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アルテナの箱庭が満ちるまで  作者: 赤野用介@転生陰陽師7巻12/15発売
短編 錬金術師の若鳥たち

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短編 国立・医療技術研究所

 各都市の中心には、神宝珠とそれを護るように建築された荘厳なアルテナ神殿がある。

 神殿では神殿長と呼ばれる都市定住の高位の治癒師が、月に1回だけ神宝珠に祈って都市に加護を振り撒く。

 神殿長が月1回の祈り以外に何をしているかというと、アルテナ神殿に併設あるいは隣接された治癒院にて治癒活動を行っている。


「うちのおじいちゃんが朝から起きなくて、わたしは疲れているのかと思ってそのまま寝かせていたんです。でも昼頃になっても起きて来なくて。起こしに言ったら右手が痺れるみたいで。ふらついて、呂律も回らなくて、慌てて連れてきたんです」

「なるほど、なるほど」


 とは言っても、一人で都市のすべての患者を診ることなど不可能だ。

 それに患者は24時間いつでも発生する。水場で滑って頭を打ったとか、酔っ払って2階から落ちたとか、夫婦喧嘩で刺されたとか。頭部挫創や骨盤骨折などと傷病名を付ければそれっぽいが、実態はそんなものである。

 それらに付き合い続けるとマナが足りなくなるしキリも無いので、治癒師の側も日勤・準夜・深夜の3交代に個人の休みも加えて継続可能な診療体制を整える。

 それと生命の危機に瀕していない患者については、神殿長以外の司祭にあたる治癒師と、助祭にあたる治癒師以外の者がペアで先に診る。


「バイタルに異常はありませんでした。外傷も見受けられません」

「それなら脳梗塞かな。右麻痺なら左脳だったね?」

「さようです」


 助祭は医学知識を持った治癒師の補佐だ。基本的には治癒師よりも医学に通じており、医師のように考えても良い。大多数が男性だが、中には女性もいる。だが社会的には知識よりも治癒師のスキルが上位のため、彼らは助祭と呼ばれる。

 ちなみに助祭の下には侍祭が居る。こちらは全員が女性で、看護師さん的な役割を担って色々と手伝ってくれる。余談だが、侍祭をお米語にすればアコライトである。

 そんな侍祭の下には神官がいる。こちらは看護助手さんや事務員さんたちだ。治癒以外の各種の仕事を行ってくれる。


「とりあえず単体麻痺解除のスキルを掛けて左脳を含む血栓を取り除こうか」


 神殿長以外の治癒師とは、冒険者を引退して都市に定住した治癒師たちと、現役だが資金稼ぎや研鑽のために手伝っている治癒師たちだ。

 都市に定住して組み込まれている者をそのまま治癒師と呼び、一時的に手伝っている者を臨時治癒師や委託治癒師などと呼ぶ。

 ちなみに大祝福1を超えていれば、司祭の前に『高』が付いて高司祭と呼ばれる。

 さらに大祝福2を超えれば『大』が付くが、その辺りになると神殿にはとらわれないので大司祭ではなく大治癒師と呼ぶ。

 だが患者の家族には、相手が司祭なのか臨時司祭なのか見分けが付かない。高位かどうかも分からない。だから医者を先生と呼ぶように、治癒院で働く神殿長以外の治癒師はみんな「司祭様」と呼ぶ。


「そこの診察台に寝かせて」

「はい」

「お願いします、司祭様」


 司祭に言われた助祭がお爺さんを診察台に寝かせようとする。お爺さんもなんとか身体を起こそうとして、お爺さんの妻であるお婆さんも支えた。

 ちなみに医療費は無料。

 神宝珠の加護は都市の存立と同義であり、それらを保つアルテナ神殿の維持費は王国から全額が出る。

 財源に関しては、ベイル王国の場合は都市民税という形で最初から徴収されている。都市民税を払わない者は都市から追い出す。

 あとは寄付の形で、治癒行為を受けた者達が自発的にいくらかを出す。そちらに決まりは無い。


 『単体麻痺解除』


 司祭が麻痺解除を刻んだ指先からスキルが発動して、パアアアッと白く輝いた。

 白い光を浴びたお爺さんは気持ちよさそうに寝ているが、治癒師の方は気楽を装いつつもわりと真剣だったりする。

 脳梗塞の発症時間が分からず、脳がどの程度ダメージを受けているのかも不明だ。死んだ脳細胞まで再生治療できるのはリーランドの大治癒師くらいで、ようするに司祭では完治させることが出来ない。

 それに今回のケースは分かり易いが、腹痛で来られた時など何が原因なのかサッパリ分からないこともある。診立てを間違える事もあるし、傷病名自体が不明になる事もある。検査方法は限られており、診断にも限界がある。

 各種の状態解除スキルを手当たり次第に全て使う奥の手もあるが、今回のような場合には治し切れず、マナを使い切ると次の患者さんに対応できなくなるので、それはあまり推奨されない。

 治癒魔法を掛けて患者の生体機能をマナで補ってから経過観察したり、助祭のアドバイスを受けて薬を出したり、どうしても手に負えなかったら他の司祭に相談したりと色々なやり方があるが、それは司祭ごとの判断となる。治療のガイドラインなど無い。

 だが一つだけ言えることは、その都市の治癒院で治せなければ基本的にどうしようもないので、その時には諦めてもらうしかないと言うことだ。




 リオン・ハイムを長とする医療技術研究所は、そんな治癒院の隣に建っている。


 医療技術研究所があった場所は、元々は治安騎士の分署だった。

 都市拡大によって役割が増えた治癒院から『邪魔な物品を出して病床数を増やす』という名目で治安騎士が追い出され、そこをリオン達が借り受けた。地上3階、地下1階の立派な石造りの建造物である。

 そのために1階と地下には工房や加工室、リネン室、衛生材料室、物品庫、各種倉庫などが置かれた。各種倉庫は、治癒院の管理物品が殆どを占めている。

 2階には事務室、3階には宿泊機能を兼ね備えた休憩室がいくつかあり、これは治安騎士の分署だった時と変わらない。ちなみに地下は、元は牢屋である。


 設立目的は2つ。

 1つ目は、治癒院が治療しやすい医療器具や衛生材料などを用意すること。

 2つ目は、完治を諦めてもらった患者の不便な生活をなるべく解消すること。


 リオンの補佐要員には、イルクナー宰相代理の直筆命令書を携えた技術局の職員と、医務局の職員が何人かやって来た。彼らの人件費はもちろん国が出す。

 それとは別にリオンが予算内で自由に人を雇っても良い。アロン・ズィーベルたち同級生の何人かはそうやって雇った。

 管理や折衝が大変だが、当面はユーニス・カミン高司祭がほぼ専従で相談役に付いてくれる。


 予算は、宰相代理が個人的に使える範囲から毎月40万Gが割り振られており、年間では480万Gにもなる。それとは別に、立ち上げにかかる支度金300万Gも渡された。足り無ければ言ってくれとも言われている。

 これはイルクナー宰相代理の左腕の義手を作った事が高く評価されての事だ。

 元々医療技術の価値はそれなりに高いと思っていたリオンだったが、どうやらイルクナー宰相代理が持っている期待はそれ以上に高いらしい。


 国立の医療技術研究所はこうやって始動した。






 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇






 入院後、お爺さんは侍祭アコさんに連れられて医療技術研究所へやってきた。その隣にはお婆さんも付き添っている。


「…………(す)……(ま)……(な)……(い)……(ね)」

「すみませんねぇ」

「いえ、大丈夫ですよ」


 リオン・ハイムは社交辞令に付き合いながらお爺さんの運動機能を調べ、紙に何やら書き込んでいた。

 お爺さんは完治できずに麻痺が残ってしまった。


「早く退院しないとご迷惑ですからねぇ」

「そんな事無いですよ。しっかり治して下さいね」


 侍祭アコさんはお婆さんにそう言ったが、治癒院としては早く退院して欲しい。

 都市で唯一の高度医療を施す治癒院は、老人ホーム化して治癒機能を喪失する訳にはいかないのだ。ベッドが満床になれば、奥の手として司祭による退院の促しもある。

 司祭さまに言われると大抵の人は言う事を聞く。何しろアルテナ神殿を維持している司祭さまの一人だ。逆らえるのはアル中の酔っ払いくらいしかいない。

 だが、伝家の宝刀は抜く度に価値を損なう。だから他の手段で何とかしようと試みる。


「助祭さんには自宅に帰った後も歩く訓練を続けて、食べられるようなら擂り潰した納豆を食べなさいって言われたんだけどねぇ。うちだと納豆は食べられないねぇ。侍祭さん、あんたはなんで納豆が良いのか知ってるかい?」

「ええと、助祭様は色々研究している方ですから。もしかすると、食べた人と食べていなかった人に差があったのかもしれません」

「そう言うものなのかねぇ」


 お婆さんと侍祭さんが雑談する間に、リオンはお爺さんの身体の状態を調べ続ける。そして結論を出したらしく、裏手の工房の方に声をかけた。


「アロン、四点杖だ。長さは調節可能な中タイプ。先端は全てゴム。握りは革で……」

「おやまあ、うちはそんなに沢山のお金は無いよ」


 リオンの声を聞いていたお婆さんが口を差し挟んだ。


「いえ、これは全て無料です。お金はイルクナー宰相代理から頂いていますので」

「それで本当に良いのかい?」

「ええ。ただし使い勝手に関しては、1ヵ月ほど経ったら教えて下さい。どんな不都合があったのか、どこを直せばもっと便利か、そうしてくれると助かります」

「そんなので良ければいくらでも話に来るよ」


 無料に安堵するお婆さんに対し、リオンはここぞとばかりに使い勝手を教えてもらう約束を取り付けた。

 使用者を無視した道具を作るなど、道具屋として最低だとリオンは考えている。それでは自分に錬金術を学ばせた親父に会わせる顔が無い。


「おーい、リオン。革は何製にするんだ~?」

「……リュークロコッタ」

「うげっ、あんなに高い素材をか!?」

「構わん。あれは手触りが良くて、おまけに握り易い」


 アロン・ズィーベルは素材の高さに驚いたが、リオンがリュークロコッタを選んだのには金銭以外の理由があった。

 宰相代理のアドバイスを参考に開発した四点杖は、先端が4つに分かれて安定性が高い。長さも身体に合ったサイズの物をさらに調節するので、不満は出にくいだろう。そして値段は無料なので、そちらで不満が出るはずもない。

 だが無料の代わりに意見を言って欲しいとお願いしているので、何かしらの不満を頑張って探そうとする。

 そんな状態で使用者が出す感想を先読みすれば、持ち手に関してが最も多くなるはずだ。「良い杖だけど、革が肌に合わなかった」とか、リオンには問題が無いという形で何かを言おうとする筈だ。

 だが、リオンはそんな事は望んでいない。もっと好き勝手な事を言ってくれて良いのだ。あるいは根本的な事でも良い。

 リオンに言ってくれれば、身体の状態を補う器具が造れるはずだ。手が使えるなら手を使って身体を補う物が、胴なら胴を、首なら首を、あるいは全く身動きが取れなくても介助者を補助する道具なら造れるだろう。


「持って来たぞ」

「よし、じゃあ調整するか」

「どうもすみませんねぇ」

「……(あ)……(り)……(が)……(と)……(う)」

 (4年前に比べると、出来る事が圧倒的に増えたな)


 リオンは、4年前の自分に患者を任せようとは思わない。

 当時は人体の構造や機能も知らなければ、都市アクスの工房通りで扱っていない素材も殆ど知らなかった。道具も加工技術も今とは雲泥の差がある。

 輝石分野に関しては一般都市民が持っている知識と大差なかった。調合や付与への理解など、錬金術学校の1年生にも劣る。

 どうやら本当に井の中の蛙だったようだ。


「…………親父が錬金術学校に行けと言った意味がようやく分かったな」

「ん、何か言ったか?」

「なんでもない」


 あのままだと道具屋ハイムは自分の代で廃れて行っただろう。だが自分を拾ってくれた工房を潰すまいと、プライドを捨てて必死にしがみついていたはずだ。

 その心境を察するに、あまり良い人生にはならないだろう。

 心が荒み、大酒を呑み、品質を落とし、客に金を吹っかけ、違法商売に手を出し、あるいは金持ちの娘との結婚でも狙っていたかもしれない。そんな店はすぐに評判が落ちて、やがて工房通りから弾かれる。

 全ては想像だ。違う道を進んだリオンには、違う未来が待っている。


 (道具屋を継ぐ必要も無いな。親父はその方が喜びそうだ)

「おいリオン、このくらいの高さでどうだ」

「ああ、もう一段階低くても良いな。数日で使い慣れるはずだ」


 バダンテール歴1263年。

 国立医療技術研究所の噂は、瞬く間に都市内外へと広がって行った。

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