第11話 結の日
バダンテール歴1263年3月1日。
アクス錬金術学校において、第一回生の卒業式が執り行われていた。
第一回生であったが故、王国側にも不備な点は多々あった。大きな点では施設や設備の不足、小さな点では食堂のメニューなど多岐に渡る。
だが、だからこそ第一回生たちは錬金術学校の在り方と伝統を自分たちが王国と共に創り上げたと自負している。
式場で誇らしげな学生たちの顔を見渡した学校長ローデリヒ・ベルガーは、満足気に頷いた。
「諸君らはこの3年間で初級の錬金術を修め、基礎的な知識を身に付けた。さて、ようやく雛を卒業して学校を巣立つ若鳥たちに、親鳥から上手く飛ぶコツを伝授しよう」
殆どの学生にとっては、おそらくとても短いと感じられる充実した3年間だったろう。
確かに3年間は短い。15歳で入学したとして、卒業は18歳となる。これで一人前の錬金術師と称するのはおこがましい。
彼らはまだ学び足りないだろうし、教師たちも教え切ったとは思っていない。だが、10年教えたところで完璧になど育たない。学校で教えられることには限界がある。
この辺りで社会に放り出す方が良いのだ。その為に3年間で必要な知識を教え込むカリキュラムを組んでいる。あとは彼らが学んだ事を活かし、あるいは新たな事を学んでいくしかない。
「諸君らはこれまで、国家の存亡に関わる戦時下にも関わらず、生活費補助や授業料免除を受けられた。それは、王国に錬金術師が希少だったからだ。だが今後は、諸君らの後輩たちが毎年続々と社会に出てくる。新たな技術、新たな知識を身に付け、やがて諸君らを追い抜いて行くだろう。今有用な諸君らが、将来も永遠に有用であるとは限らない」
言われてみればそれは当たり前のことである。最新の技術が10年後も最新であるとは限らない上に、近年のベイル王国の技術躍進は目覚しいものがある。
錬金術学校に居れば新技術は容易に学べるが、卒後に学ぶのは困難だ。だが後輩たちは、そんな新技術を学んでから社会に出てくる。
「過信、驕りは捨てたまえ。謙虚に誠実に学び続け、研鑚を続けて周囲との信頼を築き、諸君ら自身の価値を高めたまえ。全ては等価交換である。不誠実な者が、誠実な扱いを受けるなどとは思わない事だ。もう古巣には帰って来なくて良い。飛び立った新しい場所で、新しい関係を構築したまえ」
まるで稚魚の放流のようだ。と、学校長は思った。
ベルガー達が3年の月日をかけて丁寧に育てた彼らは、旅立った見知らぬ大海で一体何を見つけるのだろう。
すぐに大魚に食われる者もいるだろうし、穏やかな海を見つける者もいるかもしれない。大きく育って名を馳せる者もいるだろう。
だがそれらは、今後の彼ら自身の問題だ。教師にそこまでを見届ける事は出来ない。
巣立った若鳥は、自分たちの力で飛んでいくしかないのだ。ベルガーは、彼らの旅の幸福を願うばかりだった。
「諸君、卒業おめでとう。今後、良い人生の旅をしたまえ。以上だ」
レナエル・バランドは、183名の同級生と共に錬金術学校を卒業した。
Ep07-11
卒業パーティは、新築された錬金術学校の新食堂で行われた。
アクス錬金術学校は仮校舎として兵舎を使っていたが、3年の時を経てついに新校舎が完成したのだ。
かつての兵舎に比べて10倍もの広大な敷地には、広い図書館、錬金術に用いる植物園や、各種鉱物などの備蓄庫、ラットなど実験動物の飼育場、製錬場・精錬場・精練場・溶鉱炉などの必要な各種施設が揃っている。
その他にも学生のために充実した食堂、サロン、売店、教師棟、研究棟、クラブ棟、体育館、更衣室、水飲み場、講堂、多目的会議室、ホール、音響室、学生寮、予備の教室や空き倉庫など様々な施設が揃っている。
そして余っている広い敷地には、必要に応じて新たな建物を建てる事も出来る。
運用は4月からで、第一回生はこの新校舎で学ぶ事が出来なかった。
だからせめて最後に、最初の利用者として卒業パーティをさせてやろうとの学校側の配慮で新校舎にて行われる事になったのだ。
大半の生徒は役人になる。
だが、一部の生徒はその例外だった。
タニア・ジャニーは、ジャニー商会で技術開発部門の長として働く事になった。その傍らには、付き人のキスト・サンが従っている。
「キスト君、転生竜の素材集めでは負けちゃったけど、香辛料と香水の分野はジャニー商会が牛耳ろうね!」
「お嬢様の仰せのままに」
属性鉱石の分野で群を抜いていたリオン・ハイムは、王国の出資で立ち上げられた医療技術研究所の所長に就任する。研究所にはアロン・ズィーベルら何人かの生徒も研究員として卒後に勤める事になっている。
「アロン、付き合わせてすまないな」
「いや、俺の為でもあるしな。義足の俺なら、開発した義肢のどこが不都合か容易く分かるしなぁ」
「ああ。それとイルクナー宰相代理の知己を得たのは大きいな。どうやら俺たちへの期待も大きいようだが」
「その代わりに人員も沢山付けてくれるんだろう。まずは完璧な義足からだな。松葉杖、歩行器、色々やって行くぞ」
「ああ」
ウィズ・ハルトナーはハルトナー信号弾の発明によって莫大な特許料を手にしたが、それを元手にまた新しい研究を行うらしい。いずれにしても、民間の錬金術研究所の第一号はウィズが設立することとなった。
ちなみにペドラ・マクティカは、ウィズに巻き込まれて研究所に所属させられており、その隣には第一期の最優秀生徒であるアニトラ・ベルンハルトも当然のように一緒にいた。
ウィズはハルトナー信号弾の基礎理論にアニーの協力を得ている為に「僕の研究所に誘ったのはペドラだけだよ」とは言えなかった。そう、同伴が駄目だとは言えなかったのだ。
「爆発……爆発……」
「最近のウィズは元気だな」
「そうですね。でも、どうしてでしょうか。目は虚ろみたいです?」
トト・クワイヤ、リコリット・ホーン、ニーナ・ジルクスらは一応役人に属するかもしれない。錬金術学校の教師となる事が決まっている。
いずれも入試時点から90点以上を出していた英才たちだ。今後は新たな教師の一員として己の研究を進めると共に、次世代を担う錬金術師たちを育てて行く事になるのだろう。
「体質改善には医薬品だけでは非効率だね。タンパク質、コレステロール、アミノ酸、ビタミン、カルシウム。栄養学も併用した方が早いかな。僕を治してくれた先生もそうしていたし」
「私は無罪。もう追われない…………」
「さて、次は誰の二番手になるのかしらね」
ダビド・エア男爵令息は、無事卒業して領地に帰る事になった。その隣にはルーナ嬢が付き従っており、領地にはランスケープ工房の支店長を任される事になるフィリオ・ランスケープも少し遅れて着く予定だ。
「父さんが錬金術を理解してくれて良かったよ。アクス侯爵閣下のお口添えも頂けたけどね」
フーデルン男爵領ではランスケープ工房に与えられる広い敷地において新繊維の製造と開発が行われる。ちなみにフィリオが同級生たちに声をかけて回った所、開発者には特殊繊維分野の特待生だったユティサ・リーチとマリ・エルゲが参加を表明してくれた。
「フィリオ先輩には貸しがありますから。責任とってもらわないと」
これは錬金術学校の移転によって地元の本屋を閉店せざるを得なくなるユティサの言である。
ちなみに貸しが何であるかについて、フィリオは敢えて触れなかった。
ハゲの乱の時に噛みついた貸しだと言う事は分かり切っている。不可抗力だなどと言い逃れをするつもりは無い。
「先行投資してくれたんだし、少しは返却してあげないとね」
こちらはマリ・エルゲの言である。
ちなみに先行投資が何であるのか、フィリオは良く分からなかった。フィリオやランスケープ工房がマリ・エルゲに貸しを作った覚えは無い。
「よく分からんが、就職の支度金はきちんと払うつもりだ」
「あら、じゃあ遠慮なく。貰った分は仕事で返すわ」
「それで構わない。頼むぞ」
そんな184名の卒業生が歓談して賑やかな会場から最初に退場したのは、レナエル・バランドだった。
「卒業パーティ、出なくて良かったのか?」
「乾杯の時だけ居ましたよ。それに先約はこちらでしたから。3年もお待たせしました」
レナエルも4月から錬金術学校の教師に誘われているので新校舎を使う機会が存分にある。
他にもさらに何人かが教師に誘われているらしいが、レナエルに関しては研究成果が大き過ぎるため、王国に属した方が身の安全のためだろうと言う王国側の配慮だった。
同時に同窓会の取りまとめ役も何人かと共に仰せつかった。もっとも、卒業生の大半は公務員に成るので連絡も取り易いだろうが。
力強い時代だな。と、ロランは思った。
都市を歩けば、ベイル王国の変化が否応なく分かる。
ロランが進んできた大通りは今でこそ新しい建物が並び立っているが、5年前には加護すら届かず何もない通りだったらしい。
アクスのような大都市だけではなく、クーラン王国との国境にある国内最北の第一宝珠都市マイアスですら、流通が活発で活気にも溢れ、人々の顔には堂々とした自信があった。
王国の役人や兵士は規律正しく、貴族や大商人も決して権威で威張り散らしたりはしない。法は地位や身分の高い者により厳格で、イルクナー宰相代理の目は今や王国全土を見渡し、その両手は表裏から王国全土へと伸びている。
それは国家管理システムをことごとく創り直した構築者が、そのまま熟知しているシステムの運用まで同時に担っているからだ。加えて周囲の権力者たちが体制を支え、大多数の民衆まで強固に支持している。すると税率や制度の補正や軌道修正がし易く、目標に向かって常に最短で進んで行ける。
獣人帝国という最大の国難に立ち向かう政治体制が一元化されて、宰相代理に丸ごと託されたと言い換えても良い。
今のベイル王国は、とても強い。
出自がインサフ帝国の平民である宰相代理に対しては反対や反感、疑惑を持つ者もかつては少なからずいたが、彼らの主義主張は時間経過と共に変節を辿った。
(改革の導き手……か)
わずか4年半。
国王の全面的な承認、次期女王と言う配偶者、アクス侯爵を筆頭とした貴族界と、ハーヴェ侯爵を筆頭とした財界の支援、民衆と難民との数百万人の強固な支持。それらに宰相代理の武勲と、政治手腕と、膨大な知識とが加わってベイル王国は躍進した。
いや、躍進し続けている。
「ああ、着いたな。今日は貸し切りでお願いしてるんだ」
「ここは2年半振りくらいですね」
目的地に着いたロランはそう言って立ち止まった。
ロランとレナエルが到着したのは、ドリー事件以降避けて来た喫茶店だった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
店主が食前酒を運んで来て下がった後、ロランは徐に二つの指輪を取り出した。
一つ目は、センターストーンに青色の宝石が用いられた結婚指輪。
女の結婚指輪のセンターストーンには、最初の妻なら青色の宝石、2人目の妻なら緑色の宝石、3人目の妻なら黄色の宝石、4人目の妻なら赤色の宝石を用いる風習がある。
二つ目は、転姿停滞の指輪。かつて竜を構成した竜核は、血色と属性色を混ぜて薄めたような色をしている。
「レナエル、俺と結婚してくれ」
「…………3年間、気が変わったりしませんでした?」
「これっぽっちも」
単刀直入なロランに対してレナエルが驚きつつもすぐに言葉を返せたのは、あらかじめ錬金術学校の卒業後に答えを出す事を約束していたからだ。
「こちらの竜核は何ですか?」
「6等級の45年物。この前ジョスランさんの依頼で竜を倒しに行った時に手に入れたんだ。他にも7等級の30年が2個あるけどな」
転生竜退治の最大の成果が竜核だった。
ロランが元々持っていた7等級の1個だけでは2人に使う事が出来ない。
もし結婚を申し込む時に間に合わなかったとしても、2個目は必ず手に入れるつもりだった。だが1月に手に入れて、2月に都市アクスへ戻り、鍛冶屋を引退したツェザール・ベルガウに加工を依頼してギリギリで間に合った。
「それだと私が45年停滞して、ロランさんが30年になってしまいますよ」
「逆は嫌だな」
「……私への転姿停滞の指輪、45年の6等級じゃなくて、30年の7等級にしてください」
「どうしてだ?」
「だってロランさん、もう一つの6等級を手に入れようと無茶をするでしょう。嫌ですよ、数年で未亡人なんて」
「確かに7等級は2個あるけど」
「6等級はレオノーラにあげれば良いじゃないですか。最終的にノーラは17歳年下になるわけですから、もし仮に私がロランさんより先に死んでもあの子が残ってくれますし」
「……先に死ぬとか困るな」
「ほら、相手に死なれると困るでしょう。私も困るんですから」
捕らぬ狸の皮算用ならぬ、捕った竜の核算用であった。
「結婚の条件に、私達が二人とも7等級の指輪を嵌めてロランさんが無茶をしないと言うのを加えて下さいと言ったら、加えてくれますか?」
「もし結婚してくれるなら7等級は良いけど。無茶は程々にするくらいにして欲しいな。だって俺は冒険者で、安全な場所にばかり籠っていたら冒険者じゃないし」
「ではロランさんが早々と死んだら、私も後を追って死ぬ事にします」
「……なんでだよ」
「そんなに早く先立たれると、生きていても不幸だからですよ」
「……リリヤさんも、サロモンさんの後を追ったな」
冒険者が冒険をするのは生業で、自重するのは難しい。
だが慎重に立ち回っていれば回避できたドリー事件があり、欲に目が眩まなければ回避できた4格の転生竜退治があり、ロランもいくつかの痛みを受けて来た。
だからロランはレナエルの言わんとする事も分かった。
「ロランさんは冒険者として活動する時に、自分だけじゃなく家族の事を考えてくれますか。一人で勝手に死なないですか?」
「ちゃんと考えるよ」
「本当に考えてくれますか」
「レナエルの言葉を最初に考えるよ」
「口煩く言っても、伝えるのが下手でも、本心ではロランさんの為に言っていると分かってくれますか」
「結婚の申し込みの時に言われたと覚えておく」
「ちゃんと約束を守って下さいね、私への冒険者様。では『アルテナの加護の下に結婚の申し込みをお受けします』」
バダンテール歴1263年3月、ロランとレナエルは結婚した。
























