第10話 奈落の底にて 後篇
獣人帝国の支配に下った神宝珠の安置場所に、久しぶりに神殿長以外の来訪があった。
私やエリザは生前に大祝福3を少し越えていて、全体状態回復のスキルを用いる事が出来る。
つまり金のマナで構成されるエリザは、自由自在に肉体をマナに戻す事が出来る。私の安置場所にマナとして流れて来て再構成する事も可能と言う事だ。
そして私は、神宝珠から神に戻る事も出来る。昔、アトリーにヒントだけ与えた事がある。あの子が祝福85で止めたと聞いたから、結局最後までは教えなかったけど。
「アトリーが完全に滅んだらしいわよ」
エリザは、わたしがアトリーを思い出した瞬間に彼女の消滅を告げた。
いくらエリザが姿を変えられると言っても、遠く離れた地の事までは分からない。
こう言う調べ物はサモナーのジャンナが得意。
魔喚のエレウテリオのせいでサモナーは邪悪な存在とされたけど、エレウテリオが生まれる前にはサモナーも少なからずいた。
そんな少なからずいた中でも最高位だったジャンナが見たなら間違いない。アトリーは滅んだのだ。
「そう、今まで頑張ったね」
「転生竜は魂の抜け殻だけれど、強い思いが残って必死に祝福を上げようとしていたみたいね。そんなの不可能なのに。ところでセレスの宝珠格、また落ちたわね」
……いまいくつだっけ。大祝福2の子でも作れるくらいかな。本当に困ったね。
そう思ってエリザを見ると、エリザの階層も私くらいにまで落ちていた。
どれだけ無理をしたのか、それだけで分かる。無理は、無理だから無理って言うのに。それでよく滅んでないね。
「ねえセレス、奈落の底って知ってる?」
「獣人に計画を破壊されたわたしたちの現状?」
「そう、それ」
エリザは長い耳を僅かに垂らし、薄紫の瞳を細めながら、穏やかな表情と声色でそう言った。
「エリザ、もしかして悲しいの?」
「よく分かったね」
Ep07-10
「あああぁぁあぁぁあああああっ!」
ロランは腹の底から叫び声を上げ、竜の全身に剣を大きく突き立てながら感情が迸るままに当たり散らした。
突き立てる時の感覚は先程までと全く違い、アダマント製のロングソードの剣先が竜鱗を軽々と貫いて竜の身体に容易に突き刺さっていく。
「まさか、大祝福2の壁を越えたのか!?」
「膨大な経験値が入った事に間違いは無い。転生竜の生前の祝福が85以上なら、ロランは大祝福2に達する」
ドロテオが呆れ、レナートが冷静に分析した。
「ドロテオ、下位竜を1匹しか倒して無かっただろ。俺は3匹倒した。お前もあと2匹倒して上げてくれ」
「その代わりに俺とレナートの分配は公平にと言う事か?」
「もちろん」
参加した際に大祝福未満だった二人は、竜核の分配は得られるが輝石の分配は条件に入っていない。このような結果に成ったからと言っても、そこだけは守るつもりだ。
参加しない冒険者も居る前で約束した手前、そこを変えては今後の冒険者としての信用問題に関わるし、嫉妬や反感も大きくなるだろう。
分け前を増やす為に犠牲を出したなどといった言いがかりの口実を与えては堪ったものではない。
その代わりに経験値を頂こうという訳だ。こちらなら「参加しなかった奴に倒した敵の経験値について口出しされる筋合いは無い」と言い返せるし、誰が聞いてもその通りだと支持してくれる。
「いいだろう。有り難くそうさせてもらう。どうせなら2匹より多く残っていたら良いんだがな」
「いや、無理だろう。急いでくれ。時間が立てば虫の息の転生竜が死んで数が減るぞ」
「おう」
ドロテオは経験値を得に、レナートは竜核を得に動いた。幸いにも昼前で視界は明るい。
竜核を集めるのは比較的容易だ。
竜核は竜の心臓があった辺りに存在する。竜核の力を、心臓の位置から血管を通して血液と共に循環させているのだ。
よって過去に滅んだ竜ならば、竜骨が残っている場所を見れば基本的には心臓の辺りに落ちている。新しい竜の死体なら心臓の辺りを割いてみれば良い。
それと放置状態の強い輝石に関しては、『探索』のスキルを持つリュカが居るので効率的に集められるだろう。大きくて強い物ほど反応が大きいのだ。
小さな弱い輝石などの取り残しは、待機組に分配を約束する代わりに回収させても良い。サロモン達の埋葬や帰還時の護衛をやってもらう手もある。
「うおおおおっ!!」
一方ロランは二人の行動にはお構いなしに突き立てていた剣を掴み直して振り被り、全身で水平に薙いだ。
ガギンッ。
金属同士が衝突する鈍い音がして、その瞬間にロランは冷静になった。
鍛冶屋のツェザール・ベルガウが、生涯で最後に打ち直してくれた大切なロングソードだ。八つ当たりにも程がある。
「……はぁ」
「気は済んだか。スティーグが重傷だ。あいつの分配を減らしてお前の分を増やすから、すぐにお前の回復剤をくれ」
「サーセン」
リュカは生き残ったスティーグの様子を見て来ていた。
市販の回復剤は副作用があり、1日1本しか使えない。
リュカは並よりやや良い程度の物しか持っていないが、ロランの婚約者とその父が回復剤を研究する錬金術師で、雇い主であるジョスラン・ベルネットの命を救うほどに良い物を持っている事は知っていた。しかもロランの薬は、1日に何本も使える。
ロランが出した2本の瓶は、宿屋でオデットに渡した生命力が200も回復するレナエル手製の回復剤と同じ物だ。
甘い為にスティーグの口には合わないかもしれないが、従来の回復剤とは素材が違うので即効性が高い。
「即効性が高いです。肋骨が臓器に刺さってるような状態だったら不味いっすけど」
「いや、そこまで酷くは無い。おそらく2本飲めば動けるだろう。動けるようになったら竜核の取り残しが無いか確認してもらう。何かしておかないと、あいつも気にするだろうからな」
生存者はロラン、リュカ、スティーグ、レナート、ドロテオの5人だった。
祝福に関してはロランが46から60に、リュカとスティーグは45と38のまま変わらず、レナートは24から37に、ドロテオは26から36に上がった。
スティーグは戦闘に殆ど加われなかったので経験値に関しては仕方が無いとしても、リュカは『探索』や『鑑定』のスキルを使って最期まで貢献したので分配は大目にと言う事に成った。
そもそも4格竜が1頭、2格竜が4頭、1格竜が11頭争っていた現場であった。
だが過去にも倒された転生竜たちが沢山居たようで、結局竜核は総数よりもかなり多い23個も拾えた。しかも、一度も姿を見ていない3格竜の6等級まで混ざっている。
3等級 1個 (108年 -9歳)
6等級 1個 ( 45年 ±0歳)
7等級 4個 ( 30年 ±0歳)
8等級 4個 ( 18年 ±0歳)
9等級 5個 ( 9年 ±0歳)
10等級 8個 ( 3年 ±0歳)
ロラン =6等級1個、7等級1個、9等級1個、10等級2個、輝石多数。
リュカ =3等級1個、8等級1個、9等級1個、10等級2個、輝石多数。
スティーグ=7等級1個、8等級1個、9等級1個、10等級2個、輝石多数。
レナート =7等級1個、8等級1個、9等級1個、10等級1個。
ドロテオ =7等級1個、8等級1個、9等級1個、10等級1個。
3等級など、本来は大国の王ですら手に入れられるものではない。4格竜を見つけても、何度も殺して滅ぼすまでの間に先に王の寿命が尽きてしまう。犠牲だって途方も無い。リュカの損はこれですべて帳消しと成った。
ロランに関しては、ベイル王国の4格竜退治の時に傭兵として参加して下位竜の7等級の竜核を手に入れていたのでこれで2つ揃った形だが、同時に6等級を手に入れた事で少しだけ面倒な事になった。
7等級をレナエルと装備し合う事は出来るが、どうせなら6等級をもう一つ手に入れて……と欲が出る。
6等級は3格の中位竜が落とす。中位竜は大祝福2の冒険者が基となった転生体だ。いくらロランが大祝福2になったからといって、もう一度馬鹿な事をすれば今度こそ死んでしまうかもしれない。
(レナエルに6等級を使ってもらって、俺は7等級を使うと同い年が最終的に12歳差になるのか。幼な妻………………その手があった!)
ロランがアホな事を考えている間に時間が経ち、待機組が恐る恐る様子を見に来た。
ジョスラン・ベルネット氏への報告が行われ、指揮権をリュカが引き継ぎ、待機組は輝石のお零れと引き換えに転生竜の竜皮と竜骨を剥いで馬車に積み込む作業を引き受けた。
お零れと言っても沢山ある。ベルネット商会の者たちも拾って良いとされた。その代わりに商会の者や御者たちも穴を掘るのを手伝ってくれて、簡単な墓標が作られる。
死者の冒険者登録証は回収され、死亡が冒険者協会に届けられる事になる。それと冒険者協会に登録する際に一緒に届け出ておけば、手数料と引き換えに遺族への遺品の引き渡しもやってくれる。
ロランはサロモンに教えられた。と言う事は、サロモンは多分している。受け取り先の一番目はリリヤだろうが、何番目かには実家の家族の名前と住所が記されているはずだ。
ロランは迷った。
サロモンの登録都市が第二宝珠都市ベルセラに在る事は知っている。
サロモンとリリヤは、サロモンが祝福50になったら冒険者を引退して、サロモンの実家がある都市ベルセラで生活するはずだった。
そしておそらく、4格竜が居なければ下位竜の1頭でも倒してそうなっていたはずだった。
サロモンの遺族に遺品を届けに行ったら、一体何と言われるだろうか。
でもどんな戦いをして、どんな生活を送っていたのか、家族は知りたいのではないだろうか。
ロランがお礼を言えば、そしてサロモンが立派な冒険者だったと言えば、サロモンの家族は報われるんじゃないだろうか。だが逆にもう少しで引退だったのにと言う未練を与えて、余計に悲しませてしまうだけかもしれない。
淡々と冒険者協会から遺品が送られてくるだけの方が、心の衝撃が少ないかもしれない。
「スティーグさん。サロモンさんの遺品、俺が家族に渡しに行ったらどんな感じになりますかね」
「ハッキリ言って、お前は遺族への死の告知役に向いていない」
「そうっすね」
「それに、冒険者の遺族には救いがある。竜を倒した冒険者は、死後に神へと至って都市の維持に携わる。生き残っている者達を守ってくれるのだと。もしかしたら他の都市に隠し子が居るかも知れないと期待するかもしれん。そんなサロモンの親の希望を奪ってやるな」
「ういっす」
「人は落ち込んでいた状態から立ち直る時に、色々と都合の良い解釈をするものさ。それよりもロランが意外に落ち込んでなくて安心したぞ」
「サロモンさんとリリヤさんの考えてる事はなんとなく分かりますし」
サロモンとリリヤは、ロランが落ち込んだり自責の念に駆られる事を良しとはしないだろう。そんな事をすれば、むしろ全体のリーダーで最終決定を出したサロモンを責める事になる。
リリヤに関しても、サロモンが居ない世界で生き永らえるを良しとしなかっただろう。いつもサロモンの隣に座っていたように、サロモンの後を追いかけて行ったのだ。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
―――帰路のクーラン王国で野営していた夜更け、ロランは浅く眠りながら昔の夢を見ていた。
俺に向かって、矢がヒュンヒュンと風を切って次々と飛んでくる。
その刹那、俺の後ろから矢がヒュオオオオッと大気を振るわせながら盗賊へと突き進んで行った。
「はへっ?」
驚愕する俺の視線の先で、盗賊の1人が頭部を吹き飛ばされながら落馬した。
慌てて背後を振り返ると、17~19歳くらいの可愛い女の人が箱馬車の先頭に立って、ロランに向かって右手をひらひらと上品に振ってくれていた。
彼女はボリュームのある長い茶髪を揺らし、翡翠のように緑色な瞳を細めて笑っている。左手には立派な弓、手を振る右手には矢が1本。
(あの人は天使だ)
ロランは、出会った頃のリリヤとはもう同い年になっていた。
「おいっ、契約違反だぞっ!」
一番先頭の冒険者を乗せた箱馬車の御者さんが、不埒にも天使に向かって大声で怒鳴った。
すると弓矢を持った天使さんの横合いから、年齢20代半ばと思わしき筋骨隆々な戦士がスッと出て来て、御者さんよりさらに大きな声で言い返した。
「あのボウズは馬車に乗車していた客だろう。護衛依頼の対象には客も入っているな?それともハーヴェ商会は客を見捨てるのか!?」
「ぐぬっ」
サロモンは20代半ばではなく23歳だった。
リリヤの彼氏だと思ったロランの主観による評価で、サロモンの顔が老けて見えただけだった。
「ぐあっ!」
狙いの外れた盗賊の剣が俺の背中の鎧部分を薙いだ。
俺が格好良さの対極にある声を出しながら大街道を側転すると同時に、剣の刀身同士がかち合う音が響いてきた。
「そんな戦い方だと、あと3回くらい死ぬぞ。お前はまず自分の身を守れ」
いつの間にか追いついていた筋骨隆々な戦士さんが、俺に追い討ちをかけようとした盗賊の剣を弾きながらそう言った。
祝福19だったロランの目から見て、祝福39のサロモンはすごく強かった。
まだ技量は届かない。中位竜を倒す前の祝福46のロランと祝福39だった時のサロモンが戦ったとしても、明らかに技量差でサロモンの側に分があった様に思う。
サロモンは9歳年上の、どうにも師匠っぽくない師匠だった。サロモンに師匠の自覚は無いだろう。だがロランにとっては冒険者になった後の3年間、色々と教えてくれる先達冒険者だった。自然体で教え方が巧いサロモンに、ロランは色々と教わった。
(勝てないまま死なれたら、一生勝てないままじゃないか)
ロランは、サロモン無しで冒険をするにはまだ経験が不足していると自覚している。
だが、それでいて祝福数だけは大祝福2に達してしまった。
(大祝福2……祝福数ではイルクナー宰相代理と同格……100人の騎士を圧して、獣人大隊長を殺して、場合によっては戦局すら覆せる強者……俺が?)
ロランに大祝福2へ到達したと言う浮かれは無かった。逆に、今のままでは死んでしまうと思った。
まだまだ死ねない。
ロランは生き延びる事が出来た。せっかく教わっておきながら、サロモンが失敗した同じ轍を踏む訳にはいかない。
(……落ち着いたら、スティーグさんやリュカさんに相談してみよう)
翌日、ロラン達はクーラン王国を抜けてベイル王国領へと戻った。
























