店子が桶を掴んで外へ飛び出していくのを見届けた店長の目に、土色の光が飛び込んできた。


「…………ハルトナー信号弾か」


 これまで信号弾ライトスコールと言えば、発光する白色、それに水系のマナを加えた青色、雷系のマナを加えた黄色、炎系のマナを加えた赤色の4種類だった。

 なにしろスキルを覚えられる指は10本までと限られており、属性が違う4種類を覚えるだけでスキルを4枠も使ってしまう。

 5つ以上の色を覚える事は不可能ではないが、使い手の数が限られてしまうので、色の意味を標準化させるのは不可能だった。


 だがハルトナー式の人工信号弾は、魔導師が信号弾を使うという従来の常識を根本から覆し、一般人が全色の信号弾を自由に使えるように変えてしまった。

 ハルトナー式ならば今飛んでいる土色の他にも緑色、オレンジ色、空色を放つ事が出来る。その中で土色が火災の連絡に使われているのは、単に土色の輝石が良く採れて安価だからだ。

 色にはまだバラつきがあるが、変な色を飛ばすのはハルトナー信号弾くらいなので消去法で誤認は発生していない。

 ベイル王国で標準化されたハルトナー式の土色信号弾は、火災の近くを警邏中であった兵士から上空へ、ヒュルルルルと音を立てながら高らかに打ち上げられた。

 そしてパァアアアンッと弾けて、眩い光を周囲へ撒き散らす。

 その光は近辺を巡回中だった治安騎士分隊にも届いた。


「隊長、土色信号弾です!」

「ブロサール治安騎士分隊、これより火災現場へ急行する」

「はいっ!」


 治安騎士分隊が駆け出す間にも、少し離れた場所からさらに土色信号弾が打ち上がって行く。遠方に方角を伝達する目的で兵士たちが打ち上げたのだ。

 次弾が打ち上げられる間にも、治安騎士たちは大通りを南西方向へと馬首を向けた。

 治安騎士の一人が警笛を口にくわえ、ピリリリリリッと吹き鳴らした。


「おい治安騎士だ」

「早く道を空けろっ!」


 警笛は緊急事態発生の合図で、それを聞いた人々が次々と道端に退いて治安騎士に道を譲って行く。

 治安騎士たちは、そうやって開かれた道を馬で疾走しながら現場へと向かう。やがて大きな白煙が上がっているのが見てとれた。


「分隊長、南西にかなり大きな白煙が上がっています」


 通常の住宅街ならば、近所の男たちが消火活動を開始する。燃え広がって自分の家まで巻き込まれては堪らないからだ。

 だが、新興住宅建設地にはまだ誰も住んでいない。おまけに建築途中の家々は剥き出しの壁や柱、そして建築材料の材木などがあって非常に燃えやすい。

 やがて見えて来た火災現場では、既に数軒分の建築中の家が屋根から火を噴き出していた。10人ほどでバケツリレーも行われている。何人かの兵士も到着しているようだった。

 ブロサール治安騎士分隊が現場に到着したのを確認した兵士長が駆け寄って来た。


「ブロサーヌ治安騎士分隊長だ」

「こちらはアヴリーヌ兵士小隊長です。現時刻を以って小官以下6名は、ブロサーヌ分隊長殿の指揮下に入ります」

「俺たちが治安騎士で一番か。人命救助を最優先、逃げ遅れた者たちはいるか!?」

「おりません!」

「よし、アヴリーヌ兵士隊は避難誘導せよ。ブロサーヌ治安騎士分隊は、これより新型のベルンハルト消火弾を用いて急速消火を行う」


 ベルンハルト消火弾は、錬金術師アニトラ・ベルンハルトが発明した強力な圧縮水弾だ。

 水属性を持つ青色輝石のエネルギーを錬金術で凝縮し、それを任意に解き放つ事が出来る。

 形状は拳大の大きさの丸い球で、バダンテール歴1261年10月の発明からすぐに実用化されて治安騎士に配備された。家一軒の全焼レベルであれば、3個も投げ込めば鎮火できる。

 暴徒鎮圧などにも使い回せるため、近年の治安騎士は1人1個を常時携帯している。


「はっ、しかし燃えているのは5軒です」

「新型は1個で1軒消火出来るそうだ。ベルンハルト消火弾、投擲準備!」

「「はいっ!」」


 分隊長の命令を聞いた部下2人が、腰のベルトにぶら下げていた丸い球を外す。


「ジャックは一番右、イヴォンは一番左、俺はあの飛び火した離れた家だ。可能な限り接近し、最上階で発動させる。発動のタイミングを間違えるなよ!」


 彼らは旧式の消火弾なら訓練で投げた事があるが、新式を投げるのは今回が初めてだ。

 なにしろ従来の3倍以上の威力と言う事は、従来の3倍以上の輝石を用いて造られている。価格もそれだけ高く、おいそれと訓練などでは使わせてもらえない。

 だが発動のタイミングは同じなので問題ないと聞いている。


「任意のタイミングで良い。全員行動開始!」

「「了解!」」


 治安騎士は祝福12から21までの冒険者だ。

 兵士に比べて遥かに身体能力が高いブロサーヌの部下達は、火災を前にして果敢にも立ち向かって行った。

 ブロサーヌ自身も火が燃え移った建物の壁際に立ち、目標確認、遮蔽物確認、風速確認、周囲の安全確認などを素早く行った。

 そして、ベルンハルト消火弾から伸びた紐を一気に引き抜く。


「……おりゃあっ!」


 ブロサーヌが投擲した新型ベルンハルト信号弾は、青色と灰色の眩い光を発しながら建物の最上階である3階の中に投げ込まれ、そこで勢いよく爆ぜた。

 現象としては水属性の高濃度なマナが、巨大な水に変化しただけだ。

 だが、量が尋常では無かった。

 ベルンハルト消火弾を投げ込んだ3階から、具現化して3階に収まりきらなかった圧縮水が物凄い勢いで噴射されてきた。


「お、お、おおおおっ!?」


 爆水はまず、窓の直下に陣取っていたブロサーヌの全身に不意打ちで襲いかかった。


「ぶはっ、油断した」


 ブロサーヌは全身をずぶ濡れにされて思わず尻餅を付いた。

 顔に掛かった水を拭って立ち上がろうしたブロサーヌだったが、ちょうど中腰になった所で、今度は2階に落ちた水が二階の窓から溢れて来てブロサーヌを再び引き倒した。


「…………けほっ」


 今度は無言で立ち上がろうとしたブロサーヌに、さらに1階に落ちた水が溢れて迫って来た。






 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇






 私立のハルトナー研究所は、都市アクスの新領土に建てられた。

 出資者は研究所の名称にもなった錬金術師ウィズ・ハルトナーで、金の出所は彼の発明品であるハルトナー信号弾の特許料だ。

 錬金術学校の特待生に提供される施設や設備に不便を感じたウィズは、もっと広い施設で自由な設備を自由に用いて好きに研究すべく、在学中に私立の研究所を立ち上げた。


 正規の研究員は現在3名で、それとは別に事務員と掃除婦を何人か雇っている。

 研究員は錬金術師ウィズ・ハルトナーと、同級生だった錬金術師ペドラ・マクティカと、学年首席で卒業した錬金術師アニトラ・ベルンハルトだ。

 ペドラはウィズが誘った。アニーはペドラに付いて来た。

 もちろん理由は察している。


 (どうせ研究所は広いし、設備も同時研究が出来る位に揃えたし、彼女アニーからは信号弾のアイディアも貰ったし…………居る分には別に良いんだけど)


 半笑いのまま固まるという世にも珍しい表情を浮かべたウィズの視線の先では、そのアニトラ・ベルンハルトが客に応対していた。

 アニーの客とは、火災を食い止めた治安騎士の分隊長さんである。


 現在ベルンハルト消火弾を造り出せるのは発明者のアニトラ・ベルンハルト当人しか居ない。ウィズでも無理だ。

 消火弾のどこが高度かと言うと、材料に能力向上の効果がある通常の輝石を用いているのではなく、低純度で小粒な輝石を集めてエネルギーを圧縮している点だ。

 冒険者の装備に用いるような高純度な輝石は、市場価格で1個5万G以上もする。これでは消火弾を造っても、それを使用せずに燃えた家を新築で建て直した方が安くなってしまう。

 だがこれまで使い道が無かった低純度の輝石で造れば、原価はひと山いくらで消火弾も投げ放題となる。

 つまり消火弾を実用化するには、素材に低純度の輝石を用いるしかない。

 だが「低純度の輝石を複数渡すから、それを使って高純度の輝石を越える威力の消火弾を作れ」と言われても、圧縮自体が出来る錬金術師すら殆どいない。

 消火弾に用いている技術はエネルギーの圧縮だけでは無い。

 携帯しやすく、投げやすく、取り扱いが簡易で、所持者の不注意で暴発せず、解き放った時に高威力で、しかも威力は均一で……と、治安局が出した条件を全て同時に達成する為には、極めて高度な技術が必要とされる。

 他の錬金術師に造らせれば、間違いなく圧縮の失敗による事故や、エネルギー解放時の暴発事故が発生する。


 よって価格は唯一製作が可能なアニーが付け放題な訳だが、実は破格の安値で卸されている。安値の引き換えにアニーから出された条件の一つが、使用後の使用者の報告だ。


 『賢者は真理を探し、愚者は真実を見る』


 真理の探究者であるアニーにとっては「消火弾が起こした現象が理論値通りか」と「金儲け」のどちらに興味があるかなど愚問だ。

 そんなアニーによって根掘り葉掘り聞かれたブロサーヌ分隊長は、消火の状況を詳細に思い浮かべ、青筋を浮かべて皮肉を交えながらも懇切丁寧に説明した。


「ベルンハルト消火弾はすごい威力だね。火災と一緒に私の部下たちまで洗い流されたよ。もちろん私も泥塗れだ。ははは……」

「もっと威力が欲しいって、お願いされていましたから。ちょっと頑張りました」


 ブロサーヌの皮肉を称賛と勘違いしたアニーが照れながら解説した。

 当初は威力を程々に押さえていたベルンハルト消火弾だったが、家1軒を消すのに3発では不便だから何とかならないかという要望が出されていた。

 要望した人物は、ブロサーヌが所属する治安局のアクス支部長である。

 ブロサーヌは肩をプルプルと震わせながら、ようやく泥塗れになったくだりを説明し終えた。


「使用者の私が思うに、あの半分くらいの威力でも火災を消せたような気もしたがね」

「あ、それはダメです。ギリギリの鎮火だと再燃の危険がありますから。錬金術の道具を使うと、みんな自分で水を撒いた時に比べて油断しちゃうんですよ」

「ははは、それはうっかりしていた。ははははっ」

「えへへ。過信は禁物ですよ」


 二人の会話を聞きながら胃にダメージを受けたウィズは、ギギギギと、歪んだ木戸を動かす様に顔の向きを変えて己の机に向き直った。


 (いくら皮肉を言っても、時間の無駄なんだけどね)


 アニーに皮肉や悪意の類は一切通じない。

 なぜなら、当のアニーが相手に対して皮肉や悪意を持っていないからだ。

 悪意を持ち合わせていない相手に悪意をぶつけても、相手から困惑されるだけだ。どうやっても同じ土俵には乗れず、そのうち良心の呵責と相対する事になる。

 もちろんこれはウィズの体験談である。


 (……仕事しよっと)


 王国から依頼が出されているのは、なにもアニーだけでは無い。ウィズもハルトナー信号弾のさらなる改良を求められている。

 この場に居ないペドラは、ウィズとアニーが使う錬金素材の買い付けだ。

 ハルトナー研究所の研究員はみんな結構忙しい。


「僕の信号弾だけどさ、打上げ用発射筒の中身を詰め替え式にしたら、色の数だけ持ち歩かなくても1本の発射筒だけで全色を打ち上げられるようになるかなって、こんな話は誰も聞いて無いよね。あははは……」


 そんな半笑いのウィズの机に、彼が雇っている女性事務員からそっとお茶が差し出された。




 バダンテール歴1263年初夏。

 私立ハルトナー研究所は、立ち上げから僅かな間に国立研究所に匹敵する絶大な名声を確立していた。

 但し、研究員の三分の二は変人と言う噂もあるらしい。

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