第11話 冒険の始まり
日付が変わる頃、アンジェリカ王女は近衛騎士団と緑玉騎士団を引き連れてようやく第二宝珠都市コフランへと入った。
2個騎士団186名の全員が祝福20以上を受けた者達で、馬も全て軍用馬。しかも馬車と違って荷を引かない単騎駆けである。その行軍速度は6頭立ての高速馬車をすら遥かに上回った。
だが、都市外で襲いかかって来たモンスターと戦闘をすること数度。これ以上の行軍は馬が保たない。時間は惜しいが、アンジェリカもさすがに騎士団に休憩を命じざるを得なかった。
その間にアンジェリカは、騎士団長2名を引き連れてコフランの騎士隊の詰め所で情報を集める事にした。
最新の情報が次々と入っていた。
「アンジェリカ・ベイルです。獣人侵入の対応について、国王陛下から全権を任されています。わたくしに、コフラン駐留隊の状況を報告なさい」
「はっ、ご報告申し上げます!当コフラン駐留隊は、第一報直後にフロイデン、ハグベリ両方面へ偵察隊を半個小隊ずつ先発させました。また、冒険者協会に義勇冒険者の呼びかけを行ったところ冒険者アドルフォ・ハーヴェがこれに賛同して70名以上の冒険者を集めて都市フロイデンへと向かいました。よって当駐留隊は、全力を挙げて都市ハグベリへ向けて進軍致しました!」
「続報は?」
「はっ、駐留騎士隊はハグベリ方面へと進軍中、ハグベリ大橋にて獣人2個大隊と遭遇……壊滅しました」
「……っ!」
「フロイデン方面につきましては、先行させた騎士からの続報はありませんが、アドルフォ・ハーヴェからの続報がありました。『獣人の部隊と遭遇しこれを撃破、現在は一部破壊された大橋の復旧中である。増援求む』と」
「対応は?」
「……王都へ伝令を出しました」
「他に情報はありますか?」
「以上であります」
「分かりました。現時点でコフラン残留の騎士は何名ですか?」
「軽傷以下の騎士は6名を残すのみであります」
「命じます。このまま情報収集と中継に勤めなさい」
「はっ!」
大橋の復旧中?確かに、『大橋の復旧中』と言った。
準備も無しに復旧作業ができるはずも無い。ならばアドルフォ・ハーヴェは、最初から大橋が狙われると分かって冒険者たちを動かしたと言う事になる。一方騎士隊は、都市ハグベリへ向かってその途中で撃破されている。
同じ情報を得ていた両者の差が酷い。
そしてアンジェリカは、悪い方の組織のナンバー2だ。同格の者はいない。アルテナとの誓約に基づき、継承権を持つのは亡くなった父の一人娘であるアンジェリカだけなのだ。
王国の未来に対する全権限と、全責任がアンジェリカの下にある。
アンジェリカは、後手に回ったハグベリ大橋はもう手遅れだと判断した。しかし、全軍でフロイデン方面へ向かえば、攻防中であろうフロイデン大橋の破壊は阻止できそうだ。
5万人の命を切り捨てた僅かな間に、増援が来た。
「本当に、なんて手際の良い」
北部の都市カノフから、南部の都市エマールから、そして王都方面から、冒険者たちが続々と参集して来た。
この都市コフランへ情報が届いてから、まだ半日ほどしか時間が経っていない。そこから他の都市へ早馬を出しても、この時点で戻って来られるはずが無い。
国境と王都の間だけは、モンスターの飛びまわる大空を渡りきれる優秀な大型伝令鳥で結んである。アンジェリカは、これでも最速で意志決定をさせ、ここまで駆け抜けてきたのだ。
それなのに、どうやって騎士団規模の冒険者を追加で呼び集めたのだろう?
可能性があるとすれば、都市間を移動中だった輸送便の護衛冒険者たちくらいだろう。それを捕まえて呼び集められるのは、アドルフォ・ハーヴェだけだ。
都市外に並べてあったハーヴェ商会の6頭立ての高速馬車が、運ばれてくる冒険者たちをまとめて乗せ換えた。高速馬車の集団はアンジェリカたちを無視し、凄まじい勢いでフロイデン方面へと走り出す。
アンジェリカは半ばあきれつつも、負けじと騎士団をフロイデン大橋に動かした。
いや、完全に負けていた。
疲れた軍馬の代わりを、ハーヴェ商会が都市中から伝手を使ってかき集めていたのだ。そしてアンジェリカが駐留騎士隊の詰め所に入っている間に、それらを騎士団に引き渡していた。
交換した馬については、休ませた後にさらに呼び集めている増援のために使うという。馬の識別番号や交換伝票に記録係まで付いてきていて、万が一には商会が全て負担するとまで……
完全に主導権を握られていた。この国の統治者は誰だろう?
「今度は軍務大臣にでも誘おうかしらね」
アンジェリカはアドルフォ・ハーヴェを将軍に誘った事もある。丁重に断られたが。
そして空が白み始めた頃、フロイデン大橋が既に制圧されている事を知った。獣人にではなくハーヴェ商会にである。
バーンハード大隊は、フロイデン方面へと撤退していた。戦力は7~8割残っているようだ。
彼らはいずれ侵入した他の大隊に合流するだろう。3個大隊規模にもう一度橋を攻められれば、どうなるか分からない。いや、再び落ちる。
アンジェリカは今この瞬間に自分に何が出来るのかを考えた。
アドルフォ・ハーヴェは、再復旧中の大橋付近に多数の馬を並べて休ませていた。馬たちは夜の間に充分な休憩を得ている。
一方アンジェリカは、ベイル王国最強の2つの騎士団を引き連れている。馬は疲れているが、騎士たちは馬さえ変えれば戦える。むしろ敵の方が疲弊しているだろう。
ここはアンジェリカの王国だ。宰相と軍務大臣も居ない。矜持を捨てて頭を下げた。
フロイデンの夜は騎士と冒険者の連合軍によって明かされた。侵入した他の獣人大隊は消耗戦を避けて速やかに撤退し、20万人の人類生存圏が救われた。
Ep01-11
そこは都市コフランの一画にある、ほんの小さな家だった。
手入れされていない庭には雑草が生い茂り、弱った木が無造作に枝を伸ばして佇んでいた。
『松』だ。ジャポーンでは『待つ』という言葉に掛けて、玄関先に植えるのだとハインツは思い出した。
そこはとても小さな家だった。どう考えても大商人が住むような家では無い。水周りはさびている。台所には料理の皿だけがクロスを掛けられて並んでいる。洗濯物は取り込まれ、だが畳まれずカゴに入っていた。
生活感が残っている。アドルフォ・ハーヴェが20年以上前に住んでいた家。新妻と暮らしていた家。
ただ1ヵ所、客間だけ、客間だけ何もなかった。怖いくらいに綺麗にされていた。
ハインツは、左手の薬指に神経を集中させる。発動の前段階、スキルを使うと見えた。
(……いらっしゃい)
薄らと、明るい茶色の髪の女性が浮かび上がる。瞳の色も明るい茶色で、そこに少しだけ金色が混ざる。髪は左にまとめてピンクの細い紐のようなリボンで縛っている。まだうら若い女性だった。
(……お客さんが来るなんて、久しぶり)
薄かった。まるで命が透けているようだった。これが儚いという言葉なのかとハインツは思い、だが彼女の表情を見て悟った。
今、まさに消えかけている。
アドルフォは永い間、この家に一度も、誰も呼ばなかったのだろう。
夫がお客さんを連れてきた事に喜んで、夫が友人関係を持った事に満足して、夫が時に癒されたと思って、今この瞬間に消えかけていた。
アドルフォはそれら一切が見えていない。魂が消えると、ハインツの蘇生魔法でも二度と戻せない。魂がどうなるのかは知らないが、例えば転生したら、転生先の人を前世に戻す事が出来るはずもない。
だが、魂からの蘇生は一度もやった事が無い。
ジャポーンでパーティを組んで冒険に行った時、ハインツの回復魔法を越えるほど無謀な駆け出しが目の前で死んでも、目前には魂だけではなく馬鹿者の死体自体もあった。そういう馬鹿は、肉体を用いた蘇生で元に戻せた。だから、学問だけで経験が無いのだ。
それでも、失敗は絶対に許されない。
「はじめまして。ベルティーナさんですね?わたしは、ハインツ・イルクナーと言います。今日はとても穏やかでいい天気ですね」
(……わたしはちょっと寒いけど)
ワンテンポ遅れて返事が返ってくる。ハインツは、焦る内心を押さえて速度を相手に合わせた。
彼女が殺されたのは、とても寒い冬の雪の日だった。
「そうでしたか。でも、もうすぐ良い天気になるんです。あなたの旦那さんの心が晴れる事が起こるんです。ベルティーナさんも、協力してくれますよね?」
(……何が起こるのかしら?)
「何が起こると一番良いと思いますか?二番目じゃなくて、一番良い事を思い浮かべてみて下さい。実は、今からそれが起こるんですよ」
(…………)
「あなたの夫が連れてきたわたしを、一度だけ信じてくれますか?20年以上探して、ようやく見つけたそうです」
(…………そうなると良いね)
「きっとなりますよ」
消えかけている魂を、ほんの僅かな時間繋ぎとめた。相手が蘇生を受け入れるための言葉は終わった。次は行動だ。
『蘇生ステージ3』
ハインツは左の薬指の、蘇生ステージ3のスキルをゆっくりと慎重に発動させた。力強い純白の光が優しく溢れ出る。まるでウェディングドレスの様な白い光が、挙式で二人にかけられる花びらのように舞っていた。
(何の因果だろう。ああ、リーゼにちゃんと指輪を買ってあげないとなぁ)
その日、アドルフォ・ハーヴェが時と共に止めていた心が29年ぶりに動き出した。
ハインツがハーヴェの小さな家から出ると、席を外していたリーゼが石段に座って待っていた。
ハインツは声を掛ける。
「リーゼ、終わったぞ。待たせたな」
「ハインツ様、お仕事お疲れさまでした」
リーゼが振り返り、はにかんで答えた。
少し垂れ目で優しい笑顔。雰囲気は羽のようにフワリとしていて、とても大人しそうな印象で、性格も実際にとても大人しい。親友のミリーや、夫となったハインツの言う事には、普段はNOなんて絶対に言わない。
それでいて一般人の生命の危機に際しては、自らの危険を顧みず、絶対に信念を曲げない。
あの時にハインツが居なくても、リーゼは橋に居た何人かの中等生は助けられたかもしれない。逃がすだけなら、戦闘職でなくとも出来る。とすれば、別にあの時の彼女の行動は間違っていたとは言えない。
彼女は、正誤の判断を誰かに理論で決められるのではなく、自分の信念で決めるのだろう。経験や実力が足りないからと言ってそこから逃げないのだ。ハインツにはそれが眩しく感じた。
やっぱり自分には出来ない。性格が違うのだ。
「ハインツ様?」
ハインツが抱きしめても、意図を理解しようと顔を向けてくる。
無言で抱きしめ続けるハインツに対し、リーゼはおずおずと両手をハインツの身体に交差させた。
おそらく人よりも沸点がとても高くて、芯がとても強いのだろう。真っ直ぐな彼女に、流石にいつまでも逃げ続けるわけにはいかないと、ハインツは思った。それがハーヴェ家の熱に当てられたのだとしても。
「仕事は成功したよ。でも、対価は貰えないな」
「えっ、どうしてですか?」
「……嫁の大切さが分かったからな。それを教えてくれたのが対価だ。と言う事で、俺と結婚してくれリーゼ」
「何を言っているんですか?もう結婚していますよ?」
リーゼは嬉しそうに微笑んだ。そして言い直す。
「はい、お受けします。そういう対価なら仕方が無いですね。あなた」
リーゼのハインツに対する呼びかけが変わった。
ハインツはずるいなと思った。これはどうしてもかわいいと思ってしまう。天然でそれをされると、理屈型のハインツには勝ち目が無い。結婚する前に好きになっても、結婚した後から好きになっても、好きは好きだ。
かなり状況に流されている気がするが、まあ良いかと思った。
そして両手でリーゼを抱きしめ続ける。リーゼもハインツに体を預けてきた。
「でも、生活費はどうしましょうか?」
「あ、結構やばかったりするか?」
「ええと、確か……」
バーンハードの討伐報酬は、かなり少なかった。10万G。要するに1000万円くらい。これが当面の財産で、新婚だが家1軒はもちろん買えない。
(報酬が安過ぎないか?あんな化け物を倒したのに、全然割に合わないぞ。ベイル王国の財政はどうなっている?)
ハインツはバーンハードを殺した後、その首をダガーで斬り落とした。
そして首を左手で掴み、足場の落ちた橋を飛び越えて、右手のグレイブを振り回しながら叫び、残る獣人達へと襲いかかった。
あからさまな威嚇。その効果は絶大の一言だった。
バーンハードに比べるとハインツの力は弱い。だが、獣人達にはバーンハード以上の化け物が自分たちへと襲いかってきたように思えた。
ハインツが実際に斬り付けた獣人の数は10人ほど。だが被害より、バーンハードの首を振りまわしながら向かってくる化け物への恐怖が勝り、獣人達は恐慌状態に陥りあっけなく壊走した。
指揮官がおらず、作戦の続行か中止かの判断が出来なかったのも原因だろう。
アドルフォが即席の足場を大橋に作らせる頃には、獣人はフロイデン方面に逃げ去ってその場に1人も残っていなかった。
その後、王女率いる精鋭の2個騎士団とアドルフォが手配した50名以上の冒険者とがやってきて、フロイデンはあっけなく解放された。侵入した他の獣人は、こちらとは一度も戦うことなく引き揚げた。
ハインツは、フロイデン奪還作戦に参加した。そこは酷い有様だった。
中等校があのキャンプ場と近いからこそ、サマーキャンプが行われていたのだ。つまり都市の西側、バーンハードが真っ先に襲いかかった地区。そこにはリーゼとミリーの家があった。
都市人口の1/3が死んだと言う。だが被害は平等ではない。西にあるその地区は全滅していた。全滅……全滅……全滅……
ミリーは、真っ先に駆けつけてもダメだったわねと言った。
リーゼは、そうだったねと言った。
そこにどれだけの思いがあるのか分からない。
例えばアドルフォにとってのベルティーナがどれほどの存在か、まだ若いハインツには理解できない。
それが数万人も殺された。
ハインツは二人の家族に対して蘇生は使わなかった。会った事もない人たちだ。やはり自分の人生と引き換えにすべきではない。
リーゼには、なぜそう考えたのかを説明した。
蘇生すると何が起こるのか。
数万人の家族が蘇生してくれと押し寄せてくる。
都市フロイデンだけでは無い。他の都市からも蘇生を願う人が次々と押し寄せてくるだろう。
やがて戦争をしている国家がやってきて力を貸してくれと言う。それを断れば力尽くで強要され、逃げればおそらくお尋ね者だ。
蘇生すると人生がどうなるか、おそらく穏やかに過ごす事はもう二度と出来なくなるだろう。
そう説明するとリーゼは暫く無言になり、やがて「分かりました」と短く答えた。
蘇生はアドルフォの妻にだけしか使っていない。アドルフォは、自分でハインツが祝福の高い治癒師だと気付いた。
ハインツは対応を考えたが、アドルフォの方が自分よりずっと上手だと理解し、無駄な抵抗を止めた。
どう考えても勝てる気がしない。逃げ切れる気もしない。アドルフォの息が掛かっていない都市なんて、この近隣諸国には存在しないらしい。最悪、リーゼを人質にとってでもアドルフォは蘇生をやらせる。結果が同じなら抵抗は無駄だ。
抵抗せず、代わりに大きな恩を売っておいた。ついでに条件も付けた。何故バレたのか教えること。誰にも言わないこと。アドルフォは、死んでも約束を守るだろう。
蘇生については、自分で見つけた蘇生薬を使ったと言う事になった。だからその件は終わりだ。
ハインツは冒険者登録証を得た。
氏 名 ハインツ・イルクナー
年 齢 30歳 性別 男
系 統 探索者(戦闘系)
戦 闘 大祝福2相当
技 能 剥ぎ取り・鑑定・探索・離脱
加 護 1134 魔力 328
登録地 ベイル王国 コフラン
更新日 1,258年6月25日
ハインツによる自己申告がいくつかあった。年齢・系統・技能だ。
まず、色んな記憶がわりと無い。年齢も記憶になかった。家族はダンボールとドラム缶。あちらの世界の最後の辺りは本当に良く覚えていないのだ。
「インサフ帝国から逃げてきた」と言えば、冒険者ギルドには確認のしようが無い。獣人帝国の支配圏に誰がどうやって確認を取るのだ?自己申告をすれば、全てがそのまま通った。
そして、治癒術師の力は隠したかった。これは、探索者のスキルだけを見せる事で、あっさり探索者と認識された。普通は隠すものではないのだ。技能も同様である。暗殺まで見せるつもりもない。
腕力などはしっかりと測定され、その数値から探索者としての加護が判断され、祝福を逆算された。祝福59の2倍以上は強くて、祝福60の平均より少し弱い。各大祝福の前後には大きすぎる差がある。ハインツは大祝福2と見做された。
バーンハードを倒せたのは、暗殺のスキルと空中と言う状況だ。誰だってあのような体勢では攻撃を避けられない。
探索者から転職して治癒師になっているため、腕力がそれくらいでも不思議はない。本来治癒師としては異常に高いのだ。
純然たる加護は、祝福70の祈祷系治癒師相当だとの話だ。転職者なので不思議はない。純粋な治癒師ならもっと高いのだろう。
魔力。ハインツに攻撃魔法は使えない。治癒の力に反映するのは加護の方だ。マナの目安にはなるので、少しは意味がある。
ハインツに生活の目途は、一応立った。大祝福2相当の冒険者なら、働き口に困らないだろう。
「さて……」
リーゼの好みに合う新居が必要だ。それに指輪。こちらの風習に結婚式はあるのだろうか?と、ハインツは思った。
ハインツはリーゼの手を引いてゆっくりと歩きだした。歩く速度を相手に合わせる。リーゼは、ハインツの手をしっかりと握り返してそれに連れ添い始めた。
まずは、自分が選んだこの世界で冒険者として生きていこう。
それにこの世界にアルテナがいるのなら、いつかジャポーンでの経緯や神々の真意も知れるはずだ。